第1316話
スピール商会。
その名は、当然レイも知っていた。
いや、冬の間にその商会の商人……トリスと何度か接触したことがあったというのが正しい。
「まさか、スピール商会とはな」
レイ以外の者達も、スピール商会についてはレイから多少聞かされていた。
特にビューネは、トリスがパミドールから白雲を買い取ろうとしていたこともあるという話を聞いている為にあまりいい印象は持っていない。
「なら、お前の主ってのは……」
「はい、トリス様です」
ここまで来れば、もう隠す必要はないと判断したのだろう。テリーはあっさりとレイの言葉に頷きを返す。
そんなテリーの様子を見て、レイは内心で首を傾げる。
一瞬……ほんの一瞬ではあったが、もしかして今回の件を企んだのはトリスだったのではないかと思ったからだ。
だが、考えてみればレイに仕掛けてきた相手がわざわざ自分を呼ぶだろうか。
そう判断し、すぐに頭の中で思いついた考えを却下する。
そして何となく自分に頭を擦りつけてきたセトを撫でながら、レイはテリーに尋ねる。
「それで、セトはどうすればいいんだ? ……中に入るのはちょっと無理そうだけど」
何だかんだと冬の間に色々と食べたのが影響したのか、それとも単純に成長期なのか……今のセトは体長三m程になっている。
それだけの大きさになった以上、ちょっとやそっとの扉から中に入ることは出来なくなってしまっていた。
(このまま大きくなると、ダンジョンとかにも入るのは難しくなるんじゃないか? 中は通路が結構広いけど、入り口は結構狭いし)
ふとそんな不安を抱くレイだったが、一応セトは一時的にでも身体の大きさを変えられるスキルがあるということを思い出し、納得する。
……狭い通路の中を移動している時、セトのサイズ変更のスキルが時間切れになったらどうなるのか、という思いが脳裏を過ぎったが、それは気にしないことにした。
「セトは、厩舎がありますからそこでゆっくり休んで貰えればと。勿論セトの食べるような料理もきちんと用意してあります」
「へぇ、気が利くな」
「ありがとうございます」
スピール商会の建物の前で深々と一礼するテリー。
建物自体もそれなりに大きく、十分立派な店構えといえる。
そんな店の前に見るからに高価な馬車があり、テリーのような平凡を形にしたような人物が一礼しているのだ。
これで、目立たない訳がない。
そんな自分の様子に気が付いたのか、テリーも慌てて口を開く。
「すいません、すぐに準備させますので」
短くそう言うと、テリーは近くにいた二人の女を呼ぶ。
……その呼ばれた者達は、セトを案内すると言われて嬉しそうな声を上げる。
セトをどう思っているのか、それは二人の女の様子を見れば考えるまでもなく明らかだった。
セトが好かれているというのは、当然レイにとっても嬉しいことであり、笑みを浮かべる。
ドラゴンローブのフードを被っているので、笑っているのは口元しか見えなかったが、それでも……
「ああ、そうしてくれ。……セト、じゃあそっちの二人についていっていくれ。食べすぎるなよ?」
「グルルルゥ」
レイの言葉に、セトは短く喉を鳴らし……何か食べさせて貰えるということが嬉しいのだろう。そのまま二人に案内されるように厩舎に向かう。
嬉しそうなセトが去っていくのを見送ったレイは、改めてテリーに視線を向けて口を開く。
「それで、俺を案内してくれるんだったよな」
「はい。トリス様もお待ちですので。こちらです」
テリーに案内され、レイ達は店の中に入っていく。
この建物は商会の店舗であると同時に事務所でもあるのだろう。店の中では多くの者達がスピール商会の商人達と何らかの交渉をしている姿が見える。
(商品がないのは……まぁ、ここで行われているのは交渉だけで、商品は別の場所にあるとかなんだろうな。以前聞いた話だと、スピール商会は最近ギルムにやって来たとか何とか聞いていたんだが。随分と盛況だな)
話している者達を見ながらレイが考える。
だが、当然ながらそのような真似をすれば交渉していた者達も気が付く。
そして自分達を見ている相手に視線を向ければ、そこにいるのはマリーナやヴィヘラのような美人。
ドラゴンローブのフードを被っているレイは、セトがいない状況であればそれ程目立たない。
勿論全員がレイをレイだと気が付かない訳ではなく、何人かはレイの存在に気が付いたりもしたが。
それでもここで騒いだりしなかったのは、やはりここにいるのが商人としてもそれなりに有能な者達だからだろう。
ここで騒いでスピール商会の面目を潰すような真似をしたりは出来ないし、以前の件からレイが自分に言い寄ってくる商人に対してあまりいい感情を抱いていないと知っている者も多い。
だからこそ、半ば暗黙の了解のようにレイ達に声を掛ける者はいなかった。
そうしてテリーが店の奥にレイ達を通し、通路を進む。
「スピール商会はギルムで本格的に動き出したのはこの春からだって話だったけど、随分と活発に動いているみたいね」
通路を進みながら、マリーナが呟く。
その言葉に、レイとヴィヘラはそれぞれ頷きを返す。
テリーも、自分の働いているスピール商会が褒められるのは嬉しいのか、少しだけ口元に笑みを浮かべていた。
だが、自分達が進んでいる方からやってくる人物を見た瞬間、テリーの口元に浮かんでいた笑みは消え去る。
「うん? ああ、テリーさんか。そっちは……おやおや。レイさん達か。これはまた随分と動きが早いですね」
笑みを浮かべながらそう声を掛けてきたのは、三十代程の男。
体格は若干太めではあったが、それでも動きが鈍いという程ではない。
鯰髭……と呼ぶような髭が特徴的な人物。
笑みを浮かべているが、目が笑っていないというのは、以前レイが会ったトリスと同じような印象を受ける人物だった。
「プレシャスさん。……ここにいるということは、トリス様に何か御用だったのでしょうか?」
「ええ。何のことかは、言わなくても分かるでしょう? このギルムにおけるスピール商会の未来についての話ですよ」
「その件はトリス様に一任されている筈ですが」
「勿論それは知ってますよ。ですが、私もトリスに協力する力があると知ってますので、それを考えればここにいてもおかしくはないでしょう?」
飄々とそう言ってくるプレシャスに対し、テリーは……平凡そのものが形を成したかのような顔に一瞬ではあるが憤怒を浮かべ、ぎりりと奥歯を噛み締める。
向こうが何を狙っているのか、何をしたのか、そして……何の為にここにいるのか。
それを知っているからこその、歯ぎしり。
レイ達は、ただ二人のやり取りを見ていることしか出来ない。
プレシャスという人物とは初対面なのだから、当然だろう。
テリーの様子を見る限りでは色々と因縁があるというのは予想出来たが、だからといってそれに自分が関わってもいいものかどうかを考えてしまったのだ。
プレシャスは自分を睨み付けているテリーの背後にいる、そんなレイ達に気が付いていたのだろう。笑みを浮かべて口を開く。
「おや、初めまして。レイさんに、マリーナさん、ヴィヘラさん、ビューネさんですね。私はスピール商会のプレシャスと申します。このような場所で会うとは奇遇ですね。トリスに何か用事でしょうか?」
「ああ。ちょっと今関わっている問題で何かの情報を持っているという話だったから、それを聞きにな」
「ほほう。……では、一つ忠告を。物事というのは、目に見えるもの、表に出て来たものが必ずしも正しいとは限りません。事実と真実は似ているようで違います」
「……なるほど。それはつまり、トリスの情報が間違っている可能性もあると。そう言いたいのか?」
確認するように尋ねるレイの言葉だったが、プレシャスは相変わらず笑みを浮かべたままで首を横に振る。
「いえいえ。そうとは限りませんとも。その辺りの判断は私ではなくレイさん達がするべきものですから。私が出来るのは、ただ忠告をすることだけ。それをどのように受け止めるかの判断も、そちらでして下さい」
「そうか。忠告はありがたく受け取っておこう。それより、用件がそれだけならもういいか? こっちは色々と忙しい身でな」
「ええ、勿論です。色々と忙しい身なのは承知の上。ご友人が無事なようで何よりです」
「……何?」
ピクリ、と。歩き出そうとしたレイの歩みが止まる。
友人が無事だったという言葉は、明らかにレイに起きた件を……アジモフの襲撃を知っている者の言葉だった。
スレイプニルの靴については何も口にしていなかったのを考えれば、全ての事情を知っているという訳ではないのだろうが。
(いや、知っていてそれを口に出していないだけという可能性もあるか?)
これまでの短いやり取りの間でも、プレシャスの口が上手いというのは理解出来た。
であれば、スレイプニルの靴の件に関しても、知ってはいても黙っているという可能性は否定出来ない。
そんな風に思い、何かを口にしようとするが……それよりも前に、プレシャスはレイ達の前から去っていく。
「……すいません、お騒がせしました。トリス様の下に向かいましょう」
先程見せた激情は既に消え去ったのか、テリーはそれだけを言って再び通路を歩み始める。
そして歩くこと、数分。やがて一つの部屋の前に到着した。
「失礼します、トリス様。レイさん達をお連れしました」
「入って下さい」
中から聞こえたその声に、テリーが扉を開ける。
部屋の中は、執務室だったのだろう。
トリスが座っている机の上には書類が山となっており、この部屋の主が書類に目を通してはサインをし、また次の書類に手を伸ばすといったことを繰り返している。
そしてようやく一段落ついたのだろう。トリスは手にしていた書類を置くと、目が笑っていない笑みを浮かべながら立ち上がる。
「ようこそ、皆さん。今回は色々と大変だったようですね」
「ああ、そうだな。……プレシャスとかいう奴からも同じようなことを言われたよ」
プレシャスという名前が出た瞬間、トリスの表情が一瞬だけ崩れる。
だが、それは本当に一瞬のことだけであり、次の瞬間には再び笑みを浮かべて口を開く。
「そうですか、プレシャスが。ちょうど先程まで彼と話していたところなのですが……彼が何かご迷惑をお掛けしませんでしたか?」
「いや、その辺は問題ない。色々と意味ありげなことを言われたけどな」
「……そうですか」
レイの言葉に、何かを考えるように呟くトリス。
だが、すぐに小さく頭を振るとテリーに向かって口を開く。
「テリー、お茶と軽く……いえ、何か摘まめる料理を持ってきて下さい」
一瞬レイの方を見たのは、普段からレイがどれだけ食べているのかを知っているからこその行動だろう。
トリスの言葉にテリーは一礼すると、執務室から出ていく。
こうして執務室の中には、レイを始めとする紅蓮の翼のメンバーとトリスだけになる。
「取りあえず座って下さい。そちらも色々と聞きたいことがあるでしょうし、それなりに長い話になるでしょうから」
そう言いながらトリスも座っていた執務机から立ち上がり、部屋に置かれているソファの方にやって来る。
レイ達もその言葉には特に異論はないのか、大人しくソファに腰を下ろす。
もっとも、一つのソファに全員が座れる訳ではないので、テーブルを中央にして四方に置いてあるソファに座ったのだが。
トリスの向かいにはレイとマリーナが、そして左右にあるソファにはヴィヘラとビューネがそれぞれ座る。
そして最初に口を開いたのは、当然のようにトリスだった。
「さて、まずは最初に……申し訳ありません」
それぞれがソファにつき、真っ先にトリスが行ったのは、レイに向かって深々と頭を下げることだった。
頭を下げているので、レイからはトリスの顔は見えない。
だが、もしその顔を見ることが出来ていれば、いつもは笑っていても目は笑っていないといった表情を浮かべているトリスが、心底申し訳なさそうにしていることに気が付いただろう。
そのまま誰もが無言のままに時間は流れていく。
執務室の外や窓の外から聞こえてくるざわめきのみが、この場における唯一の音だった。
そんな沈黙の中……やがて、レイが口を開く。
「頭を上げてくれ。そもそも、何について謝られているのかが分からないと、こっちもどうしようもない。今回の件に関係するのは間違いないんだろうが、もっと正確にその辺りを聞かせてくれ」
レイの言葉に、トリスは顔を上げる。
「実は今回のレイさん達が巻き込まれた件……スピール商会の権力争いが関わっています」
そう、告げたのだった。
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