第1347話

 警備隊の詰め所に近付いたレイ達を見て、その前にいた警備兵は嬉しそうな表情を浮かべる。

 ……その嬉しさの理由の多くが、寛いでいるセトを見れることというのもあるのだろうが、それを分かった上でも、レイにとっては笑って迎えられるのは嬉しいものだった。


「中に入らせて貰うけど、いいよな」

「ああ、構わない。命令書の方も受け取っているし。……ただ、悪いがセトは詰め所の中に入れないな」

「言われなくても分かってるよ。セト」

「グルルゥ」


 一応今のセトでも詰め所の中に入ろうと思えば入れるのは間違いない。

 だが、それだと中で殆ど身動きが取れなくなるのも事実であり、それを考えれば警備兵の言葉にはうなずくしか出来なかった。

 尚、警備隊の詰め所の入り口が広く出来ているのは、様々な種族や物を中に入れたり運び込んだりする必要がある為だ。

 セトが離れていき、地面で寝転がって春の日射しを楽しんでいるのを見ながら、レイはギフナンの腕を掴みながら、ヴィヘラとビューネを伴って詰め所の中に入っていく。

 中にいた警備兵は、レイ達の姿を見て色々と思うところがあるような者もいたようだが、それでも何も言わずに道を開ける。

 暗殺者のケーナを捕らえたのはレイ達で、そのケーナを釈放……正確には草原の狼に渡すと命令する為の書類を持ってきたのもレイ達だ。

 そう考えれば、警備兵達は殆ど何の役にも立っていない。

 自分達の不甲斐なさを悔やむ者がいるのは、当然だろう。

 中にはレイ達に対して余計な真似をしてくれたと不満を抱く者もいるのだが、警備兵の殆どは寧ろレイ達には複雑な心情ながら感謝の気持ちを抱いている者の方が圧倒的に多い。


「……で? 俺はどこに行くんだ?」

「もう少しだ」

「待って」


 レイがギフナンに何かを言うよりも前に、ヴィヘラが止める。

 不思議そうな視線を向けてくるレイに笑みを浮かべ、そのまま近くにいる警備兵に向かって声を掛ける。


「ねぇ、ちょっといい? 何人か私服に着替えてついてきてほしいのだけど」

「……は? 一体何を言ってるんだ?」


 ヴィヘラの格好が格好なので、普段であればもしかしたら誘われているのか? と思う者もいたかもしれない。

 だが、幸いと言うべきか……それとも残念ながらと言うべきか、今の状況でそんな風に思うことが出来る者は警備兵の中にはいなかった。


「ほら、今から下に連れて行くけど、一応はっきりとギフナンであると証明する為には、何人かの男の人を一緒に並べた方がいいでしょ」

「……なるほど」


 警備兵もヴィヘラの言葉に思うところがあったのだろう。話し掛けられた警備兵は、すぐに何人か……ギフナンに近い年齢の男を指名すると、私服に着替えてレイ達に同行するように命じる。

 そんなやり取りを少し離れた場所で眺めていたレイは、日本にいた時のTV番組で時々やっていた警察の特集で同じようなのを見たことがあったな、というのを思い出す。


(だとすると、ヴィヘラの考えは日本の警察みたいな感じなのか? ……似合わないな)


 踊り子や娼婦としか見えない格好をしているヴィヘラが警察? と笑いを堪えると……


「あら、レイ。何か面白いことでもあったの?」


 まるでレイの考えを読んだかのように、ヴィヘラはレイに尋ねる。

 その上、表情は満面の笑みなのだから、怖さは更に増す。


「いや、何でもないよ。ただ、ちょっと考えごとをしてただけだ」

「ふーん。……ま、そういうことにしておいてもいいけどね。後でマリーナやエレーナとしっかり話した方がいいかしら」


 そんなやり取りをしている二人の側では、ビューネがそっと視線を逸らして二人に意識を向けないようにする。

 痴話喧嘩としか呼べないようなやり取りをしている間に、やがて私服に着替えた警備兵達が姿を現す。 


「じゃ、行きましょうか」


 それを見たヴィヘラの言葉に頷き、レイはそのまま独房に向かって進む。

 レイに腕を掴まれ、逃げ出すことも出来ないギフナンは、何か自分が決定的な破滅に向かっているように感じられた。

 それでも逃げ出そうと考えなかったのは、プレシャスに関わってくると言われていた為だ。

 そうでなければ、それこそ腕を切断するなりなんなりして逃げ出していただろう。……それで実際に逃げ切れるかどうかまでは、別として。

 そんなギフナンを連れて地下へ……独房に続く階段を下りていくと、やがて目的地に到着する。

 独房にある部屋に入った瞬間、何かを感じたレイが反応するが、すぐにその何かが自分に害意がないと判断すると、警戒を解く。

 レイ以外ではヴィヘラもその何かを感じていたが、こちらもまたすぐに警戒を解いた。


「あら、お帰り。随分と早かったわね。もう少し時間が掛かると思ってたんだけど」


 そう言ってレイ達に近付いてきたのは、当然のようにこの場の護衛を任されていたマリーナ。

 地下にある独房という、どう考えてもマリーナには似合わない場所にも関わらず……いや、この場合はだからこそなのか、マリーナが浮かべる笑みは強烈なまでの女の艶を感じさせた。

 マリーナを見た警備兵達がそれぞれ顔を赤くし、緊張の頂点にあるギフナンまでもがその動きを止めてしまったと言えば、マリーナの発する色気がどれ程強力なものなのかが分かるだろう。

 既にそれは、ただの笑みではなく魅了の魔法を使った笑みだと、そう言われても納得してしまう者も多いだろう。

 だが、冬の時間の多くをマリーナと共にすごしたレイにとっては、幸いなことに……マリーナにとっては至極残念なことに、その魅了の力は発揮されなかった。


「ああ。向こうとの交渉は上手くいってな。おかげでこうして来ることが出来た」


 マリーナに言葉を返したレイは、次に独房にいるケーナに視線を向ける。

 笑みを浮かべるマリーナに見惚れていたケーナだったが、レイに視線を向けられていることに気が付くと表情には出さないが内心では緊張してしまう。

 そんなケーナの様子を見ながら、レイは改めて独房を一瞥する。

 春になったばかりということもあり、独房の中は涼しい……と言うよりは肌寒い筈だった。

 だが、今の独房は外の気温と同じくらいになっており、すごしやすい温度になっている。


(恐らく……いや、間違いなくマリーナが精霊魔法で何かしたんだろうな。ここに入って来た時に感じたのも、恐らくはマリーナの精霊魔法だろうし)


 ケーナの護衛を任せたのはレイなのだから、そのことには何の不思議もない。

 精霊魔法の便利さに羨ましいと思いはするが、その程度だ。


(精霊はある程度自分の意志を持ってるから、応用力は高いんだよな。……俺が使うような魔法とは違って)


 もっとも、だからこそ難易度が非常に高い魔法として知られており、精霊魔法の素質を持った者は稀少だ。

 その上、ある程度自分の意志を持っているということは、精霊の意に沿わない魔法を使うと発動しないということすらある。

 冬の間にマリーナから精霊魔法について多少ではあっても教えて貰っていたレイは、そんな風に考えながら口を開く。


「とにかく、ようやくここまで来たんだ。早速始めるか」


 何を始めるのかというのは、口に出さなくても誰もが分かった。

 そもそも、それを行う為にギフナンをここまで連れてきたのだから。

 当然ギフナンを特別視しないように、この独房のある部屋に入る前にレイの手はギフナンからは外れている。

 そのギフナンは、この独房に入った時点……いや、独房に入っているケーナを見た時点から、何故自分がここに呼ばれたのかを理解してしまっていた。


(何で、生きてるんだよ!)


 激しく動揺しながら、ギフナンは声に出せないままに叫ぶ。

 ケーナがどのような人物なのかは、当然ギフナンも知っていた。

 自分が依頼をしたのだから、それは当然だろう。

 何故自分がここに連れてこられたのかをようやく完全に理解する。

 そして、レイを見る目が厳しいものに変わった。

 元々ギフナンが大人しくここにやってきたのは、半ばプレシャスを人質に取られたからだ。

 そしてプレシャスにとっても悪いことじゃないと、そう言われたのが大きい。

 にも関わらず、実際にはこうして目の前にケーナがいる。

 自分が捕まれば、当然それはプレシャスにも迷惑が掛かるだろう。


(そんな真似は……けど、どうすれば!?)


 元々はプレシャスに頼まれてケーナに依頼したのだが、ギフナンにとってそれを責めるつもりはない。

 それどころか、どうやってこの場を切り抜けるべきなのかを考える。


(逃げ出すのは……不可能だ)


 先程までマリーナと話していたレイだったが、この独房の扉の前に立っていた。

 孤児院を出てからは冒険者として活動していたギフナンだったが、それでも……いや、それだけにレイと自分の力の差というのは理解している。

 ましてや、宿屋で叩きつけられた殺気を思えば、レイの実力を心の底にまで刻みつけられたと言ってもいい。


(実際には殺気を放つ技量だけが突出していて、本人の強さは大したことがない……なんてことはないだろうしな)


 セトという存在を考えればその可能性もあるかもしれないと一瞬思ったが、レイの……深紅の異名は当然ギフナンも知っている。

 異名持ちの相手に自分が勝てるなどと思える程、自惚れてはいない。

 どうすればいいのか迷っている間にも話は進んでいき、ギフナンと私服に着替えた警備兵達が独房の前に整列させられる。

 ここで暴れれば、自分が今回の件に関わっていると知られるのは確実だ。

 そうである以上、ギフナンに出来るのはケーナが自分に義理立てして自分のことを知らないと、そう告げるのを祈るしかない。

 ギフナンは自分を知らない振りをして欲しいと、そんな意志を込めた視線をケーナに向ける。

 その視線を受け取ったケーナは、微かに頷いた……ように、ギフナンには見えた。

 それは、ギフナンの願望が見せた光景だったのかもしれない。

 だが、今のギフナンにはその願望に縋る必要があるのも事実だった。

 何とかして欲しい。何とかなってくれ。そんな思いを抱いているギフナンを余所に、マリーナが口を開く。

 ……尚、ここでレイが口を開かなかったのは、やはり以前ケーナに強硬的に迫ったのが理由としてあるのだろう。

 実際ケーナの中にはレイに対する恐怖心が刻み込まれており、表情には出さないが、今この状況でもかなりのプレッシャーを受けていた。

 それでも何とか耐えているのは、ここを乗り越えないとギルムの諜報部隊に所属することが出来ず、罰を受けなければならなくなる為だ。

 そして暗殺者として活動してきたケーナが受ける罰は、死刑ですら穏当となるだろう。

 そう考えれば、絶対にここで失敗する訳にはいかない。

 緊張に唾を飲み込むケーナの前で、マリーナが口を開く。


「あそこにいる六人の中に、ケーナに暗殺の依頼をした人物がいるわね?」

「ええ、いるわ」

「それが誰なのか、指さしてくれる?」

「……右から二番目の、あの人よ」


 そう言いながら、緊張により若干震える指でケーナが示したのは、当然と言うかギフナンだった。


「っ!? てめぇっ!」


 唯一の希望が打ち砕かれた瞬間、ギフナンは怒りも露わに叫ぶ。

 もしかしたら……という思いだったのが、それが呆気なく消えてしまったのだ。

 そして、自分のミスによりプレシャスにまで迷惑を掛けるのは確実となってしまった。


(くそっ、誰か他の奴に頼んでそいつに依頼をしておけばっ!)


 そう思うも、元々ギフナンはギルムの出身ではないので、伝手はない。

 当然のようにギルドも頼る訳にはいかない以上、冒険者に直接依頼をするという手段もあったが、下手に依頼をして断られればそちらから情報が流れる危険もある。

 頼みの綱のスレインも、レイが直接関わってきてると知ってからは既に手を引き……それどころか、手勢を率いてギルムから出ていった。

 ……尚、スレインが支配していたスラム街の地域は、そのスレインが出ていったことにより空白地帯と化し、今はその空白地帯を狙った裏世界の組織が抗争を繰り広げているのだが……それはレイ達には関係のないことだろう。

 ともあれ、そのような理由からギフナンにはある程度信頼出来て裏切らない相手がいなかった。

 だからこそ、仕方なくスレインに聞かされていたケーナを見つけ、自分で依頼をしたのだが……それが完全に裏目に出た形だ。

 怒りのままに独房に向かって突っ込もうとしたギフナンだったが、この展開を予想していた警備兵達は次の瞬間にはギフナンを取り押さえる。

 元々が冒険者の多いギルムで警備兵をしている者達だけであって、冒険者を……それも頭に血が上った冒険者を取り押さえるのはそう難しい話ではなかったのだろう。

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