第1280話

 カコウの店、白い香りという店はそれ程広いという訳でもなかった。

 もっとも、カコウ一人でやっているのだと考えれば、十分な広さと言えるかもしれないが。

 そんな店の中に、所狭しと様々な化粧品が陳列されている。


「……いいのか、これ」


 堂々と店に商品を陳列するというのは他の店でもやっているが、それはもし盗まれても自分で何とか出来る自信があったり、用心棒がいたり、もしくは偽物だったりする為だ。

 だが、こうしてレイが見る限り、ここに並べられている化粧品は偽物のようには見えない。

 そんな状況で店に留守番も置かずに外でケニーと話し込んでいたのだから、レイがそんな感想を抱くのも無理はなかった。


「あはは。まぁ、この店はギルド職員や冒険者も多く利用してるから。カコウの調合する香水を使ってる人は結構多いのよ? そんな人達が、この店に危害を加えた相手をそのままにすると思う?」


 そう言われれば、レイも納得するしかない。

 女が美容にどれだけの金を掛けるのかというのはレイも知っていた。

 日本にいた時も、自分の母親が幾つもの化粧品を買ってきているのをその目で見ているからだ。

 コートや厚着を脱いでいるケニーを見ながら、レイは今の説明で疑問に思ったことを尋ねる。


「けど、それなら別に俺は必要ないんじゃないか?」


 ギルド職員や女の冒険者、少数ではあるが男の冒険者も化粧品を買うのであれば、売り上げで困るということはないだろう。

 そんなレイの言葉に答えたのは、ケニーではなくセトと遊んでいたカコウだった。


「駄目よー。私は出来ればもっとみんなに香水を楽しんで貰いたいのー。それに、冒険者用の香水だってあるんだからー」

「冒険者用の香水?」


 そう言われてレイが思いついたのは、体臭を誤魔化す為の香水だった。

 討伐依頼や採取依頼といった依頼を受けて出掛けた場合、モンスターや動物の中には狼や犬には及ばなくても嗅覚が鋭い種族は存在する。

 そのような場合、香水を使って無臭にする……もしくは何か他のモンスターや動物の体臭をつけるのではないか、と。

 だが、すぐに首を横に振る。

 それは既に香水と呼べないと、そう思ってしまった為だ。


「そうよー。男の人はあまり気にしないと思うけど、女は色々と臭いが気になるのー。それに、森とかでは虫とかいるでしょー?」

「ああ、そういう」


 元々香水というのは風呂に入らない体臭を誤魔化す為に発達した……というのを、レイも何かで見たか聞いた記憶があった。

 もっとも、それはあくまでもレイが日本で得た知識だ。

 エルジィンでは違っていてもおかしくはないが。


「そうよー。ただ、さっきも言ったけど出来れば他の人にも香水を使って欲しいのー。何か方法はないかしらー?」


 小首を傾げて尋ねてくるカコウだったが、レイにその手の知識は殆どない以上、答えようがない。


「そう言われてもな。いっそ嗅覚が鋭いモンスターや動物に対する攻撃手段として、物凄く臭い香水を作るとか?」


 レイが想像したのは、催涙スプレー。

 勿論悪臭で涙を流すとは限らないが、それでも攻撃手段として考えればそれ程悪いものではないのではないか。

 そんな風に思ったのだが……


「違うのー。もっと平和的な使い方を考えて欲しいのー!」


 カコウは、レイの言葉が気に入らなかったのかそう叫ぶ。


「平和的って……いやまぁ、普通なら香水は平和的に使うんだろうけど。俺にその方法を聞かれてもな」


 日本にいた時のことを思い出しながら考えるレイだったが、そもそもきちんと香水を使ったことすらないレイに、香水の平和的な利用方法を考えろというのは無理があった。

 それでも泣きそうな目で自分を見ているカコウの姿は、レイに何とかした方がいいのかも? という思いを抱かせる。


「それを何とかお願いー」


 潤んだ目で見られ、そう言われても……と悩むレイ。

 自分が日本にいた時の経験で何かないか。

 そう考えたレイの脳裏を、次の瞬間一つのアイディアが過ぎる。

 香水として考えていたから何も思いつかないのだと。

 香水というのは匂いであり、つまりそっちに関係することなら……


「消臭剤とか?」

「だからー、冒険者が使うような奴じゃなくて、もっと平和的なー」

「違う。そうじゃなくて、部屋の消臭剤だ」

「……お部屋の、消臭剤?」


 花を飾ってその匂いや見た目を楽しむということはあったのだろうが、部屋の中で消臭剤を使うという概念はなかったのだろう。

 カコウは意表を突かれたといった視線をレイに向ける。


「ああ。部屋の中には色々な臭いがこもる。それこそ冒険者の汗臭さだったり、料理の臭いだったり、それ以外にも様々な臭いがな。そういう臭いを消す……もしくは上書きするような消臭剤を作ってみたらどうだ?」


