第1374話
既に日は完全に沈んでおり、普通なら門は閉じている時間帯。
だが、ケニーが持ってきた書類の効果により、警備兵はあっさりと正門を開けてくれた。
もっとも、それには書類にワーカーだけではなくダスカーのサインが入っていたのも大きいだろうし、元ギルドマスターのマリーナがいたり、色々な意味で有名なレイやセトがいたり……といったことも関係しているのは間違いない。
「セト、頼む」
「グルルルルゥ!」
背に跨がったレイの言葉に、セトはいつものように鳴き声を上げて数歩の助走をして翼を羽ばたかせながら飛び上がる。
そうして空に飛び上がってから、地上で待っているマリーナとヴィヘラを拾うべく再び降下していく。
本来なら命綱を結んだりといった行為をするのだが、今回の場合は少しでも早くトレントの森に向かいたいということもあるし、何より移動時間がほんの数分程度ということもあって命綱を用意していない。
速度を落としながら地上の近くを飛んでいくセトの前足に、マリーナとヴィヘラはタイミング良く跳躍して掴まる。
セトのバランスが一瞬だけ崩れるが、次の瞬間にはバランスを立て直して翼を羽ばたかせる。
そうして上空高くまで舞い上がったセトは、トレントの森を目指して翼を羽ばたかせる。
完全に日が沈んだとはいえ、まだ日が沈んでからそれ程時間が経っていない。
その影響もあってか、空にはまだ夕焼けの名残のようなものがあった。
夜空には雲もなく、優しい月の光が地上に降り注いでいる。
「いい景色ね。これで何もなければ……私としては何も言うことはなかったんだけど」
セトの足に片手で掴まりながら、マリーナが呟く。
ヴィヘラの部屋に置いてあった服に着替えており、いつものパーティドレスではなくズボンを履いている。
命綱がなく、本当に手の力だけでセトの前足に掴まっている以上、手が滑りでもしたら確実に命はない。
それが分かっていても、マリーナには緊張した様子はなかった。
「そうね。出来れば夜景を見ながら月明かりの下でデート……なんていいと思うわ」
マリーナだけではなく、ヴィヘラも緊張した様子がないまま、言葉を返す。
この二人には全く不安という色がなかった。
……いや、寧ろヴィヘラはこれから戦いが待っているということもあってか、目に情欲の色すら浮かんでいる。
このところ、ヴィヘラは満足の出来る戦いを楽しめていなかった
勿論、マリーナとの模擬戦、ビューネへの戦闘訓練、そして何よりレイとの模擬戦を行ってはいた。
だが……それはあくまでも『模擬』戦でしかないのだ。
本物の戦いのように、命を落とす心配がない代わりに本気で……それこそ実戦の如き興奮と悦楽は覚えることが出来ない。
ビューネにいたっては、模擬戦どころか戦闘訓練でしかなかった。
レイと共にすごす時間は、決して嫌いではない。
それでも、ヴィヘラの中には戦闘に対する強い欲求がある。
今回は戦いは戦いでも護衛が主になるのは分かっているのだが、それでもやはり命懸けの戦闘というのはヴィヘラを興奮……いや、欲情させるには十分だった。
セトの背に乗っているレイも、そんなヴィヘラの性癖とでも呼ぶべきものは当然知っている。
それでも何も言わなかったのは、レイはそれを含めてヴィヘラだと理解している為だ。
マリーナも永い時を生きているだけあって、同じような性癖を持つ者には何度も出会ったことがある。
(まぁ、実際今回の相手は得体がしれない。それこそ本当にトレントだけなんてことにはならないだろうな。……まぁ、トレントならトレントで、魔石を得られるからいいんだけど)
そんな風に考えている間にもセトは進み、やがて地上に森が見えてくる。
月明かりに照らされているその森は、トレントの森。
ほんの数分の夜の飛行だったが、トレントの森が見えてきた時点でレイの目は……そしてセト、マリーナ、ヴィヘラの目もトレントの森に向けられていた。
そしてすぐにトレントの森で起きている異変に気が付く。
数人が、トレントの森の外側近くで戦っている様子が見えたのだ。
トレントを前に、立ち止まっている者達。
それがフェクツが率いる樵達であるのは、全員が斧を持っているのを見れば明らかだ。
