第1314話

 ガラハトの屋敷を出たレイ達だったが、当然のようにそのまま貴族街を出る……という訳にはいかなかった。

 事情を知りたい者達が、是非とも自分達の雇い主、または主人の家に寄って欲しいと、そう告げてきたのだ。

 もっとも、実際には事情を知りたいというのもあるが、それよりレイ達と知り合いになっておきたいという思いの方が強い。

 それを断り、もしくはレイ達と一緒に出て来た警備兵が事情を説明しているのを尻目に、レイ達は貴族街を進む。


「前までは、こんなに人が寄ってくることはなかったんだけどな」


 勿論、今までにもレイと顔見知りになっておきたいと思う者はいた。

 ランクB冒険者にして異名持ち、それでいながらグリフォンのセトを従魔にしているのだから、それは当然だろう。

 だが、レイの性格を考えれば、そこまで無理に言い寄ってくる者はいなかった。

 いや、当初はいたが、レイの性格が広まるにつれて減っていったというのが正しいだろう。

 なのに何故? と。

 そう思っているレイに、マリーナが笑みを浮かべて口を開く。


「元々私達がパーティを組むという情報はそれなりに知られていたでしょう? そして今回の件で少しでも情報を集めようとして街に人を放てば……当然今日ギルドで私達がパーティを組んだことを知ることが出来るわ」

