第1355話
マリーナの家の庭でゆっくりとした時間をすごしていたレイ達だったが、不意に聞こえてきた声を聞き逃す程ではない。
「誰だ? あの声の様子からすると、かなり切羽詰まってるようにも聞こえたけど」
呟くレイの言葉に、マリーナは立ち上がりながら口を開く。
「ギルドの受付嬢だけど……私を呼びに来たということは、ギルドの方で何かあったのかしら。ちょっと話を聞いてくるわ」
その言葉に、レイ、ヴィヘラ、ビューネ、セトも立ち上がる。
何か問題があったのだとしたら、説明は一度で済ませた方がいいと、そう判断した為だ。
マリーナもそんなレイ達の行動に特に異論はなかったのか、結局全員揃って屋敷の門の方に向かう。
すると、門の前にいた女が、マリーナ達……正確には一緒にいるレイを見て、助かったといったように安堵した表情を浮かべる。
「よかった。ここにいたんですね、ギルドマスター……いえ、マリーナ様」
普段はもうマリーナをギルドマスターとは呼ばないのだが、それだけ切羽詰まっていたのだろう。
そんな状況で、ようやくマリーナの姿を見つけたこともあり、思わずといった様子でギルドマスターと呼んでしまったのだろう。
それが分かったのか、マリーナは受付嬢を安心させるような笑みを浮かべ、口を開く。
「どうしたの? そこまで急いでいたということは、何かあったんでしょう?」
「はい。実はレイさんに緊急の依頼がありまして」
「……俺に?」
今の会話の様子から、てっきり自分ではなくマリーナに用事があるものだとばかり思っていたレイが、少しだけ驚きを露わにする。
だが、受付嬢の方はそんなレイの様子に特に何か反応することもなく、言葉を続ける。
「先程、一人の冒険者がギルドに運び込まれました。……それだけなら特に問題はなかったのですが、その仲間がギルムに向かう途中で森に喰われたと、そう言っていたんです」
「森に喰われた? 森に住むモンスターに殺されたのか? それなりに残念だとは思うけど、そう珍しい話でもないだろ」
レイの言葉には、特に驚きはない。
冒険者というのは、あくまでも自己責任だ。
自分の力が及ばない相手に戦いを挑めば当然死ぬ。
その辺りの見極めも出来て、初めて一人前の冒険者と言ってもいい。
ギルムで活動している冒険者の中にも、そこを見誤って……もしくは突発的に強力なモンスターと遭遇して依頼の途中で怪我を負ったり、最悪の場合は死んだりするのは珍しい話ではなかった。
勿論行方不明になった冒険者を、家族、友人、恋人といった者達が捜索の依頼を出すこともあるが、何故今回自分に話を持ってきたのかが、レイには分からなかった。
そんなレイの疑問を理解したのだろう。受付嬢も、小さく息を吸ってから再び口を開く。
「どうも、運ばれてきた人の話を聞く限りでは、そう単純な話ではないようで……森そのものが生きているかのように、襲ってきたとか。しかも森そのものが周囲を侵蝕して広がっている……もしくは、信じられませんが森そのものが移動しているとのことです」
「……へぇ?」
少しだけ、レイが興味深そうな表情を浮かべる。
今まで聞いたこともないような現象だというのが、レイを刺激したのだろう。
そのような現象であれば、未知のモンスターがいるかもしれないという狙いもあった。
そうしてレイが自分の話に興味を持ったということに、受付嬢は少しだけ安心する。
トレントという言葉を出さなかったのは、本当にトレントだったのかどうかという疑問もあるし、先入観を与えたくなかったというのもある。
スレーシャから聞いた情報をレイに伝えると、改めて口を開く。
「それでギルドマスターにこの件を報告したら、事態が具体的にどのようなものなのか……それこそ冒険者でどうにか出来るのか、それとも騎士団を派遣するような事態なのか分からないので、レイさんに偵察して貰ってきて欲しいと。勿論この件は指名依頼という形にさせて貰います」
指名依頼という言葉にはそれ程興味を惹かれなかったレイだったが、未知の森とそこに潜むだろうモンスターには興味がある。
だからこそ、特に悩むような様子もなく受付嬢に頷きを返す。
「分かった、偵察に出よう」
「……いいの?」
そうマリーナが尋ねたのは、こうしてゆっくりとした時間をすごしていたのに、指名依頼を受けてもいいのかというものだった。
