第1243話
「んあ……ん……んん……?」
朝日が窓から降り注ぐ中、ベッドで眠っていたレイは眼を覚ました。
だが、今自分がどこにいるのか全く分からない様子で周囲を見回す。
見覚えのない場所に少しだけ首を傾げるレイだったが、まだ頭の中は半分近く眠っているのか、そのまま動きを止める。
これが依頼を受けている時や戦場にいる時……もしくは殺気の類があれば、一瞬にして目を覚ますのだろう。
だが、今のこの部屋にいるのはレイ一人だけでしかない。
だからこそ半ば寝ぼけた状態のままでも、レイを咎めたり注意したりするような者はいなかった。
そのまま十分程が経ち……やがてようやくレイの頭の中がすっきりととしてくる。
そしてレイは自分がどこにいるのかを思い出す。
「ああ、そうか。そう言えば俺はダンジョンに来てたんだったな」
自分がヴィヘラやロドスの意識を取り戻す為にダンジョンへとやってきて、最下層にいるボスモンスターの銀獅子を倒したのだということを思い出すと、そっと肋へと手を伸ばす。
銀獅子との戦いでドラゴンローブ越しに加えられた一撃で、骨折まではいかないが鈍痛を感じていた場所。
幸いにもと言うべきか、一晩眠ったことにより既に痛みは完全に消えている。
元々高い回復能力を持ったレイの身体だからこそ、可能なことだったのだろう。
そのことに安堵しながら、素早く身支度を済ませる。
窓の外に視線を向けると、既に太陽は完全に姿を現していた。
とても朝と呼ぶべき時間ではないと、そう考えながらミスティリングから懐中時計を取り出すと、そこに表示されているのは既に午前十時近い時間だった。
日本にいる時であれば、まだ午前中と言ってもいいような時間だったが、この世界では基本的に日本にいる時よりも早寝早起きだ。
……当然だろう。明かりのマジックアイテムも、一般人が買える程度の値段ではあるが、それでも幾らでも好きなだけ購入出来るという程に安いものではないのだから。
だからこそ、夜は早く寝て朝は早く起きるという生活が一般的だった。
そんな生活の中での午前十時すぎなのだから、レイの感覚としては昼近いと言ってもいいのかもしれない。
「ま、それでも急いで何かすることはないし」
もしこれがヴィヘラが意識を失ったままなら、そんなことを言っているような余裕はなかったかもしれない。
だが、もうヴィヘラは目覚めているのだ。
その上、二ヶ月近く意識を失っていたというのが信じられない程元気だった。
「……ああ、なるほど。何だかんだと、やっぱり俺もヴィヘラのことで色々と心配してたんだろうな」
久しぶりにここまで寝坊したのは、心配だったヴィヘラの件が片付いて安心したからなのだろうと、そう判断したレイは自分の分かりやすさに苦笑を浮かべる。
そうして寝室の外に出ると、ふと違和感があった。
何が違和感の原因なのかと周囲を見回すと、すぐに理解する。
人の気配がないのだ。
この部屋はリビングのように寛ぐ部屋があり、そこから二つの寝室へとそれぞれ続くような形となっている。
だが、今この部屋には寝室も含めて人の気配が全くない。
「エルクとロドスはどうしたんだ? ……そう言えば今日帰るって言ってたよな。もう帰ったのか?」
帰るのなら自分に一言くらいあっても良かったんじゃないかと、そう思ったレイだったが……リビングにあるテーブルの上に一枚の紙が置かれているのを発見する。
そこにあったのは、エルクの文字。
帰る前に何度かレイを起こそうとしたんだが、全く起きなかったのでこのまま帰ると、短くそう書かれている。
それと、最後にロドスの意識を取り戻すことが出来たことに対する感謝の言葉が改めて書かれていた。
「あー……本当に気が抜けてたんだな。まさか、起こされても起きない程にぐっすり眠ってたとは思わなかった」
エルクが自分を起こそうとしたのを理解すると、書き置きの手紙をテーブルの上へと戻す。
もし本当にエルクが手段を選ばずに起こそうとしたのであれば、それこそ殺気を発すればレイは飛び起きただろう。
だが、エルクはそこまでする必要がないと判断し、こうして置き手紙を残していったのだ。
少しだけ今の自分の気の抜けようを反省するレイだったが、たまにはいいだろうと判断して部屋を出る。
そのまま向かったのは、食堂。
取りあえず朝食でも食べようと判断してのことだった。
もしくは、少し早い昼食か。
ともあれ、こんな時間だけに食堂の中に人はいない……と思いきや、何故か予想外に食堂の中に客の姿が多かった。
「うん? ……ああ」
何故この時間に? と疑問に思ったレイだったが、食堂の中を見回せばその理由はすぐに分かった。
邪魔にならないようにだろう。食堂の端の方に眼を惹く美女三人がいたのだから。
その美女三人には劣るが、それでも一般的な感覚で考えれば十分に顔立ちが整っている女や、小さな黒い竜の姿もある。
どうやっても周囲から注目されるだろうその集団は、しかし異質すぎて誰も声を掛けようとしている者はいない。
もしかしたら、その人物達の正体が……姫将軍の異名を持つ公爵令嬢、ギルムのギルドマスター、ベスティア帝国の元皇族といったことを知っている者がいるからか。
(いや、前の二人はともかくヴィヘラのことが知られている可能性は少ないか)
元々ヴィヘラは皇族として公式な行事に出ることは少なく、数年前にベスティア帝国を出奔している。
その情報を持っている者自体が少ないだろうし、情報を持っていてもヴィヘラの顔を知っている者がミレアーナ王国の……それも辺境の、ギルムではなくダンジョンにいるという可能性はかなり少ないだろう。
それでも、ヴィヘラの事情とは関係なく外見だけで人々の注目を集めるには十分だったのだが。
(言い寄ってる奴がいないのは、やっぱりエレーナとマリーナのおかげか)
食堂の中の席は殆ど埋まっているのだが、実際にエレーナ達に話し掛けているような者の姿は見えない。
いや、もしかしたら最初はいたのかもしれないが、少なくても今はその姿はどこにもなかった。
一種異様な雰囲気の中……レイは特に気にした様子もなく、エレーナ達が座っている席へと向かう。
周囲に座っている者達からは命知らずを見るような視線がレイへと向けられるが、レイはそんな視線を気にした様子もない。
そして当然のようにエレーナ達も近づいてくるレイの存在に気が付き……次の瞬間、言葉で斬り捨てられると思っていた周囲の客達は、目を疑うことになる。
「レイ、今日は随分と遅かったのだな。もう少し早く起きてくるかと思っていたのだが」
エレーナが、その黄金の髪を掻き上げながら笑みを浮かべてレイへと話し掛けたのだから。
また、笑みを浮かべているのはエレーナだけではない。マリーナやヴィヘラも心の底から嬉しそうな笑みを浮かべているのが周囲の者達には分かったし、アーラに関しても他の三人程とはいかないが、笑みを浮かべているのに変わりはない。
「キュキュ! キュウ!」
そしてテーブルの上でサンドイッチを食べていたイエロも、レイの姿を見ると嬉しそうに鳴き声を上げる。
いや、それだけではなくテーブルを蹴って小さい羽根を必死に動かし、レイへと飛び込んでいった。
「っと、どうした? 今日は随分と甘えん坊だな。セトと遊びたかったら、厩舎の方に行ってもいいんだぞ?」
イエロを撫でながら、冷たく硬い鱗の手触りを楽しみつつ、そう告げる。
そんなレイの言葉を聞いているのか、いないのか。ともあれ、イエロはレイに撫でて貰って十分に満足したのか、レイを蹴って再びテーブルへと戻ると食べかけのサンドイッチに小さな牙を突き立てた。
そんなイエロの様子にレイは笑みを浮かべ、エレーナ達が座っているテーブルへと座る。
「で、寝坊した理由は?」
エレーナの言葉に答えなかったレイに、ヴィヘラが再度尋ねてくる。
「寝坊した理由と言ってもな。昨日は色々と大変だったからな。どうしても疲れがあったんだろ」
ヴィヘラの件で安心したとは言わず、そう誤魔化したのは照れ隠しからだろう。
もっとも、それは決して間違っている訳ではない。
銀獅子との戦いは、レイがこれまで経験してきた中でも最高峰と言ってもいい激戦だったのだから。
エルクを含め大勢の力を借りてようやく倒すことに成功はしたが、それでもかなり限界に近かったというのは事実だ。
強力な防御力というのは、非常に厄介だと……そうレイに思い知らせた一件だった。
その上、グリムから聞いた話によると銀獅子というのは他にもまだ多くいるらしいというのだから、レイにとってはいつかは一人で倒せるようになりたいと思わせるには十分だった。
(素材は……幸い殆どが俺に譲られたから、次に俺が銀獅子を倒したら、その素材はエレーナ達に分けるとしよう)
多くの素材というか、殆ど全ての素材を譲って貰った以上、その礼はするつもりだった。
それこそ、自分が出来る最大限の感謝の気持ちだと考えて。
注文を取りに来た従業員に適当に朝食を注文してから、レイは口を開く。
「それで、俺の部屋にはもうエルクとロドスの姿がなかったんだけど……」
「ああ、エルク達なら今朝早く発ったわよ。少しでも早くロドスをギルムで休ませてあげたいんでしょ」
「それは知ってる。部屋にエルクからの書き置きがあった。……出来れば見送りたかったんだけどな。エルクが軽く声を掛けても、全く起きなかったらしい」
「……エルクに声を掛けられても起きなかったってのは、冒険者として色々と不味いんじゃない?」
「俺も少しはそう思うよ」
ヴィヘラに言葉を返し、運ばれてきた朝食……にしては、随分と量の多いそれへとフォークを伸ばす。
高級な宿だけあって、普通に味わえば十分に美味いのだろう。
それは分かっているのだが、それでも前日に食べた銀獅子の肉を使った料理の味を思い出してしまうと、どうしても何か物足りなく感じてしまう。
……そんなレイの態度を見て、何を考えているのか予想出来たのだろう。エレーナ達はアーラも合わせて四人共が同じような笑みを浮かべる。
代表して口を開いたのは、エレーナ。
「ここの料理も不味くはない。いや、美味いと言ってもいい。だが……それでも物足りない」
「……分かるか?」
「当然だろう。今レイが感じている物足りなさは、ここにいる全員が……」
そこで言葉を一旦止めたエレーナは、テーブルの上でサンドイッチを食べ終わり、残っていた肉の炒め物へと新たに牙を突き立てているイエロの姿があった。
嬉しそうに尻尾を振っているその姿は、とてもモンスターの頂点に立つと言われる竜種の子供には思えない。
勿論イエロはエレーナが竜言語魔法で生み出した存在であり、正真正銘の竜という訳ではないのだが。
「イエロを除いた全員に共通しているのだから」
「キュウ?」
自分の名前が呼ばれたのに気が付いたのだろう。イエロは小首を傾げてエレーナへと視線を向ける。
そんなイエロの頭を撫でながら、そうだろう? とレイに視線を向けるエレーナ。
レイはそんなエレーナ達に小さく肩を竦めて、その通りだと態度で示す。
「この店の料理も十分に美味い筈なんだけどな」
それは、一昨日と昨日この宿に泊まって食事をした時に十分理解していた。
だが、今は昨日食べた銀獅子の料理の味を思い出し、どうしてもそれと比べてしまう。
美味すぎる料理の弊害……と言えるだろう。
いや、オークの煮込み亭の店主がまだ銀獅子の肉の特性を活かすような料理法を見つけることが出来なかった以上、この場合は美味すぎる食材の弊害と呼ぶべきか。
「そうだな。……まぁ、それでもいずれあの味も忘れるさ。いや、レイの場合は銀獅子の肉を大量に持っているのだから、その辺りが心配だが」
「ギルムに戻って、ヨハンナ達が帰ってきたら、肉を振る舞う必要があるのを考えると、あまり食べられないけどな」
「あのねぇ。あれだけの身体の大きさだったのよ? 普通なら食べきれないって言うところじゃない?」
レイとエレーナの会話を聞いていたヴィヘラが、どこか呆れたように告げる。
体長六m……尻尾を除いても体長四mの銀獅子だ。その肉の量の多さは、普通ならとても一人や二人……この場合はセトだから、一人と一匹と呼ぶべきか。
ともあれ、レイとセトだけでは食べきれるものではない。……普通なら、だが。
レイとセトの食欲を知っていれば、それこそ数日と経たずに銀獅子の肉はなくなってしまう。
そう思ってしまう者がいても、不思議ではない。
いや、当然だった。
「……それより、今日はどうする? やっぱりもう帰るか?」
何となく話の流れが自分に不利なように感じたレイが、話題を逸らし……特にこれ以上ここに残っている必要もないと皆が判断し、結局あっさりとギルムへと帰ることが決まるのだった。
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