第1348話
目の前で取り押さえられたギフナンを見ながら、ケーナは複雑な表情を浮かべる。
自分が助かりたいが為にギフナンを売り払ったも同然なのだから、それは当然だろう。
それでも、自分が死ぬよりは生きていたいと思ってしまった以上、悪いとは思うが後悔はしていない。
そして、これで自分が生き延びることが出来ると決まったのも大きかった。
「さて、これでプレシャスに対しても罪を問えるな」
「ふざけるな! 今回の件は俺が自分で判断してやったことだ! プレシャス様は関係ない!」
警備兵に取り押さえられながら叫ぶギフナンだったが、レイはそんな相手に対して笑みすら浮かべて口を開く。
「部下がやったことは、その上司が責任を取らないとな。責任者というのは責任を取る為にいるんだから」
「レイッ! お前ぇっ!」
レイの放つ殺気から、自分よりも圧倒的に強いというのは分かっている。
だがそれでも、ギフナンは自分の恩人のプレシャスが破滅するのを見ている訳にはいかなかった。
「何を怒ってるんだ? そもそも、プレシャスがトリスに手を出さなければこんなことにはならなかったんだぞ? 普通なら、トリスの方がお前達に対し怒りを抱くのが当然だと思うんだけどな」
ギルムに来てから雇ったとはいえ、部下を殺されているのだ。
また、馬車が店に突っ込んで来るというのは、隠しようもない。
トリスがギルムの支店を任されたのは、トリスのこれまでの活動の結果だ。
勿論実際にはスピール商会の内部で色々と競走があり、それでトリスがプレシャスに勝ったからこそ、今回の件を任されたのだろうが……
ともあれ、トリスに限って今回の件に非はない。
ましてや、それに巻き込まれたレイやアジモフ、アゾット商会にしてみれば、完全にとばっちりと言ってもいいだろう。
そうである以上、レイにプレシャスを容赦する気は一切なかった。
「俺が一緒にお前についていけば、それがプレシャス様の為になるって言っただろうが!」
「そうだな。自分の罪を償う機会を得たんだから、それはプレシャスの為になると思うんだが?」
「ふざっ……ふざけるなぁっ!」
魂の如き叫び。
だが、そんな叫びを上げても、今のギフナンにはどうしようもない。
レイを殴りたいとすら思っているのだが、完全に警備兵に押さえつけられているのだから。
「さて、これでプレシャスが一連の事件に関わってることが決定的になったな。なら、俺達はそっちを迎えに行ってくるか」
「……待ってくれ。一応今回の件は警備隊も関わっている。こちらからも人を出すから、そいつと一緒に行ってくれ」
本来なら警備兵だけでプレシャスを拘束しに行きたかったところなのだが、マリーナが持ってきた書類には今回の件の解決はレイ達に任せるようにという文章も書かれていた以上、行くなとは言えない。
警備兵に出来るのは、何とかレイ達と同行し、レイがやりすぎないように用心するだけだった。
……レイが敵対した相手に容赦がないというのは、警備兵なら誰でも知っていることである以上、それが最大の妥協だったのだろう。
「そうだな。なら、これからすぐにプレシャスが泊まっている宿に向かうから、そっちで人数を用意してくれ。あー……別に人数は一人じゃなくてもいい」
妥協するようなことを口にしたのは、プレシャスの護衛や部下といった者達がそれなりの数いたことを思い出したからだろう。
プレシャスだけであれば、それこそレイ達だけでどうとでも出来る。
だが、人数が多ければ逃げる者も多くなってしまう。
であれば、最初から警備兵を多く連れて行けばいいだけの話だと、そういう判断からだった。
「分かった、こちらもすぐに準備をする。……この男が妙な真似をしないようにしろ」
この場にいる警備兵の中で一番立場が上の者なのだろう。レイに向かって警備兵を同行させて欲しいと言ってきた警備兵の言葉に、他の警備兵達が早速行動に出る。
「ふざけるなっ! プレシャス様は何も悪くねえ、全てはトリスの奴が悪いんだ! くそっ、離せ、離せよ! おい、聞いてるんだろ、レイ!」
引っ張られていくギフナンがそう叫ぶが、既にレイはその声に耳を貸す様子はない。
「それで、レイ。今回は私も一緒に行ってもいいの?」
「ああ。ギフナンを捕らえた以上、もうケーナに危害を加えようとは思わないだろう。向こうにとって、今はもうそれどころじゃないだろうし」
「そうでしょうね。自分の護衛が連れて行かれたんだから、それどころじゃないのは事実じゃないかしら」
マリーナとレイの会話に、ヴィヘラが言葉を挟む。
それを聞いたケーナは、少しだけ不安そうな表情を浮かべる。
自分が暗殺者として狙うのならともかく、狙われる側になるというのは初めての経験だったからだ。
良くも悪くも、ケーナは腕のいい暗殺者としてそれなりに有名だった。
また、勘もよく、暗殺を失敗しても自分の正体が露わになるような真似はしなかったのだが……今はこうして、堂々と姿を露わにしている。
もっとも、姿を露わにしていても警備隊の詰め所でも奥にある独房である以上、普通に街中にいるよりは安全なのだが。
(そう……よね。ここより安全な場所なんてそうそうないし)
目の前にある鉄格子を見ながら、そして安全と同時にすごしやすくなっている独房の気温に目を細め、ケーナは最後に自分の恐怖の象徴とでも呼ぶべき相手に視線を向ける。
安全という意味なら、それこそレイの側にいるのが最も安全なのは間違いないだろう。
これから向かう先がプレシャスという自分を殺したがっている可能性の高い相手であっても、レイの側にいて……そして守って貰えれば、それこそこれ以上安全な場所はないと思えた。
(もっとも、それは私がレイを怖がらないという前提があってのことだけど)
その時点で既にケーナがレイの側にいるという選択肢は消えてしまう。
最終的に出た結論は、やはりこの独房にいるのが一番安全だろうということだった。
ケーナが自分の身の安全について考えている間に、レイ達は独房のある部屋を出ていく。
「ケーナ、もう少しここで我慢していてね。気温とかの調整はしておくから、暫くは大丈夫だと思うわ」
笑みと共にマリーナがそう言い残して。
ケーナに出来るのは、軽く手を振ってそれを見送るだけだった。
警備隊の詰め所を出たレイは、外で寝転がっていたセトと合流して目的地に向かう。
レイを始めとした紅蓮の翼のメンバー以外には、警備兵が二十人程付き従っている。
……普通警備兵と一緒に移動するのであれば、警備兵の方が目立つのだが……レイ達にとって、その辺りは無用の心配と言えた。
セトがいて、ヴィヘラがいる。それだけで警備兵達よりも圧倒的に目立つのだから。
レイの場合は、ドラゴンローブのフードを被っている状態では、やはりセトやヴィヘラよりは目立つことがない。
フードを脱げば、その女顔で他人の視線を集めることも多いのだが。
そのように周囲の視線を集めながら、レイ達は進み……やがて、プレシャスが泊まっている宿に到着する。
「全員散れ。宿から逃げ出すようなら、問答無用で捕らえろ」
レイ達についてきた警備兵の中でも地位が上の者が命令すると、他の警備兵達は次々に散っていく。
宿を囲むように配置されており、もし窓から飛び出して逃げようとしてもすぐに見つかるだろう。
そうして完全に宿を包囲すると、命令を出した警備兵がレイに向かって頷く。
「いいぞ」
「分かった。じゃあ……行くか。ああ、セト。お前も宿から誰か逃げ出してきたら捕らえるのを手伝ってくれ。殺したりはしないようにな」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
逃げてきた相手を捕らえるというのは、セトにとって仕事ですらなく、寧ろ遊びに等しいのだろう。
グリフォンの……いや、セトの力を考えれば、それは当然のことなのだが。
そうしてレイ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、そして警備兵は宿に入っていく。
外の様子は、宿の者達も気が付いていたのだろう。
先程レイ達がこの宿に来た時に対応してくれた従業員が、レイに向かって尋ねる。
「これは、一体どのようなことでしょうか?」
この従業員も、現在の宿の状況を考えれば何も感じていない訳ではない。
だがそれでも、この宿の従業員として毅然とした態度を取る必要があった。
そんな従業員に対して口を開いたのは、レイ……ではなく、警備兵を率いてきた男だ。