だが、そんなマリーナの言葉に、レイは問題ないと頷きを返す。
「ああ。こうしてゆっくりした日々をすごすのもいいけど、未知のモンスターとなるとやっぱり気になるしな」
「そう。……ありがとう」
ギルドマスターを辞めたマリーナだったが、それでも長年ギルドで働いてきた以上、そこに愛着を持つのは当然だった。
それだけに、レイがギルドからの依頼を受けてくれたということに、笑みを浮かべる。
「森、ね。出来れば強力なモンスターとかがいてくれればいいんだけど」
そんなレイやマリーナとは違い、ヴィヘラは強敵が出て来て欲しいと自分の欲望を満たす為の言葉を口にする。
ビューネは、特に何も言うべきことはないのか、黙ってセトを撫でていた。
「じゃあ、早速行ってくるか。場所はどこだ?」
「……申し訳ありませんが、襲われた冒険者は森から逃げ出した後に我を忘れて必死に走って逃げ出したそうなので、詳しい場所までは……ただ、ギルムから歩いて一時間くらいの場所にある街道でルーノさんが遭遇したらしいので、そこを中心に探して貰えれば」
「ルーノ? ……ああ、あの魔眼の」
レイの脳裏を、知り合いの冒険者の姿が過ぎる。
魔眼を持ち、以前の自分と同じソロで活動しているという珍しい冒険者。
(そう言えば、何だかんだで俺が知り合った冒険者の中でも一番古い奴なんだよな)
初めてレイがギルムに来て、ギルドで冒険者登録をしようとした時に絡んできた鷹の爪と名乗っていたパーティの面々。
……レイの中では、ゴブリンの涎という名前で覚えられているのだが。
その鷹の爪に一時的に雇われ、鷹の爪は丁度去年レイが攻略したダンジョンから帰ってきて、打ち上げをやっていたのだ。
レイがギルムで最初に出会った冒険者というのは、決して間違いではない。
もっとも、それ以降あまりレイと絡むことはなく、ベスティア帝国との戦争までは殆ど話すこともなかったのだが。
ともあれ、珍しい人物の名前が出て来たことに少しだけ驚いたレイだったが、興味はすぐに未知のモンスターに移る。
「街道から一時間くらいの場所を中心に、か。普通なら無理を言うなってところなんだろうけど……なぁ、セト?」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せろと鳴き声を上げる。
セトの飛行速度を考えれば、それこそ街道を中心に偵察するというのは難しい話ではない。
また、侵蝕……もしくは移動するような森などという存在があれば、何度となくギルム周辺を飛んでいるレイとセトが、それを見逃す筈がない。
(まぁ、ここ最近はギルムから出てなかったから、そういう森があったのにも気が付かなかったけど)
スピール商会の一件があってから、レイは穏やかな日々をすごしていた。
それだけに、こうして妙な森が姿を現したと聞かされて、未知のモンスターの件もあり、少しだけ未知の存在に期待している自分に気が付く。
「じゃ、俺は行くけど……マリーナ達はどうする?」
「私も行くわ。ギルドからの指名依頼だし、気になるもの。もっとも、門の側で待つくらいしか出来ないけど」
「アンブリスの件の時のように一緒に行ってもいいんだけど、そうするとレイの足を引っ張りそうなのよね。私も待たせて貰うわ」
「ん」
マリーナ、ヴィヘラ、ビューネがそれぞれに答える。
ヴィヘラはアンブリスの時と同じように、セトの足に掴まって移動するのもいいのかも……と思いもしたのだが、結局正門の側で待つことを選ぶ。
「では、お願いします。私はギルドマスターにお知らせしてきますので、この辺で失礼します」
受付嬢はここでレイを見つけることが出来て、安堵して呟く。
「ああ、俺はこのままギルムの外に出て、早速その森とやらを見てくる。……やるのは調査だけでいいのか? その森に降りて、モンスターと戦ったりは?」
「いえ、まずはその森が本当にあるのか……そして、森がどれだけの大きさなのかを報告して貰えますか?」
「本当に? ……もしかして、ギルドの方ではその運び込まれた冒険者の言葉が嘘だと思っているのか?」
「そうは言いません。ですが、何事にも万が一という可能性もあります。それこそ、もしかしたら幻影を見せられているという可能性も否定出来ませんから」
そう言われれば、レイも納得せざるを得ない。
実際問題、今回の件を考えても生きた森の説明と幻影……どちらの可能性が高いかと言われれば、間違いなく後者なのだから。
(けど……だとすれば、盗賊か? いや、例え幻影が使える魔法使いを有している盗賊団でも、わざわざギルムの周辺で活動するとは思えないしな)
疑問を抱くレイだったが、ともあれ直接その様子を見に行ってみればその辺りはすぐにはっきりするだろうと判断し、受付嬢には頷きを返す。
「じゃあ、俺達は行くよ」
「お願いします」
深々と一礼し、受付嬢はワーカーにレイが依頼を受けてくれたことを知らせる為に去っていく。
それを見送ると、レイ達もマリーナの屋敷を後にする。
「森……ね。どう思う? やっぱりトレントかしら?」
「トレントか……そう言えば、以前セトが戦ったことがあったよな?」
ヴィヘラの言葉に、レイはセトを撫でながら尋ねる。
以前……レイがキュロットやアロガン、スコラといった面子と共にランクアップ試験に挑んだ時、セトはレイと別行動をとっていた。
ミレイヌ率いる灼熱の風の面々に預けられたセトは、その時の戦いでトレントと戦ったのだ。
「グルルルゥ……グルゥ!」
レイの言葉に、セトは大丈夫! と喉を鳴らす。
……ただ、そんなセトを見ながらも、レイは単純にトレントの仕業だとは思えなかった。
道を歩いていれば、当然のようにセトに構いたいと思っている者がいる。
子供、大人、冒険者、商人……そのような区別なく、だ。
中にはマリーナやヴィヘラを見てちょっかいをかけたいと思う者もいるのだが、セトを見てその動きを躊躇う。
当然だろう。体長三m近いセトというのは、一見すれば愛くるしい様子を見せているのだが、もし下手に敵に回してしまえばどうなるのか……それは考えたくもないだろう。
「レイ、セト、ちょっと食べていかないか?」
「あー、悪い。今からちょっとギルムの外に行かなきゃいけないんだ。悪いけど、また今度にしてくれ」
サンドイッチを売っている屋台の店主の言葉に、申し訳なさそうに告げるレイ。
店主の方も、レイがそう言うのであれば……と、それ以上は無理に勧めたりはしない。
「ふふっ、相変わらずセトは人気者だけど、レイも人気者ね」
一連のやり取りを見ていたマリーナは笑みを浮かべ、楽しそうにそう告げる。
マリーナよりも長い間レイと共に行動しているヴィヘラは、そんなマリーナの言葉に同意したように頷く。
実際、レイに向かって話し掛けてくる者も多く、冒険者のレイに対する態度と屋台の店主のレイに対する態度というのは、大きく違う。
「グルルルゥ」
「ほら、森の様子を見て戻ってきたら食べさせてやるから」
食べたいと喉を鳴らすセトに、レイは撫でながら言い聞かせる。
そうして撫でられれば、セトも気分を切り替えたのだろう。
やがて食べたいという鳴き方から、もっと撫でてという鳴き方に変わっていく。
「全くセトは甘えん坊なんだから。こんなに大きな身体なのにね」
口では文句を言いながらも、ヴィヘラの目には優しい光がある。
戦闘狂の一面もまたヴィヘラだが、この光景もまたヴィヘラなのだろう。
それを一番知っているビューネは、ヴィヘラの薄衣をそっと掴みながら街中を進んでいく。
そうして進んでいくと、やがてギルムの正門が見えてくる。
昼前ということもあってか、正門で手続きをしている者の姿はそう多くはない。
それでも警備兵の何人かが、手続きをしている相手に知られないようにしながらも緊張しているのは、やはりスレーシャの一件が関係しているのだろう。
一応ギルドの方で対応するということになってはいるのだが、それで本当に事態が収まるかどうかというのは、まだ分かっていない。
それだけに、レイが……いや、紅蓮の翼がやってきたのを見て、少しだけ安堵する。
今回の件で間違いなくレイが動くのだと、そう直感的に理解したからだ。
……これで、実はレイが全く関係のない依頼を受けに行くという話にでもなれば、警備兵は思わず突っ込みを我慢するのに大変だっただろう。
「手続きを頼む」
「ああ。……頑張ってくれ」
警備兵が何を言いたいのか理解したのだろう。
レイは頷き、ギルドカードを渡すのだった。
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