第1327話

 スラム街にやって来たレイ達は、当然ながら周囲の注目を集めながら進んでいく。

 普通なら男一人……それも十代半ば程で小柄な体格の男と、極めつけの美人が二人と小さな女が一人ともなれば、いいカモだと判断して絡む者がいてもおかしくないのだが……今のスラム街でレイ達に手を出してくるような相手はいない。

 スラム街にも当然レイ達の情報は入ってきており、そんな相手に絡むような命知らずはいないのだろう。

 ……ましてや、レイ達の側にはセトがいる。

 グリフォンを……それも希少種のグリフォンを敵に回したいと思うのは、それこそ自殺志願者くらいしかいないだろう。


「思ったよりも大人しいわね」


 呟くヴィヘラの言葉には、多少ではあるが残念そうな色がある。

 つい先程までレイとの模擬戦をやっており、まだ戦闘欲が完全には満足していないのだろう。

 誰か強い相手が絡んでこないか、と。そんな希望を抱きながらヴィヘラの視線は周囲を見回す。

 明らかにチンピラと呼ぶのに相応しい者達もいるのだが、ヴィヘラに視線を向けられるとそっと目を逸らす。

 そんな者以外では子供もいるのだが、そちらは最初からヴィヘラの目に入ってはいない。


(強い相手には絡まれないようにする、か。勿論全員がそうじゃないんだろうけど……何だかスラム街じゃなくて、スライム街って感じがするな)


 ヴィヘラの様子を見ていたレイは、ふとそんな思いを抱く。

 勿論それを声に出すことはないのだが。


「ヴィヘラ、今は強い相手を探すよりも先にやるべきことがあるだろ」


 スラム街などと考えていたことを悟らせないままに、レイはヴィヘラに声を掛ける。

 普段であれば、強者との戦いがあるかもしれないとなれば人の話は聞き流すことも多いヴィヘラだったが、今は特に強い相手もいないと判断したのだろう。

 若干不満そうな様子は見せたものの、すぐに敵を探すという行動を止める。


「それにしても、プレシャスがスラム街に向かったって話は聞いたけど、実際にどこにいるのかは分からないのよね? なら、どうやって探すの?」


 ヴィヘラの視線が、情報を貰ったマリーナに向けられる。

 だが、その本人はいつものようにパーティドレスを着たままで小さく肩を竦めるだけだ。


「向こうも、そこまで詳しい情報は持ってなかったみたいね。ここから先は、私達が探すしかないわ」

「……スラム街を?」


 スラム街と一括りに言っているものの、その範囲はかなり広い。

 何故なら、ギルムには毎年のように多くの冒険者がやってくる。

 それこそ、ちょうど今の季節のように。

 いや、一番多いのは春だが、冬以外の季節でもギルムにやって来る冒険者というのは決して少なくない。

 ギルムにやって来る以上、当然のように自分の腕に自信がある冒険者達なのだが、そのような冒険者達の中には実際にギルムで活動して初めて挫折するような者が多い。

 今まで活動していた場所では、それこそゴブリン程度しか倒すような相手がいなかった、といった者がその典型的な例だろう。

 依頼の途中で強力なモンスターと遭遇し、そのまま死ぬ者もいるが……それでも生き延びる者も多い。

 そして自分達はギルムでやっていけないと、増長していた心諸共に気概をへし折られ……そのような者達の行く着く先が、スラム街だった。

 ギルムでやっていけないのであれば、ギルムから出て他のもっと安全な場所に向かうという選択肢もあるのだが、プライドをへし折られてしまった者にはそんな余裕はなく、スラム街に辿り着く。

 勿論スラム街もスラム街で色々と厳しく、命を落とす者も多いのだが……それでも、一応は自分にある程度の自信がある……いや、あった冒険者だけあって、スラム街に適応し、生き残る者は決して少なくない。

 それでも元冒険者が……それ以外にも様々な理由でスラム街を住処としている者がいる以上、スラム街で死ぬ者より流れ込む者の方が多ければ、当然スラム街は拡大していくことになる。

 このスラム街の存在も、ギルムを治めているダスカーにとっては悩みの種だった。

 スラム街ということで、他の場所と比べて税金が入ってこないというのも大きいし、その特性上裏社会の者や犯罪者の巣窟となっており、色々な犯罪の温床となっているのだから。

 一応盗賊上がりの草原の狼を使って調査がされてはいるのだが、ダスカーの諜報で大きな力を持っている草原の狼、だからこそ他に幾らでもやるべき仕事がある。

 結果として、スラム街は半ば野放しに近い状態となっていた。

 ……冒険者崩れが多いスラム街だが、中には高ランク冒険者とも互角に戦えるだけの実力を持つ者がいる、というもその大きな理由の一つだろうが。

 ともあれ、そんな複雑で広大なスラム街を自分達で探せというのは、明らかに無理があった。

 マリーナも、それは理解しているのだろう。少し迷いながら、周囲を見回す。

 だが……見るからに訳ありなレイ達と、自分から進んで関わり合いになるような者が、そういる筈もない。

 マリーナに視線を向けられた者は、即座に視線を逸らす。

 それでもこの場から即座に立ち去るような真似をしなかったのは、そうすればレイ達に対して不快感を与え、何かされると……そう思ったからか。

 それとも単純に、グリフォンのセトを前にしてその場から動くことが出来なくなっていたのか。

 どうか自分のところに来ないで欲しい。

 そう願っている者のうち……マリーナが目を付けたのは、十代前半の少年だった。

 もっとも、十代前半というのはこのエルジィンだと労働力の一人だと見なされる。

 ましてや、ここはスラムだ。当然もっと小さい頃から働いており、マリーナが目を付けた少年もそれは同様だった。


「ねぇ、僕。ちょっといい?」

「な、何だよ! 俺に何か用か!?」


 怯えているところを他の者達に見られると、侮られることになる。

 そんな思いから強気に叫ぶ少年だったが、それは見るからに無理をしているのは明らかだ。

 だが、マリーナはそんな少年を落ち着かせるように笑みを浮かべる。

 ……そして少年は、マリーナの浮かべる笑みに目を奪われる。

 思春期……と呼ぶにはまだ少し早いかもしれないが、それでも異性に興味を持って間もない年頃だ。

 そんな相手に、マリーナの笑み……それも普段無意識に浮かべている艶を感じさせる笑みでははなく、優しそうな笑みというのは破壊力が大きかった。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。ああ、勿論ただでとは言わないわ。……レイ、何かパンをちょうだい」

「パン? 銅貨とかの方がいいじゃないか?」

「駄目よ。とにかく理由は後で説明するから」

「……まぁ、そう言うなら」


 ミスティリングの中には食料も銅貨も大量に入っている。

 それだけに、多少の出費は特に問題がなかった。


(スピール商会の内紛に巻き込まれたんだし、使った以上の収入は間違いなくあるだろうし)


 もしプレシャスが今回の件の犯人であるのなら、たっぷりと謝罪の名目で搾り取ってやるつもりのレイにとって、この程度の出費は全く何も問題にならない。


「私の聞くことに答えてくれたら、このパンを上げる。……どう?」

「何が聞きたいんだよ」


 マリーナの持つパン……サンドイッチでも何でもない、普通のパン――それでも焼きたてのパンだが――にじっと視線を向けながら、少年が尋ねる。

 レイのミスティリングについては、特に何も反応はしていない。

 ミスティリングというマジックアイテム自体の価値を理解していないのか、それとも下手にレイに手を出せばどうなるかが分かっているからなのか。


「プレシャスって人が今日……いえ、ちょっと前にスラム街に来なかった?」

「プレシャス? 名前を言われたって、分かんねえよ」


 少年の言葉は、当然だった。

 レイ達はプレシャスという人物の名前も顔も知っているが、スラム街にいる人物がそれを知っている筈がない。

 プレシャスと親しい間柄にあるのであれば話は別だろうが。


「そうね、ごめんなさい。少し太めで、こう……細長い髭が生えている人よ」

「太めで髭? ……ああ、うん。ちょっと前に通ったよ。何人かと一緒にスレインさんが連れてった」

「スレイン? その人にはどこに行けば会えるの?」

「……行くの? 止めておいた方がいいと思うんだけど。スレインさんは、元々腕利きの冒険者で、かなり強いって話だけど」


 心配そうに告げる少年に、マリーナは笑みを浮かべて持っていたパンを渡す。


「大丈夫よ。こう見えて私達も強いんだから」


 そう言われても、少年は納得出来ない。

 そもそも、相手の強さを計れるような力を持っている訳でもない少年には、レイ達は色々と危なそうに見える。


「そのパンは情報料だから、早く食べなさい」


 マリーナの言葉に、少年は渡されたパンを素早く食べる。

 その様子を見るマリーナの目には、少しだけ悲しみの色がある。

 出来ればこのような子供がスラム街にいるのをどうにかしたいと、そう思ってはいるのだが……それでも、今のマリーナに何が出来る訳でもない。

 出来るのは、こうしてパンを渡すくらいだ。

 そうして少年をその場に残し、マリーナはレイ達を促してスラム街を進む。


「なぁ、なんで銅貨じゃなくてパンだったんだ?」

「……銅貨だと、誰か他の人に奪われる可能性が高いからよ。その点、パンだと食べてしまえば奪われようがないわ」

「なるほど」


 スラム街には子供以上に大人が多い。

 そのような者達が銅貨を見つければ、それこそ嬉々として奪う者も多いだろう。

 そうしない為に、すぐに食べられるパンを渡したのだと、そう告げるマリーナの言葉に、レイは納得するしか出来ない。

 少しだけ暗い雰囲気になった中、ヴィヘラが口を開く。


「それより、スレインって人は元冒険者で腕利きなのよね? どういう相手かしら?」

「一応言っておくけど、今回俺達が来たのはプレシャスに精神的なダメージを与える為で、本当の意味で戦いをする訳じゃないからな」


 ヴィヘラの言葉で暗い雰囲気は消えたが、レイはそのことに感謝をしつつも窘めるように言う。

 その言葉に、ヴィヘラは少し不満そうな表情を浮かべる。

 だが、それでもすぐに現在の状況を思い出したのか、口を噤む。


「さて、じゃあ行くか。この道を進めばいいんだよな。……プレシャスがどんな反応をするのかは分からないけど、何かボロを出してくれると、俺としては嬉しいんだけどな」

「ふふっ、そうね。ただ、スレインという人の相手は、私がするわよ?」

「そうだな、もし戦いになったら頼む。……まぁ、実際に戦いになったりはしないと思うんだけど」


 プレシャスと関係があるのなら、自分の名前を知っていてもおかしくはない。

 だとすれば、それを知った上で攻撃を仕掛けてくるかと考えると……それは微妙なところだろうと、レイは判断していた。

 そんなレイの様子を、ヴィヘラも感じ取ったのだろう。少しだけつまらなさそうな表情を浮かべ……それでも戦いになるかもしれないということに一縷の望みを託して、スラム街を進む。

 そして当然のように、そんなレイ達の様子を観察している者の姿があった。


「おい、あれってこの前結成された紅蓮の翼だろ? ランクBパーティの。そいつがスラムに何の用事だ?」


 レイ達が歩いている場所から少し離れた場所。

 二階建てという、スラムにあるには少し珍しい建物の部屋の一室から、外を見ていた者の一人がそう呟く。


「は? あのガキがランクBなんすか? 嘘でしょ? あれなら、俺の方がまだ強いっすよ」


 そう呟くのは、スラムにやって来て男の組織に入ったばかりの新人だ。

 スラムどころか、ギルムに来てからまだそれ程経っていない男だったが、自信に満ちた様子で呟いたその言葉に、相方……というより教育係の男は呆れたように溜息を吐く。


「馬鹿かお前? いや、馬鹿だったな。でなきゃこんなに早くスラムに来たりはしないし」

「ちょっ、先輩それ酷くないっすか?」

「……いいから、よく見ろ。レイが連れているのはグリフォンだぞ? そんなモンスターを従魔に出来るのが、その辺のガキに可能かどうか……お前でも分かるだろ?」

「運とか?」

「はぁ。……いやまぁ、それは否定しないが」


 実際、運がなければそもそもグリフォンと遭遇したりは出来ないだろう。

 もっとも、普通であればグリフォンと遭遇した時点で命がなくなるのだから、それを覆してグリフォンをテイムするにはどれだけの運が必要なのか男には分からなかったが。


「お前も、元冒険者なら深紅って異名は聞いたことがあるだろ」

「……え? あのガキが深紅なんすか!?」

「お前な。ギルムに来るなら、少しは勉強してこいよな」


 男は溜息を吐き、取りあえずこの件を上に知らせるように新入りを走らせるのだった。

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