「あー……なるほど。貴族を始めとして力を持ってるからこそ、情報収集はしっかりとやってる訳だ」


 レイが納得したようにそう呟くが、だからと言って素直に受け入れられるかと言えば答えは否だろう。


「少しでも私達の……紅蓮の翼の情報が欲しいんでしょうね。けど、あまり簡単に私達の情報を売るのも、安く見られるから注意が必要よ?」

「……でしょうね。特にビューネは、食べ物をくれるからって簡単についていかないようにしなさいよ?」

「ん!」


 ヴィヘラの言葉に、ビューネは少しだけ不満そうに返事をする。

 食べ物をくれる見知らぬ人についていかないようにというのは、それこそ子供にする注意だ。

 もっとも、子供という意味ではビューネはまだ十分に子供なのだが。

 食べ物以外のことであれば、ヴィヘラもビューネにそんな注意はしない。

 だが、ビューネは小さい頃……今よりも更に小さく、それこそヴィヘラと会うよりも前には、ろくに食事も出来ない時期があった。

 その辺りが今のビューネの小柄さに現れているのだろうが、そんな理由もあってか、ビューネは食べ物に対する執着は強い。

 ……その小さな身体のどこにそんなに入るのかと、そう思うような量をいつも食べている。

 だからこそ、食べ物に釣られないようにとヴィヘラはビューネに注意したのだろうが……


「もしビューネを餌付けしても、意思疎通が難しくないか?」


 基本的に『ん』という言葉しか口にしないビューネだけに、もし何か情報を聞き出そうとしても一苦労するのは間違いない。

 もしビューネの意見をスムーズに聞き取るのであれば、それこそヴィヘラも一緒に連れて行く必要があるだろう。

 そしてヴィヘラがそのような相手についていくのかと言われれば……まず、考えなくてもいい筈だった。


「そうね。……ほら、また来たわよ」


 道を歩いていたレイ達だったが、マリーナの言葉で視線の先に執事と思しき人物がいるのを目にする。

 執事も、レイに視線を向けられたということに気が付いたのだろう。レイ達に近付いてきて、深々と一礼した。


「失礼します。紅蓮の翼の皆様だと思いますが、我が主が少し話をしたいと言っています。よろしければ、少し時間を貰えないでしょうか?」


 どうする? と視線を向けてくるマリーナに、レイは首を横に振る。

 それを確認すると、マリーナは小さく頷き口を開く。


「残念だけど、こちらも今は忙しいの。悪いけど、その招待には応じられないわ。貴方の主がどのような人かは分からないけど、ごめんなさいね」


 きっぱりと断るマリーナ。

 その言葉に、もしかしたらもう少し粘るか? と思ったレイだったが、執事はそれ以上は何も言うことなく、再度一礼するとそのまま去っていく。


「へぇ……もう少し何か言ってくると思ったんだけどな。自分の主人は誰々なのですが、とか」

「今更、レイを相手にそんな真似をする人がそうそういるとは思えないけどね。それに、私もいるし」


 ギルドマスターを辞めたとはいえ、マリーナはまだギルムの中で高い影響力を持っている。

 また、領主のダスカーとも個人的な知り合いということもあり、その人脈はその辺の貴族よりも圧倒的に上だ。

 そんな相手に不作法な真似をして、マリーナを敵に回したいと思う者は少ないだろう。

 ……もっとも、どちらかと言えば貴族が相手でも敵対した相手には一切容赦をしないレイと揉めたくないという思いの方が強いのだろうが。

 ましてや、ヴィヘラも戦いを好むだけにトラブルは大歓迎でもある。

 なまじビューネ以外の全員が高い戦闘能力を持っているので、下手に敵対をした場合文字通りの意味で消滅してしまう可能性すらあった。


「ま、それよりも問題はだ。どうやってマリーナが遭遇した相手を見つけるかだな。相手の顔も分からないとなると、少し見つけるのは大変だぞ」

「そうでしょうね。しかも顔が平凡だっただけに、今の時点でもかなり印象が薄くなっているわ」

「それって、もしかしてその相手に会っても、マリーナが気が付かないんじゃない?」

「……否定はしないわ。けど、他に何も手掛かりがないのは事実でしょ?」

「うーん……警備隊の詰め所にいるアジモフに話を聞いてみるとかは駄目なのか?」


 一縷の望みと共にレイがそうマリーナに尋ねるが、分かってるでしょ? と言わんばかりにマリーナは首を横に振る。


「アジモフが実際に相手の顔を見たかどうかが、まず怪しいでしょうね。……そもそも、誰かを襲おうとする相手が、顔を隠しもしてないというのは、有り得ると思う?」


 そう言われれば、レイも首を横に振らざるを得ない。

 そもそもの話、今回の件はアゾット商会とレイをぶつけようとして仕組まれたものだ。

 そうである以上、今回の件を起こした相手が自分の正体の手掛かりを残すとは思えなかった。

 勿論アジモフを殺す予定だったのかもしれないが、それでも相手を襲撃するのに顔も隠さない呑気な相手という可能性は少ないだろう。


「じゃあ、やっぱりマリーナの言ってた通りに地道に探すしかないか」


 これからの面倒を思い、レイは空を見上げる。

 そこでは、まるでレイの悩みなど大したことはないと言いたげに、太陽が輝いていた。

 春の暖かな日射しは、昼寝をするのには最適かもしれない。

 だが、これから徒労になるだろう作業をするのだと分かっていると、どうしても面倒臭く思ってしまう。

 ああ、どこかの日陰で昼寝でもしたい……と。

 そんな風に思ってしまうのは、やはりこれからの作業を思ってのことだろう。


「ああ、でも……もしかしたら、そんなに面倒なことにならないかもしれないわよ?」


 ふと、マリーナがそう呟く。

 何か確信があるかのような、そんな言葉。


「どういう意味かしら?」


 レイが口を開くよりも前に、ヴィヘラがそう尋ねる。

 地道に聞き込みをするというのは、当然のようにヴィヘラの趣味ではない。

 それだけに、もしかしたらそんな面倒をしなくてもいいというマリーナの言葉に希望を抱いたのだろう。

 いや、それはヴィヘラだけではない。

 寧ろ、人と話すのが苦手なビューネの方がより強くマリーナに視線を向けていた。


「簡単に言えば、わざわざ今回の件がレイとアゾット商会をぶつけようと考えた相手が仕組んだと、そう私に教えてきた相手よ? 当然接触は一度だけで終わるとは思えないわ」

「つまり、待っていれば向こうからまた接触してくると?」


 レイの問い掛けに、マリーナは頷く。


「多分、だけどね」

「なら、俺達が探す必要ってあるのか? それこそ、街中でゆっくり日向ぼっこでもしながら待ってればいいんじゃないのか?」

「……ゆっくりしているのを見れば、向こうも気を使って顔を出したりはしないんじゃないかしら?」


 考えながら告げるマリーナの言葉に、レイはそうか? と首を傾げる。

 マリーナに情報を教えた相手は、当然レイ達とは敵対したくないからそのような真似をしたのだろう。

 であれば、レイ達が自分を探していると分かれば接触してくるのではないか。

 そう口にするレイに対し、マリーナは首を横に振る。


「レイが思ってる通りならそうでしょうね。けど、私達と今回の件を起こした相手を確実にぶつけたいと思っている相手なら? もう既に情報は与えてあるんだから、今から更に情報を……なんてことはないと思うんだけど」

