第1346話
護衛の男を貸して欲しい……そう言われて視線を向けられたのは、プレシャスの側にいるギフナン。
何故自分が? と考えるギフナンだったが、最初はもしかして人違いか何かではないのかと考える。
そもそもの話、ギフナンにレイとの付き合いなどというものはない。
会ったのは、それこそスラム街での一度だけだ。
それも和やかな話し合いという訳ではなく、寧ろ自分達がレイによって脅されたというのが正しい。
その程度の関係しかなく、どう好意的に考えてもギフナンは自分とレイの関係が良好だとは考えられない。
「ギフナンを、ですか。……彼は私の護衛なので、そう簡単に貸せと言われて貸す訳にはいきませんね」
ギフナンが何かを言うよりも前にプレシャスがレイに言葉を返すが、そこにあるのは強い警戒心。
何故今この時間にここにレイ達が現れたのか、それを半ば予想していたからこその言葉と言ってもいい。
プレシャスがギフナンに指示を出し、行わせた一連の行動。
それを向こうは知っている……いや、何らかの証拠を既に押さえているのではないか、と。
実際、それは決して間違ってはいない。
レイにとって、ギフナンを連れて警備隊の詰め所に向かい……そこに匿われている――独房にだが――ケーナに面通しをさせれば、それは確実な証拠となるのだから。
プレシャスにとって、ギフナンは非常に信用出来る護衛だ。
そこそこにだが腕は立ち、それでいて絶対に自分を裏切ることはないと確信出来る相手。
それだけに、ギフナンをここでレイに渡す訳にはいかない。
「そうか? けど……そうしないと、お前の命が消える。そうだとしてもか?」
ミスティリングからデスサイズを取り出し、大きく振るう。
空気を……いや、空間そのものを斬り裂くのではないかと思ってしまう程に、鋭い一撃。
そしてレイの身体から発せられる殺気は、スラム街の時と比べても同等……いや、それ以上の代物だ。
ギフナンを始めとして、プレシャスの護衛として部屋の中にいた者達がどうにかしようと考えることすら出来ない、それ程の殺気。
まるで殺気が物理的な効果を及ぼして身体の動きを止めているのではないかと、そう思いすらしてしまう。
レイが口にした、命が消える。
それが決して嘘でも偽りでもなく、本当に心からの言葉であり、真実だと……その場にいた者達は全員が理解してしまった。
ヴィヘラは平気……どころか、情欲に目を潤ませてすらいるが、ビューネはそんなヴィヘラの薄衣を掴んで何とかへたり込むのを防いでいた。
その殺気は部屋の中に留まらず、この宿に泊まっている者でもある程度以上の腕を持つ者全員に感じ取れていた。
そんな者達は、一体何が起こったのかと思いつつ、それでも今動けば自分にも被害が来るのではないかと、そう思って動けないでいたのだが……それはレイにも分からないことだ。
「……で、どうする? もしこのままお前が拒否をするのなら、それこそ強引に連れていくだけだが」
プレシャスに視線を向けて尋ねるレイだったが、尋ねられた本人は動くことが出来ない。
目の前にいる、大鎌を持った死神に圧倒されているのだ。
「ふむ、なら……お前に聞こう。元々はお前に話を持ってきたんだしな。どうする? このまま強引に連れて行かれるのが希望か? その場合、この部屋の中にも、そして部屋にいる奴にも大きな被害が出るのは間違いないが」
尋ねられたギフナンは、身動きが出来ないままで自分がどうすればいいのかを考える。
このまま抵抗するというのは、レイに屈しないという意味では間違っていないだろう。
だが、そんな真似をした場合、間違いなく自分だけではなく、仲間……そしてプレシャスにまで被害が出てしまう。
そうなれば、自分がどうにかするよりも前にやるべきことが、プレシャスの護衛が出来なくなる。
そう思った瞬間、ギフナンは気力を振り絞って口を開く。
「俺が……行く」
ただそれだけを言うだけだというのに、ギフナンはそれこそ身体にあった気力と体力の全てを使い切ってしまったような気がした。
(へぇ)
だが、そんなギフナンの様子を見て、レイは感心する。
まさか、この状態で口を開くことが出来るとは思っていなかったからだ。
