第1279話

 黄金のパン亭から売り出された肉まんは、瞬く間にギルムの間で話題になった。

 元々冬のこの時季は特に何かをやるべきことはなく、ゆっくりと身体を休めている冒険者が多い。

 中には金が足りなくて依頼を受ける冒険者もいるが、冬越えの資金をきちんと貯めていた冒険者は大半が食べて、飲んで、娼館に行くといったように時間を潰している。

 辺境であるが故に冒険者の数が多いギルムだけに、この時季の冒険者はやることがあまりなく、それ故に目新しい噂が広まるのは早かった。

 ましてや、その噂は大通りに面している食堂……それこそ冒険者であれば誰でも知っている食堂だったのだから、尚更だろう。

 曰く、黄金のパン亭では、これまでに誰も食べたことのないようなパンが売られている。

 曰く、そのパンは普通のパンとは違って驚く程に柔らかい。

 曰く、中の具と外側の生地はとても合っており、幾らでも食べられる。

 曰く、看板娘のサンドリーヌが意外と可愛いくて愛想がいい。

 そのような噂が広がれば、当然のように冒険者達の好奇心を刺激する。

 普段なら依頼を受けることで忙しい冒険者達だが、今は暇で特にこれといってやるべきことはない。

 そうである以上、好奇心を刺激されて黄金のパン亭の噂を確認したいと思うのは当然だった。

 そして好奇心に引きずられるように黄金のパン亭に向かい……そこで、肉まんを口にする。

 焼いたパンというのは、それこそ生まれてからずっと食べてきたが、蒸されたパンというのは完全に予想外だったのだろう。

 結果として、多くの冒険者が連日黄金のパン亭に通い詰めることになった。

 それだけなら良かったのだが、冒険者というのは大人しい者も多いが気性の荒い者も多い。

 そんな気性の荒い者達が、数の限られている肉まんに群がればどうなるのか……それは考えるまでもなかった。


「グルルルルルルゥ!」


 冒険者達が本格的な喧嘩になろうとしたところで、周囲にそんな鳴き声が響く。

 ギルムに住んでいる冒険者で、その鳴き声を誰が発しているのか……そして鳴き声を発した存在の飼い主を知らない筈がない。

 ビクリ、と身体を震わせながら黄金のパン亭の前で本格的に争おうとしていた冒険者達の動きが止まり、まるで壊れた人形のように声のした方へと視線を向ける。

 そこにいるのは、グリフォンのセトと……そして、ドラゴンローブを身に纏ったレイ。

 デスサイズや黄昏の槍といった武器を持っていないのは、冒険者達にとっても幸運だったのだろう。

 もっとも、それはこの乱闘で冒険者達が誰も武器を抜かずに、素手で戦おうとしていたからというのも大きいのだろうが。

 ここで騒げば、間違いなく酷い目に遭う。

 そう判断した冒険者や……それ以外にも乱闘に巻き込まれていた者達は、素早く店の前に並ぶ。

 この辺り、レイがギルムで自分に敵対した相手をどう扱ってきたのかが広く知られているからこそだろう。

 基本的には余程のことでもない限り自分から相手に喧嘩を売ったりはしないレイだったが、それでも敵対した相手は色々な意味で酷い目に遭っている。

 自分はそんな目に遭いたくないと、冒険者達がそう考えるのは当然だった。

 そんな風に並んだのを見て、満足したのだろう。レイはセトと共に再び大通りを歩き始める。


(肉まんを売り出してから、随分混み合うようになったって話は聞いてたけど、どうやら本当らしいな)


 ロドリゴも、自分の店だけでこの客を捌くのは難しいと考え、他の食堂にも肉まんの作り方を教えているのだが、教えたのはあくまでも基本的なことだけだ。

 そこからの工夫はそれぞれの店で行うようにと、自分で考えた改良点については教えていない。

 そのことで不満を言う料理人もいたが、大部分はロドリゴの考えをしっかりと理解し、自分の店で独自の餡を作ろうと試行錯誤している。

 ……それが理由でまだ肉まんを売っている店は多くなく、また売っている店があっても黄金のパン亭には味で敵わない。

 同じ料理を食べるのであれば、より美味い方を食べたいと考えるのは普通であり……この行列はそれが理由でもあった。

 もっとも、そのおかげで毎日かなりの儲けが出ており、サンドリーヌは嬉しい悲鳴を上げているのだが。


(肉まんはいいとして、ピザの方はまだ暫く先だろうな。色々と研究する必要もあるだろうし)


