第1375話

「……どうやら無事だったみたいだな」


 怪我をしている者はいるが、致命傷と思しき重傷の者はいない樵達を見て、レイは安堵の息を吐く。

 そのまま手に持っていたデスサイズを大きく振るい、トレントと樵達の間に立ちはだかる。

 トレントも、レイの姿を見て一瞬動きを止め……その隙を突くかのように、左右にいたトレントがそれぞれ吹き飛ぶ。

 片方はヴィヘラの拳による一撃で、もう片方はセトの前足による一撃。

 続いて風で出来た槍が何本も飛んでいき、トレントの一匹の胴体に突き刺さっていく。

 フェクツの側にいた樵が風の槍が飛んできた方に視線を向けると、そこにはこんな状況にも関わらず目が奪われる美貌を持つダークエルフの姿があった。


「お前は……」


 右手にデスサイズ、左手に黄昏の槍を持っているレイを見て、フェクツが呟く。

 それが誰なのかというのは、当然フェクツも知っている。

 そもそも、レイとは昼間にも会っているのだから当然だろう。

 ましてや、グリフォンを従魔にしている冒険者というのは、フェクツが知っている限りではレイだけだ。


「……少し下がってろ」


 言葉を出したくても、何を言えばいいのか分からない様子のフェクツを一瞥し、レイは小さく呟く。

 そこにあるのは、苛立ち。

 当然だろう。夜にトレントの森に来るなどという命知らずな真似をしたのだ。

 結果として、レイはもう休むだけだと夕食を食べている中で緊急の依頼を受け、ここまでやってきたのだ。

 移動している時はそこまで不満に思っていなかったが、直接フェクツの姿を見れば不満が出て来るのは当然だった。

 いつもであれば、年下のレイにそんなことを言われて黙っていられるような性格のフェクツではなかったが、モンスターの襲撃によって肉体的にも、そして精神的にもかなり消耗している。

 何より、今レイ達がいなければ自分達は確実に死んでいるという自覚があっただけに、若干の不満は覚えつつもレイに向かって言い返したりはしなかった。

 ……そんな状況で、若干であっても不満を抱くというのがフェクツの精神的にまだ幾らか余裕のある証ではあるのだが。


「後ろにも何かがいるんだ!」


 フェクツが黙り込んだのを見て、その近くにいた別の樵が叫ぶ。


「何か?」


 トレントと向かい合い、奇妙な膠着状態に入っている中でレイの声が周囲に響く。

 

「あ、ああ。植物の蔦だけど、蛇みたいな感じで襲ってくる奴が……」

「マリーナ、そっちは任せた」


 それだけを聞き、レイはマリーナに指示を出す。

 蛇のような蔦のモンスターと、目の前にいるトレント。

 弓はともかくとして、精霊魔法で相手をする分には、蔦のモンスターの方が容易そうだと思ったが故の指示。

 それだけレイはマリーナの精霊魔法を信頼しているのだが、これまで何度も見てきた精霊魔法を……いっそ万能とでも表現してもいいような光景を見ていれば、そう思うのも当然だろう。

