第1282話

「ん!」

「ああ、ほら。待ちなさい。今食べたら、お腹いっぱいで昼食が食べられなくなるわよ?」


 肉まんを求める者達の行列、その一番後ろに並ぼうとしたビューネを、ヴィヘラが止める。


「グルルルゥ」

「いや、セトも待とうな。肉まんの件はもう少し落ち着いてからにしよう」


 こちらも列に並ぼうとするセトを、レイが止める。

 そんなレイの言葉に、セトは悲しそうに喉を鳴らす。


「あー、行くのは午後にした方が良かったか?」


 セトと共に近くにある串焼きの屋台に向かおうとするビューネを止めるヴィヘラが、レイの言葉に頷きを返す。


「そうね。ビューネを連れて昼前に大通りを通るのは色々と危険だったわ」


 現在レイ達が向かっているのは、昨日突然夕暮れの小麦亭に姿を現したパミドールの店だ。

 ビューネの手に合わせて最終調整をすると言っていたので、それを取りに行こうとしたのだが……昼前ということもあり、現在大通りには屋台や食堂から食欲を刺激する匂いが漂っていた。

 雪でも降っていれば屋台の数ももう少しは少なかったのだろうが、生憎と言うべきか、今日は冬にしては珍しく空には雲一つなく、冬晴れと呼ぶのに相応しい天気となっている。

 それだけに、これ幸いと屋台が出ている数も多かった。

 中には冒険者の暇潰しという意味もあってか、レイがギルドで見たことのある者が出している屋台もある。

 ……そんな屋台は本当に屋台を出して生活している者と違い、あくまでも暇潰しなので客の数は多くない。

 もっとも、冒険者達も本気で儲けようと思って店を出している訳ではなく、あくまでも暇潰しとしての行動にすぎない。

 一人、二人といった客でもいればそれで満足なのだろう。

 中には何をとち狂ったか、一食金貨一枚で料理を売っているような屋台もあったが、当然そのような屋台には好奇心から覗く客はいても、買う客はいない。


(興味がないって言えば、嘘になるんだけどな)


 金貨一枚の食事……食材に糸目を付けないのであれば、ギルムでも一食でそれくらいの料金が取られる店はある。

 主に貴族用、大商人用といったような店だが。

 しかし、今レイの視線の先にあるのは屋台で金貨一枚の店なのだ。

 興味を惹かれるのは当然だろう。

 事実、何人もがその屋台の近くを通りかかると、表示されている値段を見て目を見開き、動きを止めてしまうのだから。


「肉まん、ね。宿の食堂でも何度か噂で聞いたことがあるけど、美味しいの?」

「そうだな、俺が食べた味見の奴は、最初に食べた時よりも随分美味くなっていた。恐らくあれで満足はしてないから、時間が経つに連れて美味くなっていると思う」

「へぇ……それはちょっと面白そうね」

「ま、他の店で売っている肉まんは分からないけどな」


 ロドリゴは、前もってレイに言っていた通り他の料理人達にも肉まんの作り方を教えた。

 だが、それはあくまでも基本的なものだけであり、きちんと自分の店独自の工夫をしなければ、他に埋もれてしまうのは当然だった。

 ましてや、しっかりと肉まんを研究してから売りに出された黄金のパン亭が元祖として存在しているのだから、下手なものを売り出しても悪い意味で話題になるだけだろう。


(出来れば肉まんじゃなくてピザまんとかフカヒレまん……は無理だろうから、干物とかを使ったのが出来てくれればいいんだけど)


