第1357話

 簡単な森の調査を終えてギルムに戻ってきたレイは、ギルムに入る手続きを行い、外で待っていたマリーナ達と共にギルドに向かう。


「それで、森はどんな様子だったの?」

「そうだな。一言で表すのなら、異常。この言葉が相応しいだろうな」


 まさかレイの口からそんな言葉が出るとは思っていなかったのか、森の様子を尋ねたマリーナはその形の良い眉を驚きで動かす。

 それはヴィヘラも同様だったが、こちらは戦いの期待を込めて嬉しそうな視線をレイに向けている。


「異常って、どんな具合だったの?」

「そうだな、ダークエルフのマリーナなら、多分あの森に行けば俺と同じように感じると思う。何しろ、森の中に動物の一匹も見つけることが出来なかったからな。それも隠れてるんじゃなくて、恐らく本当に一匹もいない」

「……それは……」


 ダークエルフとして、そして何より世界樹の巫女とも呼ぶべきマリーナにとって、もしレイの言っていることが事実であれば、それは森とは呼べない森とでも呼ぶべき存在だった。

 とてもではないが、森とは認めることは出来ないだろう。


「モンスターがいないの? 森なんだし、トレントとか、そういうのは?」


 マリーナと違い、ヴィヘラはモンスターの存在がいないのであれば、戦いは期待出来ないと残念そうな声だ。

 だが、レイはそんなヴィヘラの言葉に首を横に振る。


「スレーシャとかいう女の仲間が何かに襲われたんだから、何かがいるのは間違いないだろ。……まぁ、それがヴィヘラの満足できるような敵かどうかは、分からないけど」


 そんな風に話している間にもレイ達は進み続ける。

 何人かがセトに話し掛けようとしたのだが、レイ達の様子から真面目な話をしているというのは理解したのだろう。

 声を掛けるのは止め、ただじっとセトを見守っていた。

 そうして一行はギルドに到着すると、セトはレイが何も言わなくても離れていき、レイ達はギルドの中に入る。

 既に昼近い為か、ギルドの中に冒険者は殆どいない。

 代わりに、酒場には昼食を食べている者がそれなりにいた。


(あ、腹が減ったな。報告が終わってから、何を食うかな。……あ、うどん? 肉まんやピザも……)


 酒場の方から漂ってくる、食欲を刺激する匂いに意識を向けながら、レイはカウンターに向かう。

 いつもであれば、レノラかケニーといった受付嬢に話すのだが、今日はそのどちらの姿もない。

 だが、その代わりにマリーナの屋敷まで依頼をする為にやってきた受付嬢がいたので、そちらに近付いていく。

 受付嬢も、そんなレイの姿にはすぐに気が付いたのだろう。期待の込められた視線を向ける。

 そして最初に口を開いたのは、レイ。


「依頼を達成してきた」

「そうですか。では、こちらにどうぞ。ギルドマスターが直接話を聞くとのことですので」


 受付嬢の言葉に、レイはそれ以上何も言わずに頷き、カウンターの中に入る。

 そうして奥に向かい、階段を上がり……今までに何度も通った場所だけに、特に躊躇することもない。

 もっとも、その時の相手は今レイの後ろを歩いているマリーナだったのだが。


「失礼します、ギルドマスター。レイさん達が戻られました」

「そうですか、では中に入れて下さい」


 扉の向こうからワーカーの声が響き、受付嬢が扉を開く。


(そう言えば、ワーカーがギルドマスターになってから俺がこの執務室に入るのは初めてだな)


 そんな風に思いながら執務室の中に入ったレイだったが、少しだけ残念に思う。

 何故なら、以前マリーナが使っていた時と比べて大して変わっていなかった為だ。


「座って下さい。報告は……ああ、ルーノさんとスレーシャさんの二人を呼んできてくれますか? 彼等にもレイさんの報告は聞いて貰った方がいいでしょう」

「分かりました。では、すぐに」


 深々と一礼し、受付嬢が部屋から出ていく。

 それを見送ると、書類の整理をしていたワーカーは、笑みを浮かべて口を開く。


「取りあえず二人が来るまでは、そこのソファにでも座って休んでいて下さい。急だったので、色々と疲れたでしょうし」


 レイはセトに乗って森とギルムを往復しただけだし、マリーナ達にいたっては正門前で待っていただけだ。

 ましてや、先程の受付嬢が来るまではマリーナの屋敷の庭でゆっくりと身体を休めていたのだから、それで疲れる筈もない。

 それでも特にやるべきことはないので、レイたちはソファに座る。

 そして最初に口を開いたのは、マリーナだった。


「ねぇ、ワーカー。今回は急ぎということで報酬について聞いてはいないけど?」

「ああ、そう言えばそうでしたね。すいません、その件についてはすっかり忘れてました」


 書類から顔を上げたワーカーの言葉に、マリーナは小さく笑みを浮かべる。

 もしマリーナから……そしてレイからその話が出なければ、恐らく報酬については後回しにするつもりだったのだろう。

 ダンジョンの近くにあるギルドの出張所を取り仕切っていただけあって、ワーカーはその人当たりの良さとは裏腹に報酬については非常にシビアな感覚を持っている。

 もっとも、それでもギルドマスターという立場上、報酬を支払わないということはなかっただろうが。


「レイさんは、こういうのはいりませんか?」


 そう言いながらワーカーが執務机の上に置いたのは、木の樽。

 ただし、高さ十cm程度の小さな樽だ。


「酒か? 悪いけど、俺は酒の類は……」


 飲めないことはないのだが、とてもではないが酒を飲んでも美味いとは思わないレイは、そう言って断ろうとする。

 そもそも、高さ十cm程度の大きさの樽なのだから、その酒の量も容易に想像出来る。

 それこそ、一口で飲み干せる程度の酒だろう。

 そう思っていたのだが……ワーカーは、レイのそんな言葉に首を横に振る。


「いえ、安心して下さい。これは酒ではありませんよ」


 書類の整理も一段落付いたのか、ワーカーはその樽を持ってソファの方に移動する。

 そうしてテーブルの上に置かれた樽を、レイは酒ではないと疑問に思いながら開け……その動きを止めた。


「お、おい。これってもしかして……」


 その樽の中にあったのは、レイも以前何度か見た覚えのある代物だ。

 ただし、以前レイが見た物に比べると、随分と細かい。

 以前見たものはそれこそ一抱え程の鉱石……赤い鉱石もあったのだが、ここにあるのは指先程度の大きさが幾つかで、それ以外は砂のように細かくなっている。


「火炎鉱石、か?」


 一応といった様子で確認するレイに、ワーカーは頷きを返す。


「ええ。レイさんが以前火炎鉱石を集めているという話を聞きましたので。私も以前から火炎鉱石については興味がありましてね。……ただ、その火炎鉱石が大きな物になると、非常に値段が高くなります。ですが……」


 ワーカーの視線が、レイの持っている樽に向けられる。


「その樽に入っているように、殆ど砂状……いえ、粉状といった方が正しいですか? そんな状態のものでは、かなり安くなります。……もっとも、安くなると言っても火炎鉱石である以上、当然のように一定の値段はするのですが」


 その言葉に、レイは改めて樽の中に視線を向ける。

 レイが火炎鉱石を欲しているのは、奥の手として使っている火災旋風に混ぜ、より威力を高める為だ。

 そうして使うには、大きな鉱石ではなく、小さな鉱石であっても問題はない筈だった。


「今回の報酬はその樽でどうでしょう?」

「……随分と奮発したわね」


 ワーカーの言葉に疑問の声を発したのは、マリーナ。

 実際、例え樽に入っている火炎鉱石のような状態であっても、買うとなれば相応の値段はつく。

 少なくても、今回レイが行った偵察とも言えない偵察に対する報酬としては、破格と言ってもいいだろう。

 レイがやったのは、森が本当にあるのかどうかを確認し、その森の広さを確認し、地上に降りて森の様子を見てきただけなのだから。


「ええ。レイさんには今回の件に関しては、他にも色々と動いて貰う必要がありそうですから……ああ、入って下さい」


 ワーカーが喋ってる途中で扉がノックされる音が響く。

 許可を得て執務室の中に入ってきたのは、レイにとっても知り合いの冒険者ルーノと、初めて見る女冒険者……スレーシャだった。


「よく来てくれました。まずは座って下さい」


 その言葉にルーノとスレーシャの二人はソファに――場所がない為に、二人並んでだが――座り、受付嬢は自分の役目が終わったと判断すると、頭を下げて出ていく。

 それを確認してから、ワーカーは改めて口を開く。


「さて、まずは紹介でもしましょうか。私はギルムのギルドマスターをしているワーカーと言います。彼女が今回の件を知らせてくれた、スレーシャさん。そしてスレーシャさんを救助したルーノさん」


 そこまで告げ、次にワーカーの視線が向けられたのは、レイ達。


「彼等は……いえ、人数的には彼女達はと言った方がいいのかもしれませんが、ランクBパーティの紅蓮の翼です」


 ランクBパーティと聞かされ、スレーシャは大きく目を見開く。

 高ランクパーティを実際にその目で見るのが初めてというのもあるし、フードを被っているレイ、場にそぐわないパーティドレスを着ているマリーナ、娼婦か踊り子にしか見えないヴィヘラ、そして子供のビューネ。

 この四人を見て、高ランク冒険者だとは思えなかったのだろう。

 もしスレーシャの技量がもう少し高ければ、レイ達の強さを感じ取ることが出来たかもしれないが、残念ながらスレーシャは一人前と呼ばれてはいても、まだその程度の実力でしかない。

 ルーノの方は、もうレイ達の実力は十分以上に知っているので、当然ながら驚きを露わにすることもない。


「さて、簡単な紹介も終わったところで本題に入りましょうか。まず、スレーシャさんからの報告にあった森ですが、レイさんに偵察に行って貰いました」

「え?」


 スレーシャの口から間の抜けた声が漏れたのは、森までの距離と自分がここに到着してからの時間の矛盾に気が付いたからだろう。

 だが、そんなスレーシャの態度はワーカーも理解していたのだろう。落ち着かせるように口を開く。


「レイさんはグリフォンを従魔にしています。深紅という異名を聞いたことはありませんか?」


 その異名を聞かされれば、スレーシャも納得し……ドラゴンローブのフードを被っているレイの姿を、じっと見つめる。

 当然スレーシャも冒険者である以上、ベスティア帝国との戦争で活躍した深紅という異名も知っている。

 だが……戦争自体には参加しておらず、知り合いの冒険者にも戦争に参加した者はいない。

 いや、正確には参加した者はいたのだが、その戦争で命を落としたという方が正しいか。

 だからこそ、深紅の……レイのことは噂では知っていても、まさかいきなりこのように会えるとは思っていなかった。


「この人が……深紅……」

「レイだ。よろしく」

「え? あ、はい! よろしくお願いします!」


 言葉尻が高くなるが、ランクD冒険者が異名持ちの冒険者と会ったのだと考えれば、これは当然の行動だろう。

 寧ろ、レイは自分の外見で侮るような態度ではないことに好感を持つ。


「さて、それでは話を……レイさん」

「ああ」


 ワーカーに促されたレイは、結論から口に出す。


「まず、森はあった。それも俺が最後に見た時……多分去年の秋だと思うけど。その秋には見なかった位置にな。それもかなりの大きさだ。とてもではないが、数ヶ月で出来たとは思えない」


 セトに乗ったまま上空で見た森の規模を思い出しながら、レイは説明を続ける。


「何もない場所から、あのくらいの森が出来るとすれば……それこそ、数十年……下手をしたら百年単位の時間が必要だと思う」

「それ程、ですか」


 レイの言葉に、ワーカーがしみじみと呟く。

 スレーシャも驚きの表情を露わにする。

 実際に自分が襲われた森がどのような存在なのかというのは夜だった為……そして何より仲間が次々に殺されていくのをその目で見て混乱していた為に、しっかりと把握することは出来ていなかった。

 それだけに、実際にそれだけの森であるというのを聞かされれば、驚くのも当然だろう。


「それと……」


 呟き、レイはミスティリングから野営の跡地に置き去りにされていた各種荷物を取り出す。


「この荷物、見覚えはあるよな?」

「あ、はい。私の……私達の荷物です」


 その言葉で仲間のことを思い出したのだろう。落ち込みそうになるスレーシャだったが、それでもすぐに気を取り直す。

 今は悲しんでいられるような時ではないと、そう理解している為だ。

 それでも瞳の端には薄らと涙が滲んでいるのだが。


「それで……まず、これを聞いておきたい。俺が聞いた話だと、野営をしたのは森の外だって話だったよな?」

「あ、はい。……ですけど、森から逃げる途中に見た時には、既に木々が……」

「だろうな。俺がこの荷物を見つけたのは、森に入ってから数分くらい進んだ位置にある場所だったし」

「……え?」


 スレーシャも、まさかそこまで森が広がっているとは思わなかったのだろう。

 数秒前に涙を堪えていたのも忘れ、若干間の抜けた声を漏らすのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る