第1290話

 年が変わり、新年を迎え……それでも、特に何か変わったことはなく、時間が流れていく。

 レイも、セトと共に過ごす時間はそれなりに増えたが、珍しく何も騒動らしい騒動がないままの日々を楽しんでいた。

 朝は朝食を食べてから、街中に出るかセトと遊ぶか、もしくはビューネの戦闘訓練をするか……といった時間をすごし、昼はセトと共に外で昼食を食べながら歩き回り、午後からは買い物をしたり、図書館に行ったりといった時間をすごす。

 そして夕方になれば、買い食いをしながら夕暮れの小麦亭に戻り、食堂で夕食を食べる。

 夕食の時はヴィヘラやビューネと一緒だが、時にはマリーナが顔をだすこともある。

 ……幸いにもと言うべきか、夕暮れの小麦亭に現在泊まっているのは、レイ達のことを知っている者が殆どだ。

 マリーナのような美女が姿を現したことで、ちょっかいを掛けようとした者もいたのだが、レイの知り合いだと知るとすぐに諦めた。

 もっとも、マリーナがギルドマスターだというのを知っている者がいれば、まずそんな真似はしないのだが……基本的に表に出ることは少ないので、マリーナを見てもギルドマスターと理解出来ない者も決して少なくない。

 新年になってから一月程が経ったその日も、マリーナは夕暮れの小麦亭でレイ達と一緒に夕食を食べにやってきていた。


「それで、ワーカーに対する引き継ぎの方はどんな感じなんだ? 春まではもうすぐそこ……って訳じゃないけど、後二ヶ月程度だが」

「ああ、そっちの方はもう殆ど問題ないわね。元々ワーカーは覚えが良かったもの。ギルムに来るのが少し遅れたから心配したけど、もう大部分の引き継ぎが終わってるから、問題ないわ」


 オークの干し肉を使ったシチューという、その辺で幾らでも食べられる料理……そうでありながら、様々な手間暇を掛けている為か、味が格段に違うその料理を楽しみながらマリーナがそう告げる。


「へぇ。なら、問題はないのか。このまま上手くいけば、春にはしっかりとパーティを組めそうだな」

「ええ。身体の方もしっかりと動かしているし……それこそ、明日からパーティを組んでも何も問題がないわよ?」


 ふふん、と笑みを浮かべて告げるマリーナに、ヴィヘラはパンに手を伸ばしながら口を開く。


「ふーん。なら、明日にでも私とちょっと手合わせしてみない?」


 戦いを好むヴィヘラにとって、マリーナとの戦いは十分に期待出来るものだった。

 冒険者は冬の間は身体を休めることが多いのだが、ヴィヘラは毎日のようにビューネと戦闘訓練を重ねているので、鈍るということはない。


「その辺にしておけ。ヴィヘラとマリーナが本気で戦ったら、中庭だろうがギルドの訓練場だろうが、色々と破壊的な状態になるのは間違いないだろ」


 卵と野菜とハムのサンドイッチを食べながら、レイは呆れたように呟く。

 ヴィヘラのみであれば、戦闘はそこまで派手にはならない。

 近接戦闘を得意としているヴィヘラなのだから、その戦いそのものは派手にはならない。

 ……少なくても、炎帝の紅鎧を始めとして、レイが全力で戦う時に比べれば酷く大人しいものだと言ってもいいだろう。

 だが、マリーナは違う。

 精霊魔法と弓で……それも精霊魔法をメインとして戦うマリーナは、その技量もあって派手な戦いになる。

 マリーナの技量がどれ程のものなのかというのは、それこそ精霊魔法を使って家の掃除や雪掻きといった行為を、息をするかのようにやっているのを見たことがあるのであれば、疑う必要はない。


(以前水の精霊魔法で竜を作ってた奴がいたけど……多分あいつよりも腕は上なんだろうな)


 勿論レイは精霊魔法について詳しい訳ではない。

 あくまでも印象でしかないのだが、それでもレイは自分の勘に絶対的な自信があった。

 そんなマリーナだが、ヴィヘラと戦うには当然本気になる必要があるだろう。

 その時、周囲の被害がどれだけのものになるのか……レイはそれを想像しようとし、だが次の瞬間には無駄なことだと切り捨て、口を開く。


「それにヴィヘラも、まだ今の自分の力をしっかりと把握してる訳ではないだろ。それこそ、下手に本気になって周囲に被害を……それどころか、自分に被害が及んだらどうする?」

「むぅ……仕方ないわね」


 銀獅子の心臓で蘇った……正確には意識を取り戻したヴィヘラだったが、今の自分の限界というものはまだ分かっていなかった。

 出来ればすぐにでもそれを知りたかったのだが、儀式を執り行ったグリムから魔力が身体に馴染むまでは無理をしないようにと言われていたのだ。

 銀獅子の……ランクSモンスターの魔力なのだから、そう簡単に身体に馴染む筈がない。

 今もまだ、それは完全ではない。

 冬になってから行われているビューネとの戦闘訓練は、ビューネを鍛える為ではあるが、同時にヴィヘラが少しずつでもいいから現在の自分の状況に慣れる為でもあった。

 それが分かっているからこそ、ヴィヘラはレイの言葉に素直に従う。

 ……もっとも、少しでもヴィヘラを知っている者にとっては、ヴィヘラが戦闘をあっさりと諦めたということに驚くのだが。

 現に、食堂にいてレイ達の話に耳を傾けていた冒険者のうちの何人かは、驚愕の表情を隠し切れていなかった。

 そのような者達が視線で会話しているのを見ながらも、レイやヴィヘラ、マリーナは特に気にした様子もなく話を続ける。

 色々な意味で自分達が目立つということは、理解していたからだ。


「それにしても、そろそろ本当にパーティ名を決めておく必要があるわよ? もう二ヶ月くらいなんだし」

「そう言われてもな……」


 自分のネーミングセンスに自信のないレイにとって、パーティ名を決めろというのは非常に難しい行為だ。

 それこそ、適当にセト隊のように適当な名前を付けるのであれば、話は別だったのだろうが。


「まぁ、もう二ヶ月しかないってことは、まだ二ヶ月はあるってことなんだし……それこそ、実際にパーティを組む用紙をギルドに提出するまでに決めればいいんだから、急がせはしないけど。私はパーティ名に拘りはないし」

「私もマリーナと同様に特に拘りはないわ。……ただ、あまりにも変なのは止めて欲しいけど」

「……善処しておくよ」


 何でもいいというのが一番困るというのはレイにとっても事実だった。


(よく漫画とかでも何を食べる? って聞かれて何でもいいって言われて、何でもいいというのが一番困る……とか、そういう風なのを見たことがあったけど、そんな感じだな)


 そう思いながら、レイは夕食を食べていく。

 幸いにも、パーティ名の話についてはそれで終わりになったらしい。


「で、ビューネの訓練の方はどうなっているの? レイよりヴィヘラが訓練をしてきたんでしょ?」


 話の流れでビューネの戦闘力についての話題になると、一心不乱にスープを飲んでいたビューネは、一旦スープから顔を離すと小さく頷く。


「ん」


 自信に満ちた……と言ってもいいのかどうかマリーナには分からなかったが、ビューネ担当のヴィヘラに視線を向ければ、そちらからは頷きを返される。

 それを見れば、自分の技量にある程度自信を持っているのだろうというのはマリーナも理解出来た。

 理解出来たが……ビューネの自己申告だけで完全にそれを信用しろというのが無理な以上、改めてヴィヘラに尋ねる。


「それで、実際のところはどうなの?」

「……そうね。元々ビューネは盗賊で攻撃力はそんなに高い訳じゃなかったし、牽制に徹するという意味なら、ある程度の戦力にはなると思うわ。……高ランクモンスターを相手にする場合には色々と注意する必要があるでしょうけど」


 へぇ、と。

 ヴィヘラからの高い評価に、マリーナは改めてビューネを見る。

 戦闘を好むヴィヘラは、その嗜好故に戦闘に関しては真摯な態度で臨む。

 長年の付き合いがあるからといって、ビューネの力を実力以上に評価したりはしない。

 そんなヴィヘラの言葉を続けるように、レイも口を開く。


「それに、パミドールに作って貰った短剣もあるしな」


 それがどのような短剣なのかというのは、考えるまでもない。

 ランクSモンスターの銀獅子の素材で作った短剣なのだから、それこそランクA冒険者のような高ランク冒険者が持っていてもおかしくはない武器だ。

 だが、銀獅子の素材で作られた短剣だというのをここで直接口にしなかったのは、やはりここが酒場だからだろう。

 食堂にいる冒険者や、情報に聡い商人達がいる前で、そのような武器を……それもレイやマリーナ、ヴィヘラではなく、まだ子供のビューネが持っているとなれば、良からぬ考えを抱く者が出て来てもおかしくはない。

 普通であればレイの存在からそんな真似をしようと考える者はいないのだろうが、今回の場合はランクSモンスターの素材を使った短剣だ。

 血迷う者が出て来ても、おかしくはなかった。


「ああ、話は聞いてるわ。随分と性能のいい短剣らしいわね」


 マリーナもレイが何のことを言っているのかを理解し、話を合わせる。

 事実、銀獅子の素材から作られた短剣は、斬れ味という面で見れば非常に鋭い。

 ランクSモンスターは例外として、ランクA以下のモンスターであれば余程の例外でもない限り攻撃を防ぐことは出来ないだろうと、そう思える程に。

 勿論それには使用者の技量が必須となってくる以上、ビューネの腕が悪ければ意味がないのだが。


「そうね。おかげで大抵のモンスターに対しては有効な攻撃を行えるだけの手段は持ってるわ。それに、最近使い始めた透明な長針もそれなりに便利だし」


 レイもヴィヘラの言葉に同意する。

 普通の長針に混ぜて放たれる透明な長針というのは、想像以上に厄介な代物だ。

 レイの場合は聴覚や視覚でそれを判断することが出来るが、普通の者ならそれは難しいだろう。


「なるほどね。じゃあ、ビューネの戦闘力については心配いらないと考えてもいいの?」

「大まかには問題ないと思うわ。……レイはどう?」

「俺もヴィヘラに同意見だ」


 レイもまた、ヴィヘラの言葉に頷く。

 それを聞いていたビューネは、スープを飲みながら少しだけ嬉しそうに目元を緩める。

 ……それに気が付いたのはヴィヘラくらいだったが。


「あくまでも盗賊の役割……敵の牽制とか、そういう風な件に限って考えれば、ビューネもそれなりの力を持ってると思う」


 ヴィヘラに続いてレイまでもがビューネの実力を保証したことで、ようやくマリーナは頷きを返す。


「そう、なら問題ないのね。……じゃあ、今度近い内に全員でちょっとギルムの外に出てみる? パーティを組むのは春になってからでいいんでしょうけど、お互いに息を合わせる必要も出てくるでしょうし」

「私は別にいいけど……マリーナの方が大丈夫なの? ワーカーに対する引き継ぎが殆ど終わってても、ギルドマスターとして色々忙しいんじゃない?」


 ギルドマスターの仕事というのは、引き継ぎだけではない。

 それ以外にも、多種多様にある。

 そんな状況下で街の外に出掛けても大丈夫なのかと、そう尋ねるヴィヘラに、マリーナは問題ないと頷く。


「今が春とかだと、ギルドマスターとしての仕事も多くなってただろうけど、今は冬だもの。勿論仕事が全くないって訳じゃないけど、そちらはどうにか出来る程度のものよ。それこそ、ワーカーもいるしね」

「……ワーカーは、一応まだギルドマスターじゃないんだろ? いいのか、その……機密的に」

「問題ないわよ。寧ろ、私がいる今のうちにしっかりと仕事に慣れておく必要があるわ。春からは私はギルドマスターじゃなくなるんだから、私に見せることが出来ない書類とかも増えてくるでしょうし」


 そう言われれば、とレイは納得する。

 元ギルドマスターであっても、現ギルドマスターではない以上、見せることが出来ない書類の類というのは当然ある。

 その辺の事情を考えると、やはり今のうちにしっかりとどういう風に仕事をするのかを教えておくのは必須だった。


「もっとも、ワーカーはダンジョンでギルドの出張所を運営してきた経歴があるわ。普通の、何も知らない人にギルドマスターとしての仕事を教えるよりは格段に楽なんだけどね。やってる仕事はそう変わらないんだし」


 マリーナの言葉には、強い説得力があった。

 それこそ、思わず納得してしまうような説得力が。


「分かった。マリーナがそう言うのなら、ギルムの外に出て少しモンスターを狩るか。具体的にいつにするのかは……」

「マリーナの都合がいい日でいいでしょ。私達は特に何かやらなきゃいけないこともないんだし」


 ヴィヘラの言葉にレイは頷き、ビューネもまた頷きを返し……こうして、冬にギルムの外に出るという、一部の人間――金を稼がなければならない冒険者等――しかしないような真似をすることになるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る