第1317話

 スピール商会の権力闘争に巻き込まれた。

 トリスの口から出たその言葉を聞いても、不思議とレイは怒りを露わにすることはなかった。

 レイ自身不思議に思いもしたのだが、同時に納得もしていた。

 勿論、目の前にいるトリスが今回の件を企んだというのであれば、すぐにでもミスティリングからデスサイズを取り出して一閃していただろう。

 だが、今レイの視線の先にいる人物は、自分に謝っているのだ。

 つまり今回の件を企んだのがトリスではないという証だった。

 もっとも、本当にそうなのかどうか分からない為、レイはトリスに向かって尋ねる。


「スピール商会の権力闘争か。それでお前はどっち側なんだ? 今回の件を何も知らなかったのか……それとも……」


 企んだ側なのか、と。

 そう尋ねるレイは、殺意や怒気といったものは発していない。

 発してはいないが……だからこそ、それを見ていたトリスは今のレイに向かって嘘や誤魔化しを口に出来るとは思わなかった。


「勿論、私はレイさんの力を知っています。そのような者が迂闊にレイさんに手を出すような真似はしません。今回の件を企んだのは、明確な証拠はありませんが……レイさん達が先程通路で会ったという、プレシャスかと」


 その名前が出た瞬間、レイが思ったのは意外でも何でもなく、寧ろやはりなという納得に近いものだった。

 トリスの部下のテリーがあれだけ反応したのだ。これでプレシャスが全くの無関係だと言われれば、寧ろそちらの方が意外だっただろう。


「スピール商会の中で権力闘争をやるのはいい。けど、何故それに俺達が巻き込まれる必要がある? いや、寧ろ何を考えて俺達を巻き込んだ? と、そう尋ねた方がいいか?」

「知っての通り、スピール商会はこの春から本格的にギルムで活動を始めました」

「だろうな。その辺は以前聞いた」


 元々スピール商会の商人も、ギルムで活動はしていた。

 だが、その殆どは仕入れであり、ギルムに支店を持って大々的な活動はしていなかったのだ。

 辺境のギルムというのは、当然商機が幾らでも転がっている。

 ギルムでしか入手出来ない物は、それこそ無数にあるのだから。

 だが、それでもギルムに支店を置いている店というのは、そう多くはない。

 ……多くはないと言っても、ミレアーナ王国に幾つ商会があるのかを考えれば、その多くないというのはあくまでもミレアーナ王国全体を見てのものであり、実際にギルムに支店を置いている商会というのは幾らでもあるのだが。

 そんな訳で、ギルムに支店を置くというのは商会にとって一つの目標でもある。


「……つまり、プレシャスはトリスがギルムの支店を任されたのが気に入らなかった。そういうことなのか?」


 スピール商会に所属している者にとって、ギルムの支店を任されるというのは当然名誉なことであり、同時に上に自分の力量を認められているということの証だ。

 それ以外にも、ギルムの支店を任されるとなれば、それは商人として……個人としても大きな、非常に大きな利益となる。

 である以上、トリスの地位を欲している者がいてもおかしくはない。

 ……もっとも、そのトリスが色々と頑張りすぎたせいで、レイと一緒にゴブリンの肉を美味く食べる研究をしていたマーヨの商会が煽りを食ってしまったのだが。

 ともあれ、そんな風に張り切っていたトリスの動きを気にくわないと思う者がいてもおかしくはない。


「はい、そうなります」


 頷くトリスの頬の肉が揺れるが、今の話を考えるととても笑えるようなところではなかった。


「自分でこう言うのもなんですが、私はスピール商会の中でもそれなりに有能な方だと思っています」

「……でしょうね。ギルムの支店を任されるんだから、当然有能でなければどうしようもないわ」


 つい数時間前まではギルドマスターとして働いていたマリーナだけに、ギルムで支店を任されるということがどのような意味を持つのかというのは当然知っている。

 そんなマリーナに評価されたトリスは、頷いてから再び口を開く。


「はい。ですが、先程皆さんが会ったプレシャスもまた、スピール商会の中では有能な商人として知られています。……些か強引な取引も多いようですが、それも問題になる程ではないらしいですから」


 溜息を吐いたトリスだったが、レイにしてみればお前も大概だろうという思いがある。

 レイがパミドールに頼んだ、銀獅子の素材を使って作った白雲。

 それを譲って欲しいとパミドールの鍛冶工房に押し掛けていたのだから。

 幸いと言うべきか、トリスは誰が白雲を使うのかを知らなかったらしく、レイが……正確にはレイとパーティを組むビューネが白雲を使うのだと知ると、大人しく退いた。

 その辺りを思えば、やはりトリスは強引な取引をしているという訳ではないのだろう。


「そのプレシャスは、結局貴方を今の地位から引きずり下ろしたかったの?」


 ヴィヘラの問いに、トリスは頷きを返し……丁度そのタイミングで、テリーがメイドを引き連れて執務室に戻ってきた。

 紅茶とサンドイッチ、干した果実、甘く焼いたパン……といった風に、軽く摘まめる料理がテーブルの上に並べられる。

 それを見て目を輝かせたのは、無表情ながら退屈そうに話を聞いていたビューネだ。

 先程馬車の中で食べたサンドイッチだけでは足りなかったのか、すぐに皿の上のサンドイッチに手を伸ばす。

 メイドの中の何人かは、そんなビューネの姿を見て微笑ましそうにしながらも、準備を済ませるとテリーと共に部屋を出る。

 何故かテリーも部屋から出ていったことに一瞬疑問を抱いたレイだったが、それでも今は特に気にすることはないかと判断すると、自分もサンドイッチに手を伸ばしながら改めて口を開く。


「話を戻そう。それで、プレシャスが今回の件を企んだ理由は……」

「簡単に言えば、ギルムの支店を預かる私に問題を起こさせたかった、ということでしょう。それも問題は大きければ大きい程にいい。例えば、ギルムでも大きな影響力を持っているアゾット商会と、異名持ちの冒険者を争わせる原因を作ったとか」

「それは……けど、それは失敗したら目も当てられないし、そもそも成功しても意味がないんじゃないか?」


 首を傾げるレイの言葉に、マリーナやヴィヘラが同意するように頷く。

 事実、もしそれが成功してもトリスが……正確にはスピール商会がアゾット商会を敵に回したということは変わらないのだ。

 もしプレシャスがスピール商会のギルム支店を纏めているというトリスの地位を奪おうと考えているのであれば、それはどう考えても的外れと言ってもよかった。

 ギルムに支店を作ったばかりの商会が、以前程ではないにしろギルムで強い影響力を持っているアゾット商会に睨まれればどうなるのか。

 普通に考えれば、ギルムから撤退するという選択肢しかないだろう。

 なのに、何故そんな見え透いた真似をするのか。

 そんな疑問に、トリスは飲んでいた紅茶をテーブルに置きながら、首を横に振る。


「残念ながら、その辺は私にも分かりません。それに、最初に言ったように今回の件がプレシャスの仕業というのは、あくまでも状況証拠でしかないのです。何か決定的な物理的な証拠はありません。先程も、その辺をはっきりさせようかと思ったのですが……」