当然、レイが見つけるよりも早くセトはその様子を見つけており、翼を羽ばたかせて森に向かって降下していく。
「マリーナ、ヴィヘラ、樵達と思しき連中を見つけた! 予想通り襲われている!」
レイの言葉に、マリーナとヴィヘラはそれぞれ違う表情を浮かべて森に視線を向けるのだった。
時は少し戻る。
レイ達がギルムを飛び立った頃、フェクツは樵達と共にモンスターを迎撃していた。
「くそったれがぁっ! 何なんだよこいつらは!」
苛立ち混じりに叫びながら、フェクツは斧を振るう。
その斧は、まるで蛇のように足下を這っていた蔦を切断する。
切断された蔦は、まるで断末魔の代わりだとでも言いたげに、まるで蛇のように蠢き……やがて力をなくし、地面にその姿を晒す。
「フェクツ! どうすればいいんだよ!」
「いいから、逃げろ! とにかく逃げるんだよ! ここは何とかして距離を取って、森から抜けるんだ! そうすれば多分こいつらも追ってはこない筈だ!」
仲間の声に、フェクツは再び迫ってくる蔦に向けて斧を振るいながら叫ぶ。
フェクツ達が持っている斧は、あくまでも伐採用の斧だ。
戦闘用に調整されたバトルアックスとは違う。
だが……それでも斧は斧である以上、ある程度の攻撃力は持っていた。
フェクツの指示に従い、一行は何とか森から出ようとして走る。
元々樵という仕事上、植物に対してどのように斧を振るえばいいのかを分かっていたこと、この森で襲撃を受けたパーティと違い、眠っているところに襲撃を受けた訳ではないこと、まだ夜になってからあまり時が経っておらずフェクツ達の警戒心が解けていなかったこと、森の木の伐採が目的であった為、森の外側近くにいたこと。
様々な理由と幸運に恵まれたおかげで、幸いにもフェクツやその仲間は、怪我をした者はいても命を失った者はまだいなかった。
だが、必死に戦っているフェクツ達は、そのことを誇らしく思うような余裕はない。
今はただひたすら生き延びる為に全員が協力して行動しなければならなかった。
こうなると、樵の若手の中でも中心人物のフェクツがいたことが、樵達にとっては幸運だったのだろう。……もっとも、フェクツがいなければ夜にトレントの森に来るような真似はしなかったのだろうが。
とにかく、様々な理由はあれどフェクツとその仲間達が生き残っていたのは間違いなかった。
だが、今はまだ全員生き延びているのだが、それがいつまで続くのかと言われるとそれも分からない。
森の中でも端で行動していたはずなのだが、その小さな距離がどうしても縮まない。
今の状態であってもかなり限界に近く、既に皆が多かれ少なかれ怪我をしている。このままではそう遠くない内に死者が出るのは確実だった。
今更ながら、護衛の冒険者というのがどれだけ大きな存在だったのか……それを理解しながら、フェクツは、そしてまだ戦える樵達は斧を振るう。
そうして必死に……それこそ生命を振り絞って走り続け……やがて、森の外側が見えてくる。
これで助かる。
そんな思いの樵達だったが……次の瞬間、先頭を進んでいた樵がその足を止める。
全速力で走っていた状況から止まるのだから、当然のようにそれは身体に負担を掛け、ましてや短時間であってもこれまでの戦闘で疲労していた肉体が耐えられる筈もなく、男は背後から押されたということもあって地面を転がった。
持っていた斧の刃で頬を薄く切りながら、それでも男は何とか立ち上がる。
「おいっ! 一体何をしてるんだ!」
「フェクツ、駄目だ!」
突然前を走っていた仲間が足を止めたことに叫んだフェクツだったが、帰ってきたのは必死な……それこそ切羽詰まった声。
だが、フェクツとて後ろから……いや、周囲から蔦が蛇のように蠢きながら追ってきているだけに、ここで立ち止まる訳にはいかない。
フェクツ達が生き延びることが出来ていた理由の一つとして、襲ってくる存在が……モンスターが、蔦だけだったというのもある。
もしこれで今まで冒険者を殺してきたモンスターが現れていれば、どんなに上手くいっても全員が生き残るというのは難しかっただろう。
ともあれ、それがどのような理由であろうと今は周囲から迫ってくる蔦から逃げるしかない。
そんな中でいきなり前が止まったのだから、殿をしているフェクツが叫ぶのも無理はなかった。
