第1310話
警備隊の詰め所で今回の件の説明を一通り終えると、すぐに数人の警備兵がセラリスの療養所へ向かった。
今回の件の被害者、アジモフを連れてくる為だ。
もし本当に怪我をした状態なのであれば、動かすことも出来なかっただろう。
だが、幸いにも今のアジモフはレイの持っていたポーションで傷が回復し、少なくても命の危機というような状態ではなくなっていた。
そう聞いたからこそ、警備兵は念の為にアジモフを引き取りに行ったのだ。
「それで、マリーナさん。レイはどこに行ったのか分かりませんか?」
マリーナの説明ではセトやヴィヘラ、ビューネと共に臭いを追っていったという話だったが、具体的にどこに行ったのかが分からない以上、どうしようもない。
怒り狂っているという今のレイの様子では、下手をすればギルムの一部が……いや、もしかしたらギルム全てが壊滅する恐れすらある。
警備兵として、そしてギルムを愛する者の一人として、絶対にそんなことは許容出来なかった。
何とかレイを落ち着かせる必要がある。
そんな思いからマリーナに尋ねたのだが、マリーナは黙って首を横に振る。
「残念だけど、レイ達が出て行ってからすぐに私もアジモフを診療所まで運んだから、どこに行ったのかは分からないわ」
この時点では、まだレイが貴族街に突っ込んだという情報は警備兵に入っていない。
いや、貴族街の警備兵には冒険者から情報が入っていたのだが、その情報がこの詰め所までは、まだ届いていなかったというのが正しい。
もしその情報を知っていれば、すぐにでも他の警備兵を引き連れて貴族街に向かっただろう。
……もっとも、それが原因でレイと敵対するようになるかもしれないと考えると、そう簡単に判断出来ることではなかったが。
「そう、ですか。……ですが、わざわざレイのマジックアイテムを盗むような命知らずがこのギルムにいるとは思えないんですけどね。……と、普通なら言うんですが」
毎年恒例になっている、新人冒険者――あくまでもギルムにとっての新人という意味だが――による様々なトラブル。
中には、辺境にあるギルムだから楽して金儲け出来ると考えている者がいてもおかしくはない。
そして馬鹿なことを考えた人物が中途半端な強さがあった場合……それがどうなるのかは、明らかだろう。
普通であればギルムの冒険者による洗礼を受けることが多いのだが、それも絶対ではない。
「でも、ギルムに来たばかりの冒険者が、アジモフを狙うかしら?」
腕利きの錬金術師だが、それだけに下手にちょっかいを掛けるというのは避けたいと思うだろう。
「いえ、ですがアジモフの住居の周辺にはあまり人が住んでないので、場合によっては……」
人のあまり住んでない場所にあるアジモフの家。
そう考えれば、ギルムに来たばかりで色々と事情を知らない者がそのような真似をしてもおかしくはない。おかしくはないのだが……
「行きずりの犯行だと考えると、色々と違和感があるのよね。そもそもの話、普段家から出ることの少ないアジモフよ? 何でそんなアジモフを錬金術師だと思うのかしら」
「それこそ、偶然なのでは?」
「錬金術師だからアジモフを襲ったのではなく、アジモフを襲ったら偶然錬金術師だったということ? ……まぁ、その可能性もないではないけど」
そう言いつつも、マリーナは警備兵の説明に納得していないのは明らかだった。
偶然何者かがアジモフの家という襲うのに最適な立地条件の場所を見つけ、そこを襲ったら偶然アジモフが錬金術師で、偶然アジモフが研究室にいて周囲には幾つもマジックアイテムがあり、その中から偶然レイのスレイプニルの靴を見つけ……偶然、家の中にレイが入って来たのに気が付いて逃亡する。
幾つ偶然が揃えばそんなことが出来るのかと。
一つ二つの偶然ならともかく、ここまで偶然が並ぶとそれは既に偶然と呼ぶのは難しい。
「そうですね。色々と考えてみればそうかもしれません。……それはともかく、マリーナさんはこれからどうしますか?」
偶然の件として片付けるのが難しいと判断した警備兵の言葉に、マリーナは少し考える。
このまま詰め所で待っていてもいいのだが、出来れば今回の件は自分の手でも探りたいと。
……ギルドマスターという立場であれば問題になったかもしれないが、幸いにも今のマリーナは一介の冒険者にすぎない。
自分の思う通りに行動しても、何の問題もないのだ。
だが、同時にレイが感情の赴くままに走っているのも事実。
恐らく……いや、間違いなく今回の件で警備兵に連絡が来るような騒ぎになるのは間違いなかった。
「少し私も自分で探してみるわ。ただ、もし何かあったら私にも知らせて貰える? レイが暴れたりしていたら、落ち着かせる人が必要でしょう?」
「それは……はい」
本来であれば、誰かが問題を起こした場合にそれをどうにかするのは警備兵の役目だ。
事実、春になってから起きている騒動……新しくギルムに来た冒険者達が起こした騒動の多くを警備兵は鎮圧している。
……多くをとなったのは、警備兵が鎮圧するよりも前に他の冒険者が鎮圧したことも多かった為だ。
もっとも、新しく来た冒険者だけではなく、元からギルムにいた冒険者が起こした騒動もそれなり以上に多かったのだが。
ともあれ、大抵の冒険者であればどうにか出来る者が揃っている警備兵だったが、それはあくまでも『大抵の』冒険者に対してただ。
高ランク冒険者ともなれば……ましてやそれが、異名持ちのレイであれば、鎮圧出来る筈もない。
もし本当にレイを鎮圧するのであれば、それこそ他の高ランク冒険者や異名持ちを集める必要があるだろう。
そんな真似をすれば、それこそギルム全体を巻き込んだ騒動になることは確実で、ギルムそのものが消滅の危機に陥ってしまう。
そうならない為には、レイを落ち着かせるような相手が必要だった。
マリーナという人物は、その点で言えば間違いなくギルムでも最高峰の人物に入る。
……レイを落ち着かせるのに最高峰の人物とは? と一瞬警備兵が微妙な表情を浮かべたが、すぐにそれを消してマリーナに頭を下げる。
「何か分かったらすぐに連絡させて貰います」
「そう? じゃあ……」
警備兵の言葉にマリーナが呟き、短く呪文を唱える。
すると次の瞬間には、マリーナ達がいた部屋の中に水の塊が現れた。
その水の塊は、アジモフを運んだ時に使ったものとそう変わらない。
ただ、アジモフを運んだ水の塊は人を乗せるだけの大きさがあったのに対して、今度の水の塊は拳大の大きさしかない。
「えっと、これは……?」
いきなり現れた水の塊に、警備兵は戸惑ったように尋ねる。
それでも水の塊を警戒しなかったのは、マリーナのことを信頼していた為だろう。
長年ギルドマスターを務めていたというのは、マリーナに対して強い信頼を抱かせるには十分だった。
「精霊魔法で作りだしたものよ。レイがどこにいるのか分かったら、この水の塊を潰してちょうだい。そうすれば、私にも伝わるから」
「……便利ですね、これ」
明確にお互いの間で連絡が取れる訳ではないが、通信手段が限られているエルジィンの中で、水を使った連絡方法は非常に有用だと判断したのだろう。
だが、そんな警備兵にマリーナは首を横に振る。
「残念だけど、これはそんなに便利なものでもないわよ? まず、連絡出来る範囲がそんなに広くないし、数時間くらいでただの水になるし……何より、かなり精霊魔法を使いこなさなきゃ作ることは出来ないもの」
精霊魔法を使える者がそれ程多くはない以上、この水の塊を恒常的に作り出すというのは不可能だった。
「そう、ですか。残念ですけど仕方がないですね」
警備兵もマリーナに無理を言える立場ではない以上、すぐに諦める。
……もっとも、精霊魔法使いは数が少ないがマリーナだけではない。
何とか他の精霊魔法使いを確保出来ないかと、そう考えてはいたが。
「じゃあ、よろしくお願いね」
「あ、はい。分かりました。レイの行方が分かったら、すぐに連絡します」
短く言葉を交わし、マリーナは詰め所を出る。
「……さて、と。手掛かりをどうやって探すかが問題ね」
春らしい青空と、暖かな空気。それだけを見れば、どこか日陰で昼寝をしていても不思議ではない。
セトは昼寝をするのが好きだし、レイがそれに付き合うことがあるというのも、今までに何度も見ている。
だが……それでも今の状況でレイがそのような真似をするとは思えなかった。
あれだけ怒り狂っていたレイだけに、アジモフを襲撃した犯人を見つければ血祭りに上げられるのは間違いない。
