第1318話

「……は? えっと、何故そうなるのでしょう?」


 トリスは数秒の沈黙の後、目の前で自分を見ているレイにそう尋ねる。

 レイの雰囲気に呑まれながら、それでも尋ねることが出来たのはトリスの商人としての意地だろう。

 だが、改めて尋ねてもレイがトリスに向けている視線は変わらない。

 目力……という言葉があるが、今トリスが味わっているのは物理的な圧力にすら思える程の、そんな視線だ。

 トリスもスピール商会ではその有能さで知られている人物だ。

 それでも、今のレイを目の前にしては迂闊に動くことが出来ない。

 ……いや、それでもこうして口を開くことが出来ているのだから、その時点で褒められてもいいだろう。

 そんなトリスを前に、レイは改めて数秒前と同じことを尋ねる。


「スピール商会は俺と敵対する。そういう認識でいいんだな?」

「私にそんなつもりはありません!」


 レイの口から出た言葉は、二度聞いてもやはりトリスにとっては驚愕すべきものだったのだろう。

 それでも慌てたように、自分はレイと敵対するつもりはないと首を横に振って叫ぶ。

 その際に頬と顎の肉が揺れ、どこかコミカルな様子を見せていたのだが……生憎と、今この場にいる人物でそれを楽しむことが出来る者はいない。


「けど、俺に手を出して来た相手を自分でどうにかするつもりなんだろう? 俺に手を出させないようにして。……なら、俺とお前の意見は決定的に合わないということにならないか?」

「レイ、それだと敵対という言葉は相応しくないんじゃない? どちらかと言えば、競争相手と表現した方が正しいと思うんだけど」


 レイを落ち着かせるように、マリーナがそう告げる。

 そんなマリーナの言葉に、トリスは表情には出さないものの安堵した。

 レイと敵対するということは、ギルムに限って言えば色々な意味で不味い。

 まず、レイと敵対するということは、レイの従魔のセトとも敵対することになる。

 そうなれば、ギルムのマスコットキャラ的な存在のセトだ。当然のようにセトを可愛がっている者達はスピール商会に対しても好印象を抱く者は少ないだろう。

 それ以外にも、何よりレイと敵対するという時点でスピール商会に大きな損害があるのは間違いない。

 それこそレイが暴れた時に止めることが出来る者がどれだけいるのか。


「競争相手……か。そうだな、そっちの方が正しいのかもしれないな。ただ、こっちの行動の邪魔をした場合、スピール商会も敵と見なすことになるけど、それでもいいのか?」


 マリーナに言われて少し考えを改めたレイだったが、それでも正面から敵対するというのが若干ではあるが好転したにすぎない。

 ……その若干の好転がスピール商会にとっては命綱になる可能性は高いのだが、それでもトリスは出来るのならレイには今回の件を静観して欲しかった。

 何とか出来ないかと、そう考え……やがて、トリスはレイの趣味を思い出す。

 そう、マジックアイテムを集めるというレイの趣味を。

 一縷の望みに掛けて、トリスは口を開く。


「レイさんが今回の件で怒っているというのは知っています。ですが、そこを何とかお願い出来ませんか? 勿論今回迷惑を掛けた分の謝罪はさせて貰います。何でも、レイさんはマジックアイテムを集めるのが趣味だとか。スピール商会はマジックアイテムも取り扱っておりますので」