 そしてマリーナもそれを理解しているのか、何も言わずに樵達の背後に回る。

 精霊魔法と弓を使うマリーナは完全に後衛型だ。

 であれば、本来なら前衛が護衛に付く必要があるのだが……


「ふふっ、随分と情熱的ね。けど……その程度の攻撃で私を捕らえられると思ってるのかしら?」


 余裕を感じさせる笑みすら浮かべながら、マリーナの魅惑的な肢体を搦め取ろうと伸びてくる蔦を回避していく。

 その攻撃を寸前の見切りで回避しながら、唄うかのように精霊に語りかけていく。


『風の精霊よ、共に唄いましょう、歌いましょう、詩いましょう、唱いましょう、謳いましょう、詠いましょう。私達の歌を届けて永遠の安らぎを』


 その言葉と共に、マリーナの周囲には身体に布を纏っただけのような様々な美女達が姿を現す。

 もっとも、身体が半透明なものが殆どなのを見る限り、実体という訳ではないのだろう。

 そして呪文の詠唱……精霊への呼び掛けを考えれば、姿を現したのが何なのかは明白だった。


「風の……精霊……」


 マリーナの側にいた樵が、呆然と呟く。

 その言葉に、マリーナは艶然とした笑みを浮かべてその樵を一瞥し、次の瞬間大きく手を振る。

 それと同時に、何人もの風の精霊……否、風の乙女達はそれぞれ歌声を発した。

 放たれた歌声は、風の刃となって蔦を切断し、風の砲弾となって蔦を粉砕し、風の槍となって蔦を貫き、風の歌声となって蔦を混乱させていく。

 何種類もの歌声により、樵達を背後から襲ってきた蔦は瞬く間に無力化されていく。

 その場にいた蔦の全てが無力化されるまで、風の乙女達が歌ってからほんの数秒……それだけで、背後から迫っていた脅威は完全に消え去ってしまった。

 幾ら斧で切断しても、全く途切れることなく延々と湧き出てきた蔦が、文字通りの意味で綺麗さっぱりと消えてしまったのだ。

 冒険者に思うところがある樵であっても、今の光景をその目で見せられれば何も言えなくなる。

 自分達の勝手な思い込みで冒険者達を嫌っていたのが、とてつもなく下らないことに感じられた。

 そんな風に思っている樵だったが、不意にマリーナがその樵に視線を向ける。

 ただそれだけ……視線があっただけにも関わらず、その樵は完全にマリーナの姿に目を奪われた。


「危ないから、下がっていなさい」

「……はい」


 そうして言い聞かせられれば、それ以上は何も口に出来ずに下がるしか出来ない。

 一歩、二歩と後ろに下がる樵の男は、当然のように仲間の樵にぶつかる。

 当然だろう。フェクツ達は円状になっていたのだから。

 だが……こんな状況であるにも関わらず、ぶつかられた樵は何も反応しない。

 数秒が経って、ようやくそのことに気が付いた樵は、マリーナが視線を逸らしたこともあって前を向く。

 そして……目の前に広がっていた光景に、息をするのも忘れたかのように動きを止める。


「……嘘、だろ……何だよこれ……」


 動きを止めた樵の耳に入ってきたのは、信じられないといった様子のフェクツの声。

 その言葉は、フェクツを含めてこの場にいる全ての樵達にとって同じ思いだった。

 認めたくない。認めたくはないが、それでも冒険者が自分達よりも強いというのは知っていた。

 だが……それでも今この時、目の前で広がっている光景は驚くべきものだ。

 自分達には倒すことが出来ず、何とか死ぬまでの時間を延ばすしか出来なかった、トレント達。

 そんなモンスターを前にして、レイ、ヴィヘラ、セトという二人と一匹が行っていることは、まさに蹂躙とでも呼ぶべき光景だった。

 レイが振るうデスサイズの一撃は、容易にトレントを斬り裂き、黄昏の槍はトレントの身体を貫く。

 ヴィヘラの一撃は一見効果がないように見えるのだが、実際には次の瞬間内部からトレントの幹が破裂する。

 セトにいたっては、それこそ前足を大きく振るっているだけにも関わらず、それだけでまるで冗談のようにトレントが吹き飛んでいく。

 それこそ、本当に今目の前にいるのは自分達が脅威を抱いたモンスターなのかと、そう思ってしまうのは当然だった。

 そして最終的には、フェクツ達が絶体絶命としか思えない状況からほんの数分で命の危機は去ってしまう。

 冗談としか思えない程の圧倒的な力の差を見ながら、フェクツを含めて誰も口を開くことが出来ない。

 つい先程まで自分達は死ぬしかないと思っていた状態から助かった安堵感、自分達ではどうしようもなかったモンスターを瞬く間に殺した力に対する嫉妬、結局自分達は冒険者がいなければどうしようもないのかという屈辱感。

 様々な感情により、何を言っていいのか分からない。

 そんなフェクツ達だったが、レイはそんなフェクツ達を一瞥しただけで興味がないと言わんばかりに視線をトレントの方に向ける。


「っ!? お、おい! お前、俺達を助けにきたんじゃないのかよ!」


 レイの態度に、フェクツの中にあった助けられたという感情よりも冒険者に対する反感が一気に強くなり、殆ど反射的に叫ぶ。

 自分達を助けに来たのだから、手を出してこない……などという考えがある訳でもなく、純粋に反感からの言葉。

 樵として筋肉がついている自分と比べると、レイの姿はとてもではないが強そうに思えないというのも反感を煽った理由の一つだろう。

 勿論デスサイズや黄昏の槍といったように、普通なら両手で持って使うだろう武器をそれぞれ片手で使っている光景を目にしてはいるのだが、やはり外見というのは相手を判断する上で大きな要素なのだろう。


