第1315話

 突然話し掛けてきた相手は、マリーナに聞かされていた通り平凡という言葉をそのまま形にしたような相手だった。

 レイよりは高い身長を持つが、かといって驚くべき高さではない身長。

 体重も痩せぎすではないが、かといって太っている訳でもない。

 その平均的な体つきにしても、見て分かる程に筋肉が付いている訳でもないが、頼りにならなさそうという訳でもない。

 服装も春らしさはあるものの、その辺を見れば幾らでもいるような服装。

 顔付きも、見るに堪えない程に醜い訳ではないが、逆に目を奪われる程に整っている訳でもない。

 茶髪で短く切り揃えられた髪も、大通りを少し見回せば幾らでも同じような者がいるだろう。

 これ以上ない程に平凡な相手であり、寧ろその平凡さが男の特徴となっていると言って間違いではないだろう。


「へぇ……」


 話し掛けてきた相手を見て、感心したような声を漏らしたのはヴィヘラだ。

 レイとアゾット商会をぶつけようとした策謀がなされている以上、当然のように周囲の警戒は続けていた。

 そんな中で、目の前の男は大分近付いてくるまでその気配を察することが出来なかったのだ。

 勿論自分の間合いに近付いてきた時にはその気配を察することは出来ていたが、逆に言えばそこまで気配を察することは出来なかったということになる。


「あら、随分と出てくるのが早かったのね。てっきり、もう少し遅くなると思ってたんだけど」


 話し掛けてきた男に対し、マリーナは笑みと共にそう告げる。

 最初の接触の経験から、恐らく自分達が動き出せば出てくるというのは予想していたのだが、それでもこうも早く姿を現すとは思っていなかったのだ。


「私をお捜しだとお聞きしまして」

「聞いた、ね。誰から聞いたのかがちょっと気になるけど……それを聞いても、答えてくれないのよね?」

「はい、残念ですが」


 その言葉は予想してただけに、マリーナも特にがっかりしたりはしない。

 

「そう。じゃあ、今回の件について詳しく聞かせて貰える? 勿論話せる情報だけでいいから」

「そうですね。その辺りを話したいところなのですが、私の主が皆さんにお会いしたいと仰っています。もしよろしければ、ご同道願えませんか? 勿論、私よりも主の方が今回の件については詳しく知っていますから」

「……主?」


 まさか、ここであっさりとその名前が出てくるとは思わなかったのか、マリーナがそう問い返す。

 レイ達もそれは同様で、目の前の特徴がない相手をじっと見つめる。

 そんな風に視線を向けられるのは予想していなかったのか、レイ達の目の前にいる男は少し戸惑ったように頷く。


「はい。主は是非とも皆さんとお会いしたいと」

「……どうするの?」


 マリーナが視線を向けてそう尋ねてくるが、レイとしては相手の言葉に頷かない訳にはいかない。

 現状では手掛かりらしい手掛かりがない以上、ここで向こうの提案を断るという訳にはいかなかった。


「行くしかないだろ。今回のようなふざけた件を企んでくれた奴には、相応の礼をする必要があるしな」

「私もレイの意見には賛成ね。今回の件は色々とこっちを馬鹿にしてるし」


 レイの言葉にヴィヘラも同意するように頷く。

 セトの背に乗っていたビューネは、どちらでもいいのか特に言葉を発する様子はない。


「って訳で、案内して貰おうか」

「はい、では馬車を用意してありますので。こちらです」


 男はレイ達を案内するように路地裏から出ていく。

 そんなレイ達の姿を、路地裏にいる者達の何人もの視線が追い掛けていた。

 視線を向けられているのには気が付いているレイだったが、今は特に気にした様子もなく前を進む相手に声を掛ける。


「それで、あんたの名前は? こっちの名前は知ってるみたいだし、出来れば名前を聞きたいんだけど?」

「私がレイさん達とお目に掛かる機会はあまりないでしょうが……テリーといいます」

「……テリー、ね。うん、分かった。じゃあ案内をよろしく頼むテリー」

「はい」


 外見だけではなく、名前の方も有り触れた……そう珍しくはない名前なのだと知り、随分徹底しているんだなという思いを抱くレイだったが、本人はそんなレイの様子を全く気にした様子もないままに道を進む。

 そんなレイの後ろを進みながら、マリーナは改めてテリーと名乗った人物の後ろ姿に視線を向ける。


(今回の件をレイと縁を繋ぐ為に使った……という点はあるかしら? それならそれでいいけど)


 貴族街を出る時に、何人もの者達がレイ……いや、紅蓮の翼との繋がりを作ろうとして接触してきた。

 それらは全て断ってきたレイ達だったが、今回の件で情報を提供することにより繋がりを持つ……というのであれば、話は別だった。

 今回の件でそれを狙ったのだとすれば、テリーの主というのはかなり情報に精通しているということになる。

 それどころか、今回の件が起きてから情報を得るまでの流れが非常に早かったのだとすれば、相当の情報収集能力を持つということを意味している。


(けど、やっぱり今回の件はレイにちょっかいを出して来た相手と何らかの関係があると考えるのが当然でしょうね)


 色々とおもうところはあれど、現在の状況を考えればテリーの主は今回の件に関わっているのは確実と言えた。

 もしかしたら、それに加えてレイと縁を結びたいとそう思っているのかもしれないが……

 ともあれ、裏路地から出るとそこには既に馬車が待っていた。

 傍から見ても金が掛かっており、立派だと思える馬車。

 更には、その馬車を牽く馬はセトを見ても驚いた様子はない。

 余程訓練された馬だというのは明白だった。

 当然ながら、厳しい訓練をされた馬というのは非常に高価な代物だ。

 レイの場合は今までにエレーナを始めとした何人かの貴族の馬車に乗った経験があり、そのような馬車を牽く馬は、今レイの目の前にいるような厳しく訓練された馬だった。


「へぇ」


 馬を見て、納得したように呟いたのはヴィヘラ。

 このような馬を用意出来るような相手なのだから、テリーの主というのは余程の人物だと、そう思ったのだろう。


「乗って下さい。レイさんがこの馬車に乗っているというのは、出来れば隠したかったんですが……それは無理そうですね」


 テリーがセトを見ながら小さく笑う。

 セトがいるということは、基本的にそこにはレイがいるというのと同じことだというのは、ギルムに住んでいる者であれば大抵知っている。

 時々別行動をすることもあるので、絶対とは言えないのだが。


「もしどうしても別行動をしたいのなら、セトは誰か他の奴に預けて行ってもいいけど?」

「いえ、その辺りはもう心配しても無駄だと思いますし、主もその辺は気にする必要がないと言ってましたから」

「グルルゥ?」


 レイとテリーの会話に、セトは首を傾げる。

 ……何故か、セトの背中に乗っていたビューネも首を傾げていた。

 そんな様子を見ていたヴィヘラは、黙ってビューネの頭を撫でる。


「仲がいいようですね」

「そうだな、その辺は否定しない。こっちも色々とあるし」


 そう短く言葉を交わし、レイ達は馬車に乗り込む。

 ビューネも渋々セトの背から降りると、馬車に乗り込んだ。

 そしてテリーは御者台に座ると、馬車を出発させる。

 馬車の後を短く喉を鳴らしたセトがついていくが、当然そんな真似をすれば非常に目立ってしまう。

 馬車そのものもかなり高品質なのだから、目立つのは当然だろう。


「おい、あの馬車……セトがいるってことは、やっぱりレイが乗ってるのか?」

「うわぁ……俺も一度でいいから、あんな馬車に乗ってみたいな」

「馬鹿だな。俺達みたいな庶民がああいう馬車に乗ってみろ。そうすれば、馬車の中にある物とかに傷を付けてしまわないかとか、そんな風に心配してろくに休めないぜ? ああいうのはきちんと乗り慣れてる奴が乗る物なんだよ」


 友人のその言葉に、男は納得してしまう。

 実際、一度でいいからあのような馬車に乗ってみたいと口にした男だったが、もし本当に自分があのような馬車に乗るようなことにでもなれば、間違いなく緊張して楽しめる要素がないのは確実だった為だ。

 そんな二人の他にも、その馬車に注目している者は多い。

 馬車その物も立派だというのがあるが、それ以上にやはり馬車と一緒に移動しているセトの姿が人目を引く最大の原因だろう。


「……何か思いっきり注目されている気がする」

「今更でしょ」


 馬車の中でレイが呟くと、どこか呆れたようにヴィヘラが呟く。

 それに何かを言い返そうかと思ったレイだったが、実際その言葉は間違っていないのだから、言い返せる筈もない。


「それにしても、腹が減ったな。……何か食うか?」


 話を誤魔化そうとしているのか、レイはミスティリングからサンドイッチを幾つか取り出しながら、他の三人に尋ねる。

 真っ先にレイからサンドイッチを貰ったのは、当然ながらビューネ。

 嬉しそうに煮込まれたオーク肉の煮込みと野菜がたっぷりと入っているサンドイッチに齧りつく。

 冬の間は野菜も高値になってしまっていたが、今はもう春だ。

 まだ完全に値段が落ち着いた訳ではないが、それでも冬の時に比べれば大分値段は納まってきている。

 そして何より、春になれば山菜の類も多く生えるので、春限定のサンドイッチを味わうことも出来た。


「このほろ苦い感じがいいわね。オーク肉のしっかりとした濃い肉の味に負けないで自己主張しているわ」


 ヴィヘラもレイから受け取ったサンドイッチを食べながら、そう感想を口にする。

 フキノトウ、またはレイの住んでいた場所では『ばっけ』とも呼ばれる山菜に近い味だ。

 だが、当然そのフキノトウはレイが知っているものとは違い、赤い色をしている。

 刻まれているので具体的にどんな形の山菜なのかは分からないが、少なくても色はレイの知っているものとは違った。

 豪華な馬車の中だというのに、レイ達は全くそれを気にした様子はない。

 普通であれば、そんなサンドイッチを食べて馬車を汚したら……と考えてもいいのだが、ヴィヘラは元皇女という出身故に、マリーナも名の知れたギルドマスターとしてこの手の馬車には乗り慣れていた。

 ビューネはレイに渡されたサンドイッチの美味さに集中してそちらを食べており、馬車を気にした様子はない。

 そしてレイも、エレーナの馬車を知っていれば多少豪華であってもこの程度の馬車に驚く様子はなかった。

 そうして少しの間、空腹を満たす時間が続く。

 レイが取りだしたサンドイッチは、優に十人前はあったのだが……それでもこの場にいる者の腹を完全に満たすには及ばない。

 そもそもの話、レイやビューネは通常よりも多く食べるし、マリーナやヴィヘラも冒険者だけあって普通よりも食べる量は多い。

 レイやビューネが桁外れに食べるからこそ、他の二人はそこまで食べると認識されていないにすぎないのだから。

 そうしてサンドイッチを食べ終わると、次にレイは果実水を取り出す。

 本来なら流水の短剣の水を飲みたいところなのだが、馬車の中でそのような真似をするのは止めておいた方がいいと判断した為だろう。

 それでも果実水は口の中をさっぱりとさせ……空腹も多少は落ち着いたところで、これからの話に移る。


「どう思う?」

「そう、ね。……普通に考えれば、こっちの味方なんでしょうけど……完全に信頼は出来ないわね」

「だろうな」

「ん」


 ヴィヘラ、マリーナ、レイ、ビューネがそれぞれ呟く。

 これだけの手回しのいい相手だ。間違いなく何か今回の件に絡んでいるのは確実だろうし、そのような相手を完全に信頼出来る訳がない。

 それは、レイ達にとって共通の思いだった。

 普段であれば、このようにあからさまに怪しい相手についていったりはしない。

 だが……今はとにかく情報がないのだ。

 だからこそ、少し……いや、大分怪しいと思っていても、そのテリーの主に接触する必要があった。


「相手がどういう奴であっても、多かれ少なかれ何らかの情報は手に入るだろう。その上で向こうがこっちと手を組むのであれば、それは構わない。ただ……黙って利用されるようなことになるのは、面白くないな」

「レイをいいように使おうとするような無謀な人は、そう多くないと思うけど」

「私もヴィヘラの意見に賛成よ。良かれ悪かれ、レイはこのギルムでも有名人で、レイがどんな性格をしているのかは少し調べれば分かるわ。そんな相手が、レイを利用しようとすると思う?」


 マリーナがそう告げると同時に馬車が停まる。

 そして少しするとテリーが馬車の扉を上げ、レイ達は馬車から降り……目の前にある建物に、スピール商会と書かれている看板が掛かっているのを目にするのだった。

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