第1281話
「ん!」
その声と共に、ビューネの放つ短剣が突き出されるが……レイはあっさりとその一撃を回避し、デスサイズの石突きでビューネの足を掬い上げる。
足を掬い上げられたビューネは、そのまま倒れ込み、雪に顔を埋めた。
「んー! んー!」
足を振り回して何とか雪から脱出したビューネは、それを行ったレイに無表情なままでありながら、精一杯の非難を込めた視線を向ける。
「落ち着きなさい、今のはビューネが足下を疎かにしたのが悪いんでしょ? 速度重視だとしても……いえ、速度を重視しているからこそ、足下には注意が必要よ?」
少し離れた場所で、寝転がっているセトの腹に寄り掛かって二人の訓練を見ていたヴィヘラが、からかい混じりにビューネに声を掛ける。
ビューネも自分が迂闊だったから今のような目に遭ったというのは分かっているのだが、それでも不満なものは不満だった。
「ん!」
レイはヴィヘラと違い、ビューネが何を言っているのかを理解することは出来ない。
だが、それでももう一回、と再戦を望んでいることだけは分かった。
春からパーティを組む上で、そのメンバーの戦闘力が上がるのはレイにとっても歓迎すべきところだ。
パーティの役割を考えると、戦闘力が全て……という訳ではないが、それでも他の面子の強さが突出しているのも事実。
異名持ちのレイ、銀獅子の件でパワーアップしたヴィヘラ、元ランクA冒険者のマリーナ。
そんな中で、盗賊のビューネは明らかに戦闘力が弱かった。
モンスターの中でもある程度知能のある敵であれば、その弱点を狙ってきてもおかしくはない。
ゴブリンのような頭の悪いモンスターならともかく、オークのようなモンスターにとってビューネは狙い目だろう。
……また、ビューネが女であるというのも、狙われる要因となる。
まだ子供と言ってもいいビューネだったが、オークのようなモンスターがそれを考慮するかと言われれば、答えは否だ。
それだけに、ビューネの戦闘力をある程度上げるというのはこの冬の必須事項と言ってもよかった。
ビューネもそれを理解しているのか、毎日のようにヴィヘラと戦闘訓練を行っていた。
レイもそれなりに戦闘訓練を手伝っており……それは今日もまた、始まっていたのだ。
「レイさん、ひどーい! ビューネちゃんにもっと優しくしてよ!」
「そうだ、そうだー! ビューネちゃんはもっと労るべきだー!」
裏庭に面している宿の窓から、そんな声が聞こえる。
ビューネは表情を殆ど変えることもなく、言葉も基本的には『ん』としか言わない。
だが、それでも顔立ちが整っており、愛らしい姿をしているのは事実だ。
そして夕暮れの小麦亭にいる冒険者や商人達は冬ということもあって暇を持て余している者も少なくない。
そうなればどうなるか……それが、ビューネの人気だった。
「ん!」
そんな声援――のようなもの――を受けたビューネは、短剣を構えてレイと向き合い……
「おう! その戦い、ちょっと待ったぁっ!」
『きゃーっ!』
唐突に声が割り込み、悲鳴が上がる。
……歓声ではなく悲鳴だったのは、声を掛けてきたのが盗賊の大親分と見間違ってもおかしくない凶暴な顔をしているパミドールだったからだろう。
パミドールの名前は、ギルムでも結構知られている。
元々知る人ぞ知る腕利きの鍛冶師ということでそれなりに有名だったのだが、レイと知り合ってからは一気にその名が広がった。
もっとも、その凶悪な顔だったり、それでいながら愛らしい妻を持っていたり、意外な程に子煩悩だったりとするのも有名になった原因ではあるのだが。
だが、名前は知っていても実物を見たことがないという者も多く、今悲鳴を上げているのはそのような者達なのだろう。
ヴィヘラやビューネの二人は、自分達の近くにいきなり現れた凶悪な顔のパミドールを見ても、特に動揺する様子はない。
元々レイから話を聞いていたこともあるし、何より自分達に対する害意や欲望のようなものを全く持っていなかったからだ。
……ビューネの場合は、何かを感じても表情にでていないだけかもしれないが。
ともあれ、ヴィヘラはもしパミドールが何かしようとしてもすぐに鎮圧出来るという自信があったし、もし手こずるようであればそれはそれで歓迎出来た。