「……何だ? 魔石がないな?」


 そんなフェクツの叫び声も聞こえていないかのように、レイはデスサイズで上下に切断したトレントの内部を探り、呟く。

 その言葉通り、本来ならモンスターに必ずある筈の魔石がどこにもない。

 モンスターである以上、間違いなく魔石がある筈と思っていただけに、その言葉には落胆の色が強い。

 今回のフェクツ達の救出という依頼を受けた理由の一つに、当然のようにモンスターの魔石を手に入れるというものがあった。

 特にトレントはレイが……正確にはデスサイズがまだ吸収したことのない魔石である以上、何らかの新しいスキルを入手出来るのではないかという思いがあったのだ。

 それだけに、実際にこうして魔石を手に入れることが出来なかったというのは、レイにとっては最大の誤算だろう。


「魔石がないの? ……見つけられないだけじゃなくて?」

「トレントでも魔石のある位置は大体決まってるだろ。……どうなっている?」

「グルルゥ……」


 レイの言葉に、セトが喉を鳴らす。

 それが、モンスターに対する違和感からの疑問が混じった鳴き声であるというのを理解したレイは、改めてトレントに視線を向ける。


「ヴィヘラ、トレントと戦ったことは?」

「以前ダンジョンで何度かあるわね。……けど、それがどうしたの?」


 それなりにレイやセトとの付き合いも長いヴィヘラだったが、レイとは違ってセトの鳴き声の意味を完全に察することはできない。

 それは、レイがビューネの意志を完全に理解出来ないのと、似たようなものなのだろう。


「セトの鳴き声を聞く限り、このトレントに違和感があるみたいだな」

「……違和感?」


 違和感と聞き、ヴィヘラは小さく首を傾げる。

 ヴィヘラは先程言った通り、以前トレントと戦った経験がある。

 だが、今回のトレントとの戦いで特に違和感はなかった為だ。


「私は別に……」

「おい!」


 自分達を放っておかれて話をされているのが我慢出来なくなったのだろう。

 フェクツがレイの肩を掴み、何かを叫ぼうとし……


「黙れ、無能」


 レイの口から出て来た一言で、それ以上何も言えなくなる。

 これが誰か普通の相手に言われたのであれば、持ち前の気の強さもあって即座に言い返していただろう。

 だが、レイから向けられた視線の中にあったのは、呆れと軽蔑の色。

 それを怒気混じりの気配と共に叩きつけられたのだから、フェクツのような一般人がそれに抗える筈もない。


「っ!?」


 結局それ以上は何も言えず、そのまま数歩後ろに下がる。

 そんなフェクツの姿を見て、他の樵が何かを言おうとしたが……それを遮るようにして、レイが再び口を開く。


「そもそも、今回の騒動はお前達が夕方になって街の外に出るなんて真似をしなければ起きなかった事だ。何を考えてこんな真似をしたのか、俺には正直理解出来ない。だが、それが理由でお前達以外の樵やその家族からギルドに緊急の依頼が出されることになった。その意味を理解しているのか?」


 そう告げるレイの言葉に、フェクツ達は不満と疑問の混ざった表情を浮かべる。

 本当に、レイが何を言っているのか分からなかったのだ。

 それを理解したのだろう。レイは呆れの表情を強くしながら口を開く。


「あのな、俺はこう見えてもランクB冒険者……いわゆる、高ランク冒険者と呼ばれるランクの冒険者だ。おまけに異名持ち。そんな俺に対して依頼をするんだぞ? お前達が普段頼んでいるような冒険者に対する依頼料と同じな訳がないだろう?」


 今回のトレントの森の件は別として、普段樵が護衛を依頼する冒険者は、ランクDといったような者達が多い。

 勿論その護衛の報酬も決して安い訳ではないが、それでもレイのような……そして紅蓮の翼のような、高ランクパーティに対する依頼料とは比べものにならないだろう。

 もっとも、今回の依頼は本当に急だったこともあり、まだ依頼の報酬をどのくらいにするのかというのは話していないのだが。

 それでも、低ランク冒険者とは比べものにならないだけの依頼料となるのは間違いない。

 ようやくそのことを悟ったのか、フェクツ達は顔色を青くしていく。

 当然だろう。こうして夜にトレントの森にやって来たのは、冒険者達に対する反感があるのと同時に、より多くを稼ぎたかったからなのだから。

 それが自分達の思っていたのとは正反対の結果をもたらしたのだ。

 自分達の行ってしまった愚行を後悔するには、十分な事態だった。

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