第1326話

 春の日射しが降り注ぐ、気持ちのいい天気。

 そんな天気の中、レイとヴィヘラは中庭でマリーナに叱られていた。


「あのねぇ。これは模擬戦。それも身体を動かす為の模擬戦でしょ? なのに、あそこまで本気になってどうするのよ?」

「そう言ってもな。別にデスサイズとか黄昏の槍は使ってなかっただろ?」

「そうね。私も浸魔掌とか、手甲や足甲の能力は使ってなかったし」

「……使わなければそれでいいって訳じゃないでしょうに」


 はぁ、とマリーナの口から溜息が漏れ出る。


「ん……」


 そんな三人を、ビューネは離れた場所から少しだけ目を開けて眺めるも、再び目を閉じるとセトに寄り掛かって春の日射しを全身に浴びながらうたた寝を開始する。

 無表情ながら幸せそうな雰囲気を出すビューネの姿に、説教をされているレイとヴィヘラは羨ましそうな視線を向け……


「ほら、余所見をしない」


 マリーナに再び注意され、説教が再開される。


「大体、レイはいつもエレーナとヴィヘラにばかり優しくして、私には……」

「ちょっと待って。それには私も言いたいことがあるわ。寧ろ、レイがいつも頼ってるのは私じゃなくてマリーナじゃない」


 何故か模擬戦以外のことに話が飛んでいくのを見たレイだったが、それに対して何かを言おうものなら、再び説教が長くなるような気がして口に出すことはしない。

 取りあえず自分に飛び火しない程度に二人で話していれば……そう思っていた時、不意に声が聞こえてくる。

 マリーナでもなく、ヴィヘラでもなく、ましてや眠っているビューネやセトでもない、第三者の声が。


「すいませーん。えっと、本当にここでいいのかな? マリーナさん、いますかー?」


 聞こえてきたその声に、説教……というより、半ば痴話喧嘩に近いやり取りをしていたマリーナとヴィヘラの動きが止まる。

 この屋敷に住んでいるのは、元ギルドマスターのマリーナで、貴族街の中でも隅の方にある。

 それを考えれば、道に迷って偶然この屋敷にやってきた……とは考えられないだろう。

 ましてや、聞こえてくる声はマリーナの名前を明確に呼んでいるのだ。

 人違いということは有り得なかった。


「誰だと思う?」

「さぁ? ……それでも黙って侵入してきた訳じゃないんだから、少なくても敵意の類はないんでしょうけど。ちょっと行ってくるわ」


 そう告げ、マリーナはその場を去っていく。

 そんなマリーナの姿を見送り、レイは安堵の息を吐いた。

 それはレイの隣のヴィヘラも同様であり、今はただ訪れた来客に対して感謝するのみだ。


「……それで、結局何だと思う?」

「どうかしら。それこそマリーナが戻ってくれば分かるんじゃない? それより、今は短い安息の時間を楽しみましょ」


 ヴィヘラの口から出た言葉にレイは頷き……だが、次の瞬間表情を変えて中庭に戻ってきたマリーナの姿を目にする。


「レイ」

「どうした? 何かあったのか?」


 マリーナに向かって尋ねるレイの雰囲気を察知したのか、暖かな太陽の下で昼寝を楽しんでいたセトが立ち上がる。

 そうなれば当然セトに寄り掛かっていたビューネも起きることになってしまう。

 ここがマリーナの家の中庭で、自分が寄り掛かっていたのがセトだということもあり、完全に安心しきって熟睡していたビューネだったが、突然セトが動いたことにより身体を動かされ、目を覚ます。