「パミドール? どうしたんだよ、急に」
デスサイズを構えていたレイが、それを解きながら不思議そうに尋ねる。
ビューネの方も、訓練は一旦中止だと判断したのか構えを解き、寝転がってるセトに近付いていく。
セトとヴィヘラ、ビューネの様子に、再び窓から歓声が聞こえてくるのを聞き流しながら、改めてレイはパミドールに何をしに来たのかと、視線で尋ねる。
「別にお前の邪魔をしに来た訳じゃない。ほら、これだよこれ」
そう言ってパミドールがレイに見せたのは、一本の短剣。
ただし、長さは明らかに普通の短剣よりも長く、それでいて長剣よりも短い。
刃の長さが五十cm近いという、ある種長剣と短剣の中間……それも明らかに短剣寄りの長さの武器だった。
そして刃の色は白。
金属で出来ているようには見えないその刃が、銀獅子の爪で出来た代物だというのはレイにも理解出来た。
「これは……また、随分と特徴的な短剣になったな。いや、短剣って呼べるのかこれ?」
長剣でも短剣でもない武器を見ながら、少しだけ呆れを込めて呟かれたレイの言葉に、パミドールはそう言われるのも理解は出来るといった表情で頷く。
「レイが言いたいことは分かる。分かるが……この武器だとこれが最善の形だと判断した。勿論使いにくいようなら、後で調整させて貰う。だが、鍛冶師としてこの武器はこれで完成だと断言出来る」
黄昏の槍の件もあり、レイはパミドールの鍛冶師としての技量を信頼している。
そのパミドールが言うのだから、と。レイは取りあえず不満をそれ以上口にはせず短剣を受け取り……
「お?」
渡された短剣の重量が殆どなかったことに、レイは意外そうな驚きの声を上げる。
普通の短剣より、明らかに刃は長い。長いのだが……重量という意味では普通の短剣よりも明らかに軽かったからだ。
「随分と軽いな」
「ああ。銀獅子の素材の特性なんだろうな。素材の時はもう少し重かったんだが……恐らく、銀獅子の魔力がまだいくらか残っていて、その影響だろうな」
「……なるほど」
通常の短剣よりも長い刃で、攻撃範囲という意味では明らかに普通の短剣よりも上だろう。
そして銀獅子の爪を使った短剣ということもあり、攻撃力という意味でも明らかに通常の短剣よりも上だ。
「どうだ? これならあのお嬢ちゃんの武器としても使いにくいってことはないだろ?」
「そうだな。……ただ、今まで短剣を使ってたのを考えると、その違いにも慣れる必要があると思うけど……今は幸い冬だしな」
だろう? と、少し自慢げに頷くパミドール。
そんなパミドールの様子を見ていたレイは、武器の取り扱い以外には文句を言えないだけの性能を持つだろう短剣を手に、セトを撫でているビューネに叫ぶ。
「ビューネ、ちょっと来てくれ!」
呼ばれたビューネは、相変わらず無表情のまま小首を傾げ、それでもレイに呼ばれたのだからと近付いていく。
そんなビューネの様子に興味を惹かれたのか、ヴィヘラも……そしてセトもレイ達の方へとやってくる。
「これを持ってみてくれ。お前の武器としてパミドールに頼んで作ってもらった短剣だ」
「ん!」
レイの言葉に一言呟き、短剣を手に取る。
見た目通りの重量ではないことに軽く眉を動かし、次に白という珍しい刃の色を見て数秒動きを止め、やがて短剣を振るう。
普段ビューネが使っている短剣とは刃の長さが違う為、振った時の感覚が違うのだろう。
一度、二度、三度といったように短剣を振るい、それでもまだ微妙に感覚に慣れないのか首を傾げる。
その愛らしい姿に、再び宿の方から歓声が聞こえてきたのだが、レイはそれを気にした様子もなくビューネに尋ねる。
「どうだ? 使えそうか?」
「ん!」
少し迷いながら短剣の柄を見せてくるビューネに、レイはヴィヘラに視線を向ける。
大まかにビューネの言いたいことは分かるレイだったが、それでもこういうときにはその言葉を理解出来ない。
レイの視線に、ヴィヘラは笑みを浮かべて口を開く。
「柄の握りの部分が少し太いそうよ」
「……おう? あ、あー……悪い。それは俺のミスだった。そうだよな、大人が使うんじゃないんだから、握りもそっちに合わせる必要があった」
一瞬ヴィヘラが何を言っているのか分からないといった様子のパミドールだったが、すぐに自分の作った短剣を使うのがビューネだと、つまり手の小さな子供だということを理解したのだろう。納得したように頷く。
もっとも、これはパミドールにとっても仕方のないことでもあった。
基本的にパミドールに武器を作って欲しいと店にやって来る者は、殆どが冒険者として一人前になった者達だ。
腕の立つパミドールに仕事を依頼するには相応の金が必要であるのを考えれば当然だろう。
……中には何を勘違いしたのか、貴族や商人の息子といった家が金持ちの者が実力不相応な武器を欲してパミドールに依頼することもあったが、当然ながらパミドールがそんな依頼を受ける筈もない。
以前などはどこぞの貴族の一族で縦と横が同じような体型の男が、自信満々に自分の武器を作らせてやろうと言ってきたこともあった。
勿論そのような依頼をパミドールが受ける筈もなく、ただでさえ凶悪な顔付きのパミドールに睨まれると、即座に逃げ出したということもある。
ともあれ、そのような事情からパミドールは子供が使うような武器というのは殆ど作ったことがない。
また、今回はただの短剣ではなく、ランクSモンスターの……銀獅子の爪と骨を使って作った短剣だ。
そのことを嬉しく思い、多少ミスをしてしまっても、仕方がなかったのだろう。
「そうだな、じゃあ嬢ちゃんの手にしっかりと合わせるか、ちょっと柄を握ってみてくれ」
「ん」
パミドールに言われるがままに短剣の柄を握るビューネ。
それを見ながら、パミドールは柄をどれ程調整すればいいのかを確認していく。
盗賊の大親分と呼ぶのに相応しい容姿をしたパミドールが、少女……場合によっては幼女と呼ばれてもおかしくないビューネの手を握っている光景は、場合によっては警備兵を呼ばれるような事態にすらなっただろう。
(そうなったらそうなったで、ちょっと面白そうだけどな)
二人の様子を見ながらそう考えていたレイだったが、パミドールがビューネから離れたのを見て、疑問に思っていたことを尋ねる。
「そう言えば、短剣を作るのは随分と早かったんだな。お前よりも前にスレイプニルの靴の強化を頼んだアジモフは、まだ苦戦してるけど」
「当然だろ」
レイの言葉に、パミドールはさも当然といった様子で答える。
「当然?」
「ああ。アジモフがやってるのは、もうそこにある完成品のマジックアイテムを強化するという行為だ。それに比べて、俺がやったのは最初から短剣を作るといった行為。ましてや、俺の場合は短剣を作る工程もそこまで複雑じゃない」
だから、アジモフとは比べものにならない程、楽だった。
そう告げるパミドールだったが、レイが何かを言うよりも前に口を開く。
「言っておくが、作業工程が楽だったからって別に簡単だった訳じゃねえぞ。それこそ、銀獅子の素材を使うんだから、かなり集中して精密に手を出す必要がある」
「まぁ、何となく言いたいことは分かった」
それはつまり、行程そのものは大変でなくても、行為の一つ一つに普段以上に気を使って行ったのだろうと、そんな風にレイは納得する。
「ふんっ、分かればいい。それに色々な面から考えないといけないアジモフと違って、俺の場合はある程度技術が確立してるからな。勿論モンスターの素材によっては色々と手を加える必要があるが、銀獅子は例外に近い。手を加えるのは最低限でよかった。いや、寧ろ下手に余計な手を加えれば、質が落ちる」
自分の仕事に自信を持って告げるパミドールの言葉に、レイも職人のプライドが理解出来たのだろう。それ以上は何も口にせずに頷きだけを返す。
「じゃあ、俺はそろそろ戻るぞ。短剣は今日……時間が掛かっても、明日には出来る筈だ」
「分かった。なら明日の午前中に取りにいく」
そうして短く言葉を交わすと、パミドールはそのまま中庭から去っていく。
「ん」
パミドールが去ったのを見たビューネは、レイに短く呟く。
それを見たヴィヘラは、レイにビューネが何を言いたいのかを話す。
「自分が貰ってもいいのかって、そう言ってるのよ」
「ああ。そのことか。俺達とパーティを組む以上、ビューネの能力を高めるのは最優先事項だからな」
その言葉に、ビューネは無表情のまま……それでも頭を小さく下げるのだった。
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