「この宿にプレシャスという商人が泊まっているな? その者が少し問題を起こした。少し話を聞きたいので、通して欲しい」
ギルムにある宿の従業員である以上、警備兵にこう言われれば従う他はない。
だが……そんな警備兵の言葉に、従業員の男は首を横にふる。
断るのか? 一瞬そう思ったレイだったが、従業員の口から出た言葉は事情を知っている者の予想を超えていた。
「プレシャス様でしたら、既に宿を引き払いましたが」
『は?』
レイだけではなく、話を聞いていた全員が揃って声を出す。
どこか間の抜けたような……と表現してもいい声が周囲に響く。
そんな予想外の返事を聞き、真っ先に我に返ったのはマリーナだった。
「まさか、あっさりとギフナンを見捨てるとは思わなかったわね。……レイに連れて行かれた以上、もうどうしようもないと判断したんでしょうけど」
「けど、警備兵の方でプレシャスの顔は覚えてるんじゃないのか!?」
「……何か、別の手段があるのかもしれないわね。それに、宿から出たとしてもギルムから出る訳じゃないわ。どこか別の場所に身を隠している可能性は十分にあるでしょうし」
マリーナの言葉に、レイの脳裏を過ぎったのは当然のようにスラム街だった。
見て分かるような場所をプレシャスが逃げているのであれば、見つけることも難しくはないだろう。
だが、スラム街に逃げ込まれると、それを見つけ出すのは難しい。
勿論スラム街にはスラム街で、独自の秩序があったり、情報網があったりもする。
それを使えばプレシャスを見つけることも可能かもしれないが、問題はレイにそちらについての伝手がないことだろう。
ヴィヘラやビューネも同様で、マリーナも元ギルドマスターという立場上表だってスラムに対する伝手は持っていなかった。
逆に言えば表立っていない方法での伝手はあるのだが、そちらはギルドマスターという立場があってこそのものであり、ギルドマスターを辞めた今のマリーナにはそれを使うことは出来ない。
「っ!? すまない、レイ。俺達は先に出る。もしかしたらスラム街に入る前にプレシャスを見つけることが出来るかもしれないからな。それにスラム街以外の場所にいる可能性も考えると、こうしてはいられない」
警備兵の指揮を執っていた男はそう叫ぶと、他の警備兵にプレシャスの使っていた部屋を調べるように指示してから宿を出ていく。
宿の従業員も、警備兵に要請されればプレシャスの使っていた部屋を調べさせない訳にはいかず、大人しく案内する。
「レイ、私達はどうするの?」
ヴィヘラの言葉に、レイはこれからどうするべきかを考え……すぐに結論を出す。
「プレシャスがスラム街に……もしくはそれ以外の場所に逃げたとしたら、馬車の類は持っていかなかった筈だよな?」
「でしょうね。馬車でスラム街を進んでいたらかなり目立つし、何よりどこかに逃げるにしても馬車が入れない道には逃げられないでしょうし」
スラム街は当然のように馬車で移動出来る道は多くない。
そうである以上、警備兵に追われているプレシャスが馬車を持って逃げるというのは不可能に近い。
つまり、まだこの宿にはプレシャスが使っている馬車があるのは確実だった。
これが元から予定されている逃亡であれば、馬車を処分して逃亡資金にするという選択もとれただろう。
だが、プレシャスが逃げ出したのはギフナンの連行という突発的なもの。
捕らえられる覚えがある以上、このままでは自分が捕まってしまうという判断をしたプレシャスが何よりも必要しているのは時間であって、馬車を売って金を手に入れるような真似はしないだろう。
そしてレイには、セトという高い嗅覚を持った仲間がいる。
(出来れば部屋にあるプレシャスの私物を使って臭いを追いたいところだけど……警備兵の方で色々と調べる必要があるだろうし、持ち出すのは無理だろうな)
馬車がなければ、多少無理をしてでもプレシャスが使っていた部屋の物を借りただろう。
だが、馬車というものがある以上、そこまでする必要は感じられなかった。
……セトが馬車で臭いを追えなければ、話は別だったが。
そう判断し、レイは宿の従業員にプレシャスが使っていた馬車に案内するよう、要求するのだった。
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