第1344話

「この建物、でいいのかしら?」


 目の前にある建物を見て、ヴィヘラが呟く。

 だが、それも当然だろう。そこにあるのは、建物と表現してもいいのかどうか……そう思ってしまってもおかしくはない程に老朽化していた小屋だったからだ。

 壁も幾らか剥がれており、そこから容易に中を覗き込むことが出来る。

 それこそ、何かあればすぐに壊れてもおかしくはないと思えるような、そんな建物。


「よくこんなボロ小屋に白金貨を隠そうなんて考えたな」

「だからこそ、じゃない? まさか、こんな小屋の中にお宝を隠してるなんて思わないでしょうし」

「……なるほど。火事とかあっても、燃えるのはこの小屋の部分だけで地面に埋めている白金貨は無事な訳か」

「ええ。そう思えば、よく考えられているわね。ただ、それこそ誰でも中に入ることが出来るこんな小屋にそんなお宝を隠すというのは、凄く心配になってもおかしくないけど」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に、ビューネが同意するように一声呟く。

 地面に埋めてあるから、そう簡単に見つかる可能性はないとはいえ、それも絶対ではない。

 実際、セトのように嗅覚が鋭い存在であれば、見つけるのは難しくはないだろう。

 ……もっとも、ケーナもそれなりに腕の立つフリーの暗殺者としてスラム街や裏社会ではそれなりに有名な存在だ。

 そんなケーナの持つお宝を奪うような真似をした場合、一時の贅沢と引き替えに命を落とすことになりかねない。

 それを承知の上でケーナのお宝を狙うような命知らずは、そういないだろう。


「ま、その辺は後で本人にでも聞けばいいさ。今はとにかく、俺達のやるべきことをやればいい。……セト、俺達は中に入るから、周囲を見ててくれ。今更俺達にちょっかいを出してくるような奴がいるとは思えないけど」

「グルルルゥ」


 レイの言葉に、セトが任せろと自信満々に鳴き声を上げる。

 だが、レイは自分が口にしたように、実際に誰かが手を出してくるようなことはないと、そう思っていた。

 事実、レイ達がスラム街に近付いてからも絡んでくるような者はいなかったのだから。

 ……もっとも、ギルムでのレイやセトの知名度を考えれば、それはおかしくはない。

 また、紅蓮の翼というランクBパーティを結成したのもそれなりに知られている。

 そんな相手に絡むような命知らずは……


「おいおいおい、見ろよ相棒。あんなところにいい女がいるぜ?」

「おう、いい女だ。げへへへ」


 不意に、周囲にそんな声が響く。


「……いたな」


 まさか、こんな風に絡んでくる相手がまだいるとは、レイにも完全に予想外だった。

 もっとも、このような場所にいる者達だ。噂や情報に詳しくなくてもおかしくはないのだろうが。


(それでも、俺やヴィヘラ、ビューネはともかく……セトがいるんだぞ? あの二人を見る限り、グリフォンをどうにか出来る実力があるとは到底思えないし)


 レイ達に絡んできた二人組は、片方が顔中から髭を生やしている不潔な印象を受ける男。

 もう片方は見るからに太っており、ヴィヘラを見ながら不気味な笑い声を口にしている相手だ。

 レイから見て、とてもではないが強いようには見えない。


(一瞬、ほんの一瞬だけだけど、もしかしたらプレシャスが何か手を打ってきたんじゃないかと思ったんだが……完全に俺の気のせいだったか)


 視線の先にいる二人を見て、とてもではないが強い相手だとは思えない。

 その時点でレイは興味を失い、セトを軽く撫でながら口を開く。


「セト、悪いけどあいつらの相手を頼む。一応殺さない程度なら、何をしても構わないから」

「グルルルルゥ」


 レイの言葉に、セトは鳴き声を上げると一歩前に出る。

 セトがやる気になったことにより、その身体から発せられる闘気とも殺気ともつかない迫力に、絡んできた二人組は我知らず後退る。


「なっ、何だよ。お前俺達にこんな真似をしていいと思ってるのか!?」

「だな、だな。許されないんだな」


 ようやく自分達がどれだけ危険な真似をしていたのか理解したように騒いでいたが、レイはそんな二人の言葉を綺麗さっぱりと無視して小屋の中に入ってく。

 ……何だか、肉を地面に叩きつけるような音が背後から聞こえてきたが、それを全く気にした様子もない。

 そうして小屋の中に入ると、予想通りにその中はかなり古く、見るからに誰も住んでいる様子はない。


「うわぁ……何だか、凄い場所ね」

「ん」

「そうだな。だからこそ、こんな場所にお宝を隠しているとは誰も思わないんだろうけど。……こっちだったな」


 ケーナからの説明を思い出しながら、小屋の端に向かう。

 そこには板が敷かれており、その中の何枚かを引き剥がす。

 すると、そこには掘った跡があり、軽く掘ると、そこには布に包まれた何かが埋まっていた。


「これだな」

「ええ、でしょうね。……どうやら本当だったみたいだけど」


 ヴィヘラも、この期に及んでケーナが嘘を言うとは思っていなかった。

 だが、それでももしかしたらとそう思っていたのだ。

 それがこうして本当に白金貨があったことで、安堵の気持ちを抱く。

 もしこれで白金貨がなければ、マリーナが約束してきた草原の狼に所属することになるという約束も駄目になっていた可能性がある。


「さて、じゃあ……」

「ん」


 レイが何かを言うよりも前に、小屋の中を見ていたビューネが短く呟き、少し離れた場所を指さす。

 白金貨が埋まっていた場所の近くにあるそこには、明らかに掘り返された跡。

 この小屋にケーナの白金貨が埋まっていたことを考えれば、そこに何が埋まっているのかは考えるまでもないだろう。


「あー……放っておこう。別に俺達はケーナの隠し財産を全部奪いに来たわけじゃないんだし。あそこに何が埋まっていようとも、それはケーナの物だ」

「……ん」


 少しだけ残念そうにしながらも、ビューネは頷く。

 だが、ビューネも盗賊ではあるが、それはあくまでも分類上の存在だ。

 本当の意味での盗賊ではない以上、人の物に手を出そうなどというつもりはない。

 今回の件も、ちょっと見てみたいと思っての行動だった。


「ほら、早く行くわよ。出来れば今日中に今回の件を終わらせたいんだから」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に従い、ビューネが小屋から出る。

 レイ達もそれに続いて小屋から外に出ると、そこで地面に倒れている二人の姿があった。

 それが誰なのかは、考えるまでもないだろう。

 レイはその倒れている二人を一瞥し、ひっかき傷や打撲の類はあるが、それでもまだ動いて死んでいないことを確認するとセトを撫でる。


「よく殺さなかったな」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは当然! と喉を鳴らす。

 レイに褒められた嬉しさをそのまま表現したかのような、そんな鳴き声。

 これで地面に二人の男が倒れていなければ、微笑ましい光景と呼ぶことも出来ただろう。

 そうして数分程レイがセトを撫でていると、やがて気絶していた男達が気が付く。


「ひっ、ひぃっ!」

「ぎゃああああっ!」


 目の前には、自分達をなぶるように攻撃した恐るべきモンスター。

 それをまるで猫でも可愛がるかのようにしているレイ、そして呆れたようにそんなレイ達を見ているヴィヘラ、無表情のビューネを見て、二人の男は目の前にいるのがとてもではないが普通の相手ではないと、ようやく理解したのだろう。悲鳴を上げながら逃げていく。

 そんな二人組を全く気にせず、レイは小屋の中で見つけた白金貨を取り出す。


「セト、これだ。この白金貨についている臭い……それもケーナじゃない方の臭いの持ち主を追ってくれ」

「グルルゥ」


 任せて、と喉を鳴らしたセトは、嗅覚上昇のスキルを発動させて白金貨の臭いを嗅ぐ。

 そして空気中に漂っている臭いを嗅ぎながら、道を歩き出す。

 まず向かうのは、スラム街……ではなく、大通りに続く道。


(プレシャスのことだから、見つからないようにスラム街に隠れていてもおかしくはないと思ったんだけどな)


 セトの進む方向に少し驚きながら、レイ達はそのままセトの後を追う。


「どこにいると思う?」

「さぁ? 普通に考えれば、どこかの宿屋とかでしょうけど……もっとも、ケーナに依頼を持ってきた男がまだギルムから出ていなければ、の話だけどね」


 レイの言葉にヴィヘラがそう返す。


「そうなんだよな。一応マリーナからダスカー様に話を通して貰ったけど、何かこっちの予想出来ない手段で逃げ出している可能性も否定は出来ない。……そうなると、手掛かりがなくなる、か」