「論外だな」


 レイは一瞬の躊躇もなく言葉を返す。

 確かに自分はマジックアイテムを集めるという趣味を持っている。

 それは事実だ。

 だが……それでも、今回の件で自分をマジックアイテムで買収できると考えられているのであれば、それは不満であり、不快ですらあった。


「あまり俺を安く見るな。……このスピール商会そのものを焼き滅ぼしたくなるじゃないか」


 レイはドラゴンローブのフードを下ろし、笑みを浮かべながら告げる。

 その笑みは、それこそトリスが普段浮かべているような口元には笑みがあっても目は笑っていないという、そんな笑み。


「ただ……そうだな。アイテムボックス辺りを俺に譲渡するのなら、考えてもいいけどな。勿論劣化型の方じゃなく、本物のアイテムボックスだが」


 アイテムボックスというのは、現存する数が非常に少ない。

 それこそ、今までレイが何度アイテムボックスを狙われてきたのかを思えば、容易に想像出来るだろう。

 エレーナも持っている劣化型の方は、その大本となったアイテムボックスに比べると随分性能は低くなっている。

 限界はあるのかもしれないが、レイの認識では殆ど無制限に物を収納出来るアイテムボックスに比べて、劣化型の方は収納出来る量はそれ程多くはない。

 それでも一部屋分くらいの荷物は収納出来るのだから、馬車と比べても圧倒的に輸送には便利なのだが。

 他にもアイテムボックスは中に入れておいた物の時間が経過しないという能力もある。

 レイが出来たての料理をどこででも食べることが出来るのは、この効果のおかげだ。

 それに対して、劣化型の方は収納してある物の時間は普通に経過する。

 性能的にはまさに天と地程の差があるにも関わらず、劣化型のアイテムボックスは非常に稀少で、白金貨どころか光金貨で取引されることも珍しくはない。

 劣化型でもそれだけの価値があるのだから、本物のアイテムボックスがどれだけの価値を持っているのかは言うまでもないだろう。

 そもそも、劣化型とは違い今の技術では作ることが出来ないのだ。

 現存する数が決まっており、知られているだけで数個しか存在しない。

 もしかしたら誰か人に知られないように持っている者もいるかもしれないが、もしそうだとしても見つけるのは難しいだろう。

 少なくても、スピール商会に入手出来る代物ではない。

 スピール商会はそれなりに大きな商会ではあるが、それはあくまでもある程度でしかない。

 エルジィン中を見回せば……いや、ミレアーナ王国だけに限定しても、スピール商会よりも規模の大きな商会は他に幾らでもある。

 スピール商会はいいところ中の上……もしくは中の中程度の商会にすぎないのだから。

 とてもではないが、アイテムボックスを入手しろというのは不可能だった。


「それは……商人としてこのようなことをいうのは情けないのですが、それは無理です」

「なら、諦めるんだな」

「ですが!」


 レイの言葉を遮るようにして、トリスは叫ぶ。

 トリスにとっても、この場では決して退くことは出来ないのだ。

 スピール商会の権力闘争で、自分以外の者がこの件を解決してしまえば、トリスは侮られることになる。

 商人として、それは絶対に許されることではない。

 もしここで周囲に侮られるような真似をすれば、それはスピール商会の看板に泥を塗るということになるのだから。

 支店を任されている者として、そのような真似は決して出来ない。

 商人の間で流れる情報は早く、今回の件が公になるのも時間の問題だろう。

 特にギルムでも大きな影響力を持っているアゾット商会は、完全にスピール商会の内紛に巻き込まれた形だ。

 そんなアゾット商会が、今回の件を隠すような真似をする可能性は低い。

 大義名分を明らかにした上で、何らかの行動を起こす筈だった。


「何とか……何とかお願い出来ませんか。この通りです」


 深々と頭を下げるトリスを眺め、レイは少し考える。

 自分の中では、プレシャスに今回の件の責任を取らせるのは確定事項だった。

 だが、トリスの様子から向こうの意見を多少は聞いてもいいのではないかという思いもある。

 スピール商会とトリス本人には何の恨みも……そして、思い入れもない。


「どう思う?」

「そうね。レイもトリスも、両方が諦めるつもりはない。なら、お互いが自分の思う通り動けばいいんじゃない? そして最終的にプレシャスに辿り着いた方が好きにするということで。ただ、その場合は何かの決定的な証拠の類が必要になるわね」


 レイのことだから、ここできちんと明言しておかなければ、それこそこのまま真っ直ぐにプレシャスに向かいかねない。

 そう思ったマリーナの言葉に、当然ながらレイは嫌そうな顔をするも……異議は口にせず、頷く。

 もし何の証拠もなしにプレシャスを襲うような真似をすれば、それこそ自分が警備兵に追われる立場になりかねないからだ。

 勿論何かあったら、それこそレイはギルムを出ていっても構わないと思っている。

 だがそれでも、ギルムが居心地のいい場所なのは事実であり、出ていくような何かがなければ、出来るだけそんな真似はしたくない。

 トリスもそんなレイの姿を見て安堵の息を吐く。

 純粋な強さという意味では、それこそトリスはレイに到底及ばない。

 それこそ一人で一軍に匹敵する戦力と呼ばれているレイなのだから、それは当然だろう。

 だが、証拠を集めるのが最優先となれば、情報に詳しい商人の自分に有利だと、そう考えたのだ。


「二人共、何か異論は?」

「ない」

「そうですな、ありません」


 レイは不承不承……そしてトリスは笑みを浮かべながら、マリーナの言葉にそう返す。

 それを見たマリーナは、改めて頷く。


「なら、お互いにプレシャスを追い詰める為の証拠を集めるところから始めましょうか。……ああ、それと一応念の為。もしかしたら……本当にもしかしたらだけど、今回の犯人がプレシャスじゃない可能性もあるから、決めつけるような真似はしないようにね」


 マリーナがそう言ったのは、廊下で遭遇したプレシャスが色々と意味ありげなことを口にしていた為だ。

 自分達を戸惑わせ、混乱させる為にそう口にしたのだろうというのは予想出来たが、それでも万が一、億が一という可能性がある。

 ギルドマスターとしての経験があるマリーナは、トリスも完全には信用出来ないと判断していた。

 ましてや、冬の間にスピール商会が色々と強引な……それでいて法に触れないような行動をとっていたというのは、しっかりと耳に入っていた為だ。


「ほう。それは私の情報が信用出来ないと、そう言いたいのでしょうか?」

「別にそこまでは言ってないわ。けど、本当に万が一という可能性はあるでしょ? 念の為よ」


 実際には、トリスから聞いた情報だけで全てを判断するのは危険だと、ギルドマスターの経験からの言葉だ。

 もしかしたらトリスがレイの力を利用してプレシャスを嵌めようとしているのではないか。

 そんな可能性もあるのだから。


「……分かりました。では、そのように」


 トリスもマリーナが何を考えているのかは理解出来たのだろう。

 不承不承ではあったが、マリーナの言葉に対して否とは言わずに受け入れる。


「そう、分かって貰えたようでなによりだわ。では、話はこの辺で終わりにしましょうか。それとも、まだ何か相談しておきたいことはある?」

「本来ならレイさんと色々と商談をしたいところなのですが、現状だとそんな訳にはいきませんね」


 スピール商会の支店を任されている者としては、それこそ幾らでもレイと取引をしたいことがあった。

 腕利きの冒険者として有名なレイは、普通の冒険者であれば採取が難しい植物……または強力な高ランクモンスターを倒して素材や魔石を入手出来るのだ。

 更にはセトに乗って移動が可能なこととミスティリングを持っていることにより、大量の荷物を馬車で運ぶのとは比べものにならない速度で運ぶことも出来る。

 まさに、普通であれば是非とも商売についての話をしたいところなのだが……現在の状況でそのようなことが出来る筈もない。

 心の底から残念そうに呟くトリスに、レイもまた頷きを返す。


「そうだな。残念だけど今回の件が解決しない限り、俺がスピール商会に手を貸すことはないだろうな。それに……いや、これ以上は止めておくか」


 途中で言葉を止めるレイだったが、トリスはレイが何を言おうとしているのか理解出来た。

 レイが個人的に親しくしていた商会が、スピール商会によって大きな損害を受けた件だろう、と。

 ギルムに食い込み、一定のシェアを得る為にはどうしても必要な行為だったのだが、それが今は自分達に対して跳ね返ってきている。


(別の手段を取るべきでしたか。しかし、レイさんと付き合いがあるというのは分からなかった訳ですし……今更ですね)


 その商会との付き合いも、何か重要な契約を結んでいるからといった付き合いではない。

 ゴブリンの肉を美味く食べる為の研究という、傍から見れば無謀な研究にしか思えないものだ。

 だからこそ、そんな趣味についてレイと繋がりがあるとは分からず……その結果として、現在のややこしい状況の一因となってしまっている。

 少しだけ後悔しながら……それでもトリスは、とにかく現状を何とか好転させるべく考えを巡らせるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る