(せめて、殺さないでいて欲しいのだけど)
そう思うのは、今回の件の事情を聞く相手がいなくなっては困るということがある。
マリーナがアジモフとそこまで親しくないというのも大きいだろう。
錬金術以外のことには殆ど興味がなく、自分を見ても言い寄ってきたりしないアジモフはそれなりに気に入っているのだが。
そんなことを考えながら、街中を歩く。
……今のマリーナの姿は、特にどこを探すというのではなく純粋に散歩をしているようにしか見えなかった。
詰め所を出てから、十分程……それくらい時間が経つと、マリーナは周囲を見回す。
(そろそろ何か反応があってもおかしくないんだけど)
そう思いながら周囲を見回したマリーナは、自分に視線を向けている相手に気が付く。
美貌と肌を大きく露出しているパーティドレスという姿から、マリーナに視線を向けている者は多くいる。
それこそ老若男女関係なくだ。
だが、今マリーナに向けられている視線は、そのようなものとは全く違う種類のものだった。
そうして自分に向けられている視線を辿っていくと、そこにいたのは特徴らしい特徴のない、平凡な男。
それこそ平凡や平均という言葉をそのまま形にしたかのような相手だ。
あまりに平凡すぎて、擦れ違ってもそれに気が付かないのではないかと。そう思える相手。
そんな相手だったが、マリーナに視線を向けられたということに気が付いたのだろう。小さく頭を下げると、意味ありげに視線を人のいない方へと動かす。
当然のようにそんな相手を一瞬怪しんだマリーナだったが、それでもこのままついていかないという選択肢はなかったのか、その後を追う。
派手な美貌や服装のマリーナだけに、周囲の者達が視線で追うが……それ以上は結局他に何もしないまま、マリーナは人のいない方へと進んでいった。
「……さて、こうして案内してくれたんだし、もういいでしょ。貴方は今回の件について何か知っているの?」
「私は、あくまでも主人から教えられた情報を伝えるだけです。それでもいいですか?」
マリーナの視線の先にいた男が振り返ると、平坦な口調で……全く何の感情もない声でそう告げる。
平凡や平均という言葉そのままの顔立ちで全く目立った様子もない男だったが、それが逆に男の特徴として強くマリーナに印象づけられる。
「ええ、構わないわ。今は少しでも手掛かりが欲しいし、その情報が本物かどうかを調べるのも私だもの」
「そうですか。……では、単刀直入に。今回の件はとある人物がレイとアゾット商会をぶつけようとして行われたものです」
「……アゾット商会を?」
マリーナもギルドマスターという立場である以上、当然のように以前レイがアゾット商会とぶつかった件は知っている。
それがベスティア帝国による策謀の一環であり、結果として当時のアゾット商会の会頭は捕まり、その弟のガラハトが現在のアゾット商会の会頭をやっているということも。
そして、ガラハトがアゾット商会の会頭になったことにより、レイとの関係も修復していると。
「どこの誰がそんな真似をしたの? そもそも、今回の件を企んだという相手はレイがどんな相手か知っててやってるの? もしレイを自分の掌の中で転がせると思ってるようなら、後悔するわよ?」
強い実感が込められた声でマリーナが呟くが、それを聞いた男は特に動揺した様子もない。
まるで今回の件は別にどうなってもいいのだと、そう思っているかのようだった。
「残念ながらその辺の事情は私も聞かされていません。ですが、レイのことは知っている相手ですから問題はないかと」
「……だと、いいんだけどね。それで、こちらに教えられる情報はそれで終わりかしら?」
「はい。少なくても今回の件はアゾット商会が企んだことではありません」
「妙にアゾット商会の肩を持つわね?」
「私の方から何も言えません。そちらがどう思うのかは、そちらの自由かと」
そう告げ、男はマリーナに背を向け去っていく。
そんな男の背に何か声を掛けようかと思ったマリーナだったが、詰め所に残してきた水の塊が潰れたことに気が付き、それ以上の言葉を口にするのは諦めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます