第1321話

 アジモフからは結局手掛かりらしい手掛かりを教えて貰うことが出来なかったレイ達だったが、レイ本人はあまり不服そうな表情を浮かべてはいなかった。

 その理由は、やはりレイが履いているスレイプニルの靴だろう。

 今までは二歩か三歩といった風にしか空中を歩けなかったのが、今後は五歩も歩けるようになったのだ。

 これは地味だが、かなり有効な能力アップだった。

 少なくても、レイにとっては十分に満足出来る内容だったと言ってもいいだろう。


「随分と機嫌がいいわね。やっぱりスレイプニルの靴の件は嬉しかったの?」

「ああ。正直なところ、ここまで性能が上がるとは思ってなかった」

「……でしょうね。空中を確実に五歩以上も歩けるというのは、正直羨ましいわ」


 マリーナの言葉に、ヴィヘラとビューネがそれぞれ頷く。

 普通に空を飛べるセトだけが、その言葉に首を傾げていたが。

 格闘で戦うヴィヘラにとって、空中を蹴ることが出来るというのは非常に有効だ。

 また、精霊魔法と弓を使うマリーナにとっても、より高い位置から矢を射ることが出来るのは有利だと言ってもいいだろう。

 体重の少なさをカバーする為に、速度を重視して長針や白雲といった武器で攻撃するビューネにとっても相手の意表を突くという点ではかなり有益だ。

 それこそ、出来ればセト以外全員分のスレイプニルの靴を欲しいと思うくらいには。

 だが、当然ながらスレイプニルの靴というのはアイテムボックス程ではないにしろ、非常に高価な代物だ。

 ここで欲しいからといって、じゃあ買いますという訳にはいかない。


(ああ、今回の件の謝罪の品としてスピール商会に用立てて貰うか? 一応何か特定の品ではなくて、広く浅くの商売らしいし)


 本来ならアゾット商会から買ってもよかったのだが、アゾット商会は基本的に武器が専門であり、それに次いで防具といった具合だ。

 マジックアイテムの類は、殆ど扱っていない。


(魔剣の類も扱っているんだから、全く扱ってないって訳じゃないんだろうけど)


 そんな風に考えながら、レイはヴィヘラの案内に従って道を進む。


「ねぇ、ヴィヘラ。本当にこっちでいいの?」

「警備兵の人達から聞いた話が正しいのなら、間違いないわよ? この辺は何度か来たことがあるし」


 裏通りを進みながら、ヴィヘラは尋ねてきたマリーナにそう返す。

 警備兵の一人から聞いた、信頼出来る情報屋のいる酒場。

 レイ達は、現在そこに向かっていた。

 もっとも、その警備兵からは信頼出来る情報屋ではあるが、同時に腕の立つ情報屋という訳ではないと聞かされていたので、あまり情報は期待出来ないのだが。

 それでも現在の何も情報がない状況よりは……と、そんな一縷の望みからの行動だった。

 また、幸いにも情報屋が使っている酒場は以前ヴィヘラが一度行ったことがある場所だというのも大きい。


「にしても、ヴィヘラは何をしにこんな場所に? 治安が悪いのは、考えるまでもなく分かるでしょ?」


 裏通りだけあり、ここは当然のように表通りよりも治安が悪い。

 ましてや、今は春で大量の冒険者や商人……それ以外にも様々な者達がギルムにやって来ている。

 そうなれば当然、このような場所の治安もいつもよりも悪くなってしまう。

 特に大きいのは、自信に満ちてギルムにやって来た冒険者が、現実を思い知らされてこのような場所にいる場合だ。

 ギルムに来たばかりだけあって、レイ達のことは殆ど知らない者達。

 ……だが、幸いにも今日はレイと一緒にセトがいる。

 マリーナやヴィヘラの美貌を見て欲望や自らの中にある苛立ちを晴らそうと考えても、そこにセトが……グリフォンがいるとなれば、迂闊に絡む訳にもいかなかった。

 グリフォンを従魔にしている、深紅の異名を持つ冒険者……その名前は、ギルムに来る者であれば聞いたことのない者の方が少ない。

 それでも中には、地元で上手くいっていたということで自信に満ち……それ故に、周囲の情報を全く集めずギルムにやって来て、結果として挫折するという者は決して少なくない。

