第1356話
空を飛ぶセトの背に乗ったレイから見ると、地上は一面の緑の絨毯に一本の線が走っていた。
言うまでもなくその一本の線というのは街道で、それがなければ一面の緑となるだろうと思えば、少しだけ残念に思える。
空を見上げれば、春らしい暖かな太陽があり、白い雲が浮かぶ。
「こうして見ていると、とても森がどうこうって感じじゃないんだけどな。……まぁ、空を飛んでるからだろうけど」
「グルゥ?」
思わずといった様子で呟いたレイの言葉に、セトがどうしたの? と後ろを向く。
「いや、何でもないよ。それより……ああ、噂の森はあれだな」
高度百m程の高さを、それもセトが飛ぶのだ。
ギルムの外から飛び立ってから、それこそ数分もしないうちに森の姿を目にする。
何故その森を噂の森だと判断したのかと言えば、単純なことだった。
ギルム付近をこれまで幾度となく飛んできたレイとセトにとって、見覚えがない森を見ればすぐに分かる。
勿論冬の間や春になってからも、ずっとギルムにいた影響で空を飛んではいない。
だが、それでも今レイが見ているような規模の森がこの付近になかったというのは、確実だった。
さすがにこれだけの森があったのを、忘れるようなことはない。
街道からかなり外れた位置にある場所だったが、レイの記憶が正しければここにあるのは草原だった筈だ。
「まさか、その草原が何らかの異常で森になった……とか?」
普通であればまず有り得ないことなのだが、魔力というものがあるこの世界では絶対にないとは言い切れなかった。
「にしても……思ったよりも広いな」
レイが口にしたのは、森の規模だ。
ギルム程……とまでは到底いかないが、それでもぱっと見たところ、一km四方以上は余裕である広さの森だ。
「グルルゥ?」
だが、上空からそんな森を見ているセトは、何か不思議そうに鳴き声を上げる。
五感が鋭く、第六感や魔力を感知する能力を持っているセトだけに、地上にある森の不自然さ……モンスターはおろか、動物の類がいないことに気が付いているのだろう。
レイはセト程に鋭い五感を持っている訳ではないが、それでも見たところ何か違和感を受ける。
「取りあえず、俺とセトが見て違和感があるってことは、間違いなく普通の森じゃないだろうな。……そもそも数ヶ月でこんな森が出来るのが普通じゃないけど」
「グルゥ?」
どうするの? 降りる? と視線を向けてくるセトだったが、レイは首を横に振る。
「いや、俺も一旦降りてみたいとは思うけど、今回の目的はそもそも森が本当にあるのかどうかを調べることだからな。……にしても、広がっている様子は見えないな」
レイが聞いた話では、森は成長するか移動するかしているという話だったのだが、こうして上から見る限りではとてもそのようには見えない。
そうして地上を見ていたレイだったが、ふと木々の隙間に日の光を反射して煌めく何かを発見する。
最初は水……川か何かかとも思ったのだが、そもそもここに川は流れていなかった。
いや、小川のようなものはもしかしたらあったのかもしれないが……ともあれ、森の中でも端の方、それこそ森に入って十m程度の位置にあるその燦めきが気になったレイは、当初の予定を変更して地上に降りることにする。
「セト、悪いけどやっぱり地上に降りてくれ」
「グルルルルゥ!」
元々セトはいきなり現れた森に興味があった為か、レイの言葉を聞くと躊躇なく地上に向かって翼を羽ばたかせる。
そうして殆ど音も立てずに地上へ着地すると、目の前にある森をじっと眺めた。
地上に降りれば、より明確にその森の異常さを理解することが出来る。
そこにはこれ程の規模の森であるにも関わらず、生き物の気配が殆どない。
微かにいるのは、木の枝に止まっている鳥くらいか。
その鳥の数も、決して多くはない。
「グルゥ……」
セトの鳴き声に、レイもまた何が起きてもいいように意識を集中させる。
ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出し、もし何かが襲ってきてもすぐに反撃出来る体勢を整えてから、森の中に……上空から見えた、煌めく何かがあった場所に向かって歩き出す。
