第1242話
本来はヴィヘラの意識が無事戻った打ち上げだった筈が、気が付けば最後には銀獅子の肉を使った料理の品評会といった形になった打ち上げが終わり、現在レイ達は外を歩いていた。
既に晩秋……しかも夜ということもあって、ヨハンナ達は夜の空気の冷たさに悲鳴を上げる。
それでも銀獅子の肉を食べた影響か、それとも単純に食事が終わった直後だからか、本当の意味で寒がっている様子ではない。
あくまでもそういうポーズをとっている……というころか。
「それで、俺達は近い内に帰る予定だけど、ヨハンナ達はどうするんだ?」
「うーん、私達も本格的に雪が降る前にはギルムに戻りたいですね。目的は果たせましたし」
呟きながら、ヨハンナはヴィヘラの方へと視線を向ける。
二ヶ月近い意識不明の状態から今日目が覚めたばかりだというのに、全く身体に異常がないように見えるヴィヘラの姿。
元々ヨハンナ達がこのダンジョンにやって来ていたのは、ヴィヘラの意識を取り戻すポーションの類を入手する為だった。
だが、結局ヴィヘラの意識を取り戻すという作業はグリムがやってくれたので、ヨハンナ達がこのダンジョンで得たのはダンジョンに潜った結果得た素材や討伐証明部位といった物を売って出来た金……それも一般的には大金と呼ぶに相応しい金額だ。
そういう意味では、決してダンジョンに潜った意味がなかったということはないのだろう。
冒険者にとって、金とは幾らあっても多すぎるということはない。
武器や防具の買い替え、ポーションを始めとした消耗品の購入、情報屋に払う料金、それ以外にも様々な理由があり、一般に暮らしている者と比べても金の消費は激しい。
「レイさん達はいつ帰るんですか?」
「あー……そうだな。早い内に帰ると思う。冬はギルムにいたいし、何よりこのダンジョンは……なぁ?」
最後まで言わずとも、ヨハンナにはレイが何を言いたいのか分かった。
ダンジョンの核が破壊されたとなれば、時間が経つに連れてダンジョンはダンジョンとしての機能をなくしていく。
それを知れば、それこそ気が早い者なら早い内に……冬になる前にここから撤退をするようなことを考えるだろう。
そのような者達が多ければ、色々と混み合って面倒なことになるのは確実だった。
ヨハンナもレイの言いたいことは理解したのだろう。周囲の建物へと視線を向ける。
村の規模を超え、既に小さな街に近い規模になっているこの場所だけに、ここで暮らしている者の数も多い。
具体的にどれだけの人数が早い内に出ていこうと考えるのかヨハンナには分からなかったが、住民の一割でもここから出て行こうとすればかなり混乱するのは容易に想像出来た。
そんな混乱に巻き込まれたいのかと言えば、当然答えは否な訳で……また、ギルムにはヨハンナ達が暮らしている屋敷があるのだから、どうせ冬を迎えるのであれば狭い宿ではなく屋敷ですごしたいと思うのは当然だろう。
「なら、私達も早い内に帰った方が……」
「おい、ヨハンナ。まだ俺達は帰れないぞ」
「え?」
明日にでもすぐに帰ろう。
そう言いたげなヨハンナだったが、仲間がそれに待ったを掛ける。
何故? と、そうしているヨハンナに、仲間の男は溜息を吐いてから口を開く。
「あのなぁ、忘れたのか? 三日後に錬金術師の護衛依頼が入ってただろ。ダンジョンの中の素材を調べるとかで」
「……あ」
ヴィヘラの……そしてついでにロドスの件ですっかりとその件を忘れていたのだろう。ヨハンナはようやくギルドから受けていた依頼のことを思い出して声を上げた。
つまりそれは、レイ達とは一緒にギルムへと帰ることが出来ないことを意味している。
少しでもセトと一緒にいたいヨハンナは、出来ればレイ達が帰るのに合わせて自分達もギルムへと帰りたかった。
だが、ギルドから依頼を受けてしまっている以上、そんなことが出来る訳もない。
これが怪我をして……もしくは武器が壊れてしまったといった理由であれば、依頼をキャンセルすることも出来ただろう。
だが、どうしようもない理由ではなく、自分の都合で依頼を断ることは……勿論不可能ではないが、そのような真似をすれば次以降に別の依頼を受ける時に色々と面倒なことになるのは確実だった。