 そんな期待を抱くレイだったが、残念なことに、まだ肉まん以外の中華まんは出てきていない。

 もっとも、レイがうどんを満腹亭に教えた後で焼きうどんのような別のバリエーションが出来るまでは、それなりの日数が掛かっている。

 そうである以上、肉まんを売りに出してからすぐに他の中華まんが出てくるというのは期待しすぎだろう。

 ともあれ、ビューネにとっての試練を乗り越えながら、レイ達は大通りを進む。

 他にも色々な料理店や屋台から漂ってくる匂いがビューネを、そしてセトを誘惑したが、レイ達はそれに負けずに……串焼きやパンを買いながら、進む。

 食べ物を買ってる時点で負けてるんじゃ? と思わないでもないレイだったが、歩きながら食べられるものだしいいかと考え、ようやく目的地へと到着する。


「うん?」


 だが、店の前に一台の馬車が停まっているのを見て、レイは首を傾げた。

 パミドールの店にこのような馬車が停まっているのを初めて見たからだ。

 ただ、すぐに納得する。

 鍛冶師としてのパミドールの技量を考えれば、特殊な依頼が来てもおかしくはないだろうと、そう思った為だ。


「どうする? お客さんが来てるみたいだし、少し待つ? 商談の邪魔をしても悪いし」


 尋ねてくるヴィヘラに、レイは少し考えて頷く。

 今回の短剣を作って貰う件は、あくまでもパミドールが自主的に厚意から……いや、銀獅子の素材を使いたいという好奇心からやってくれていることだ。

 勿論そこには好奇心だけではなく、純粋に未知の素材を使うことによって自分の技量をこれまで以上に上げるという鍛冶師の本能に近いものもあるのだろう。

 だが、それだけに生活資金を得る為にするパミドールの仕事を邪魔するのはどうかと、そんな思いがあった。


(短剣の分の金を支払うって言っても、断られるだろうしな)


 パミドールの技量を考えれば、ランクSモンスターの素材を使った武器というのは、本来なら幾らでも金を取れる仕事だった。

 ランクAモンスターならともかく、ランクSモンスターの素材を使いこなすことが出来る職人というのは非常に稀少だ。

 ランクSモンスター自体が非常に希だということを考えれば当然だろう。

 つまり、本来ならパミドールはレイに対して大金を要求してもおかしくはないのだ。

 だが、パミドールは銀獅子の素材を自分が使うということに加えて、多少の素材を融通して貰う以外の要求はしなかった。


「そうだな。少し待って……」


 いよう。そうレイが言おうとした瞬間、パミドールの店の中から怒声が響く。


「ふざけんな! 帰りやがれ! もう二度と俺の店に来るんじゃねえ!」


 同時に、何かを殴りつけるような音。

 もしかして客を殴ったのか? と一瞬疑問に思ったレイだったが、聞こえてきたのは人を……肉を殴ったような音ではなく、何か硬い物を殴ったような音だった。

 恐らく机辺りを殴ったのだろうと考えたレイは、パミドールの店に向かって一歩踏み出す。

 大人しく取り引きが行われているのであればそれを邪魔するのも悪いと思ったレイだったが、何か揉めごとが起きているのであれば話は別だった。


「行くの?」

「ああ。……まぁ、パミドールがどうにかされるとは思わないけどな」


 ヴィヘラの問いに、レイはそう返す。

 実際筋骨隆々で凶悪な顔をしているパミドールは、その辺の冒険者ではどうにもならない程度の強さを持っている。

 もし何かあっても、パミドールに危害を加えられる可能性は非常に少ないだろう。

 だが、それでも万が一ということを考えると、顔を出した方がいいのは事実だった。

 セトを連れたレイは、ギルムでも有名だ。

 そんな人物が顔を出したのに、パミドールに危害を加えようとする者がいるとは思えず、抑止力として考えればこれ以上の存在はそういないだろう。


「さて、一体何が起き……お前達も来るのか?」


 何が起きたのかと、そう考えながら進もうとしたレイだったが、後ろからヴィヘラとビューネの二人が、そしてセトも一緒についてきているのを見て、そう尋ねる。

 そんなレイの言葉に、ヴィヘラは当然でしょと笑みを浮かべ、ビューネは無表情のまま頷きを返す。

 セトは自分だけ置いて行かれるのは嫌だと、短く鳴く。

 そんな二人と一匹に何を言っても無駄だと判断し、レイはパミドールの店へと向かう。


(セトはどのみち店の中には入れないと思うんだけどな)


 多少の疑問を抱くが、少しでも近くにいたいのだろうと判断するとそれ以上は口にしない。

 そうして店に近付いていくと、やがて店の前に四人の男達がいることに気が付く。

 四人全員が筋骨隆々の大男で、その辺に歩いているような普通の相手であれば睨むだけで怯えて動けなくなってしまうだろう。

 そんな四人が近付いてくるレイ達に視線を向け……だが、最初に視線を逸らしたのは、その四人の方だった。

 護衛として考えれば、明らかに失格の対応。

 それでも近付いてくるのがレイ達であると知れば、責められる者は多くないだろう。

 当然この四人もギルムで活動している以上、レイ達の評判を知っている者達だったということだ。


「悪いけど、入らせて貰うぞ」

「……はい」


 レイの言葉に一瞬の躊躇いの後、すぐに頷きを返す。

 そうして四人が扉の前から体をどかすと、セトを抜かしたレイ達は店の中へと入る。

 唯一セトのみが店の中には入らず、男達の側で横になる。

 こうなると、男達も動くに動けない。

 セトのことは当然知っている。

 迂闊に刺激するような真似をしなければ安全だというのも知っているのだが、それでも間近で見るグリフォンというのは凄い迫力を持っていた。


「グルルゥ?」


 ……もっとも、畏怖の視線で見られているセトは、特に気にした様子もなく不思議そうに首を傾げるのみだったが。






「おや? これはまた、レイさんですか。随分とまた、珍しいところで会いますね」


 店の中に入ってきたレイの姿に、パミドールと話していた人物は嬉しそうな笑みを浮かべてそう告げる。

 だが、以前レイが会った時と同じように、口元には笑みが浮かんでいても目は笑っていない。


「そうだな。俺もまさかこんな場所でトリスに会うとは思わなかったよ」


 スピール商会のトリス。それは、以前レイに銀獅子の素材を売って欲しいと要請してきた相手であり、同時に以前レイに絡んできた貴族とも多少なりとも因縁のある人物だった。


「そうですか? 腕の立つ鍛冶師というのは、色々な意味で貴重です。商人の私がこうして姿を現すのは、不思議なことではないかと。……おや、そちらの美人と美少女のお二人とは初めてお会いしますね」


 レイの横にいるヴィヘラと、その後ろで相変わらず無表情のまま店の中を見回しているビューネを見て、トリスはそう告げる。


「ご挨拶が遅れましたが、私はスピール商会のトリスと申す商人です。お二方のように類い希な美しさを持つ方々と出会うことが出来た幸運に感謝を」

「あら、お上手ね。私はヴィヘラ、こっちはビューネよ」

「ん」


 自分の名前が呼ばれたことに気が付いたのか、ビューネはトリスに向かって小さく頭を下げる。

 そうしながら、ビューネの視線には相手を疑う光が宿っていた。

 トリスも当然それに気が付いたのだろうが、全く気にした様子もなくレイに向かって話し掛ける。


「いやいや、さすがレイさんですね。こんな美人と美少女二人を侍らせているなんて」

「……別にそんなつもりじゃないんだけどな」

「あら、私はレイに侍っても構わないわよ? まぁ、ビューネは……」


 笑みを浮かべたヴィヘラが、ビューネに視線を向けるが、それに対してビューネはそっと視線を逸らすだけだ。

 自分には関係ないと、そう言いたげに。


「どうやらそのつもりはないようだけどね」

「はっはっは。残念でしたね、レイさん。……さて、挨拶はこれくらいにして。何故レイさんがここにいるのかを聞いても?」


 相変わらず目が笑っていないままに笑みを浮かべるトリスに、レイはパミドールに視線を向ける。


「俺はパミドールとそれなりに付き合いがあってな。そのおかげで色々と注文したりしている」

「ほう、パミドールさんと親しいのですか。さすがですな。彼の鍛冶師としての技量は非常に高いものです。だからこそ、私も彼の打った作品を買い付けに来たのですが……残念ながら、彼のお眼鏡には適わなかったようで」

「はっ、よく言うな。お前、俺がレイから頼まれているのを知っててやって来たな?」


 レイとトリスの話に割り込むように、パミドールが凶悪な顔でトリスを睨み付ける。


「はて、何のことでしょう? 私は今も言ったように、単純にパミドールさんの打った作品を買い付けに来ただけですが?」

「はっ、よくそんなことが言えるな。作品の買い付け? お前はさっき俺にこう言ったよな? 『最近、非常に珍しい素材を手に入れ、それで武器を打ったと聞いています。出来ればそれを売って欲しいのですが』ってよ」


 パミドールの言葉に、レイがトリスへ向ける視線が鋭くなる。

 何故なら、その珍しい素材というのが何を意味しているのかというのは、考えるまでもなく明白だったからだ。

 それは即ち……ランクSモンスター、銀獅子の素材。

 そう、レイがパミドールに頼んだ、短剣を意味していたのだから。

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