 レイが日本で友人の家に遊びに行った時、部屋の中に入るとラベンダーの香りがしたことがある。

 レイは臭いにはあまり神経質という訳ではないが、その友人は自分の部屋の臭いにかなり神経質だった。

 そのことを思い出し、部屋の消臭剤なら売れるのでは? とそう思ったのだ。


「いい……かも?」


 カコウもレイの意見は決して悪いものではないと思ったのだろう。興味深そうにレイへと視線を向けていた。

 そんなカコウに、レイは再度口を開く。


「ただし、出来るだけ安くした方がいい。本物の香水のように高価だと、買おうとは思えないだろうし。……そうだな、出来れば銅貨数枚くらいで」

「ええー!? そ、そんな値段じゃどう考えても無理だよー!」


 香水は安くても銀貨数枚……高ければ、それこそ白金貨数枚といった代物まである。

 そんな香水を、どうやって銅貨数枚にしろと言うのか。

 天然な性格をしているカコウでも、レイの意見には賛成出来なかったのだろう。不服ですといった表情を浮かべてレイを見ている。

 ケニーもカコウの意見はもっともだと思ったのか、どこか呆れた様子でレイに視線を向けている。


「そう言ってもな。結局香水が売れないのは高いからだろ? なら、多少安くしても、そこから香水に興味を持って貰えば最終的には利益は出るんじゃないか?」


 まさかこんなに反対されるとは思ってもみなかったのだろう。少し驚きながらそう呟く。

 レイにとっては日本にいた時の消臭剤の値段はそのくらいだったよな? というところから口にした値段だったのだが。

 香水の入門の為に、あえて安く売って香水そのものに興味を持たせる。

 そんなレイの説明に、カコウは悩む。


「うーんー……そう考えればー……けどー……」

「私もいいと思うわよ? それに、レイ君が言ってる部屋の消臭剤というのはあくまでも入門用なんでしょ? なら、香水の質もそこまで高品質じゃなくてもいいでしょうし」

「それはそうだけどー、消臭用の香水ってどうするのー? 冒険者の人達が使ってるようなのは、あくまでも一部分に使えるようになってるのよー?」

「うん? 普通に香水の瓶を開けておくだけじゃ駄目なのか?」


 レイの脳裏にはTVのCMで見た霧吹き型の消臭剤や、置いておくだけでいいような消臭剤が過ぎっていた。

 それと同じようにすればいいのではないかと、そう思ったレイの言葉だったが、カコウは首を横に振る。


「駄目よー、それだと香水がなくなるのが早過ぎるし、香水の置いた場所だけが強い匂いになるわー」

「……そうなのか?」

「そうよー。もしレイ君が言う通りにするなら、しっかりと専門の道具を作る必要があるわー。それに香水もケニーが言うように、ある程度安いのを調合する必要があるしー」

「けど、上手くいけば消臭剤はこの店が独占出来るんじゃないか? ギルムに化粧品を扱っている店がどのくらいあるのかは分からないけど。……まぁ、すぐに真似をする奴が出てくるだろうから、そんなに長い間は無理だと思うけどな」

「うーんー……どうしようかしらー。レイ君の意見通りに進めることが出来れば、香水を使ってくれる人が増えると思うけどー……」


 利益が出るのはほぼ確実。

 そう思えるのだが、それでもほぼということは失敗することもある訳で……自分だけでそんな賭けに出るような勇気はカコウにはなかった。


「なら、他の人も誘ったら? カコウと同じように香水を扱っている人を何人か集めて、それでお金を出しあったらいいんじゃない? 必要なのは、その香水をすぐになくさないようにする器具なんでしょ?」


 ただ、そうしたら利益独り占めは出来なくなるけど、とケニーは言葉を締め括る。

 そんなケニーの言葉は、カコウにとっても魅力的だったのだろう。

 誰それと、あの人と、それと……といった風に、早速誘う人物を考え始めた。


「利益が少なくなってもいいのか?」


 あっさりと安全策の方を選んだカコウの様子に、レイはケニーへ尋ねる。


「ええ。カコウは元々人と一緒に何かをするのが好きなタイプだもの。……勿論、私もレイ君と一緒に何かやるのは好きよ?」


 流し目をレイに向けるケニーだったが、レイはそれに気が付いた様子もなくカコウの様子を眺めていた。


(犬の獣人だから、やっぱり大勢でいるのが好きなのか?)


 犬は仲間と行動を共にするのが好きで、猫は個人主義。

 あくまでもレイのイメージだったが、獣人であってもその傾向はない訳でもないのだろう。


「ちょっと、レイ君。私の話を聞いてる?」

「ん? ああ、ごめん。それで?」

「……はぁ。まぁ、いいわよ。香水についてだけど、他に何かいい意見はない?」

「そうすぐに出てくる訳ないだろ。部屋の消臭剤についてだって、ようやく思いついたんだから。……ああ、でも虫除けの香水とかは、あれば便利かもしれないな」


 レイの魔力によるものか、それともグリフォンのセトの力によるものか。

 それは分からなかったが、蚊のような虫がレイやセトに近付くことはない。

 そういう意味では虫除けの香水というのは、あってもなくても良かったのだが、誰かと行動を共にする時にあれば便利だと、そう思ったのだ。


「あらー。じゃあ、これとこれとこれ、あげるー」


 レイの言葉を聞いたカコウが、あっさりとレイに虫除けの効果がある香水を三本渡す。


「いいのか、これ貰っても。香水って基本的に高いんだろ?」

「うん、そうよー。でも、レイ君には香水について教えて貰ったからー」


 香水が三本ともなれば、それこそ銀貨では足りないだろう。

 それだけの価値がある物をあっさりと渡してくるカコウに驚くレイだったが、それに返ってきたのはカコウらしいのんびりとした言葉だった

 その態度から、本当に渡された香水を貰っていいのかどうか迷い、レイの視線はケニーへと向けられる。

 だが、視線を向けられたケニーは特に躊躇する様子も見せずに頷く。


「貰ってもいいんじゃない? 実際カコウはレイ君のおかげで新しい香水の使い方を試せそうなんだし」

「そうよー。レイ君のおかげで香水を使ってくれる人ももっと多くなるんだろうしー、その代金と考えれば悪いことじゃないわよー」


 ケニーの言葉は間違っていないと、そう告げるカコウ。


「そうか? ……別に依頼を受けたって訳じゃないんだし、報酬とかは別にいらないんだけどな。まぁ、くれるって言うのなら貰うけど」


 そこまで言われて断るのも向こうに失礼だろうと判断し、レイは虫除け用の香水をじっと見る。

 冒険者用に作られている為だろう。他の香水に比べると、無骨な作りになっていた。

 貴族が使うような香水であれば、それこそ入れ物からして一つの芸術品のようになっている物も少なくない。

 それこそ、ガラス以外にも魔力を込めた素材や、中には錬金術師が宝石を使って作った代物すらある。

 だが、冒険者が使う香水にそこまで入れ物に凝る必要はなかった。

 戦闘中に壊れてしまうかもしれないと考えれば、そんな高価な物を持つ必要はない。

 ……もっとも、中には香水ではなく宝石の代わりに換金性の高い物としてそのような香水瓶を持つ者もいるのだが。

 これは別に珍しい話ではない。

 単純な宝石よりも、宝石を加工して作った代物の方が高価なのは当然なのだから。

 別に宝石の香水瓶に限らず、何か換金性の高い物を持つというのは珍しくなかった。


「うんー。これで皆に香水の素晴らしさを教えて上げることが出来るわー」


 レイが大人しく渡した香水を受け取ってくれたことに、カコウは嬉しそうに笑う。

 カコウにとって、商売も大事だが……自分が熱中している香水について多くの者が知り、使ってくれることこそが第一なのだ。

 それで商売の幅が広がるのも、間違いのない真実なのだが。

 この後、部屋で使う消臭剤というものの目新しさから、ギルムの中でそれなりに流行ることになり……王都の貴族がその存在を知り、金に糸目を付けずに買い漁り、消臭剤はギルムの名物の一つとなる。

 ギルム以外の商人も当然その消臭剤について同じような物を作ろうとするのだが、材料の幾つかに辺境でしか手に入れることが出来ない素材がある為に、諦めることになるのだった。

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