「やっぱり探さなきゃいけないのか。……面倒だな」

「そうね。出来れば、手っ取り早く今回の件を企んだ相手が出て来てくれればいいんだけど」


 敵と戦うのであれば、ヴィヘラも文句はないのだろうが……人を、それも顔すら覚えていない平凡と呼ぶような相手を探すというのは、面倒なこと以外のなにものでもない。

 また、ヴィヘラ本人はアジモフと顔見知りではあるが、レイのように親しくもなかった。


「お疲れ様です」


 面倒臭そうなヴィヘラだったが、貴族街を出る時にそう声を掛けられると軽く手を振り返すだけの愛想はある。

 声を掛けた相手も、普段であればそんな真似はしない。

 だが、貴族街に突入したという相手がレイであるというのは既に知れ渡っているし、何故レイがそんな真似をしたのかという情報はまだ広まっていないが、それでも今のレイと敵対しようと思う者はいない。

 そもそもの話、レイがこうして無事に貴族街を出るということは、今回の件でレイに対する咎はなにもないのだろうと、そう思うのに十分だった。

 もっとも、レイを討伐しようとしてもそれが出来る者がどれだけいるのかという話になるのだが。

 ましてや、今はレイ以外にもセトやマリーナ、ヴィヘラといった極めて戦闘力の高い面々が揃っている。

 一行の中で最も戦闘力の低いビューネも、長針を使った牽制という一点では侮れる相手ではない。

 また、銀獅子の素材を用いて作った短剣、白雲がある。

 短剣と言いつつも、その刃の長さは普通の短剣よりも長い。

 その白雲の一撃は、並の相手であれば……いや、多少格上の相手であっても容易に斬り裂くことが出来るだろう。

 つまり、ビューネもこの中では力は劣るが、決して軽く見ていい相手ではない。

 そのような人物達が前を通るのだから、普通の冒険者としては短く挨拶をするしか出来ない。

 レイ達もそれを分かっているのか、挨拶をしてきた冒険者には軽く頷くだけで、それ以上は何もしないまま貴族街を出ていく。


「さて、まずは……やっぱり大通りに向かうか?」

「どうかしら。向こうが接触してくるのなら、当然自分達の姿はあまり他の人達に見られたくない筈よ。……まぁ、見てもすぐに記憶から消えてしまうけど」

「だとすると、どこか人の少ない場所……路地裏とかそっちの方か?」

「でしょうね」


 レイの言葉にマリーナが頷き、一行はそのまま大通りではなく路地裏へと向かう。

 ビューネはセトの背に乗り、相変わらず無表情に周囲を見回していた。

 マリーナとヴィヘラは周囲の様子を眺めつつ、路地裏を歩く。

 ……普段であれば、何も知らない者が路地裏を歩いていると色々な相手に絡まれたりする。

 特にマリーナやヴィヘラのような、極上の美人と呼ぶのに相応しい相手がいるのであれば、多くの者が絡むだろう。

 だが、今この場でそのような真似をするような命知らずはいない。

 ギルムで暮らす者として、当然レイの存在は知っているからだ。

 多くの冒険者……それも腕利きの冒険者が集まるギルムだけに、ならず者と呼ばれる者達であっても誰彼構わず襲いかかる訳にはいかない。

 下手に絡んだ相手が自分達には手も足も出ないような人物であれば、それは自身の破滅を意味しているのだから。

 だからこそ、そのような者達は相手の実力を見抜く目はその辺の冒険者よりも上だし、何よりここに集まっている面々は色々な意味で有名人が多く、相手の力量を調べるまでもない。


「すまない、ちょっといいか?」

「はっ、はい!? 何でしょう?」


 一見すると柄の悪そうな相手だったが、話し掛けてきたのがレイであればいつものような対応をする訳にもいかない。

 若干怯えている様子を見せるのがレイにとって不本意だったが、それでも今は情報を集める方が先だと判断して口を開く。


「この辺りで、平凡な顔付きで目立たない相手というのを知らないか?」

「は? いえ……残念ながら……」


 そう答える男だったが……


「私をお捜しでしょうか?」


 ふと、そんな声が路地裏に響き渡るのだった。

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