 行列の横を歩き、店の前を通りすぎる時に店の中が客で一杯になっているのを満足そうに見ながら、レイは歩き続ける。


「グルゥ?」


 肉まんを食べないの? とセトがレイを見ながら喉を鳴らす。


「今は混んでるし、そのうちな。……出来たての肉まんを大量に買って、ミスティリングに入れておくってのもいいな」

「グルゥ!」


 最初に食べた肉まんは正直あまり好みではなかったセトだったが、改良が終わった肉まんはしっかりとセトの好みにあったらしい。


「そのうちな、そのうち。今はまだ肉まんが売りに出されてから時間が経っていないから、まだ皆が集中してるだろ。もう少し経てば落ち着くから」

「グルゥ……」


 レイの言葉に、セトは残念そうな鳴き声を上げる。

 もしここにミレイヌやヨハンナのどちらか……あるいは二人がいれば、恐らく何とかして肉まんを得ようとしただろう。


(肉まんの件は、それこそ今が冬で暇人が多いから噂話として広まったんだろうな。そういう意味では、ロドリゴは最良のタイミングで肉まんを売りに出したということか)


 既に昼近く。

 昨夜降った雪も大通りでは踏み固められており、新雪を踏む感触を楽しむことは出来ない。

 そのことを残念に思いながら、レイはセトと共に大通りを歩き……


「あ、レイ君! レイ君!」


 ふと、自分の名前を呼ぶ声に視線を向ける。

 声の主は着膨れしており、顔も見えず誰か分からない。

 だが、その顔も見えない程に着膨れしているという時点で……そして何より、声でレイは相手が誰なのか分かった。


「ケニー……と、そっちは……」


 着膨れしているケニーの側には、ケニーと同年代の女の姿があった。

 こちらもまた獣人で、犬、もしくは狼といったところか。

 その割りにはどこかほんわかとした顔付きで、レイとセトの姿に笑みを浮かべている。

 セトと共に、レイは二人へと近づいて行く。

 今回大通りに出て来たのは、セトと一緒に散歩をするという目的で特に用事らしい用事はない。

 敢えて用事を挙げるとするのなら、肉まんが評判になっているという話を聞き、実際どのくらいの人気なのか肉まんのアイディアを出した者として見てみたかったというのがある。


「よろしくー。私はケニーの友達でー、カコウって言うのー」


 語尾を伸ばす喋り方も、カコウとのいう獣人のほんわかとした雰囲気を現していた。


「あ、ああ。よろしく」

「グルルルルゥ!」


 何となく苦手意識を感じたレイとは逆に、セトは嬉しそうに喉を鳴らしてカコウに近付いていく。


「あ、セトちゃん。久しぶりねー。元気してたー?」

「グルゥ!」


 セトとのそんなやり取りを見て、レイもカコウが何度かセトと遊んでいる光景を思い出す。


(そう言えば、見たことがあるな。……うん。にしても、猫の獣人のケニーと犬の獣人のカコウ。普通なら仲が悪かったりしそうなんだけどな)


 顔は見えないが、先程のケニーの言葉を聞く限りカコウと喧嘩をしているといった風にはとても見えなかった。……いや、この場合は聞こえなかったとするのが正しいか。


「それで、寒いのが嫌いなケニーがこうして外にいるのは珍しいけど……どうしたんだ?」


 嬉しそうにセトと遊んでいるカコウの姿を見ながら、レイはケニーに尋ねる。

 カコウと同様に、ケニーも嬉しそうに――外見からでは分からないので、声で判断するしかないが――レイに向かって話し始める。


「ちょっとカコウに相談されてたのよ。……あ、そうだ。そう言えばレイ君は黄金のパン亭とか満腹亭に新しい料理を伝えていたのよね? もし良かったら、ちょっと話を聞いてくれない?」

「そう言われてもな、今すぐに新しい料理を作れと言われても何もないぞ?」


 黄金のパン亭と満腹亭について話をされ、更には先程肉まんを求めて並ぶ行列を見てきたのでてっきりカコウも料理人か、もしくは食堂で働いている従業員なのかと思ってケニーに言葉を返すレイだったが、ケニーは首を横に振る。


「違うわよ。別にカコウは食堂じゃなくて……ほら、あそこの店をやってるの」


 ケニーの視線の先にあるのは、一件の店。

 ただ、その店はレイも入ったことはなかった。

 何故なら、その店は化粧品の類……中でも香水を主力として売っている店だったからだ。

 今時の男子高校生なら多少は化粧品の類に興味を持ってもおかしくはないのかもしれないが、レイが日本にいる時に住んでいたのは周囲を山に囲まれている場所だ。

 勿論高校ではそれなりに生徒がいたが、元々の性格かレイが化粧品の類に興味を持つことはなかった。

 何らかの化粧品を買うのであれば、その分の金で本やゲームを買った方がいいと、そう考えてすらいた。

 ましてや、今の身体になってからは化粧品が必要かどうかは考えるまでもないだろう。

 いや、使えば使った方がいいのかもしれないが、レイには全くそっち方面に興味がない。


「化粧品店?」

「ええ。白い香りってお店で一応ギルムでもそれなりに有名なんだけど……知らない?」

「店の名前は聞いたことがあるし、外からなら何度か見たことがある。けど、中に入ったことはないな」

「あー、まぁ、レイ君ならそうよね。私が使ってる化粧品も白い香りで買ってるわ。……ああ見えて、カコウって実は腕のいい職人なのよ」


 あははー、と笑いながらセトと戯れている犬の獣人を眺めながら呟くケニーに、レイもまた意外そうな表情を浮かべる。

 とてもではないが、それ程腕の立つ職人という風には見えなかったからだ。

 だが、ここでケニーが自分に嘘を言っても仕方がないというのも事実であり、人は見かけによらないとレイは実感してしまう。


「あー、うん。レイ君が何を言いたいのか分かるけど、香水の調合に関してはギルムでも最高峰の人物よ? 犬の獣人というのも大きいんでしょうけど」


 その言葉にレイは少し疑問を覚えるも、すぐに納得する。

 香水というのは、その名の通り香る水……匂いのついた水だ。

 それを調合するのに、犬の獣人という普通よりも高い嗅覚を持つカコウの能力は打って付けだろうと。

 勿論犬の獣人の嗅覚以外にも、香水を調合するという能力も重要になってくるだろう。

 だが、普通の人に比べて有利な点があるのは間違いなかった。

 友人を自慢するケニーの言葉を聞き、レイはその能力は凄いのだろうと頷くが……同時に疑問も抱く。


「料理についてならまだしも、俺に化粧品店で何をしろと?」

「うーん、実はカコウのお店って化粧品店として名前は売れてるんだけど……それでも主力の香水があまり売れてないらしいのよ。それ以外の化粧品は色々と売れてるみたいだから、店として危機にあるって訳じゃないんだけど」


 セトと遊んでいるカコウにもケニーの言葉は聞こえたのか、ションボリとした表情でレイとケニーに視線を向ける。


「あー、ほらほら。落ち込まないの。で、化粧品はともかく、元々香水って普段から使う人はあまりいないでしょ?」


 そう告げるケニーだったが、本人は普段から香水を使っているのをレイは知っている。

 ギルドの受付嬢として働く以上、それは必要なのだろう。

 今も着膨れをしているが、それでもレイの人より優れた嗅覚は、爽やかな甘さとでも表現すべき香りをケニーから嗅ぎとっていた。


「で、レイ君に香水について何かないかなーって。そう思ったんだけど……どう?」

「いや、無茶を言うなよ」


 レイは即座にそう言葉を返す。

 実際問題、化粧品や香水については全く知識がない。

 料理であれば、それこそ漫画やTVのおかげである程度の作り方を覚えている物もあったが、香水となればレイにとっては完全に守備範囲外だ。

 それこそ、レイは香水の基本的な使い方――手首の内側に香水をつけ、首筋につける――すら知らない。


「香水についてなんて、全く何も知らないぞ?」

「いいから、いいから。思いつきでもいいから、何か意見を出してくれればいいわ」


 そう言い、ケニーはレイを引っ張ってカコウの店がある方へと向かう。

 一瞬抵抗しようかどうか迷ったレイだったが、そもそも今日は特に何かやるべきことがある訳でもないし、今まで自分が全く関わってこなかった香水についても多少興味が湧いたこともあり、そのまま引っ張られていく。

 これが、もし黄金のパン亭のような依頼であったら、引き受けるようなことはなかっただろう。

 あくまでも成り行きで、依頼といったものには関係ない……というのも、レイが気軽にケニーに誘われた理由でもあった。

 ……もっとも、ケニーはカコウの件もあったが、それよりレイと一緒にいることが出来るというのが嬉しかったのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る