第1322話

 その酒場にレイ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネの四人が入ると、当然のように酒場にいた客達の視線が一斉に集まる。

 裏通りにひっそりと存在しているこの酒場は、基本的に皆が顔馴染みな……そんな酒場だ。

 中には常連が自分の友人といった者達を連れてきたりすることで客が増えることもあるのだが、レイ達は違う。

 全員がこの酒場には初めてやってくる相手だった。

 正確にはヴィヘラが一度だけやって来ているのだが……それを知る者は今日はいないのか、それともただ口に出さないだけなのか。

 ……尚、セトはいつものように酒場の近くで寝転がっている。

 ともあれ、普通であれば全く見知らぬ相手に対して……それもドラゴンローブを被っているレイはともかく、胸元が大きく開いたパーティドレスを着ているマリーナに、ある意味このような酒場に相応しい踊り子や娼婦の如き薄衣を身に纏っているヴィヘラは絡まれても仕方がない。

 見るからに背が小さく子供のビューネも、普段であればこのような酒場に入ってくれば相手にされないのが普通だろう。

 だが……今こうして酒場の中に入ってきたレイ達を見ても、絡むような命知らずはいなかった。

 この酒場の常連……つまり、ギルムにそれなりに長い間いるだけあって、知っているのだ。

 ヴィヘラやマリーナがどのような人物なのかを……そして、二人と共にいるのが誰であるのかを。

 ビューネの存在は気にしている者がいなかったが、それはある意味で仕方がないのだろう。

 ともあれ、そんな四人は誰に絡まれるようなこともないまま、空いているテーブルに座る。

 警備隊から紹介された情報屋に話を聞きに来たレイ達だったが、それでも酒場に入ったのだから、何か注文をするのは当然だろうという思いからだ。

 他の客達も、そんなレイ達の様子を見て暴れるためにこの酒場にやって来たのではないと判断したのだろう。

 迂闊に関わると厄介な目に遭うと判断して、レイ達からは目を逸らして仲間内で酒を楽しむ。

 ……もっとも、迂闊に騒がしくしてレイ達に目を付けられたくはないと判断したのか、いつもより少し大人しく酒を飲んでいたのだが。


「ご注文は?」


 そんなレイ達のテーブルに、酒場の店員がやってきてそう尋ねる。

 珍しいことに、酒場ではよくいるような女の店員ではなく男の店員だった。

 これが元々この酒場では当たり前なのか、それともまだ日中だからなのか……もしくは、レイ達が相手だからなのかは分からないが、注文を尋ねられたレイ達は特に気にした様子もなく注文を口にする。 マリーナとヴィヘラの二人はワインを、レイは水で薄めたワインを、ビューネはミルクを。

 普通であれば水で薄めたワインやミルクを注文すれば、こちらもまた絡まれそうなものなのだが……当然のようにここで絡んでくるような命知らずはいない。

 それ以外にもこの手の店ではそれぞれ独自の味付けがされていることが多い、内臓と豆の煮込み料理。

 串焼きやシチュー、肉の煮物……といった料理やパンを適当に注文する。


「す、すぐにお持ちしますので、少々お待ち下さい」


 注文を聞きに来た店員は、少し驚きながらも厨房に向かう。

 ……当然だろう。注文した料理自体はそこまで特別なものではない。

 この手の酒場では普通にある代物だ。

 だが、それでも店員が驚いたのは注文した料理の量だろう。

 この酒場で普通に飲んで食べている者達が注文する、数倍の量を注文したのだから。

 特に内臓と豆の煮物は店によって味が違うが、それでも大抵の店の料理はレイの舌に合うこともあり、十人分を注文した。

 それ以外の料理もかなり多目に注文したのだから、不幸にもレイ達のテーブルの近くになってしまった男達は、思わず耳を疑い……酒場じゃなくて食堂に行けよと内心で呟くことになってしまう。

 そして幾つかの纏めて作ってあった料理がテーブルに並べられたところで、マリーナが店員に尋ねる。


「月の出る夜に咲く花はここで売ってるかしら?」


 ピクリ、と。

 そんなマリーナの言葉に店員は動きを止め、やがて口を開く。


「夜明けの時間になれば、もしかしたら入荷するかもしれませんね」

「じゃあ……月が沈んで太陽が姿を現す前に来ればいいの?」

「……いえ。それには及びません。すぐに話が出来る部屋に案内出来ますが、どうしますか?」

「そう、ね。食事が終わったら案内して貰える?」

「分かりました。では、そのように。料理にはそれなりに自信がありますので、お楽しみ下さい」


 警備兵から教えられた符丁を交わし、ひとまず食事が終わった後で情報屋と会う為の約束を取り付けると、マリーナはテーブルの上にあるパンに手を伸ばす。


「あら?」


 触ったパンが予想していたよりも柔らかかった為だろう。マリーナはそのことに驚きを口にする。

 焼きたて……という訳ではないのは、パンが温かくないことから分かった。

 だがそれでも、触れて柔らかいというのは事実な訳で……そのことがマリーナにとっては驚きだったのだろう。

 勿論焼きたてではなくても、柔らかいパンというのはギルムでは珍しくない。

 だが、裏通りにあるような酒場で、そんなパンが提供されているというのは、完全に予想外だったのだろう。

 そんなマリーナの様子に驚いたレイも、ファングボアの煮物を味わいながらパンに手を伸ばす。

 そして感じたのは、マリーナと同じ驚き。


「見かけによらず、随分と料理の美味しい酒場ね」


 ヴィヘラも、ファングボアの煮込み料理を味わいながら驚いたように呟く。

 煮込み料理という名前であっても、ただ単純に肉をそのまま煮込めばいいというものではない。

 煮込む前に肉に下味を付けたり、場合によって表面を焼いたり、紐を使って形が崩れないようにしたり、もしくは火が通りやすいように包丁で切れ目を入れたり……といった風に色々な下準備が必要となる。

 煮込む際にも、火加減や味付け、煮込む時間……様々な技術が必要とされる。

 そういう意味では、今テーブルの上にあるファングボアの煮物はこのような裏通りの酒場で出されるような料理だとは、とても思えなかった。

 また、追加で持ってこられた串焼きの類にしても、外側は歯応えがよく香ばしく焼かれており、それでいながら中には火を通しすぎないように加減されて調理されている。

 勿論、本職の料理店……満腹亭や、黄金のパン亭のような店と比べれば、多少落ちる。

 だがそれでも、このような場所にある酒場で出される料理としては、間違いなく一級品だった。


(だから、こんな裏通りにある店なのにこんなに客がいるのか)


 レイ達が入った時はテーブルが多少空いていたのだが、今は追加で入ってきた客達がそのテーブルに座って料理を注文している。

 追加の客達は、この酒場の常連なのだろう。レイ達のように視線を集めるようなことはなかった。

 もっとも、その客達もいつもと違う店内の様子に少し驚いてはいたのだが。

 その驚きも、テーブルに大量の料理が置かれているレイ達のテーブルを見れば、納得する。

 そうして料理を食べ、マリーナとヴィヘラが軽くアルコールを飲むといった時間がすぎていき……やがてテーブルの料理が大方なくなったところで、レイが店員を呼んで会計をすませる。

 料金はそれなりに高かったが、それでもこれだけの料理の質を考えれば納得出来る金額だった。


「では、こちらにどうぞ。お客様をお待ちしている方がいますので」


 その言葉に頷き、レイ達は従業員に案内されるように店の奥にある個室に通される。


「ん?」

「あのね……私達が何しにここに来たのか、その本題を忘れないでよ」


 このまま帰るんじゃないの? と、そう言いたげなビューネにヴィヘラが呆れたように呟く。

 そんなヴィヘラの様子に、ビューネもようやくこの酒場に来た理由を思い出したのか、それ以上は文句を口にせずに個室に案内される。

 レイ達が向かった個室は、それ程広い個室ではない。

 酒場で金を持っている人物が貸し切りにして宴会をする部屋……と言うよりは、誰かと密談をするための個室と言うべきか。

 実際、ここでレイ達がするのは宴会ではなく情報屋から情報を買うという行為な訳で、そう考えれば決して間違っている訳ではなかった。


「あんた達が客かい? 何を知りたいんだ?」


 その個室に置かれていた椅子に座りながら、エールを飲んでいた男がレイ達の姿を見て尋ねる。

 レイ達をこの部屋に案内してきた男は、部屋の外に出てこの部屋にはいない。

 これは、部屋に誰かが近付いてこないかどうかを警戒するという意味もあるし、同時に情報屋がレイ達と話した内容を聞かないようにするという意味もある。

 聞いてはいけない情報を耳にし、それが原因で命を落とした者は多い。

 そうならない為の自衛策……というところだろう。


「スピール商会の、プレシャスという人物についての情報が欲しい」

「……なるほど。近頃話題のスピール商会か」

「話題?」


 情報屋の言葉に、レイはそう言葉を返す。

 スピール商会がそこまで話題になっているのであれば、レイの耳に入ってきてもおかしくはないのだから。

 これは別にレイが情報を集めているという訳ではなく、純粋に買い食いをしている時に店主との話や、周囲の者達が話している内容を耳にすることが出来ることから得られる情報だった。

 勿論あくまで世間話や噂話といった形の情報の為、そこにあるのは確実性のないものだ。

 だが、その分鮮度という意味では非常に新鮮な情報となる。


「ああ。もっとも、話題と言ってもあくまでも裏社会の人間にとってだけどな。スピール商会はかなり強引な商売をしている。それは知ってるか?」

「話は聞いている」

「そうか。その際に、裏社会の者達にもしっかりと話を通してるんだ。これだけなら、殆どの商会がやってることだが、スピール商会はかなりの金を使って裏社会と伝手を作っている」

「それが普通、なのか?」


 殆どの商会がそのような真似をしているというのは、レイにとっても初耳だった。

 だが、これは何も悪いことばかりではない。

 裏社会の人間は、商会としても色々と関わりがあってもおかしくはないのだから。

 当然裏社会の人間があからさまに出てくるようなことがあれば、警備兵も黙ってはいないが……そのようなことは滅多にない。


「普通……とまでは言わないが、珍しくもないといった程度だな。ともあれ、そんな感じでスピール商会はギルムの裏社会ではそれなりに有名だ」

「なるほど。まぁ、スピール商会については分かった。それで、プレシャスについては?」

「残念ながら、その人物の情報はないな」


 そう言われて、レイは目の前の情報屋が警備兵のお抱え情報屋ではあっても、そこまで腕の立つ情報屋ではないということを思い出す。


(そう言えばそうだったな。……けどまぁ、それでも十分に有用な情報を仕入れることは出来たけど)


 スピール商会に限らず、裏社会と通じている商会がそれ程珍しくないというのは、レイにとって驚きだった。

 だが、現代日本のように治安が良い訳ではない以上、自分達の身は自分達で守る必要があると考えるのは当然なのだろう。

 騎士団や警備兵といった存在もいるが、その数は限られている。

 また、春や晩秋になるとギルムに集まる人が多くなり、今のように騒ぎが大きくなって警備隊や騎士団の手が回らない場所も出てきてしまう。

 そのような時に、裏社会の者達は非常に役に立ってくれるのだ。


「なら、プレシャスの情報を集めて貰うというのは出来るか?」

「……あのレイが情報を求めるということは、貴族街に突っ込んだ件に関係してるんだろう?」


 そう告げる情報屋だが、レイは驚かない。

 そもそもの話、先程の裏社会の男にもその情報は知られていたのだから。

 寧ろ、そのような者が知っていたのに情報屋が知らないなどとなれば、目の前の男の情報屋としての腕を信用出来なくなるだろう。


「ああ。それに関係している……と思われる。状況証拠としては確実にそいつの仕業なんだが、きちんとした証拠がないんだよ」

「ふむ、なるほど。……正直なところ色々と難しそうではあるが、調べるだけ調べてみよう。だが、当然情報料の方はそれなりになるぞ?」


 警備隊のお抱え情報屋と言っても、正式に警備隊に雇われている訳ではない。

 自分の稼ぎはきちんと働いて得る必要がある以上、情報屋としてきちんと働く必要があった。

 もっとも、今回の場合は相手が金には困っていないレイだ。

 それどころか、恐らく今回の件が解決した後はスピール商会から謝罪と和解の証として幾らか支払われるのはほぼ確実であり、目の前の情報屋に多少報酬を支払っても懐の痛みはまずないと思われた。


「分かった。そっちの言い値を支払う」

「言い値? いいのか、それ?」


 言い値となれば、それこそどんなに下らない情報にも金貨数枚……どころか、白金貨、もしくは光金貨という値段をつけることも不可能ではない。

 だが、そんな情報屋に対してレイは問題ないと頷きを返す。


「警備隊お抱えの情報屋なんだから、多少の無茶は言っても、問答無用の無茶は口にしないだろ」


 それは、言外にふっかけた場合は警備隊の方に話が流れると、そう告げている。

 情報屋は、そんなレイの言葉に黙って両手を上げるのだった。

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