今は、それこそ歴戦の冒険者でも身体を動かすことすら出来ないだろうと、そう思える程度には濃密な殺気を噴出したのだから。
それでもギフナンが口を開くことが出来たのは、このままだとプレシャスに危害を加えられると、そう思ったからだろう。
「そうか。なら……俺もこれ以上乱暴な真似は止めよう」
その言葉と共に殺気を納め、デスサイズをミスティリングに収納する。
「ぜはぁっ、はぁっ、はぁ……」
ようやく納まった殺気に、ギフナンは床に両手を突きながら呼吸を整える。
そのようなことになっているのは、ギフナンだけではない。他の護衛の者達も……そしてプレシャスもまた、同様だった。
いや、普段鍛えていない分だけ、プレシャスが受けた衝撃は大きかったのだろう。机の上に上半身を倒しながら、荒い呼吸を何とか抑えようとしていた。
そんなプレシャスを一瞥したレイは、改めてギフナンに視線を向け、口を開く。
「さて、じゃあお互い友好的に分かり合ったことだし……一緒に出掛けようか」
友好的という部分でヴィヘラがレイに呆れの混ざった視線を向ける。
レイから発せられている殺気が消えた為だろう。既にヴィヘラの視線は情欲に潤んだものではなくなっていた。
そんなヴィヘラの様子にレイが気が付かないのはまだしも、他の面々……プレシャス達が気が付くことが出来なかった、もしくは気が付いても触れることが出来なかったのは、レイからの殺気が納まったばかりでそれどころではなかったからだろう。
そのような状況になっているのをこれ幸いと、レイはギフナンに視線を向ける。
「じゃあ、行くか」
「……わ、分かった」
まるで生まれたての子鹿のように震える足ではあったが、ギフナンは何とか一歩を踏み出す。
そんなギフナンを見て満足そうに頷いたレイは、ヴィヘラとビューネの二人と共に、そしてギフナンの腕を掴んで半ば引っ張るように部屋を出る。
「ま……」
部屋の中でプレシャスが何かを言おうとしていたのだが、レイはそれを意図的に無視して、足を早める。
プレシャスが何を言いたいのか、それを理解していた為だ。
レイ達がここに来た理由を素早く推理した以上、プレシャスにとってこのままギフナンをレイ達に渡すという選択肢は有り得なかった。
そこから自分まで辿り着いてしまう可能性は非常に高いのだから。
だからこそ何とかレイを止めようとしていたプレシャスだったが、今はレイによって叩きつけられた殺気により完全に腰が抜け、身動きが出来ない。
そんなプレシャスを置いたまま、レイ達は階段を下りていく。
カウンターの側で顔を青ざめて身動き出来ない従業員や、腰を抜かして床に座り込んでいる用心棒といった者達がいるから、レイ達はそれもスルーして宿を出る。
宿の周囲では殺気を感じることも殆どなかったのか、多少不思議そうな顔で宿を見ている冒険者がいたが、それだけだ。
「グルルゥ!」
レイの姿を見たセトが、喉を鳴らしながら近付く。
そんなセトを可愛がっていた通行人達は、残念そうな表情を浮かべながらも、しつこくはせずセトを見送る。
「用事は済んだし、警備隊の詰め所に向かうか」
「つ……め……?」
まだろくに言葉を発することも出来ないギフナンだったが、それでもレイが言ってる内容を聞き逃すということはない。
何とか事情を把握しようとしているところで、レイの口から出たのが『警備隊の詰め所』だった。
何故自分がそこに連れて行かれるのか、それを疑問に思いながら……もしかしてケーナの件が知られたのか? と、ようやくそう考える。
だが、ケーナから自分に繋がる証拠らしい証拠は残していない筈で、ケーナが死んでしまった以上どうやって自分に辿り着いたのかが分からない。
そもそも、自分は名前やどこの所属なのかといったものすら名乗っていなかったのだから、と。
この時、ギフナンはごく自然にケーナは既に死んだものとして考えていた。
だが、ケーナが暗殺者である以上、その判断は決して間違ったものではない。
いや、普通であれば正しいと言ってもいいだろう。
ギフナンにとって致命的なのは、このような真似をされてもレイが普通の枠に入ると、そう思ってしまったことか。
「ほら、しっかり歩け。引っ張られれば痛いだろ?」
