第1291話

 レイ達が夕暮れの小麦亭でマリーナと約束した、ギルムの外に向かうというのは、予想以上に早く叶うことになった。

 これはマリーナがレイ達と一緒にギルムの外でモンスターを相手に戦闘訓練をしたかったというのもあるし、マリーナが当初予想していた以上にワーカーが有能で、書類仕事の殆どをワーカーだけで済ませることが出来ていたというのも大きい。

 また、やはり冬ということもあって仕事がそれ程多くないというのも関係しているのだろう。

 受付嬢を始めとした者達はこの時季なら色々と書類整理があるのだが、それはあくまでも下の者の仕事であり、上にまではいかない。

 ……そのことを知った某猫の獣人は、いつかギルドマスターになってやる! という決意をしたとか、しなかったとか。

 ともあれ、ある程度の自由が出来たマリーナは、早速レイ達を誘ってギルムの外にやってきた。


「それで、こうして外に出て来たのはいいけど、どこに行くの? 馬車も用意したんだし、それなりに離れた場所なの?」


 窓から次々に白い景色が流れていくのを眺めながら、ヴィヘラはマリーナに尋ねる。

 問われたマリーナは、笑みを浮かべて口を開く。


「そんなに遠くにはいかないわよ。ほら、レイがよくモンスターの解体をしてるという場所。あの近くなら、それなりにモンスターもいるでしょうし」


 艶然と微笑むマリーナは、着ているのがいつものように胸元が大きく開いているパーティドレスなこともあり、何も知らない者が見れば、どこかのパーティに出掛けようとしていると思っても不思議ではない。

 もっとも、弓と矢筒を持っているのを見れば、単純にパーティに向かうという風には思えないだろうが。


「あそこか? ……まぁ、以前にも何度かあの周辺でモンスターと遭遇したことはあるから、マリーナの言いたいことも分かるけど」


 座席に座り、馬車の横を歩きつつ……それでいながら、雪を踏む感触を楽しんでいるセトの様子を窓から眺めていたレイが、マリーナの言葉に視線を向ける。

 尚、この馬車はギルドから借りた物で、御者は冒険者の中で金が必要な者を三人程雇っていた。

 ギルド職員を御者として使わなかったのは、今回のマリーナの行動がギルドマスターとしてのものではなく、あくまでもマリーナとして……冒険者としての行動だからだろう。

 勿論ギルドの中に仕事を探している冒険者がいなければ、ギルド職員を使ったかもしれないが。

 それ以外にも、レイ達がモンスターと戦っている間は馬車で待っていて貰う必要があるので、ギルド職員では戦闘力の問題もある。

 だからこそ、ある程度腕の立つ冒険者を……それも三人も雇ったのだから。

 もっとも三人が御者台に座るのは少し窮屈だったのだが、安全の面を考えれば仕方がないのだろう。

 それにマリーナの精霊魔法により、御者台に座っていてもあまり寒くないのだから、労働環境は決して悪いものではない。

 少なくても、雇われた三人の冒険者はこの時季に寒さで震えながらレイ達が戻ってくるのを馬車で待っていなくてもいいことに感謝していた。


「それにしても……冬のモンスターか。どんなモンスターがいるんだろうな。出来れば、未知のモンスターがいてくれると嬉しいんだけど」


 レイがそう希望するのは、当然のように魔石を……セトやデスサイズを成長させる為の糧を求めてのことだ。

 それでも直接そのことを言わないのは、御者をやっている冒険者にそのことを聞かせる訳にはいかないということもあるし、何より……


「ん?」

「いや、何でもない」


 視線を向けてきたビューネに、レイはそう言って首を横に振る。

 そう。春にパーティを組む面子の中で唯一ビューネのみが、まだ魔獣術について何も知らされていない。

 レイとしては、パーティの中でビューネだけが魔獣術について知らないという状況は決していいとは思っていない。

 だが、将来的に……それも遠い未来ということではなく、恐らく数年程度でパーティを抜けるだろうビューネに、レイが持っている秘密の中でも最大級のものである魔獣術について教えてもいいのかと思うと、すぐに頷くことは出来なかった。