「セト、一応何があってもいいように注意しておけよ。……これだけの大きさの森がいきなり現れたんだ。何かあるのは間違いない」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは大丈夫と喉を鳴らす。
森の木々の隙間はそれなりに広い為か、体長三m程もあるセトであっても特に問題なく森を進むことが出来る。
緊張しながら進んでいたレイ達だったが、予想外のことに特に何がある訳でもないまま、目的の場所……燦めきがあった場所に到着する。
元々森の外側から十m程度と、すぐ近くにあったというのもあるのだろうが……緊張していただけに、拍子抜けしたというのが、レイの正直な気持ちだった。
「これは……」
レイの目に入ったのは、短剣の刃。
丁度近くの木々の枝の隙間の下にあった為、日の光が遮られずにその刃に反射したのだろう。
だが、その短剣よりもレイが驚いたのは、短剣の近くにあった焚き火の跡だ。
つまり、ここで誰かが野営をしていたということになり、その誰かというのはスレーシャ達に他ならない。
「ってことは、何だ? 一晩……いや、いつ騒動が起きたのかは分からないから、最長で一晩か? とにかく、そのくらいの時間でここまで森が広がったということか?」
この焚き火の跡があるのは、森に入って十m程の位置だ。
そして野営をしたのは森の側ではあっても、森の中ではないというのはレイも聞いている。
そうである以上、一晩でこの森は最低十m近くも増えたということになる。
(いや、侵蝕して増えたのか、それとも森そのものが移動しているのかは分からないな。まぁ、どっちだろうとそう大差ない……危険なことに違いはないけど)
一応スレーシャや、そのパーティの持ち物だということで、地面に散らばっている各種道具……寝袋やリュックといった持ち物をミスティリングに収納していく。
スレーシャ達が夜に仲間の悲鳴で起きた時は、準備を整える間もなく森の中に入っていったのだろう。
そこにある荷物の類は、殆どがスレーシャ達が眠りに就いた時のままだった。
もっとも、レイはそこまでは分からないが、それとは別に分かることもある。つまり……
「荷物を漁った様子もない、か」
そう、荷物の中には保存食として干し肉や焼き固められたパンの類も当然あった筈だ。
冒険者として活動している以上、非常食の類を用意しているのは当然だろうし、寝る前にここで何かを食べ、朝食の類も用意してある筈だった。
にも関わらず、荷物は全く荒らされた様子がない。
食べ物の類がなくても、モンスターや動物であれば、見知らぬものがあればそれを弄ったり、調べたりするのは当然だった。
「だとすれば、本当にこの森にはモンスターや動物はいないんだな」
受付嬢からその話を聞いていたし、こうして森の中に入ったことにより何となく予感もしていた。
だが、それでもこうして明確なまでの証拠を突き付けられれば、これ以上ない程の説得力を持って納得せざるを得ない。
「……グルゥ」
そんな野営の跡地を眺め、セトが寂しそうに喉を鳴らす。
この森で死んだスレーシャの仲間達のことを思っているのだろう。
とにかく、森の中にあった荷物の類は全て回収する。
この手の品は、当然拾った者に所有権があるのだが……レイにとって、これは自分が持っていても役に立たない物だ。
この荷物にあるよりも、もっと多く、そして高性能な道具の数々を既に有しているのだから。
「ま、これくらいはな」
荷物の行方は、当然のようにスレーシャ。
元々レイにとっては必要がない以上、そのくらいの親切はいいだろうという判断だった。
一晩にしてパーティの全員を失ってしまった以上、このまま冒険者を続けるにしろ、冒険者の道を諦めるにしろ、この荷物は役に立つ筈だった。
冒険者として活動するのであれば、その道具として。
そして冒険者を辞めるのであれば、ギルムで売って当座の生活資金に。
どちらにしても、あって損はない代物だろう。
(こうして考えるのは、俺もパーティを組むようになったからか? ……まぁ、俺は紅蓮の翼を消滅させるような真似はするつもりはないけど)
もっとも、それを言うのであればスレーシャ達だって好き好んでパーティを全滅――スレーシャは生き残っているが――させた訳ではない。
いや、自分で自分のパーティを全滅させようと考えるような者など、何か妙な考えを持った者以外では存在しないだろう。