腕を引っ張りながらそうギフナンに告げるレイだったが、ギフナンにとっては無茶を言うな! と叫びたいところだっただろう。
レイのせいで今の自分の状況になっているというのに、そのレイからしっかり歩けと言われるとはギフナンが不満を抱くのは当然だった。
……もっとも、今のギフナンにレイに向かって文句を言うような真似が出来る筈もなかったが。
それでも既にレイが殺気を納め、特に何も気にしていないといった様子で歩いているのを見れば、少しずつ……本当に少しずつではあるが、緊張が抜けて身体を動かせるようになっていく。
レイから逃げ出そうなどとは思うことすら出来なかったが。
そもそも、レイはギフナンの腕を掴んで移動しているのだ。
現状で逃げ出すような真似をしようとしても、間違いなく失敗するだろう。
ましてや、今自分が逃げるような真似をすれば、プレシャスが不利になるのは確実とあっては逃げ出すような真似を実行することは絶対に出来ない。
結局のところ、大人しくレイ達についていくことしか出来なかった。
「お、セト。相変わらず可愛いな。ほら、これでも食え」
「きゃー! セトちゃん、私と一緒に遊びましょうよ!」
「うん? なぁ、レイに手を引っ張られている奴って一体誰だ? 紅蓮の翼のメンバーじゃないよな?」
「ああ、初めて見る顔だ。もしかして何か依頼の関係じゃないか?」
「ヴィヘラお姉様……」
そんな風に道を歩いていると、色々な者達がセトに声を掛けたり、レイ達を見て話をしたりする。
宿から十分に離れたからだろう。既にそこには、レイの放った殺気を感じた者の姿はない。
ごく普通に、レイ達を見ていつも通りに話していた。
そんな日常の空気に触れたのが良かったのか、ギフナンの身体からも次第に緊張が抜けていく。
「……で、俺を詰め所に連れていくってことだけど、何の理由でか聞いてもいいか?」
緊張が抜ければ、当然自分の現在の状況が気になるのは当然で、自分の手を引くレイにそう尋ねる。
少しでも情報を集め、プレシャスの役に立とうと……そういう思いもあるのだろう。
そんなギフナンの考えを察しているのか、それとも単純に答えるのが面倒臭いだけなのか、レイは自分への質問を右から左に聞き流す。
それでいて、絶対にギフナンが逃げられないように掴んだ手を離すことはない。
「なぁ、おい。少しでいいから事情を説明してくれないか? でないとこっちも何をしたらいいのか分からないんだからよ」
「……お前が何をするのかは、詰め所に行ってから話す。だからそれまでは大人しくしていろ。逃げようなんて考えるなよ? そんな真似をしたら、プレシャスにも被害は行くからな」
「逃げねえよ。つーか、あんたが腕を掴んでるから、逃げたくても逃げられねえっての」
ほとんど反射的にレイに向かってそう言葉を返した瞬間、ギフナンは自分の腕を掴んでいるのが見かけとは裏腹の化け物であると思い出し、息を呑む。
だが、幸いと言うべきかレイはそのくらいのことで怒ったりする様子はなかった。
「そうか。なら、大人しく俺達についてくるんだな。それが最終的にはプレシャスの為にもなるだろう」
「プレシャス様の……?」
疑わしそうに視線を向けてくるギフナンに、レイは頷きを返す。
(犯した罪を償うというのは、間違いなくプレシャスの為になるだろうし。……その前に、俺の与える罰も受けて貰う必要があるけどな)
アジモフを襲撃し、スレイプニルの靴を奪い、アゾット商会と噛み合わせようとした。
その件を、レイは決して忘れた訳ではない。
そうである以上、きちんと報復はする必要があった。
「そうだ。お前が妙な真似をすれば、それだけプレシャスが不利になる。それだけを覚えておけ」
ギフナンがプレシャスを慕っているのが分かったレイは、そう釘を刺す。
その言葉は、ギフナンにとっては何よりの釘となって迂闊な行動を制止する。
自分が何かレイに怪しまれるような真似をすれば、プレシャスにとって不利となると聞かされた以上、ギフナンは大人しくするしかない。
そうして歩いていたレイ達だったが……やがて視線の先に警備隊の詰め所が見えてくるのだった。
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