「……ん……」


 先程叱られているレイやヴィヘラの様子を見てから昼寝を楽しんでいただけに、最初何があったのかは分からなかったのだろう。

 ぼーっとした様子で周囲を見回し……やがて興奮しているマリーナの姿を見つけ、首を傾げながら立ち上がる。


「で、マリーナ。結局何だったんだ? というか、誰だったんだ?」

「ほら、この前裏通りで絡まれたことがあったでしょ? それで結局あの辺の顔役らしい人に情報を集めることで手打ちにした」

「ああ、あったな。じゃあ、あの男からの情報か? さっきのは女の声だったけど」


 説教は終わったと安堵したのも一瞬、持ち込まれた情報がアジモフの一件……プレシャスに対してのものだと知ると、レイの視線は鋭くなる。


「それはそうでしょう。幾ら何でも、裏社会の人間……それもあの辺りではそれなりに有名な人物が貴族街に来ることが出来る訳がないわ」


 そう言われればその通りなので、レイもマリーナの言葉に納得するしかない。

 ただし、そうなると先程この屋敷にやってきた人物がどうやってきたのかというのも、多少は気になるのだが。

 あの男の使いで来たということは、当然その人物も真っ当な人間ではないのは明らかなのだから。

 だが、すぐにレイは首を横に振ってその疑問を棚上げする。

 今はそれどころではなく、もっと考えるべきことがあるだろうと。


(それに裏社会の人間なら、貴族街に出入り出来るような人物に当てがあってもおかしくはないし。……まぁ、そういう当てがある人物は、当然のようによく貴族街に出入りしているということになるから……実は大物だったりしたのか?)


 改めてマリーナに視線を向けたレイは、真剣な表情で尋ねる。


「それで、どんな情報を得たんだ?」

「プレシャスと思しき相手が、現在スラムの方に向かってるそうよ」

「……本当か? 何だって、そんな馬鹿な真似を」


 呟くレイの口調には、どこか呆れのような色があった。

 それは、スラムに向かっていることという意味ではあるが、プレシャスの身の危険を案じて……という訳ではない。

 スピール商会の中でプレシャスが具体的にどの程度の地位にいるのかは、レイにも分からない。

 だが、ギルム支店の一件でトリスと揉めたのであれば、当然スピール商会の中でも一介の商人という訳ではないだろう。

 そのような人物であれば、護衛がいるのはおかしくなく、身の危険という点では全く問題がない。

 問題にしているのは、現在プレシャスはレイによって疑われていると……いや、半ば犯人に間違いないと確信されているのだということだ。

 そんな状況で、いかにも何かありそうなスラムに向かうというのは、普通に考えれば自分を疑って下さいと言ってるようなものだろう。

 ましてや、レイの評判を聞いているのであれば尚更だった。


「普通に考えれば馬鹿な真似だと思うわ。けど……」


 レイと同じ考えにいたったのか、ヴィヘラがそこまで告げ、だがそこで一旦言葉を止める。


「それを分かった上で、意図的にそんな行動をしていると考えるべきじゃない?」

「そうね。見つかると分かっていてそんな真似をしているのだとしたら……それは、私達を誘い出す為かしら?」

「なるほど。けど、向こうの戦力で俺達をどうにか出来ると思うか?」


 レイは自分が率いる紅蓮の翼というパーティが、色々な意味で規格外だというのを知っていた。

 そして規格外という意味では、特にその戦闘力が上げられる。

 ビューネ以外は個々で戦っても相当の強さを持つ存在であり、広範囲殲滅魔法を得意としているレイは街中でその本領を発揮は出来ないが、それでも普通に戦うだけで十分に強力だ。

 そしてマリーナの精霊魔法は街中でも普通に使えるし、格闘家のヴィヘラに限っては狭い場所でも何の問題もなく戦える。

 また、紅蓮の翼の中では戦力外に等しいビューネだが、街中のような場所であればその素早さを活かして十分戦力となるだろう。

 セトにいたっては、言うに及ばずだ。

 だというのに、そんな状況で自分達を誘き出すような真似をしてくるのか……そう告げるレイに、ヴィヘラは首を横に振る。


「その辺りは分からないわ。けど、向こうもこのままだと時間が経つ分だけ自分達が不利になっていくというのは分かっている筈よ」

「けど、自分が負けると分かっているのにそんな真似をすると思うか? 幾ら今のままだと動きにくいからって、負けるのが目に見えている戦いを挑んでくるとは思えないんだけど。それこそ、今のままだと自分達がどうしようもないというのならともかく」


 商人というのは、基本的には機を見るに敏な人種だ。

 中にはそれが出来ない商人もいるが、そのような商人は大抵の場合すぐに消えていく。

 スピール商会というある程度の大きさを持つ商会の中で、それなりに上の地位にいるプレシャスがその程度の能力もないとは、レイには思えなかった。


「……こうして考えていても仕方がない。どのみち、向こうからわざわざ出て来てくれたんだ。なら、こっちも予定通り精神的に追い詰めるとしよう」

「そうね。もしスラム街に行って何かあったら、それこそその何かを砕いてしまえばいいんだから」


 自分の……そして自分達の実力に自信があるからこそのヴィヘラの言葉に、その場にいる者達は全員が頷く。

 自分の力に自信のないビューネも、盗賊という存在の身軽さを活かせばレイ達の邪魔になるよりも前に戦場となるだろう場所を脱出することは出来る筈だった。

 ブレーキ役がいないこのパーティで、自分がブレーキ役にならないといけないと判断しているマリーナも、ヴィヘラの意見に異論はない。

 何かあったとしても、紅蓮の翼の面々であれば力でどうでも出来るという自信があった為だ。


「そうね。じゃあ、行きましょうか。ここで色々と話していても、それは結局無駄に時間を使ってしまうことになりかねないし」


 こうして、レイが率いるランクBパーティ、紅蓮の翼の一行はマリーナの屋敷を出て、スラム街に向かうのだった。






 レイ達がスラム街に向かっている頃……狙われてる張本人は、特に周囲を警戒した様子もなく道を進んでいる。

 周囲には明らかにプレシャスとは比べものにならない程、貧相な服を着ている者が多い。

 いや、服と呼ぶより布きれを身体に巻いているだけという者も多い。


「プレシャス様、こんな場所に来るのなら俺達に任せてくれれば……わざわざプレシャス様が来ることはないのでは?」


 プレシャスの横を歩く護衛の一人が、周囲の様子を警戒しながら呟く。


「そうでもないですよ。お客様にはしっかりと誠意を見せる必要がありますからね。末永いお取引をするのであれば、このような行動は必須と言ってもいいでしょう」

「ですが、今は動けないと……そう仰っていたではないですか」

「ええ。ですが、事情というのは変わるものです。特に今回の場合は向こう側と私の事情が一致したということもあります」

「一致……ですか?」


 護衛の男は、いつでも鞘から長剣を抜けるように準備しながら、プレシャスの言葉に疑問を抱く。

 男はこの春からプレシャスの護衛として取り立てられたものだ。

 プレシャスが個人的に出資している孤児院の出身で、以前はランクD冒険者として働いていた。

 そんな男がプレシャスに向けるのは純粋な好意。

 何故なら、孤児院で育った者の多くはプレシャスに直接雇われているのだから、男にとってプレシャスは恩人と呼ぶに相応しい人物だった。

 男は色々とあってプレシャスの下で働かず冒険者という道を歩んだが、それでもプレシャスに対して感謝していない訳ではない。

 実際、こうしてプレシャスの護衛として働くようになり、何人もの顔見知りと再会することも出来たのだから。

 それだけに、男はプレシャスがこのようなスラムに何の用事があるのか……それを心配していた。

 勿論プレシャスが色々とあくどいことをしているというのは知っている。

 だが……男にとって、そして孤児院で育ってきた者達に共通して、プレシャスが多少悪事を働いたからどうだという思いがある。

 自分達が孤児として死なずにすんだのは、プレシャスがいたからだ。

 そんなプレシャスとそれ以外の者達のどちらを信じるのかと言われれば、躊躇せずに前者をとるのは当然だった。

 それ程信頼し、尊敬し、好意を抱いているプレシャスだ。

 出来ればこのような場所でのやり取りは自分に任せて欲しいというのが男の正直な思いだ。


「ギフナン、どうしました?」

「あ、いえ、何でもありません」


 歩きながら考えごとをしていたことに気が付き、護衛の男……ギフナンは何でもないと首を横に振る。

 スラム街は、ギフナンにとっても馴染み深い場所だ。

 ギルムのスラムは初めて来る場所だったが、それでもこのような場所はどこも同じだ。

 余程の幸運がない限り、油断した者から食われていく。

 ……下手をすれば、比喩でも何でもなく、文字通りの意味で食われるという話すら聞いたことがある。

 そんな場所で、数秒ではあっても油断した己を戒めながらスラム街を進み……


「っ!?」


 不意に前に自分達の進行方向を遮るようにして姿を現した男を目にすると、ギフナンや他の護衛達も鞘から長剣を抜こうとし……


「おや、スレインさん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」


 プレシャスがその男に親しげに話し掛けたのを聞き、動きを止めるのだった。

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