 それはビューネを信頼していない……という訳ではない。

 レイもそれなりにビューネとの付き合いは長いし、ビューネがそう簡単にレイの情報を売るとは思っていなかった。

 だが、この世界にはマジックアイテムや魔法といった代物が多くある。

 その中にはビューネが喋ろうと思っていなくても、直接頭の中から情報を抜き出したり、心の中を読むといったものが存在する可能性は十分にあった。

 そうなれば、やはり魔獣術を始めとしてレイの秘密を知らないというのが、ビューネにとっては一番安全なのだ。

 少なくてもレイやマリーナ、ヴィヘラ……そしてこの場にはいないが、エレーナの間ではそのように意見が一致していた。


(少し心苦しいんだけど、な)


 仲間外れにしているつもりはないのだが、それでもどうしても思うところがある。


(ずっと俺達と一緒に行動するのなら、話してもいいんだけど……それも出来ないし)


 これ以上は考えても仕方がないと、取りあえずレイは自分の中にある罪悪感を誤魔化すべく、ミスティリングの中から干し肉を取り出すと、ビューネに渡す。

 ありふれたオーク肉の干し肉だったが、それなりの高級店で購入したものである為、その辺で適当に売っている干し肉とは一線を画す……とまではいかないにしろ、味は間違いなく上だった。


「ん?」


 食べてもいいの? と尋ねてくるビューネに、レイは頷きを返す。


「ああ。少し腹が減ってきただろ?」

「ん!」


 レイの言葉に、ビューネは言葉だけは嬉しそうにしながら、干し肉を受け取って口に運ぶ。


「ちょっと、レイ。あまりビューネを甘やかしたりしないでよ?」


 母親が父親に注意するかのような口調で告げてくるヴィヘラを見てマリーナが面白そうに笑みを浮かべるが、レイはそれに気が付いた様子もなく頷きを返す。


「ああ、悪い。けど、干し肉くらいいいだろ?」

「ん!」


 そうだそうだ、とビューネがヴィヘラに視線を向ける。

 そんなビューネの姿を、ヴィヘラは一瞥し……その視線が向けられた瞬間、ビューネはそっと視線を逸らす。


「ふふっ、こうして見ているとまるで……」

「まるで?」


 マリーナの言葉に、ヴィヘラは首を傾げて言葉の続きを促す。

 だが、マリーナはそこで言葉を止めると、それ以上何も口にはしなかった。

 そんなマリーナに対し、ヴィヘラは少し不満そうな視線を向けるも……視線を向けられた本人は、全く気にした様子もなく笑みを浮かべているだけだ。


「マリーナ、何か言いたいのならしっかりと言った方がいいわよ? そうした方が、パーティを組む上で色々とぎこちなくなったりしないですむでしょ?」

「あら、何の話かしら? 私は特に何も思ってないけど……ヴィヘラには何か思うところがあるの?」

「へぇ。それは面白いわね。なら……」


 そう言って、何かを言おうとしたヴィヘラだったが、ちょうどタイミングを見計らったかのように馬車が停まる。

 一瞬何事? と疑問に思ったヴィヘラだったが、すぐにモンスターや……ましてや盗賊の襲撃ではないというのは理解して、取り乱した様子は見せない。

 馬車の停まり方が、急停止ではなくしっかりと計算された停まり方だったからだ。

 そして窓の外を見れば、そこにあるのは何本もの木。

 そうなれば、何故馬車が停まったのかというのは考えるまでもなく明らかだ。


「ギルドマスター、着きましたよ」


 御者席の方から聞こえてくる声も、馬車の中にいる面々の予想が的中したことを示している。


「ほら、着いたらしいわよ? ヴィヘラも、外に出る準備をしましょう?」

「……そうしておいてあげる」


 不承不承ながらも、ヴィヘラはマリーナの言葉に頷いて馬車の外へと出る。

 助かった……と、表情を変えなくても怒られなかったことに安堵したビューネも、ヴィヘラの後を追って馬車から降りる。


「あまりからかうなよ」

「あら、少しくらいいいじゃない」


 レイの言葉に、マリーナは笑みを浮かべて言葉を返す。

 正直なところ、マリーナはビューネとヴィヘラ、レイの三人を見て羨ましく思ったのだ。

 そう、夫と妻、その娘……ということで。

 もっとも、それを直接口に出せばヴィヘラは自分の年齢でビューネのような子供はいない! と抗議の声を上げるだろうが。


(だからって、それを正直に言いたくはないけどね)


 外に出るということで、ドラゴンローブのフードを被るレイを見ながら、マリーナはそれ以上の会話を打ち切って馬車を降りる。

 レイもまた、そんなマリーナの後を追い……


「じゃあ、ギルドマスター。俺達はここで待ってますから」

「ええ。馬車の周囲は暖かくなるようにしてあるけど、勝てそうにないモンスターが襲ってきたらギルムに戻ってもいいわ」

「ははっ、大丈夫ですよ。これでもランクC冒険者なんですから、ある程度は何とかなりますって」

「……ランクC冒険者なら、普通は金欠になることはないと思うんだけど」

「う゛っ……そ、それは……」


 マリーナの言葉に、三人全員が言葉に詰まる。

 そして何も言い返せないのを自覚すると、そっと視線を逸らす。

 そんな冒険者の姿を見て、マリーナは笑みを浮かべ……数秒の沈黙の後に口を開く。


「まぁ、いいけどね。おかげで私達も楽が出来るんだし」

「へへへ。その、お手柔らかに」

「使う場所が間違ってるわよ? とにかく、私達は……そうね、レイ。三時間か四時間くらいでいいかしら?」

「ああ、大体そのくらいでいいと思う」


 鋭く干し肉の匂いを嗅ぎ取ったセトに、新たにミスティリングから取り出した干し肉を与えていたレイが、マリーナの言葉にそう答える。


「そんな訳で、日が暮れるまでにはギルムに戻れると思うから、それまではゆっくりしてて頂戴。ただ、さっきも言ったけど、暖かくなるのは馬車の周辺だけだから、ここから離れると寒くなるわよ?」


 そう注意するマリーナから……正確には褐色の肌が作り出す巨大な双丘の谷間から視線を逸らし、冒険者達は頷く。

 この三人も冒険者としてそれなりに経験を積んできている。

 それは戦いといったもの以外にも、娼館での経験についても同様だ。

 金離れのいい高ランク冒険者というのは、娼婦にとっても最高の客で、人気が高い。

 そんな経験から、何人もの娼婦を抱いてきた経験のある冒険者の男達だったが……そんな経験豊富な男達であっても、マリーナから発せられる女の艶には抵抗出来なかった。

 男の性を惹き付けて止まない、そんな魅惑の谷間に視線を向けたままだと、色々と不味いことになる。

 そう判断し、男達は何とか自分の中に残っている自制心を働かせて視線を逸らしたのだ。


「わ、分かりました。この馬車からは離れないようにします」


 男達を代表して一人が何とか呟き、それを見たマリーナは特に気にした様子もなく頷く。


「分かっていればいいわ。じゃあ、お願いね」


 短く言葉を交わし、マリーナは少し離れた場所で自分を待っているレイ達の方へと歩いていく。

 冬であっても、金を稼ぐ為に何人かは森の中に入っていっているのだろう。雪の上にはしっかりと足跡が残っている。

 その足跡は、薄らと雪が積もっているようなものもあれば、数時間前についた真新しいものもあった。


「意外に金に困ってる冒険者っているのね。……出来れば、もう少し人が少ない方が良かったんだけど」

「そんなに心配はいらないと思うわよ? 何だかんだと、この森は結構広いし。それこそそう簡単に他の冒険者に遭遇したりはしないと思うし。まぁ、中には妙なことを考えていている人がいないとも限らないけど」


 ヴィヘラの言葉に、マリーナは分かっていると頷く。

 マリーナも、自分が男の欲望を掻き立てる容姿や身体つきをしているというのは分かっている。

 今まではギルドマスターということもあったが、春からは冒険者に戻るのだから、そのようなトラブルに巻き込まれるのはほぼ確定だった。

 ……尚、冒険者がその功績を認められてギルド職員になるというのは、そう珍しい話ではない。

 寧ろ冒険者として自分がこれ以上やっていけないと考えた時、ギルド職員というのは冒険者が希望する就職先としては上位に位置するだろう。

 だが、逆にギルド職員から……それもギルドマスターの地位から、ただの冒険者に戻るというのは、皆無という訳ではないが決して多い訳ではない。

 人間よりも遙かに寿命の長いダークエルフだからこそ、マリーナはその選択肢を選べたのだろう。






「……凄かったな」


 森の中に入っていくレイ達を見送り、馬車の近くに残った冒険者の男の一人が呟く。

 するとそれを聞いていた他の二人が、無言で頷く。

 何についての感想なのかというのは、考えるまでもない。

 あのような魅力的な女を侍らせているという時点で、レイは男の敵でもあった。


「羨ましいな」


 その言葉に再び二人が頷き……いずれ自分達ももっと高みまでのぼり、マリーナのような恋人を作りたいと、そう思うのだった。

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