第1343話
「あら、レイ。そっちはもういいの?」
「ああ。トリスには今回の件は完全にこっちに任せると約束させた。もう競走云々なんて話じゃなくなってるからな」
警備隊の詰め所の前で、レイとセト、マリーナの二人と一匹は丁度顔を合わせた。
「そう、こっちも準備は万端よ。ダスカーもこっちの要望を受け入れてくれたわ。もっとも、諜報部隊の人数が足りなかったのは間違いないみたいだから、寧ろ歓迎していたでしょうけど」
「そうなのか? まぁ、そう言うなら俺はそれでいいけど……後でダスカー様に恨まれるような真似はしてないよな?」
「ええ、勿論よ。私がそんな真似をすると思う?」
寧ろ、マリーナだからこそやりかねないというのが、レイの正直な思いだったのだが……それをここで口に出す程、レイも迂闊ではない。
そんな二人は、詰め所の前にいる警備兵に軽く声を掛けるとそのまま中に入る。……セトは当然のように詰め所の中に入れないので、近くで寝転がるのだが。
そして何人かの通行人が、そんなセトに対して撫でたり、パンを与えたりしていた。
詰め所の前の警備兵は、そんなセトの様子を微笑ましそうに眺めつつ、警備兵としての職務を果たす。
「レイ、マリーナ。こうしてやってきたってことは、上手く運んだのよね?」
警備兵に案内されて入った独房の前で、ヴィヘラがレイとマリーナの姿を見てそう声を掛ける。
ビューネも、入って来たレイ達に向けて小さく手を挙げ、挨拶する。
そんな二人に向かって、最初にマリーナが口を開く。
「ええ、こっちの方は問題ないわ。書類も……ほら」
ヴィヘラに書類を見せたマリーナは、次にその書類を警備兵に渡す。
元々話は通っていたのだろう。その書類を受け取った警備兵は、複雑な表情を浮かべつつもそれ以上は何も口にはしない。
「俺の方も問題はない。もうトリスは今回の件で手を引くと約束させた。それとケーナにも手を出さないって納得させた」
レイの言葉に、牢の中にいるケーナは少しだけ驚きの表情を浮かべる。
自分が何を期待されているのかは、ヴィヘラに聞かされていた。
だが、それでもまさか自分に狙われたトリスが諦めるとは、思ってもいなかったからだ。
勿論それは非常に助かるので、ありがたいということに間違いはないのだが。
その辺の相手にそう簡単に負けるつもりはないケーナだったが、それでもヴィヘラにあっさりと倒されたことで若干自分の腕に疑問を持ってしまったのは事実だ。
そんな状況で自分を狙ってくる相手が少なければ、それは間違いなく幸運だった。
「そんな訳で、大体の準備は整った。……後、そうなると問題なのはどうやってケーナに依頼してきた相手を探すかだが……ケーナ、前報酬として何か貰ってないのか?」
「え? ええ、前金として白金貨二枚貰ったけど」
「……向こうも、随分奮発したな」
元々はトリスのスピール商会ギルム支店長という地位を、プレシャスが羨んで今回の件が起こされた。
つまりは、嫉妬や羨望といった感情からのものだ。
そんな感情からの行動……それもトリスを殺すのではなく、警告としてトリスの護衛を殺すという依頼で白金貨二枚。
どこからどう考えても、報酬が高すぎた。
もっとも、プレシャスにとってはスレインに手を引かれてしまった以上、腕の立つ刺客を用意するのは難しい。
その上、もしかしたらレイが関わってくるかもしれないとあっては……
そう考えれば、腕の立つ人物を雇う為には報酬を奮発する必要があったのだろう。
「で、その白金貨は? もしかして持ってるのか?」
「まさか。そんな訳ないじゃない。怖くて、持ち歩けないわよ」
「なら、どこにあるんだ?」
「……何故、それを聞きたいの?」
少しだけ警戒した視線をレイに向けるケーナ。
白金貨を奪われてしまうのでないかと、そう疑ったのだろう。
裏社会の人間としては、その警戒心は寧ろ当然だった。
そもそも、ケーナが仲良くなったのはあくまでもマリーナとヴィヘラの二人だ。
レイは寧ろ、脅す役割をしていたのだから。
「別にお前から白金貨を奪おうなんて思っていないよ。……報酬として貰った白金貨ってことは、当然相手から渡されたんだろう? なら、そこには向こうの臭いが残ってる筈だ。そしてセトは、鋭い嗅覚を持っている」
呟きながら、レイはミスティリングから革袋を取り出すと、そこから白金貨二枚をケーナに渡す。
「ほら、その白金貨とお前の白金貨を交換だ。これでいいか?」
「……本物?」
疑わしそうに告げるケーナだったが、レイも嫌われるようなことをした自覚があるので、特に何も反応しないで鉄格子の間に手を入れ、白金貨を差し出したままで待つ。
十秒、二十秒……そして三十秒が経過した頃、ようやくケーナはレイの手の中にある白金貨を手に取る。
そうして素早く距離を開けると、その白金貨を触ったり、軽く囓ったりしながら本物かどうか確かめていた。
「いや、俺が偽物を渡す訳がないだろうに」
「……信じられないわ。けど、どうやらこの白金貨は本物のようね」
一通り調べて、ようやく納得したのだろう。
ケーナはレイにそう返し、大事そうに白金貨を握る。
そんなケーナの様子を見ながら、レイは改めて口を開く。
「さて、その白金貨を受け取ったということは、お前の白金貨がどこにあるのかを教えて貰う必要があるな。言っておくが、もしお前が教えた場所に白金貨がなかった場合、相応の報いを受けることになるから、気をつけることだな」
一瞬だけ放たれた殺気が、ケーナに死を連想させる。
その殺気を受けてしまえば、既にケーナにレイを騙すという選択肢は存在しなかった。
そんなことをすれば、間違いなく自分は死ぬと、そう理解してしまったから。
「……ええ。分かったわ。場所は、スラム街の近くにある私の隠れ家よ。部屋の右隅にある床が外れるようになってて、その下の地面を掘って埋めてあるわ」
「地面に? ……また、随分と厳重に隠したものだな」
「白金貨なんだから、当然でしょ」
そう言い、レイ達はケーナから詳しい隠し場所を聞いていく。
「よし、じゃあ行くか……と言いたいところだけど、やっぱり誰か一人はここに護衛として残していく必要があるよな」
「そうなると、ここに残るのは私でしょうね。ビューネとヴィヘラは一緒に行動させるのが最善だし、レイを行かせないという選択肢もないし」
マリーナの言葉に、警備兵とケーナ以外の全員が頷く。
アジモフが襲撃された時に臭いを追うのと、警備兵に任せるといった風に二手に分かれたのと同じ理由だ。
ビューネとスムーズに意思疎通出来るのは、ヴィヘラだけだ。
そしてレイはセトと一緒に行動する必要がある以上、ここに残るのはヴィヘラとビューネの二人より、マリーナの方がいいという判断だった。
「いいの?」
そう確認するヴィヘラに、マリーナは問題ないと頷きを返す。
「ええ、現在の状況を考えればそれが最善よ。それに、今回の件が片付いたらここで譲った分だけ、レイと一緒にすごさせて貰うつもりだし。……いいわよね?」
「嫌……とは言えないわね。まぁ、その辺は後で話し合って決めましょ。エレーナの意見も聞いてみないといけないし」
女同士で笑みを浮かべながらそう告げる二人の言葉は、小声だったおかげで幸い警備兵には聞こえていなかった。
……その代わり、普通の人よりも鋭い聴覚を持っているレイには普通に聞こえていたのだが。
「精霊魔法を使えば、護衛とかにはそれなりに便利なのよ。だから、レイ達はケーナの身の心配はしないでいいから、思う存分暴れて……いえ、レイが思う存分暴れると、ギルムがなくなるかもしれないわね」
マリーナの口から出た物騒な言葉に、警備兵はヒクリと頬を動かす。
それが事実だと、そう理解している為だ。
それこそ、レイが本気で暴れた場合、それを止めることが出来る者がどれだけいるのか……少なくても、実力でどうにか出来る相手はそれ程多くない。
だが、マリーナの話を聞いていた警備兵から疑わしそうな視線を向けられたレイは、不満そうにしながら口を開く。
「俺を、どこででも好き勝手に暴れるように言わないで欲しいんだけどな」
「普段の行いを考えてから言いなさい」
抗議の言葉も、マリーナにはあっさりとそう言い返されてしまう。
そして自分のこれまでの行いを思えば、マリーナの言葉に言い返せる余地がそうある訳でもなく……結局、レイが出来るのはそっと視線を逸らすだけだった。
「ほら、これからの行動が決まったのなら、さっさと動きましょ。いつまでもここにいたら、それこそ白金貨についている臭いが薄れるわよ?」
ヴィヘラのその言葉に、現在の状況を思い出したレイは少しだけ慌てた様子で口を開く。
「そうだな。なら、そろそろ行くか。……マリーナ、ここは任せた」
「ええ。……ああ、そうだ。よければ警備兵にアジモフの家の様子を見てきて貰えないかしら? アロガンとキュロットがいるから、多分大丈夫だと思うけど……もしかしたら、何か手を出してくるかもしれないわ」
マリーナが警備兵に話している声を聞きながら、レイ達は独房のある部屋を出る。
そして何人かの警備兵と短く言葉を交わしながら、詰め所を出た。
詰め所の前では何人かの通行人がセトを撫でたり、干し肉を与えたりしていたが、それはいつものことだ。
「悪いけど、その辺にしておいてくれ。俺達は今からやることがあるんでな」
いつものことだけに、レイがそう言えば皆が大人しく散っていく。
時々まだセトと遊びたいと我が儘を言う者もいるのだが、ここが警備隊の詰め所の側だけあって、そのような者がいなかった。
……寧ろ、通行人と触れ合っていたセトを見てほんわかとした思いを抱いていた警備兵が、一番残念そうな顔をしていたのだが。
「じゃ、セト。スラム街に行くぞ」
「グルゥ?」
また? と、セトは小首を傾げる。
嗅覚上昇のスキルを使わずとも、素の状態で嗅覚が鋭いセトにとってスラム街とはあまり好んで行きたい場所ではない。
ゾンビを相手にしている時に比べれば随分と楽なのだが、それでも悪臭は悪臭だ。
「グルゥ……」
「そんなに落ち込むなって。俺達が向かうのは、正確にはスラム街じゃなくて、スラム街の近くだ。実際にスラム街には入らないから」
レイの説明に、セトは少しだけ気を取り直す。
人間と比べて圧倒的に鋭い嗅覚を持っているセトだけに、実際にはスラム街に入らず近くまで行くだけでもあまり気は進まない。
それでも、スラム街に入るのに比べると悪臭を嗅ぐのは幾らかマシなのは事実だった。
少し落ち着いた様子のセトと共に、レイはヴィヘラ、ビューネの二人を引き連れてスラム街の方へ向かって移動する。
その途中でセトを見た何人かはセトと遊ばせて欲しいと、そう告げてきたのだが……残念ながら、今はそんな余裕はない。
軽く断りながら道を進み続け……珍しく途中で買い食いもしなかったおかげか、スラム街の近くに到着する。
「あ」
そんな中、ふとレイがスラム街の近くにある小屋の一つに目を向け、小さく呟く。
当然そんなレイの様子にヴィヘラが気が付かない筈がない。
「どうしたの?」
「いや、そう言えば以前ここにやって来たことがあったなって思って。しかも、それが今回の件に多少なりとも関わってるんだよな」
「今回の件にも?」
「ああ」
ヴィヘラの言葉に頷き、以前アゾット商会と揉めた時のことを説明する。
アゾット商会の前会頭にセトやマジックアイテムを寄越せと言われ、それが原因で揉めたこと。
その際にガラハトと前会頭が揉め、危険を察知したガラハトが逃げ込んだのが……レイが見ている小屋だった。
「逃げ込んだ先にしては、随分と古い建物ね」
「まぁ、外側から見ればそうだろうな。けど、地下に部屋が隠されているんだよ」
「へぇ」
レイの言葉に、少しだけヴィヘラが興味深そうに呟く。
だが、レイはすぐにそんなヴィヘラを引っ張って移動する。
今はあの小屋に寄っている時間はないと、そう言いたげに。
「やんっ、もう……少し乱暴じゃない?」
「そうでもしないと、なかなかこっちに来ないだろ。……ほら、ケーナから聞いた場所まではもう少しの筈だから」
「しょうがないわね。ただ、この件が終わったらもう少しレイのことを……私と会う前のレイのことを聞かせてね」
……そう、ヴィヘラが小屋に興味を示したのは、地下室という仕掛けに興味があったからというのもあるが、それ以上に自分の知らないレイのことを知ることが出来るかもしれないと思ったからだ。
その話をレイから聞くのを約束すると、ヴィヘラはそれ以上は何も言わずに再び歩き出し……やがて十分も歩かない内に、ケーナから聞いていた建物の前に到着するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます