第1320話

 詰め所の中に入ったレイ達の顔を見た警備兵は、少しだけ言葉を交わすとすぐにアジモフがいる場所に案内する。

 案内されたのは、恐らく警備兵達が宿直室として使うのだろう部屋。

 てっきり治療室みたいな場所に案内されるのかと思っていたレイは、少しだけ驚く。

 だが、現在そちらには本当の怪我人が治療の為に休んでいると言われれば、納得せざるを得ないのも事実だった。


(それに、アジモフは狙われたんだ。であれば、また誰かが狙ってきた時に匿うという意味でもこういう部屋に寝かせておく方がいいか)


 ベッドの上で眠っているアジモフの姿を見て、レイはそんな風に思う。

 致命傷と思われる程に大きな傷を負ったアジモフだったが、レイの使った高品質のポーションにより、既にその傷は完全に癒えている。


「傷が治ったにしては、まだ起きないのね」


 そんなアジモフの姿を見ながら、ヴィヘラが呟く。


「傷が深かったからじゃない? 傷口はポーションで塞いでも、失った体力は回復しないんだし。その体力を眠って回復してるんでしょうね」

「そうなのか?」

「……何でポーションを使ったレイがそれを知らないのよ」


 思わずといった様子で尋ねたレイに、マリーナが呆れたように呟く。


「そう言ってもな。そもそも俺はポーションを使ったことが殆どないし」


 レイがポーションを使ったのは、皆無という訳ではない。

 だが、アジモフのような大きな傷をポーションで回復した経験はないし、何よりもレイの身体自体が普通よりも強力な回復能力を持っているので、怪我を回復しても体力が足りないといった経験をしたことがなかった。


「うん?」


 そんなマリーナの説明を聞き、レイはふと思いつく。

 大きな怪我……というのはこの際置いておくとして、本来なら今日はレイが預けていたスレイプニルの靴を取りに行く予定だったのだ。

 つまり、アジモフはスレイプニルの靴の最終確認をしていた訳で……あれだけレイの持っていたスレイプニルの靴に対して興味深い思いを抱いていたアジモフなのだから、それこそ寝る間も惜しんでその確認をしていた可能性がある。

 となれば……傷が治っているのに起きないのは、もしかして単なる寝不足なのではないか。

 そんな風に思ってしまったのだ。


「叩き起こすか?」

「止めておきなさい。レイが何を考えたのかは分かるけど、それでも今の状態でそんな真似はしない方がいいわ」

「いや、けど……」


 どのみちアジモフから情報を聞きにきたんだろう? と、そう言外に告げるレイ。

 マリーナもそれは分かっていたが、それでもアジモフが負った傷の深さを思えば、叩き起こすような真似は色々と不味いのは事実だった。

 単純に寝不足の為に眠っているだけというのは、あくまでもマリーナやレイの予想にすぎない。

 実際には何か理由があって、こうしてまだ起きないという可能性もないではないのだから。

 ……もっとも、レイにとってはやはりただ眠いから眠っているようにしか見えなかったのだが。


「じゃあ、ここでアジモフが起きるまで、ただずっと待ってるのか? それはちょっと退屈なんだけど」


 レイの言葉に、ヴィヘラとビューネも頷きを返す。

 ここはあくまでも宿直室……兵士達が寝る部屋であり、何か暇を潰すような代物がある訳でもない。

 であれば、ただここで待っているというのはそれこそ時間の無駄に思えるのは、決してレイだけではないだろう。


「そう、ね。でもアジモフから情報を聞くのが一番なのは間違いないんだし……今は起きるのを待った方がいいと思うわ。ここで無理をして、後でアジモフに何かあったら大変でしょう? それに……」


 一度言葉を切ったマリーナは、自分でも気が付いていないのだろうが、艶然とした笑みを浮かべながらレイ達を見回す。

 ……その際、一応ここは詰め所だからということで、宿直室の中に残っていた警備兵が、そんなマリーナを見て顔を真っ赤にして俯くことになる。

 そんな警備兵の気持ちは分からないでもないレイだったが、生憎と……いや、この場合には幸いにもと言うべきなのかもしれないが、ここ暫くマリーナと共に行動しており、こうしてマリーナが無意識に浮かべる笑みを見せられても、動揺することは少なくなっていた。

 勿論、いつも平静でいられるという訳ではないのだが。


「今日は私達がパーティを組んだ記念すべき日よ? まぁ、結果としてパーティを組んだその日のうちに、いきなりこんな騒ぎに巻き込まれたのはちょっと予想外だったけど」


 そう言いながらレイに向ける流し目は、こうなった理由が誰にあるのかというのを如実に現していた。

 今回の件が自分のせいで起こされたという自覚がある以上、レイが出来るのはそっと視線を逸らすだけだ。

 元々レイの評判がなければ、今回の件は起きなかったのだから。


「けど、もしレイが今回の件に絡んでないのなら、もしかしたら他の人が巻き込まれていた可能性があるのよね? なら、もっと騒動になる可能性が高かったんじゃない?」

「……待て。結局理由は分かったのか?」


 レイ達の話を聞いていた警備兵が、そう話に入ってくる。

 先程のマリーナに向けられた笑みの件で顔が若干赤いままだが、今のレイ達の会話は聞き逃すことが出来なかったのだろう。


「アゾット商会の会頭の屋敷でされた話については、こっちにも回ってきている。だが、結局今回の件を誰が仕組んだのかというのは、まだ知らされてはいないのだが」

「ああ、そっちはな。ただ、あくまでも状況証拠ってだけで、明確な証拠がある訳じゃない」

「それでもいい。今回の件は、それこそギルムに……いや、その治安を守っている警備隊に対する挑戦と言ってもいいんだ」


 警備兵の言葉に、レイはどうする? とマリーナに視線を向ける。

 普段であれば、それはそれ、これはこれといった風に情報を教えようとは思わなかっただろう。

 だが、警備兵がどれだけギルムの治安を守る為に頑張っているのかは、レイも知っている。

 だからこそ、警備兵に心の底から嘆願するように言われれば、あっさりと拒否も出来ない。

 ……レイが警備隊とそれなり以上に親しい関係にあるというのも、当然影響しているのだろうが。


「そう、ね。教えてもいいんじゃない? 何か情報を得る為にも警備隊は本職だけあって頼りになるし。ただ、今回の件はあくまでも私達が解決するのを前提として、だけど」


 どうする? とマリーナに視線を向けられた警備兵は、難しい表情を浮かべる。

 警備兵にとって、その提案はとても受け入れられるものではない。

 だが、ここでレイ達から話を聞くというのは、これからの捜査に重要な進展があるということを意味してもいる。

 そのまま少し悩み……やがて警備兵は頷きを返す。


「それでいいとも思うが……ただ……」


 本音を言えば、出来るのなら自分達で解決したいというのは間違いない。

 だが、この時季のギルムでは幾つもの事件が起きており、警備兵はその解決に走り回る必要がある。

 それこそ、今回の件もレイ達が関わっているというのを抜きにすれば錬金術師が一人襲われただけという事件なのだから。

 特にアジモフは怪我も既にポーションで回復しており、盗まれたマジックアイテムも既に奪還済みだ。

 勿論盗まれたのがスレイプニルの靴だけではないという可能性もあるが、これまでの流れから考えてほぼ間違いないだろうというのが警備兵や……そしてレイ達の感想だった。

 客観的に見て、マリーナの提案を受け入れた方がいい。

 そう思うものの、やはり警備兵として面白くない事態であるのも間違いないのだ。

 それでも警備兵としてギルムの治安を守ることを考えると、その提案を引き受けるのが最善だと思いつつ、口を開く。


「この件については俺だけじゃ判断は出来ない。上に相談する必要がある。だから、正式な返事はもう少し待ってくれ。ただ……それでも、こっちでやれるべきことがあったら手を貸す。……どうだ?」