「とにかく、用事は済んだ。幸いにも……って言い方はちょっと相応しくないけど、それでも森の中に動物やモンスターがいないのを確認出来たのは良かったな」
「グルルゥ?」
そうなの? と首を傾げるセトを撫でながら、レイは頷きを返す。
「ああ。後はギルムに戻ってこの報告をするだけか。……そう言えば、指名依頼という形で報酬を決めないで来たけど……まぁ、マリーナ辺りにその辺の交渉は任せれば大丈夫か」
そう呟くレイだったが、実際のところ元ギルドマスターのマリーナ程交渉に向いている人物はいないだろう。
この手の類の依頼であれば……それも指名依頼であれば、幾らくらいの報酬が妥当なのかというのは元ギルドマスターのマリーナにとって、容易に判断出来るのだから。
もっとも、金銭の報酬というのはレイにとってはあまり魅力がないのだが。
「……にしても、森に喰われるとか何とか言ってたけど、結局何もなかったな。セトがいるからか?」
今回の件がどのような相手の仕業であれ、セトというグリフォン……それも希少種である為にランクS相当のモンスターを前に、下手な真似をするとは、レイにも思えなかった。
「森なんだし、いっそ俺の魔法で燃やしてしまえばあっさりと片が付きそうだけど……そうなると、未知のモンスターの仕業の場合、魔石も燃やしてしまう可能性があるんだよな。その辺を何とかしたいんだけど……いや、今は考えても意味がないか」
頭を横に振り、考えていたことを取りあえず頭の中から追い出す。
今はとにかく、この森の件を知らせるのが最優先課題だろうと。
「じゃあ、行くか。セトもいつまでもこの森にいたくはないだろ?」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトは頷く。
木陰で眠るというのは、セトにとっても幸福な時間の一つだ。
だが、その木陰もこのような森の木陰では、気が休まるようなことはない。
マリーナの家の庭で春の日射しを直接浴びながら昼寝をする方が、セトにとっては魅力的だった。
野営の跡地のあった場所から移動し……ふと、地面に落ちている一本の枝に気が付く。
途中で折れているその枝は、セトが移動する時に折れたものなのだろう。
(木の枝……まぁ、何かの役には立つか? これを調べて、少しでも何かが分かれば、儲けものといったところだし)
そう判断し、拾ってそのままミスティリングに収納する。
「グルルルルゥ」
早く森を出よう、とそう鳴き声を上げるセトに頷き、レイは先を進むセトを追う。
野営の跡地があった場所そのものが森の外側のすぐ近くにあったこともあり、森から抜け出すのはすぐだった。
そうして森から抜け出し、改めて先程まで自分達がいた森に視線を向ける。
外側から見る限りでは、特に何の異変もない普通の森にしか見えない。
だが、その森は実際には何人もの冒険者を呑み込んだ森なのだ。
とてもではないが、普通の森とは言えないだろう。
(いやまぁ、普通の森でも油断してればあっという間にモンスターの攻撃で死んだりするけど……この森はそういうのとは全く関係ないしな)
森を見ながら、レイは呟く。
日本にいる時も山の近くで育ってきたレイにとって、森の中で生き物の気配がしないというのは、違和感しかなかった。
勿論日本にいた時は気配といったものを本格的に感じ取れた訳ではないが、それでも動物の鳴き声といったものは聞こえてくるし、見ることも不可能ではない。
「グルルゥ?」
どうしたの? と喉を鳴らすセトの声で我に返ったレイは、何でもないと首を横に振る。
「さ、とにかく依頼は果たしたんだ。行こうか」
「グルゥ!」
嬉しそうに喉を鳴らすセトに跨がったレイは、そのままセトと共に空に舞い上がっていく。
見る間に小さくなっていく、森の姿。
緑の絨毯という意味では草原と同じなのだが、それでもやはり草原と森の木々というのは同じ緑でも色が違う。
もっとも、セトの飛行速度を考えれば、すぐにその森からも離れ……やがてギルムが見え、その正門でレイとセトに向けて手を振っているマリーナとヴィヘラ、ビューネの姿を捉えるのだった
……笑顔で手を振っているマリーナとヴィヘラとは違い、ビューネは相変わらずの無表情で手を振っていたのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます