第1328話
レイが率いるランクBパーティ紅蓮の翼がスラム街にやってきた。
それは、スラム街にいる者達の間で、すぐに情報として伝わる。
基本的には味方にしか情報を流さないのだが、それでもどうしても情報は伝わり……スラム街そのものが驚愕することとなった。
そんな中……当然のように、プレシャスやその商売相手のスレインの耳にも入る。
「……困るな、プレシャス。厄介な人物を引き入れてきてくれた」
部屋の中は、とてもスラム街とは思えない程に整っている。
部屋の中にあるソファやテーブルの類はどれもが高級品であり、スラム街に相応しい代物かと言われれば、誰もが首を横に振るだろう。
「何のことでしょうか?」
プレシャスはスレインが何を言っているのかと、分かっているのか分からないのか。
鯰髭を撫でながら、プレシャスはそう尋ねる。
ふてぶてしいと呼ぶに相応しいプレシャスの様子に、スレインは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「お前、自分が狙われているのを知っていてここにやって来たな? 今回の依頼については、もう終わっている。その上で俺達を巻き込むとなれば……それがどういう意味を持つのか、分かってるな?」
そう尋ねるスレインの言葉は、静かだ。
だが、静かだからこそそこにある迫力は強烈なものだった。
少なくても、プレシャスの護衛としてこの場にいるギフナンはその場に立っているのがやっとだ。
また、この部屋にいるのはスレインとプレシャス、ギフナンの三人だけではない。
レイ達がスラム街にやって来たという情報を持ってきた男や……スレインの護衛として待機している者もいる。
プレシャスと、ギフナン。そしてギフナン以外にも護衛の者はいるのだが、それでもここはスレインの手の内なのは間違いないのだ。
明らかに自分よりも強いスレインを相手に、プレシャスを守り切れるかどうかと言われれば……それは少し、いや、かなり難しいところだった。
「落ち着いて下さい。そもそも、私はスレインさんとは長くお付き合いをしたいと思っているのですよ? そんな私が、スレインさんを嵌めるような真似をすると思いますか?」
もし戦闘になれば、間違いなく勝ち目はなく、死ぬのは間違いない。
そんな状況にも関わらす、プレシャスは一切動じた様子を見せないままに言葉を続ける。
「どうです? そんなことをしても、私には何の得もありません。敢えてその理由を挙げるとするのなら……スレインさんをレイさん達に売り払うといったところですか」
瞬間、部屋の中に漂う殺気の濃度が一段と上がる。
自分達のリーダーを売り払うと言われたのだから、それも当然だろう。
だが、その殺気を向けられているプレシャスは、特に気にした様子もなく平然としている。
荒事には不慣れなプレシャスだったが、それでもこうして殺気を向けられればそれを感じないという筈はないのに、だ。
ギフナンやそれ以外の護衛も、いざプレシャスに何かがあったらすぐに動けるように準備をし……それを見たスレインの仲間達も同様にいつでも動けるように準備を整える。
しかし、向かい合っているスレインとプレシャスの二人は、その護衛や部下達が動きを見せてもそれに反応した様子はない。
そんなプレシャスの様子を見て、スレインから放たれる殺気が少しずつ消えていく。
「なら、聞かせて貰おうか。何故わざわざ……それも今、この場所に来た? 今のお前の状況を考えれば、スラムに堂々と姿を見せればレイを呼び寄せることになるとは考えなかったのか?」
「ですが、そもそもの話、私を呼んだのはスレインさんの方だったと思いますが」
「ああ、そうだな。だが、俺はこうも伝言した筈だ。目立たないように来い、と。なのに、何故護衛を五人も引き連れている? しかも変装をするでもなく、堂々とスラム街を通ってきた。お前が来たという情報は、完全に広がっているぞ?」
そう、それがスレインにとって最大の誤算。
プレシャスの立場を考えれば、護衛を付けるなとは言わない。
それでも、まさかここまで堂々と目立つような真似をするとは思わなかったのだ。
「そう言われましてもな。知っての通り、現在私は狙われているものでして。どうしても用心をする必要があるのですよ」
「なら、変装はどうなんだ? 堂々と顔を見せて歩いてくれば、お前がプレシャスだというのは、分かる奴には分かる。せめてフードを被るなりして顔を隠せば良かったと思わないか?」
「立場上、そのような真似も出来ないんです。すいません」
そう言うプレシャスだったが、頭を下げて申し訳なさそうな口調で謝罪しているものの、目には謝罪の気持ちは一切ない。
今回の件は、明らかに不注意の類ではなく狙ってやったことなのだろうとスレインにも理解出来た。
正直なところスレインとしては面白くない……それこそ物凄く面白くない現状だったが、それでも今ここでプレシャスをどうかするのは不味いということも理解していた。
「ふん、まぁ、いい。この件は一つ貸しだぞ。後で必ず返して貰うからな」
「はい。勿論です」
あっさりと貸しだと認めたプレシャスの様子に、スレインは若干疑問を抱く。
これまでにも、何人もの商人と取引はしてきた。
そこからの経験で、商人というのは貸しという形を非常に嫌がると、そう理解していたからだ。
これが何か明確な取引……それこそ謝罪の証として金を支払うという形だったり、もしくは食料を始めとする物資を譲渡するということであれば、容易く応じることは多い。
当然、それにも限度があるが。
だが、具体的な形のない貸しというのは、商人にとっては非常に警戒すべきものなのだろう。
形がないからこそ、何を要求されるのか分からないという点で。
……もっとも、それはあくまでもスレインのような裏社会の人間だからそこまで警戒されるのであって、普通の取引であればそこまで警戒したりはされないのだろうが。
これ以上ここで問い詰めても、プレシャスは動揺はしないだろう。
そう判断したスレインは、小さく溜息を吐いてから話を元に……元々プレシャスを呼び出した内容を口にする。
「まぁ、いい。それで約束の件はどうなった? そちらの依頼に応えて危ない橋を渡った以上、例の約束はきちんと守って貰うぞ」
「大丈夫です。きちんと渡りはつけてありますので、先方に出向けば問題なく雇ってくれますよ。契約書の方も……」
一旦言葉を切り、懐から取り出した革袋から一枚の紙を取り出す。
その紙は明らかに革袋よりも大きく、普通であればその中に入っていたとは思えない。
「随分といいマジックアイテムを持っているな。空間魔法で内部を拡張されているのか。そう言えばレイが持っているアイテムボックスの劣化版ってのがあるらしいが……それか?」
「ええ。かなりの値段がするのですが、やはりこういう時は色々と便利なのですよ。もっとも、この革袋はその手のマジックアイテムの中でもかなり性能が悪いのですが」
「ほう。具体的にはどのくらいの量を収納出来るのかを聞いてもいいか?」
興味深そうに視線を向けてくるスレインに対し、プレシャスは首を横に振る。
「申し訳ありませんが、これは私にとっても切り札の一つです。そう簡単に他人に教えるようなことは出来ませんよ。例えそれが、スレインさんであっても」
プレシャスの言葉に、スレインは小さく鼻を鳴らす。
スレインも、別にどうしても聞きたかった訳ではない。
少し興味があったから聞いただけにすぎなかった。
だからこそ、それ以上は口に出さず本題に入る。
「それで、スレインさん。現在使える手の者はどれくらいでしょう?」
「使えるという意味でなら、それこそ三十人程度はいる。……しかし、今回必要なのはそういう奴じゃないんだろ?」
「はい。向こうもこちらについてかなり調べているようです。出来れば……」
「待て」
プレシャスの言葉を遮るように、スレインが言う。
「はい? どうしました?」
「……どうやら認識の違いがあるようだ。俺はてっきり、レイ達に向かって仕掛けるから戦力を用意しろと言われたんだと思ったが?」
実際、レイは今スラム街に来ている。
実力を考えず、純粋に人数を集めるのであれば、それこそスレインが口にしたように三十人程を集めるのは難しい話ではない。
それこそ、伝手を頼ればもっと人数を集める事も出来るだろう。
だが、プレシャスの言葉ではまるでレイを狙うのではないかといった思いを抱く。
勿論事情についてはプレシャスから色々と聞いている。
プレシャスも、手の者を使ってトリスやレイが自分を調べているのだと。
だが……今のプレシャスの言葉では、レイではなくトリスを狙って欲しいと言ってるようにしか聞こえない。
そして、プレシャスは当然のように頷きを返す。
「はい。今回狙うのは、レイさんではなくトリスさんの方ですね。……色々と妨害の手を打ってはいるのですが、中々に手強い」
「……レイはいいのか?」
「ええ。向こうは私を探しているのでしょうが、トリスさんとの取り決めで証拠を見つけるまでは直接手を出すようなことは出来ません。そういう意味でも、レイさんよりはトリスさんの方が厄介な相手なのですよ」
その言葉は、レイは相手にならないと……そう言ってるようにすら思えた。
「お前、レイを甘く見てないか? あいつが今まで何をやって来たのかは知ってるだろ?」
「ええ、勿論。ですが、幸い……と言うべきか、向こうは最大の手段の実力行使を出来ない状況にあります。であれば、そこまで恐れるようなことはないのでは?」
「……改めて言う。甘く見るな。レイは貴族が相手でも、敵となれば容赦なく攻撃する性格をしているんだぞ」
スレインの真剣な……それこそ、もしこれでも分からないのであれば、手を切るのもやむを得ないと言いたげな視線が向けられるが、プレシャスは大丈夫だと頷き、口を開く。
「その辺は私を信用して下さい。少なくても、このスラム街で向こうに遭遇する可能性は少ないですし、もし遭遇しても実力行使をしてくることはないでしょう」
プレシャスの言葉に、スレインは無言で視線を向ける。
レイを甘く見ているのは気に入らない。気に入らないが……ギルムから出て、相応の相手に渡りを付ける為にはプレシャスの力が必要なのは間違いのない事実なのだ。
ギルムを出るということくらいであれば、何も問題なく出来る。
だが、ギルムの現役の冒険者であれば相応の価値を見出す者も多いが、今の自分はもう数年も依頼を受けてはいない。
ギルドカードも既に捨てており、自分が冒険者だと証明出来るものはない。
いや、ギルドでカードの再発行をすれば、多少金が掛かるが冒険者には戻れる。戻れるのだが……ギルドで少し調べれば、スレインが数年の間依頼を受けていないというのはすぐに判明するだろう。
そうなれば、ギルムの冒険者であっても、現役の冒険者ではないというのはすぐに知られてしまう。
ギルムのスラムで活動していたとなると、とてもではないが雇って貰えるとは思えない。
探せば雇って貰える場所もあるかもしれないが、そのような場合はよくて使い捨てといったところだろう。
寧ろ、現在の状況よりも待遇が悪くなる可能性は十分にあった。
そうならない為にも、しかるべき後ろ盾が必要であり……そういう意味では、自分達に接触してきたプレシャスはこの上ない相手だった。
スピール商会は、ギルムではそこまで有名な商会ではない。
少なくても今回レイとぶつけようとしたアゾット商会とは、比べものにならないだろう。
だが……それでも上を見れば切りがない。
普通に考えれば、スピール商会の商人というのは十分に金も力もある存在なのだから。
とにかくスラム街に潜むような生活に終わりを告げる為にも、プレシャスの存在は絶対に必要で、ここで逃す訳にはいかなかった。
「分かった。ひとまずお前のことは信用しよう。ただし、レイが出て来たらその時点で俺は撤退するか、降伏するか……少なくても戦うという選択肢はないぞ」
「仕方がないですね。レイさんと戦闘する予定はありませんから、それで構いませんよ。その代わり、トリスさんの方の対策は……」
「分かっている。レージェスが動けるから、任せる」
「レージェスさん、ですか? それは確かこの前レイさんに仕掛けた方だったのでは?」
「そうだ。あいつが今俺が動かせる面子の中では、一番今回の仕事に合っている」
「ですが……」
言葉を濁したのは、レイの情報を集める時にセトの嗅覚が非常に鋭いという話を聞いたからだ。
であれば、今回の件にレイが関わってる以上、その人物を使うのは不味いのではないか。
プレシャスはそう思ってしまう。
プレシャスはレイの情報を集めはしたが、まだ完全に理解した訳ではない。
……だからこそ、次の瞬間に起きたことを理解出来なかったのだろう。
「プーレシャースくーん、あーそびーましょー!」
プレシャス達のいる部屋の窓の外から、そんな声が聞こえてきたのだ。
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