 溜息を吐くレイだったが、実際にはその可能性はそれ程高くはないだろうという予想もある。

 そもそもの話、ギルムから見つからないように出ていくというのは結界の関係もあって非常に難易度が高い。

 裏社会の中でも大物であれば、その辺りはどうとでも出来るのだろうが……プレシャスはギルムにおいてそこまで強い後ろ盾がある訳でもなかった。

 であれば、恐らくはまだギルムの中にいる……というのがレイの予想だった。

 いや、予感と言ってもいいかもしれない。

 その思いは、セトが躊躇うことなく道を進んでいるのを見て、ますます強くなっていく。


(馬車の中に潜んで逃げ出すってのも……普通なら警備兵に見つかるだろうしな)


 樽か何かの類に隠れるという手段もあるのだが、そのようなことをやっている相手はそれ程多くはない。

 そのような相手とプレシャスが手を組めるのかと言えば……時間があれば可能、というのがレイの判断だった。

 そして、今はその時間こそが何よりの敵であり……同時に味方でもある。


「グルルゥ?」

「……いや、そっちはまた後でな」


 近くにある屋台に顔を向けているセトの様子に、レイはそっと頭を撫でてやる。

 頭を撫でられたセトは、今が大事な時だというのは分かっているのだろう。不満そうな様子も見せず、再び臭いの追跡に戻る。

 そんなセトを見て、何人かが可愛がろうとしてくるが……今のレイの様子を見れば、いつものように買い食いをしながら遊んでいる訳ではないというのはすぐに分かるのだろう。

 空気を読めない何人かや、子供達以外はセトにちょっかいを出すような真似はしなかった。

 そのことに、セトは少しだけ寂しそうにしていたものの、今はとにかく白金貨に残っていた臭いを追跡するのが優先なのは、セトも理解していたのだろう。

 未練を断ち切るように、道を進んでいく。


「さて……どこにいると思う?」

「そうね。スラム街にいてもおかしくはないと思ってたんだけど……どうやら、それは違うみたいだしね」

「ん」


 レイの言葉にヴィヘラが答え、ビューネは同意するように頷く。

 それは、レイも同様だった。

 スラム街というのは、普通なら入る場所ではない。

 だからこそ、他の者の目から姿を眩ましたい時は都合のいい場所となるのだ。

 だが、白金貨が隠されていた場所はスラム街のすぐ側であったにも関わらず、セトはスラム街に向かわなかった。

 であれば、間違いなくプレシャスは……正確にはケーナに依頼をした男はスラム街にいないのだろう。


(ああ、もしかしてわざと自分に注意を惹き付けて、プレシャスから俺達の目を離す……って可能性もあるのか?)


 ふとレイはそんな風に思ったが、ともあれ今はセトの嗅覚に頼るのが最善なのは間違いない。


「ん? ちょっと待った。この道って……」


 先導するセトを追っていったレイ達だったが、ふとその周囲が見覚えのある場所になっているのに気が付く。

 それは、ギルドからそう離れていない場所。

 勿論大通り沿いという訳ではないのだが、それでも賑やかな場所なのは間違いない。

 プレシャスが逗留する場所としては、普通ならおかしくないのだろうが……現在の状況で、こうして堂々と宿屋に泊まっているのかと言われれば、首を傾げざるを得ない。


「どう思う?」

「そう言われても……セトが臭いを嗅ぎ間違えるなんて思わないでしょ? なら、多分間違いなくこの辺りの宿にいるんだと思うけど」


 レイの言葉に、ヴィヘラがそう返す。


(灯台下暗しって言うけど、まさにこれがそんな感じだな。……いや、本当にプレシャスがここにいるのかどうかは、まだ分からないけど)


 周囲の様子を見ながら考えつつ、レイは歩く。

 そうして到着したのは……やはりギルドからそう遠くない位置にある宿。

 レイも、その宿の名前くらいは普通に知っている。

 夕暮れの小麦亭には劣るが、それでも高級な部類に入る宿の一つだ。

 そして、高級な宿だけあって、警備を始めとしたセキュリティの高さを売り物にしている宿。

 そう考えれば、この宿にプレシャスがいるのはそうおかしな話ではないだろう。


「じゃあ……行くか」


 そう呟き、レイは宿に向かって一歩を踏み出すのだった。

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