それも、このダンジョンだけではない。このギルドはギルムのギルドの出張所であり、そうなればギルムで依頼を受けようとしてもギルドの方から断られるということになる可能性すらある。
それを避ける為には別の街や別の国に行く必要があるだろうが、ギルドの間である程度の情報は共有されている以上、それでも絶対とは言えない。
また、何よりも最大の問題として、ヨハンナがセトのいない場所で暮らせるのかといった問題もあった。
ヨハンナがどれだけセトを可愛がっているのかを知っている者からすれば、そのような真似は絶対に出来ないと断言するだろう。
「あー……セトちゃんと一緒の旅を楽しみたかったのに……」
「諦めろ。その代わり、ギルムに戻ったら、セトと一日すごす権利を貰ったんだろ?」
「それはそうだけど、でもセトちゃんと遊べる時間まで遠くなっちゃうじゃない!」
普段の様子とは違い、まるで駄々っ子の如く文句を言うヨハンナ。
いつもであれば、皆を引っ張る頼れるパーティリーダーなのだが、セトが絡むとこうなってしまうのだ。
だが、幾ら駄々っ子でも、依頼を受けておきながらそれを投げ出すような真似をするというのはどれだけの出来事かというのは分かっているのか、結局ヨハンナはレイ達と共にギルムに戻るのを諦める。
「仕事を途中で投げ出すような奴は、セトも嫌いだぞ」
レイの口から出た、この言葉が決定的な一言だったのは間違いないが。
「うう、セトちゃん。またここで……は無理でしょうから、ギルムで会いましょうね。その時は一日ゆっくりと一緒にいてあげるからね?」
「グルゥ」
レイ達が泊まっている、ここで最も高価な宿とヨハンナ達が泊まっている宿の分かれ道でヨハンナがまるで恋人との永遠の別れのように悲しげに呟く。
それを聞いていたセトは、またね、とそこまで深刻な様子ではなかったのだが……
「うんうん。大丈夫よ、セトちゃん。私はいつでもセトちゃんのことを考えているから」
ヨハンナの中では、今のセトの態度は自分との別れに悲しんでいるという風に変換されたらしく、セトへと抱きつきながら別れを惜しむ。
「じゃあ、お前達も気をつけてな」
「あ、はい。分かりました。でも、やるのは錬金術師の護衛ですし、そこまで深く潜る訳でもないので心配はいらないと思いますけどね」
「楽に倒せる敵でも、ダンジョンはダンジョンだ。何があってもおかしくないんだから、油断はするなよ」
何となくダンジョンを甘く見ているようなところが垣間見え、レイはくれぐれも油断をするなと念押しをする。
これまでにもこのダンジョンで活動をしてきただけに、出てくるモンスターがどのような存在なのかというのは把握しているのだろう。
実際、純粋にダンジョンに潜っている時間で考えれば、ヨハンナ達はレイ達よりも圧倒的に上なのは間違いないのだから。
男達も、レイがどれだけの強さを持っているのかというのは知っている。
それこそベスティア帝国の内乱で、その力を実際に眼にしたのが帰るレイについてミレアーナ王国にやってきた理由なのだから。
そんなレイに改めて注意するように言われれば、それを聞かないなどということはなかった。
「分かりました。今回の錬金術師の護衛が終わったら、俺達もギルムに戻りますので」
ヨハンナやその仲間達にとっても、ダンジョンの核が失われたダンジョンに居続けるというつもりはなかった。
何よりパーティリーダーのヨハンナは、ギルムに行けばセトがいて、そのセトと一日をすごせる権利を貰っているのだ。
そんな状況で、とてもではないがここへの滞在をヨハンナが認めるとは思えなかった。
また、仲間の男達も自分がゆっくりするのであれば、宿よりもギルムにある屋敷で、という考えが強い。
「じゃあ……そろそろ俺達は行くよ。ヨハンナ、そろそろセトを離してくれ」
「ああああああ、セトちゃん……早く、なるべく早くギルムに帰るからね。それまで寂しいけど待っててね?」
「グルルゥ?」
ヨハンナの言葉に、セトは不思議そうに喉を鳴らす。
そんなセトの様子が、またヨハンナにとっては愛らしいものなのだろう。
離れたくない、とセトに抱きつく。
だが、いつまでもこのような真似をさせておく訳にもいけず、レイはヨハンナをセトから剥ぎ取る。
「ほら、いい加減にしろ。あまりセトに構いすぎると嫌われるぞ」
「う゛っ!」
レイの一言が予想以上に効果を持ち、すぐにヨハンナはセトから離れる。
もっとも、抱きつかれていたセトは特に嫌がっているような様子も見せていなかったのだが。
「セ、セトちゃん。私のことは嫌いにならないわよね? ね? ね?」
「グルゥ!」
勿論! と喉を鳴らすセト。
そんなセトを見て安心したのか、ヨハンナは数秒前の慌て振りが嘘のように安堵の溜息を吐く。
「じゃ、ヨハンナも離れたことだし……またな」
レイ以外に、エレーナ達もそれぞれ挨拶を交わし、そのままヨハンナ達と別れて宿へと向かう。
「そう言えば、こうして夜に馬車じゃなくて歩いて移動するっていうのは珍しいわね」
「そうか?」
ヴィヘラの言葉に、レイは疑問の言葉を口にする。
馬車の類に乗るようなことは滅多にないレイだけに、歩いて移動するというのはそれ程珍しい話ではない。
……馬車の代わりに、セトに乗って移動するということはあるのだが。
「私はそうよ。……エレーナ達は?」
「ふむ、そうだな。私も立場上馬車や馬に乗って移動することが多いな」
「あら、じゃあレイとこういう経験をしたことがあるのは、私が一番多いのかしら」
エレーナとマリーナの言葉に、ヴィヘラだけが少しだけ得意そうな表情で告げる。
そんなヴィヘラに、エレーナとマリーナは当然面白くなさそうな表情を浮かべ、口を開く。
「それでもレイとの仲が進展していないのを考えると、あまり効果がないらしいな」
「そうね。寧ろ一緒にいることが惰性となっているんじゃない?」
二人に揃ってそんなことを言われると、当然ヴィヘラも面白くはない。
「あらあら、女の戦いに負けたからって嫉妬するのはどうかと思うわよ?」
「負ける? 私が? 残念だが、私はヴィヘラに負けたことなど一度もない」
「そうかしら。少なくても、女の色気という意味では私に負けてると思うけど?」
「あら、それなら私もそれなりに自信があるわよ?」
ヴィヘラの言葉に、マリーナが同調するように告げる。
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ……三人が三人とも、類い希なる美女と呼ぶに相応しい容姿をしている。
だが、類い希なる美女であっても、三人からそれぞれ受け取る印象は大きく違う。
エレーナは凛とした雰囲気、ヴィヘラは健康的な色気、マリーナは女としての艶。
そのように違う印象を放つ三人だが、こと色気や艶という面ではエレーナが他の二人に劣っているのは事実だった。
勿論マリーナが着ているようなパーティドレスを着れば、その外見は見る者全ての視線を惹き付けるような艶姿となるだろう。
だが、それでも……本人がこれまで女ではなく戦いに生きる者としての時間を積み重ねてきた以上、どうしてもヴィヘラや……ましてや、女として濃厚な艶を発するマリーナには劣ってしまう。
それを自覚しているからこそ、エレーナは優しく降り注ぐ月明かりに、黄金そのものにしか見えない髪へそっと手を伸ばす。
「だ、大丈夫ですよエレーナ様。エレーナ様はとてもお美しいですから! ね、そうですよねレイ殿!」
レイへと尋ねるアーラだったが、その視線の中にはレイですら一瞬たじろぐだけの強い光がある。
もし違うと言ったら、その瞬間喉笛を食い千切られかねないと……本気でそう思ってしまうだけの光が。
「あー……うん。そうだな。勿論俺もそう思うぞ。なぁ、セト?」
「グルゥ?」
突然話を振られ、セトが小首を傾げる。
グリフォンのセトにとって、人間の美醜というのは分からない。
ましてや、女の艶や色気がどうこうといった話をされても、全く理解は出来なかった。
話を何とかあやふやに誤魔化そうとするレイだったが、当然エレーナ達がそれで誤魔化される筈もなく……宿に到着するまで、皆で騒ぎながら歩き続けることになる。
そんな、何気ないやり取りだったが……そのようなやり取りだからこそ、ヴィヘラが戻ってきたんだなと、レイはしみじみと実感するのだった。
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