 その言葉に、レイは少し考え……やがてマリーナやヴィヘラ、ビューネに視線を向け、意見を求める。

 マリーナはそれで問題ないと判断し、ヴィヘラの方も若干不満そうではあったが頷きを返す。

 ビューネはどっちでもいいのか、特に表情を変えた様子はない。


「分かった。なら……」

「んあ? 何だ、うるせえな」


 その提案を引き受けよう。

 そうレイが言おうとしたのに割り込むように、そんな声が聞こえてくる。

 誰の声なのかは、考えるまでもない。

 そもそも、この部屋で寝ているのは一人しかいなかったのだから。


「ようやくお目覚めか。随分と寝坊したな」

「あ? ……レイ? うん? 何がどうなって……っ!?」


 そこまでレイに告げ、そこでようやく自分がどのような状況になっていたのかを思い出したのだろう。

 アジモフは慌てたように周囲を見回し、そして自分の身体を確かめる。

 だが、当然のようにそこに傷はない。

 レイがポーションを使って回復したのだから、当然だろう。


「どこまで覚えている?」

「レイ? それに……」


 その場にいるのが、レイ以外にもマリーナやヴィヘラ、ビューネといった面々がおり、また警備兵の姿があるのにも気が付き、驚きの表情を浮かべる。


「ここは警備隊の詰め所だ。……お前はかなり重傷だったからな」

「重傷? いや、けど……」

「ポーションを使ったからな。感謝しろよ?」

「……ああ、思い出した。そうだ、うん。確かスレイプニルの靴の確認をしていた時、いきなり何か衝撃を受けて……そのまま意識を失ったのか」


 いきなりという言葉に、レイは微かに眉を顰める。

 何故なら、今の言葉を聞くのであれば襲撃してきた相手の顔を覚えていないということなのだから。


「つまり、犯人の顔を見てはいないのか?」

「ああ。……それより、レイがスレイプニルの靴を履いているってことは……盗まれなかったのか?」


 自分の状態を確認すると、すぐにレイの履いているスレイプニルの靴に意識が向けられるのは、やはりアジモフがアジモフたる由縁なのだろう。


「いや、盗まれた。ただ、今回の件を起こした奴は本気でスレイプニルの靴を盗んだ訳じゃなくて、あくまでも俺を誘き寄せる為の餌にしたかったらしいな」

「なっ!? じゃ、じゃあ、今レイが履いているスレイプニルの靴はどうしたんだ!?」


 たった今起きたばかりだとは、とてもではないが思えないような勢いでレイに尋ねるアジモフ。

 その勢いは、つい数分前まで眠っていたとは思えない、それ程のものだった。

 錬金術師の鑑と言ってもいいのかもしれないが、同時に普通の人間として見た場合は思うところがない訳でもない。

 だが、レイはアジモフがどのような性格なのかは知っているので、特に驚く様子もなく口を開く。


「ああ、心配するな。今回の件を企んだ奴の目的は、俺とアゾット商会をぶつけることだった。その為に、アゾット商会の人間の馬車にスレイプニルの靴を隠してたんだよ。それはセトのおかげで何とか取り戻すことは出来た」


 そう告げ、改めて自分が履いているスレイプニルの靴をアジモフに見せる。


「これは正真正銘、お前が改良してくれた代物だよ。……ところで、取り戻したからこうやって普通に履いてるけど、何か問題はあったりするのか?」

「そう、だな。俺が確認した時には何も問題がなかったけど、一旦奪われたんならしっかりと調べておいた方がいいと思う」

「分かった。今は無理だろうから……」

「大丈夫だ」


 レイに最後まで言わせずにそう告げたアジモフは、早くスレイプニルの靴を見せろと、手を差し出す。


「……本当にいいのか?」

「ああ。問題ない。だから、さっさと見せろ」


 そこまで言われれば、レイも大人しく靴を差し出すことにする。

 今まで履いていて問題はなかったが、一旦誰とも知らない相手の手に渡ったのだから、何らかの細工をされていないとも限らないのだから。

 勿論普通に考えれば、アジモフが襲われてそれ程時間が経たないうちにレイ達がやって来たし、それから殆ど時間を置かずにセトの嗅覚を頼って追跡した。

 スレイプニルの靴のように……それも史上最高の錬金術師と言われているエスタ・ノールの作品に妙な細工をするような余裕があったとは当然思えない。

 だが、それでも誰かも分からない相手の手に渡ったのであれば、その辺りはしっかりと確認しておきたかった。


「……ふむ、なるほど。……だとすれば……」


 そのまま数分、アジモフはじっとスレイプニルの靴を弄りながら、魔力を流して何かを確認していく。

 そして顔を上げた時、そこに浮かんでいるのは笑みだった。


「問題ない。改修の方も上手くいっている」

「そうか……なら、よかった。それで、今更だが改修されて、どんな風になったんだ?」

「ああ。今までは大体二歩から三歩くらいしか空中を歩けなかったと思うが、これからは確実に五歩以上いける」

「……地味だけど、何気に物凄い効果だな」


 自分がこれまでスレイプニルの靴を使ってどのような戦いをしてきたのかを思いだし、レイはしみじみとそう告げるのだった。

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