第1283話
レイはトリスを見ながら、笑みを浮かべる。
ドラゴンローブのフードを被っている状態で浮かべられた笑みは、見る者に不吉な予感を抱かせる程に凶悪なものだった。
そんな笑みを向けられているのは、スピール商会から派遣されているトリス。
驚くべきは、レイの笑みを見ても取り乱した様子もなく、それどころか笑みを返してさえいるところか。
もっとも、今のレイの前に立つというのはトリスにとってもそう簡単なことではないのだろう。額には大量の汗が浮かんでいた。
「パミドールの店に持ち込まれた、稀少な素材か。……随分と興味深い話だが、どこからその情報を仕入れたのか聞いてもいいか?」
「……いえ、残念ながら情報を他人に漏らすような真似は出来ませんよ」
レイの気配に圧倒されながらも、トリスは何とかそう言葉を返す。
そんなトリスの様子に、離れた場所で様子を見守っていたヴィヘラは感心した表情を浮かべる。
当然だろう。レイが放つ圧力がどれ程のものなのか、それはレイと行動を共にし、そして何よりレイと戦った経験があるヴィヘラは十分以上に理解していた。
「ほう? それは、俺の不興を買ってでも隠しておきたい秘密だと、そういうことか?」
「はい。商人の仁義に反しますので」
「……なるほど」
じっとトリスを見据えていたレイだったが、やがてその身体から発している圧力が弱まる。
これ以上は何を言っても絶対にトリスが口を開かないと思っていたし、何よりどこから情報が流れたのかは大体想像出来た為だ。
そもそも、今日レイとヴィヘラ、ビューネ、セトの三人と一匹がパミドールの店にやって来たのは、昨日夕暮れの小麦亭の裏庭でパミドールが持ってきた時にビューネが柄の部分を太すぎだと言ったからだ。
そして、パミドールが来る前にはレイとビューネが戦闘訓練をしており、それを夕暮れの小麦亭から眺めている者が何人もいた。
恐らくその中にトリスの情報網を担っている人物がいたのだろうと、そうレイは判断したのだ。
別にあの時は特に隠しもしなかったのだから、短剣をその目で見るのは難しくなかった。
……そう、白い刃を持つという、普通では考えられないような、そんな短剣を。
「どうやら、私は余計なことに首を突っ込んでしまったようですね」
レイから感じられる圧力が小さくなった為か、トリスは安堵しながらそう呟く。
決して情報の出所を話す訳にはいかなかったが、それだけにレイが自分にこれ以上何もしないというのは助かった。
そもそもトリスが今日こうしてパミドールの店にやって来たのは、昨日持っていた短剣の素材が何か分からなかったから、というのが大きい。
もし未知の素材であれば、大きな商売になるのでは? と、思ったのだ。
……まさか、その素材が銀獅子の素材だとは思いもしなかったのだが。
レイが関わっている時点でそこに思い至ってもおかしくなかったのだが、残念なことにトリスが聞かされたのはパミドールという人物が未知の素材を持っているというだけだ。
そこにレイの名前は入っていなかった。
その辺りを考えると、情報を持ってきた相手に対して若干思うところはあるが、それでも銀獅子の素材を使えば白い刃が出来るという情報を得たのは大きい。
銀獅子の素材を使えばどのような武器が出来るのかというのは、全く知られていない情報だ。
パミドールが持ってきた未知の武器をレイに……正確にはレイの仲間のビューネに渡したというのを見ている者がいる以上、勘のいい者であればそれに気が付く者もいるだろう。
それでも、その情報を知っている者が少数だというのは間違いのない事実だった。
「そうだな、妙なことに首を突っ込むと、痛い目に遭うぞ?」
レイもトリスの事情を何となく察したのか、先程の口調に比べると若干柔らかくなった口調でそう告げる。
「ええ。ですが、もしどこかに銀獅子の素材を使った武器を卸すのであれば、是非私共をよろしくお願いします」
いつもの目が笑っていない笑みを浮かべながら告げてくるトリスに、レイは頷く。
「その機会があったら、だけどな」
今は銀獅子の素材を使った品を他に渡す気はないレイだったが、それがいつまでもそうだとは限らない。
金に困ることは基本的にないレイだったが、それでも何かの拍子にそのようなことになる可能性は十分にある。
そんな時は、目の前にいるトリスに頼ってみてもいいかもしれないと、何となくそう思ったのだ。
勿論トリスは目が笑っていない様子を見ても分かる通り、完全に信頼出来る相手ではない。
また、トリスが所属しているというスピール商会もその辺は同様だろう。
だが……こうしてパミドールの店にやってきたのを見る限り、有能な人物であるというのは間違いのない事実だった。
ましてや、トリスはレイの評判や性格を知っている。
もし騙そうとしようものなら、どんな災厄が自分やスピール商会に襲いかかるのかは考えるまでもない。
それを分かっているだけに、商人としてのトリスは信頼は出来ずとも信用は出来るというのがレイの判断だった。
トリスも自分がレイにどう思われているのかは知っているのだろう。それ以上は自分に銀獅子の素材を売って欲しいとも、パミドールが銀獅子の素材を使って打った武器を売ってくれとも言わずに、頭を下げる。
「では、私はこの辺で失礼します。……ああ、パミドールさん。パミドールさんが打った武器は、銀獅子の素材を使ったものでなくても、十分に一級品と呼んでもいいと思います。なので、今度はそちらの仕入れで寄らせて貰いますよ」
「……けっ、好きにしろ」
トリスの言葉に、パミドールは不愉快そうにそれだけを告げる。
問題になった短剣が銀獅子の素材だと知ったトリスが、あっさりと引いたことで多少は見直したのだろう。若干不愉快そうではあったが、それでも問答無用で断るということはなかった。
パミドールにとっては、最大限の譲歩だろう。
それを理解したのか、相変わらず目が笑ってない笑みを見せたトリスが、小さく頭を下げ、店から去っていく。
(こういう時も目が笑ってないのか? ……もしかして、トリスの目が笑っていないってのは単純にそういう癖とか、そんなのだったりするのか? ……まさかな)
トリスを見送ったレイが、何となくそんなことを考え、改めてパミドールの店の中にいるのが自分達だけになったことを確認してから口を開く。
「災難だったな」
「ああ。ったく、ああいう奴はしつこいから好きじゃねえんだけどな。……まぁ、それでも最低限の礼儀は知ってたみたいだから、まだいいけどよ」
若干不愉快そうに溜息を吐いたパミドールの姿は、いつもより更に凶悪な顔付きになっており、何も知らない者が夜に街中で遭遇すれば悲鳴を上げてもおかしくないだろうと、レイにはそう思えた。
そんなレイの考えを読んだ訳ではないだろうが、パミドールはビューネに向けて話し掛ける。
「早速調整した短剣を持ってくるから、ちょっと待ってろ」
「ん」
ビューネにとっては、パミドールの凶暴な顔付きも特に気にするようなことではないのか、いつも通り短く返事をする。
自分の顔に怖がらないビューネが珍しかったのか、パミドールは数秒前の不機嫌そうな様子が消え、小さく笑みを浮かべると、店の奥……鍛冶場へと向かう。
「パミドールって言ったわよね? 私は殆ど話したことがないんだけど、随分と特徴的な人ね」
鍛冶場に向かったパミドールを見送り、ヴィヘラが小さく呟く。
「うん? 寧ろ、俺はヴィヘラがパミドールと話したことがあったって方が驚いたな。接点ないだろ?」
「あら、あるわよ? ほら、ちょっと前にやったパーティがあったでしょ? 銀獅子の肉を皆で食べた。そこで少しだけ彼と話す機会があったのよ」
「ああ、あの時か」
多くの客がやって来て行われたパーティだけに、ヴィヘラとパミドールが話していてもおかしくはない。
そんな風に納得するレイだったが、ヴィヘラとパミドールがどんな話題で話したのかが気になる。
戦闘と鍛冶という風に、お互いの興味……もしくは趣味はあるが、それでも二人の会話が弾むとはレイには思えなかった。
もっとも、会話は弾まない代わりにパミドールの顔を見てヴィヘラが怖がるといったことはないだろうという思いはあったが。
「おう、待たせたな。これだ、これ」
興味深いようで、聞くのも少しだけ怖い、どんな話題で話をしたのかを聞こうとしたレイだったが、その前にパミドールが鍛冶場から短剣を持ってやって来る。
パミドールの持っている短剣は、傍目から見る限りだと昨日見たのとそう大した違いはないように見える。
だが、それも当然だろう。元々子供のビューネにとっては柄の太さだけが問題なのであって、刃の長さは昨日と変わっている訳でもないのだから。
ビューネは渡された短剣を手に、無言で鞘から抜く。
そこから現れたのは、昨日も見たが真っ白な……新雪の如き純白の刃。
(武器って言うより、もう芸術品だな)
美しい物に目がない貴族や商人といった者達であれば、それこそ幾らでも金を積んで買おうとしてもおかしくないだろう、純白の刃。
その刃の美しさに目を奪われながら、次にレイが思ったのはやはりその刃の長さだった
(短剣よりも長く、長剣よりも短い。……中剣? ミドルソード? いや、それよりも若干短剣寄りだし……脇差しとか、そのくらいの長さなのか?)
純白の刃を見ながらそう考えるレイだったが、実際には脇差しというのがどのくらいの長さなのかを詳細に知っている訳ではない。
あくまでも日本にいた時、何度か見た時代劇での印象からのものだ。
「ほら、ちょっと振ってみろ。これで問題ないようなら、完成になる」
「ん」
パミドールに促されたビューネは、少し離れた場所……純白の短剣を振っても人に当たらない場所へと移動すると、その刃を振るう。
空気を斬り裂くような鋭い音。
レイの……ましてやそれ以外の高ランク冒険者が武器を振るう時に出る音には及ばないが、それでも以前のビューネでは出せる音ではない。
春からパーティを組むということが決まってから、ビューネの行ってきた戦闘訓練の成果が出ているのだろう。
そのまま短剣を振り、突き、と何度かこなし……やがて数分が経つ。
「ん」
短剣を振るっていたビューネがその動きを止め、満足したようにパミドールに頷く。
いつもはヴィヘラの通訳が必要なビューネの言葉だったが、今は何も言わずともその意味しているところは分かった。
「そうか、満足してくれたか」
パミドールの顔にも、笑みが浮かぶ。
……それでさえ、凶悪なと評すべき笑みなのだが、ビューネはそんなパミドールを怖がる様子もなく小さく頭を下げる。
「ん」
言葉には出さなかったが、それでもビューネがパミドールに最大限の感謝の気持ちを表しているのは、見ている誰もが理解出来た。
「そうか、喜んで貰えて何よりだ。……まぁ、本当ならレイの為に作ろうと思ってたんだがな」
ビューネのような、無表情ではあっても美少女と呼ぶのに相応しい相手に感謝されたのが照れくさかったのだろう。パミドールは薄らと頬を赤くして視線を逸らす。
「ビューネの戦力強化は、パーティを組む上で最大の懸案事項だったからな。俺からも感謝させて貰うよ」
「勿論私も感謝させて貰うわ」
レイとヴィヘラの二人からも感謝の言葉を告げられ、パミドールの顔は頬だけではなく耳や首筋まで赤くなる。
パミドールとレイの付き合いはそれなりに長い。
それだけにレイの性格がどのようなものはしっかりと理解しており、だからこそこうしてレイの口から感謝の言葉を述べられるのは嬉しくも、恥ずかしかったのだろう。
また、妻を愛していても、パミドールも男だ。
ヴィヘラのような美人に感謝の言葉を言われて、嬉しくない訳がない。
(男の……それも盗賊の大親分的な男のツンデレって、需要あるのか? いやまぁ、あるからパミドールも結婚出来たんだろうけど)
そんなパミドールを見ながら、レイはそんなことを考える。
もし今レイが何を考えているのかをパミドールが知れば、恐らく……いや、間違いなくこの場で乱闘になっただろう。
「ん」
そんな均衡を破るかのように、ビューネは小さな布袋をパミドールに差し出す。
「あん? 何だよ?」
顔を赤くしていたのを見られていた気恥ずかしさからか、パミドールはぶっきらぼうに渡された布袋を受け取り、中を覗く。
すると中に入っていたのは、多数の硬貨。
金貨や白金貨は入っていなかったが、それでもたくさんの銅貨に紛れている銀貨の数を数えれば、十枚を超えるだろう。
つまり、実質的には金貨が入っているのと同じようなものだった。
「おいおい、何のつもりだ?」
「ん」
「せめてものお礼……ですって」
ヴィヘラの通訳に、パミドールは少し悩み……やがてそれがビューネの誠意だと判断したのだろう。大人しく受け取るのだった。
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