 そして周囲の情報を集めないから、セトを見てもどれだけ危険な存在なのかを理解出来ず、レイという人物を見た目で侮る。

 現在、レイの前にいるのはそのような境遇の者達だった。


「ほら、いいから金と女を置いていけよ! そうしたらお前は無事に帰してやるからよ」

「そっちの獣に、妙な真似はさせるんじゃねえぞ!」


 十代後半の男二人は、手に持った短剣の切っ先をレイに向けながら、そう叫ぶ。

 裏通りを歩いていたレイ達の前に飛び出してきた、その二人。

 腰には長剣の納まった鞘があるが、このような裏通りの場所では短剣の方が使うのに有利だというのは、本人達にも分かっているのだろう。

 そのような人物が、レイ達の前に存在していた。


「……どう思う?」


 もしかして、この件もプレシャスが何かを仕掛けてきたのではないか。

 ふとそう思ってマリーナやヴィヘラに視線を向けるレイだったが、返ってきたのは首を横に振るという動作のみ。

 まさかこのような者達を自分の手駒として使うとは思えない。

 そう言いたげな様子だ。

 幾ら何でも、こんなにあからさまに分かりやすい真似はしてこないだろうと。


(まぁ、そうか。アジモフに襲撃した時のことを考えれば、今更こんなのを俺達に差し向ける理由がないし)


 今回の件でどこか疑心暗鬼になっている自分に気が付き、レイは溜息を吐く。


「んだこらぁっ! 俺達を無視してぐべぁっ!」


 短剣の切っ先を突き付けていた男は、レイに凄もうとした次の瞬間、どこからともなく現れた男に殴られ、吹き飛ぶ。

 そのまま近くにあった壁にぶつかると、意識を失って地面に崩れ落ちた。


「え? あ?」


 何故か相棒が吹き飛んだことに驚きの声を上げたのは、もう一人の男。

 だが、その男が何かを言うよりも前に、二十代程の男がレイ達に頭を下げる。


「すいません、レイさん。この二人の躾はこちらできっちりとさせて貰いやすので、この辺りで勘弁してやっちゃあ、くれませんか」

「お前は?」

「この辺り一帯を仕切っているゼクソスさんにお世話になってる者です。この度は、うちの縄張りでご迷惑をおかけしやした」


 レイの目から見た限り、目の前の男は一定以上の……それこそ冒険者としては、ランクDか、もしくはCくらいの実力はあるように思えた。

 そのような人物を部下としているゼクソスという人物に一瞬興味が湧いたが……それよりも前に、マリーナが口を開く。


「レイに喧嘩を売った場合、下手をしたらそのゼクソスという人は周囲から集中攻撃されるかもしれないわね。……その為に、貴方が出て来たんでしょう?」

「……はい」


 男はマリーナの姿に一瞬目を奪われるが、それでも次の瞬間には何とか気を取り直して頷きを返す。


「そう。なら、今回の件は大事にしたくないんでしょう? だとすれば、こちらにも相応の利益があってもいいと思わない?」


 いきなり何を言い出す? とマリーナの様子に一瞬疑問に思ったレイだったが、ヴィヘラにドラゴンローブを引っ張られて首を横に振られる。

 つまり、この場の交渉はマリーナに任せた方がいいと態度で示しているのを見て、小さく頷くと黙り込む。


「金、でしょうか?」

「いえ。違うわ」

「それ以外ですと……まさか、女や男って訳ではないでしょう?」


 その女や男というのは、娼婦や男娼の類を現しているのだと理解したマリーナは満面の……それでいて目が笑っていない笑みを浮かべる。


「必要だと思う?」

「いえ。すいやせん」


 即座に謝罪の言葉を口にしたのは、男が聡いからこそだろう。

 もしここで必要だと思うと口にしていれば、男は色々と酷いことになったのは間違いないだろう。

 もっとも、男も本気で言った訳ではない。

 ビューネはまだ子供でそういうことに興味がないだろうし、マリーナやヴィヘラは驚く程の美人であり、それこそ男に困ることはないのは明らかだ。

 また、マリーナはともかくヴィヘラがレイに好意を持っているというのは、それこそ少しでも事情に詳しい者であれば知っている。

 レイの方も、普段はドラゴンローブのフードを被って顔を隠してはいるが、その顔立ちは女顔ではあっても整っていた。

 娼婦や男娼というのは、何を対価として出せばいいのかを見る為の、半ばブラフに近いものだったのだが……そのブラフがマリーナやヴィヘラの気に触ってしまったのだ。


「では、どのような?」

「情報ね」


 マリーナのその言葉に、男は安堵の息を吐くと同時に不吉な予感にも襲われるという矛盾した思いを味わうことになる。

 情報を集めるという行為自体は、自分達のような裏の者にとっては決して難しい訳ではない。

 だが、その集める情報がどのような情報なのかということによっては、また話は違ってくる。


「えっと、情報と一口で言われましても……その、色々とあるのですが」

「スピール商会の情報ね。特にプレシャスという商人を中心にして情報を集めてちょうだい」

「スピール商会、ですか」


 その商会の名前は、男の耳にも入っていた。

 多少……いや、かなり強引な手腕ではあるが、腕利きなのは間違いのない商会であると。

 だが、同時にプレシャスという名前には聞き覚えがなかった男は不思議な表情を浮かべる。


「その、プレシャスという人物については初めて聞くのですが」

「スピール商会の人間よ。ただ、支店長のトリスとは対立している人物のようね。この人が、どうやら今回ちょっとした騒ぎを起こしたらしいのよ」

「それは……レイさんが貴族街に向かって突っ込んでいったことと関係しているのですか?」


 プレシャスの名前については知らなかったようだが、レイが貴族街に突っ込んだことについての情報は耳に入っていたらしい。

 もっとも、貴族街に突っ込むという時点で非常に目立つ行為なのは事実だ。

 ましてや、レイはともかくセトが一緒にいるのだから目立たないというのは無理な話だろう。


「ええ。関係していると思って貰ってもいいわ」

「……分かりました。今回の件はこちらにとっても色々と不手際がありましたから、手を回しましょう」


 あっさりとそう頷く男だったが、それは男にとっての何の意味もない……それどころか、支出ばかりになって赤字となる……訳ではなかった。

 男にとっても、レイに関する情報を得る滅多にない機会なのだから。

 ギルムに数多くいる冒険者の中でも、レイはかなり有力な人物である。

 そのような人物が貴族街に向かって突撃する程に怒る理由……というのは、男にとっても大きな利益に繋がる可能性があった。

 また、直接大きな利益に繋がらなくても、レイの情報ともなれば欲しがる者は大勢いる。

 寧ろそっちから得られる金額の方が多いかもしれない。


「そう、じゃあ何か情報を掴んだら教えて頂戴。……ビューネ以外だったら、誰に接触してきてもいいから」


 ビューネの場合は接触してきても、ヴィヘラ以外はろくに意思疎通が出来ないだろうからと、マリーナが告げる。

 男はその言葉に頷き、まだ呆然としている男に意識を失っている男を連れてくるように告げると、そのまま去っていく。


「嵐のような時間だったな」

「そうね。予想外に情報を得る手段を手に入れることが出来たのは、運が良かったけど」


 レイの呟きに、男と交渉をしていたマリーナが笑みを浮かべてそう告げ、それにしても……と言葉を続ける。


「この時季になれば、ああいう人達がギルムに集まってくるのは分かってたけど……あの二人は、恐らく冒険者として大成するのは無理でしょうね」


 ギルドマスターという地位にあったからこそ、今まで数多くの冒険者を見てきた経験があり、そこから予想出来たのだろう。

 腕自慢でギルムにやって来たのはいいものの、現実に打ちのめされてしまった冒険者。

 いや、それだけならば他にも大勢いるが、そこから這い上がる為の努力をせず、裏通りで相手を確認もせずに恐喝をしてくるような相手だ。

 その時点でギルムで冒険者としてやっていけるのかと言われれば、普通なら否と答えるのだろう。

 ……もっとも、中には何かの拍子であっさりと化けるような冒険者もいるので、先程の二人が腕利きの冒険者として再び表舞台に立つ可能性も皆無という訳ではないのだが。


(いえ、ないでしょうけどね。奇跡は、そう簡単に起こらないからこそ奇跡と呼ぶのだし)


 あっさりとマリーナは先程の二人の姿を脳裏から消し、そのまま裏通りを進む。

 最初に絡んできた者以降は、特にトラブルに遭遇することもなく……やがて一行は、警備隊が利用している情報屋がいるという酒場の前に到着するのだった。

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