ただ、フェクツがどのような思いを持っていようとも、先頭の男がそのまま森を走り抜けるという訳にはいかなかった。何故なら……
「シャギャアアアアア!」
そんな威嚇の叫び声を上げながら、トレントが姿を現したのだから。
本来なら、木というのは動ける筈がない。
だが、トレントは木の根を足のように動かしながら地面を歩いていた。
先頭を走っていた男は、自分の斧を構えながら姿を現したトレントに視線を向け……苦い表情を浮かべる。
何故なら、トレントのうちの一匹が木の幹に傷をつけていたからだ。
その傷に男は見覚えがあった。
当然だろう。その傷は男が目印として生えていた木につけたものなのだから。
つまり、このトレントはあの時男が傷を付けた木だということになる。
「くそっ、あの時はトレントじゃなかっただろうがよ!」
苛立ちと共に叫び、斧を手にトレントと向かい合う。
樵という職業をしている以上、当然トレントのようなモンスターとは遭遇することが多い。
それだけに、ある程度技量のある樵であれば、触った感触で木とトレントを判別することはそう難しくはない。
これがもっと上級のモンスターになれば、話は別なのかもしれないが……少なくても、男は普通の木とトレントを見間違うようなことはないと言い切れるだけの自負があったし、実際にそれだけの実力もあった。
それだけに、男は自分が傷を付けた木がトレントではなかったというのは間違いないと確信出来た。
にも関わらず、こうしてトレントとして現れたのだ。
それに納得出来ず叫びたくなっても、当然だっただろう。
だが、トレントの方はそんな男の様子を気にした様子もなく、枝を振るう。
まるで手で殴りつけてくるかのような、そんな一撃。
男は咄嗟に斧を盾がわりにしてその一撃を防ぐことには成功するも……
「ぐがぁっ!」
瞬間、防いだのとは別の方向からの衝撃を受け、そのまま吹き飛ばされる。
……そう、フェクツ達の行く手を遮るようにして姿を現したトレントは、一匹ではない。
それこそ、まるで行く手を遮る壁のように十匹以上もの数がいたのだ。
冒険者ならともかく、ただの樵にそのトレントの群れを突破出来るかと言えば、答えは否だろう。
だが、背後の森からはどこまでも伸びる蔦がフェクツ達を追ってきている。
前門の虎、後門の狼。
もしレイが今のフェクツ達の状況を見れば、そう表現してもおかしくはないだろう。
「くそっ、どうするフェクツ!」
絶体絶命の危機にも関わらず、それでも樵達はフェクツを責めない。
それだけフェクツが皆に慕われているということの証なのだろう。
「怪我の重い奴は中心に、軽い奴は外側に! それで何とか耐えて、隙を見て一点突破だ!」
その指示に従い、トレントの前で隊形を整える。
もっとも、普段からモンスターと戦闘を行っている冒険者と違って、フェクツ達は戦闘訓練の類はしていない。
勿論荒っぽい性格の者がそれなりに多い樵なので、喧嘩の類はそれなりに経験のある者が多いのだが……それはあくまでも喧嘩であって、戦闘ではない。
それだけに、フェクツの指示に従って隊形を整えても、それはどこか歪な隊形だった。
だが、歪ではあっても個人でトレントと戦うよりは随分と楽に戦えるというのも間違いはなかった。
……樵だけに、全員持っている武器は斧で、弓矢の類を持っている者はいない。
よって、戦闘はあくまでも陣形の外側にいる者達で行わなければならず、内部にいる樵は援護攻撃が出来る訳でもなく、ただ見ていることしか出来ない。
「うおおおおおおっ!」
それに我慢出来なくなったのか、内部にいた樵の一人が持っていた斧を大きく投げる。
腕を怪我している樵だったが、それでも斧を投げるくらいは出来た。
そうして空中を飛んでいった斧は、そのままトレントの幹に刃をめり込ませるも……
「くそっ、痛がりもしないって、どういうことだよ!」
斧を胴体に受けたままのトレントが、全く気にした様子を見せずに攻撃を行おうとし……
「させるか!」
唐突に周囲にそんな声が響き、今にも樵を攻撃しそうになっていたトレントは左右真っ二つに切断されるのだった。
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