「なるほど。結局言質は取らせず、その帰りに俺達と会った訳か」

「はい。残念ながらそうなります。幾ら何でも、状況証拠だけでプレシャスをどうにか出来る訳ではありませんので」


 溜息を吐く様子を見れば、トリスが自分の力不足を嘆いているのは確実だった。

 そして、用意周到と呼ぶのに相応しいプレシャスの手際を忌々しく思っていることも。


「俺が動く……というのは、駄目なのか」


 レイは自分が周囲にどう思われてるのかは知っている。

 であれば、多少強引にプレシャスに接触してみてもいいのではないか。

 そう告げるのだが、トリスは黙って首を横に振る。


「ここまで用意周到に仕掛けてきたプレシャスです。当然レイさんに関しても考えに入ってるでしょうし、そうなれば向こうも相応の対策をしているのは間違いないでしょう」

「向こうにも戦力はあるみたいだしね」

「アジモフを襲った相手?」

「ええ」


 マリーナとヴィヘラは短く言葉を交わす。

 ある程度以上の力を持つ商人であれば、自分の護衛がいてもおかしくはないし、人に知られないように裏の出来事を任せる相手がいてもおかしくはない。

 それだけの戦力がいるのであれば、レイ達が何かをしてもそれをどうにか出来る……とは限らなくても、時間を稼いで警備兵を呼ぶといった真似は出来るだろう。

 警備兵を呼ぶというのはプレシャスにとっても自殺行為では? と思うレイだったが、これだけの件を引き起こして証拠の一つも残していないのだ。

 何か調べられても、どうとでも対処出来るという自信があるのは間違いなかった。


「なら、どうすればいいと思う? 今回の件を企んだのがプレシャスであると分かってるのに、このまま放っておくのか?」


 そう尋ねるレイの様子は、その性格を知っている者にしてみれば酷く大人しいものだった。

 だが……大人しいからこそ、そこに溜まってる怒りは深く、濃い。


「そうですね。私としては、出来ればそうしたいところなのでしょうが……レイさんの様子を見る限り、それを選ぶ訳にはいかない様子。だとすれば、別の選択をする必要がありますね」

「私もそれに賛成かしら。むざむざ相手の行動を待つというのは、あまり好きじゃないし」

「ん」


 ヴィヘラとビューネが、積極策に対して賛成する。

 元々積極的な性格をしているヴィヘラだけに、相手の出方を待つといったことは好まない。

 好まないだけで、やろうと思えば出来るのだが、今回はやらなくてもいいと判断したのだろう。


「ここで下手にこちらから動くと、それはそれで色々と面白くないことになると思うんだけど」


 そんな二人に対し、慎重な意見を口にするのはマリーナだ。

 マリーナもどちらかと言えば積極的な戦いを好む性格をしているのだが、皆が皆攻撃的な意見では色々とバランスが悪い。

 だからこそ、今はこうして自分が慎重派に回っていた。


「ここで大人しくしていたら、あっちの方が今回の件で味を占めてより凶暴な行動を取らないとも限らないんじゃないか?」

「その心配はいらないかと」


 レイの疑問を、トリスが否定する。

 何故? と視線で説明を求められたトリスは、当然のように言葉を続けた。


「プレシャスも、私とレイさんが会ったことで自分の情報が向こうに伝わっているのは分かっている筈です。であれば、ここで下手な行動に出た場合は自分に対する疑いをより強くするのだと、そう理解している筈ですから」

「……それなら、寧ろ最初から妙な行動をしないで欲しかったんだけどな」


 怒りはまだ残っているが、それよりもレイの中では呆れの色の方が強くなっていた。

 今回の件はレイかアゾット商会のどちらか……もしくはその両方を狙った企みだというのが、レイの予想だった。

 だが、実際にはスピール商会の権力争いに自分達が巻き込まれただけという結果なのだから。仕方がないだろう。

 勿論、自分を利用したプレシャスを許せるかと言われれば否で、アジモフに対しての件も併せてレイの中では最終的にどう対処するのかは決めているのだが。

 そんなレイの怒りを感じたのか、トリスが一瞬だけ浮かべていた笑みを消し……だが、次の瞬間には再び笑みを、目が笑っていない笑みを浮かべる。


「レイさんの怒りもごもっともです。ですが……今回の件、出来ればこちらで片を付けさせて貰えないでしょうか?」


 トリスにとっては、この件はプレシャスが真っ向から自分に喧嘩を売ってきた形だ。

 そうである以上、出来れば自分の手でどうにかしたい。

 このギルム支店を任されている者としては、当然の考えだった。

 それは間違っていない。決して間違ってはいないのだ。

 ただ……今トリスの目の前に座っているのが、レイでなければの話だが。


「ほう?」


 穏やかで、決して大きな訳ではない。寧ろ小声に近いと言ってもいいだろう。

 だが、その言葉を聞いた瞬間トリスは背筋に冷たいものを感じた。……それこそ、既に春になっているこの時季に、真冬に出来た氷のように。

 それでも動揺を顔に出さず、冷や汗の類を流したりしなかったのは、これまでの経験からだろう。

 まさに一触即発……下手に刺激すれば大爆発を起こすような存在を前にしているような中、トリスは何とか口を開く。


「こちらで出来る譲歩は幾らでもしましょう。また、今回の件の謝罪として何かを求めるのであれば、可能な限りお支払いします。ですから……どうか、お願い出来ませんか?」

「……分かった」


 数秒の沈黙の後、レイの口から出たその言葉にトリスは安堵の息を吐く。

 自分の意見が受け入れられたのだと、そう判断し……


「つまり、スピール商会は俺と敵対する道を選ぶ。そういうことだな?」


 レイの口から出たその言葉に、動きを止めるのだった。

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