第1311話
詰め所にその連絡が入ったのは、警備兵達がレイの行方を捜している時だった。
大抵の冒険者なら取り押さえることが出来るだけの実力を持つ警備兵の一人が、息を切らせながら詰め所に駆け込んできたのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ひ、人を……人を集めてくれ!」
「どうした!?」
ギルムで警備兵として働いているだけあり、いきなり中に入ってきた仲間を見てすぐに尋ねる。
これでもし入って来た人物が警備兵の制服を着ていなければ、何者かの襲撃と判断してそれぞれが武器を構えていただろう。
元々警備兵という性質上、取り押さえた相手から恨みを買うことは多い。
ましてや、今はアジモフが襲撃されたという状況なのだから警備兵達も当然その辺りは警戒している。
「レイだ、レイが貴族街をセトや他の何人かと一緒に突っ走っていったらしい」
レイという名前が出た瞬間、その話を聞いていた警備兵達は全員が顔を引き攣らせる。
マリーナから話を聞き、アジモフを引き取り……診療所で着替えさせられていたが、それでもアジモフの着ていた服を見れば、それがどれだけの傷だったのかは容易に理解出来た。
それだけの傷を自分の――レイが自分で認めるかどうかは分からないが――友人が負い、そして意識不明になっていた人物。
警備兵も必死にその行方を捜していたのだが、その友人を襲った人物を捜しているレイを見つけることは出来なかった。
レイだけであればともかく、セトも一緒にいなくなっているのだ。そうなれば当然どこかにいれば、すぐに見つかりそうなものだったのだが、それでもなかなか見つけられない。
勿論ギルムは区分こそ街であるが、年々人が増えており実質的な人口は都市とそう変わりはない。
……それこそ、ギルムの領主ダスカーがこのままだと近い内にギルムを拡張しなければならないと、頭を抱える程に。
元々ギルムは、ミレアーナ王国が多くの国力を注ぎ込み、大量の兵士や奴隷を掻き集め、それでも尚多くの被害を出しながら建設した街だ。
当初こそは国の力があってこそ作れたが、今からギルムを拡張するとなれば、それは領主が自力でやらなければならない。
当然だろう。この地の領主はダスカーで、ここはダスカーの領地なのだから。
この辺境でそれをやるのがどれ程の労力と資金が必要なのか。
勿論他の貴族に助けを求めれば、それこそ幾らでも手を貸してくれるだろう。
そして、当然そうなればギルムでの様々な利権を要求してくるだろう。
ミレアーナ王国に唯一存在する辺境というのは、それだけの価値を見出しているのだ。
だからこそ、ギルムという一つの街しか存在しないラルクス辺境伯家が国王派、貴族派に次ぐ中立派の中心人物となっていられるのだが。
だが、ダスカーは他の貴族にギルムで影響力を与えるつもりはない。
それは、自分の派閥の者であってもだ。
……だからこそギルムの拡張をどうするのか悩んでいるのだが。
ともあれ、そんな規模のギルムだけに警備兵がレイを探し回ってもそう簡単に見つけられず……そうして困っていたところで、やって来た警備兵が持ってきたのが、今の報告だったのだ。
「嘘だろっ、貴族街!?」
警備兵の一人が思わずといった様子で叫ぶが、それは他の者にとっても同様だった。
よりにもよって貴族街……と。
貴族街と言うからには、当然多くの貴族が住んでいる区画だ。
アゾット商会や元ギルドマスターのマリーナのように、実際には貴族でなくても屋敷を構えているので、正式には貴族街と呼べないのかもしれないが。
だが……考えてみれば、貴族がレイにちょっかいを出す可能性というのは十分にあったのだ。
春になってギルムに新しい冒険者が増えたように、最近ギルムにやってきた貴族というのも多くはないがいる。
そのような人物は、当然レイのことを実際にその目で見たことはなく話でしか聞いたことはない。
もしかして、そんな人物がレイにちょっかいを出したのではないかと考えてしまってもおかしくはないだろう。
「貴族街の被害は?」
警備兵の一人が、知らせを持ってきた人物に尋ねる。
他の者達はその情報を聞きながら、すぐにでも出撃出来るように準備を整えていく。
相手はレイだ。
多少防御力の高い鎧を着ても、レイの攻撃力の前では殆ど意味はない。
であれば、動きやすい装備を選ぶのが最善の選択だった。
「今のところは特に被害は出ていない。報告をしてきた冒険者の話によると、止めようとした冒険者達には全く構わず、どこか一点を目指して進んでいったらしい」
「……セトだな」
出撃の準備をしながら、警備兵の一人が呟く。
マリーナからの情報で、セトが臭いを追っているということは聞いている。
具体的にセトの嗅覚がどのくらいのものなのかは分からなかったが、それでもセトがグリフォンという高ランクモンスターである以上、人間よりも遙かに優れた嗅覚を持っていると判断してもおかしくはなかった。
「マリーナさんに連絡をするには、この水を握り潰せば良かったんだよな?」
その言葉に、マリーナから事情を聞いていた警備兵が頷きを返す。
「ああ。激昂しているレイを相手になんかしたくないから、すぐにマリーナさんを呼んでくれ。マリーナさんなら、レイを相手にしてもどうにかしてくれるだろ」
それは確信よりも願望といった方がいい言葉だったが、レイとまともに戦おうものなら警備兵達に勝ち目はないのだから当然だった。
だからこそ、この場合は自分達だけで何かをするよりも、レイに対して強い影響力を持つだろうマリーナと一緒に行動した方がいいのは間違いない。
水が握り潰され、後はマリーナが詰め所に戻ってくるまでの間に警備兵達はレイと相対する準備を整える。
「馬車、用意出来たぞ!」
貴族街まで向かう為の足を用意していた警備兵が、詰め所の中に入って叫ぶ。
ここから貴族街までは、それなりに距離がある。
今回は少しでも急いで向こうに到着しなければならない為、また走って移動して無駄に体力を使わないように、こうして馬車を用意したのだ。
「くっそ、ランガ隊長がいてくれればな。レイの扱いはお手の物なのによ」
警備兵の一人がそう呟くが、それに文句を言う者は誰もいない。
何故なら、それは警備兵全員が思っていたことなのだから。
だが、そのランガは今はギルムにいない。
ダスカーからの命令により、アブエロまで出張しているのだ。
よりにもよって、こんな時に……というのが、殆どの警備兵の正直な思いだっただろう。
それでもランガがいないことを嘆き、それ以上何もしないという訳にもいかない。
だからこそ、こうして現在出来ることをやっているのだから。
「貴族街に行くのはともかく、他の場所を巡回している奴等はそのままでいいんだよな?」
「ああ。レイの件は重要だが、街中の方でも騒ぎとかは起きないとは限らないしな」
ここが警備兵の辛いところでもあった。
ギルムの治安を守るという仕事がある以上、他の場所を巡回している警備兵を連れて行く訳にはいかない。
……もっとも、ギルム中に散らばっている警備兵全員に連絡を入れて集めるのに時間が掛かるという理由も大きいのだが。
そうして警備兵達の準備が整う頃……
「少し遅れたかしら?」
マリーナが詰め所に顔を出す。
「いえ。大丈夫です。ちょうどこれから出発するところでしたから」
「そう、表の馬車ね?」
「はい」
短く言葉を交わし、現在自由に動ける者の中でも腕利きの警備兵が馬車に乗り込む。
もっとも、当然ながら出動する警備兵全員が馬車に乗れる訳もない。
馬車に乗るのは警備兵の中でも腕利きの者達だけで、それ以外の者達は走って貴族街に向かうことになる。
そして御者台にも数人の警備兵が乗ると、馬車は出発した。
「それで、結局レイはどこにいたの?」
馬車の中でマリーナが呟く。
出来るだけ多くの警備兵を連れて行くというのが馬車を使った理由である以上、馬車の中には限界近くまで……いや、限界以上の警備兵が詰め込まれている。
そんな状況であれば、当然のようにマリーナと密着するようなことになる者もおり、そのような者はマリーナの柔らかな身体と匂いを間近で感じてしまい、現在がどのような状況か分かっていても完全に身体が固まってしまっていた。
マリーナと会話をしていた警備兵は、そんな仲間の姿を見て羨ましいような、可哀相なような、そんな複雑な気持ちを抱きながら口を開く。
「貴族街です」
「……なるほど。貴族街、ね」
自分の屋敷がある以上、マリーナも当然貴族街についてはそれなりに詳しい。
そして今日までギルドマスターだったのだから、春になってギルムにやってきた者達がどのような騒動を起こすのかというのも知っている。
また、警備兵に精霊魔法で作った水で呼ばれる直前に話していた人物からの情報のこともある。
だが……それだけでは納得出来ないこともあった。
「私がレイを探している時、妙な人が接触してきたわ」
「妙な人、ですか?」
唐突にマリーナの口から出た言葉に、警備兵は首を傾げる。
辺境のギルムには、それこそ様々な者達が集まってくる。
その中には当然のように妙な人と呼ばれても不思議ではない相手は多い。
それこそ、今回の件の被害者アジモフも周囲からは妙な人という認識をされていたのだから。
「ええ。何て表現すればいいのかしら……平凡や平均という言葉がそのまま人間の形をしているように見える、といった感じの人。背の大きさや顔立ちが平均的な……そんな人よ」
「それはまた……」
警備兵が微かに言葉に詰まる。
平凡だということは、大抵の場所にいてもおかしくないことを意味している。
それこそ街中では人に紛れるにはこれ以上ない人材だろう。
警備兵という立場だからこそ、そのような人物がどれだけの危険性があるのかを理解出来た。
周囲で話を聞いていた他の警備兵達も、同様に表情を引き締めていた。
「とにかく、その人は私に伝言を持ってきたのよ。今回の件は、レイとアゾット商会をぶつけようとしていると」
「……なるほど。それで貴族街ですか」
アゾット商会の会頭をしているガラハトの屋敷が貴族街にあるというのは有名な話だ。
何故レイが貴族街に向かったのか、その理由を警備兵達は納得する。
「ですが、マリーナさん。ぶつけようとしているということは、今回の件はアゾット商会の仕業ではないと?」
「少なくても私に接触してきた人はそう言ってたわね。ただ、当然だけどそれが本当かどうかは分からないわ。……ガラハトならレイと敵対するような真似をするとは思えないけど、アゾット商会の全員がそうだとは限らないし」
「そう、ですね。正直なところアゾット商会の全員を怪しむとなると、少し騒動が大きくなりそうですから、出来れば違っていて欲しいというのが正直なところですが」
数年前に起きた、レイとアゾット商会の騒動を思い出しながら、警備兵が呟く。
結局その時の騒動はベスティア帝国から派遣された錬金術師を捕らえることに成功し、結果としてミレアーナ王国の錬金術が若干ではあるが発展するという結果を持たらした。
だが、それと比例するように警備兵は忙しく動き回ることになったのだ。
警備兵という職にある以上、騒動が起きたら自分達が何とかする必要があるのは事実だが、だからといって自分から進んで忙しくなるような日々を送りたいとはとてもではないが思えない。
「ふふっ、そうね。あの時はギルムも色々と騒がしくなったもの」
当時を思い出しながら、マリーナが笑みを浮かべる。
勿論その当時忙しかったのは警備兵だけではない。ギルドの方も色々と忙しい時間をおくることになったのだ。
数年前のことを思い出していると、やがて馬車は貴族街に入る。
警備兵の馬車だけあって、それを咎めるような者はいない。
寧ろレイが貴族街に突っ込んできたということを知って、冒険者達は自分達の雇い主に情報を知らせたりといった風に忙しく動いていてそんな余裕はなかったと言うべきか。
「アゾット商会の会頭が住んでいる屋敷まではもう少し掛かりますが……大丈夫でしょうかね?」
警備兵の心配は、向こうに到着した時にまだガラハトの屋敷が残っているのかどうかという問題だろう。
「レイも何だかんだと勘は鋭いし、アゾット商会が自分達と敵対するとは思ってないでしょうから、問題ないと思うけど……少なくても、問答無用で攻撃したりはせず、本当にアゾット商会が今回の件に関係あるかどうかは調べる筈よ」
そんなマリーナの言葉は正しく……目的の屋敷に到着した時にマリーナや警備兵が見たのは、ガラハトと一緒に正門前で警備兵や他の貴族の私兵や冒険者に事情を説明しているレイの姿だった。
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