第1229話
『意識を取り戻す予定の者……ヴィヘラとロドスと言ったな? その者達を床に並べよ』
魔石を取り出されても尚脈動している銀獅子の心臓を自分の近くに浮かべながら、指示を出すグリム。
その指示に従い、ヨハンナやその仲間達は二人を床へと並べる。
ヴィヘラとロドスの二人が床に並べられているその光景は、非常に対照的でもあった。
女と男、意識を失ったままの状態と痩せている状態。
そんな二人を目にし、改めて一同は小さく息を吐く。
これからこの二人が意識を取り戻す。
そう理解していながらも、心の片隅には本当にそうなるのか? という思いもあった。
やはりそれは、グリムがアンデッドモンスターであるというのが関係しているのだろう。
周囲から向けられている視線には気が付いていたグリムだったが、特に気にした様子もなく次の行動へと移す。
意識を失っている二人の上へと心臓を移動させると、持っていた杖の先で軽く床を突く。
瞬間、ヴィヘラとロドスを中心として床に魔法陣が浮かび上がる。
……そう、わざわざ自分で何かを使って書くのではなく、瞬時に魔法陣が生み出されたのだ。
それも、小さな魔法陣ではない。
ヴィヘラとロドスを中心にし、半径五m程もあるような大きさの魔法陣だ。
『な!?』
突然目の前に広がった光景に、一同は驚愕の声を上げる。
それ程、今レイ達の目の前で行われている光景は非常識極まりないものだったのだ。
しかしグリムはレイ達の声は素通りしているかのように聞いておらず、杖を持っていない左手を……骨だけのその手を複雑に組み合わせながら、レイ達にはよく理解出来ない言葉を紡いでいく。
言葉が……呪文が進んでいくに連れ、ヴィヘラとロドスの上に浮かんでいた心臓の脈動が次第に弱まり、その代わりに心臓から降り注ぐ光がヴィヘラへと降り注ぐ。
この時点でロドスに一切心臓からの光が降り注いでいないのは、ヴィヘラの方を優先するということを実行しただけだろう。
ヴィヘラへと降り注ぐ光を見ているエルクとミンの表情は厳しく引き締まっている。
ロドスに降り注ぐよりも前に光が消えてしまえば、それは今日ロドスが意識を取り戻さないということなのだから当然だろう。
力を入れて握り締めているエルクの拳は爪が皮膚を破って血を流しそうであり、ミンも自分の杖を手が白くなる程に力を入れて握り締めている。
それ以外の面子は、何とかヴィヘラの意識が取り戻せるようにと祈るように銀獅子の心臓から降り注ぐ光を見ていた。
そのまま、一体どれだけの時間が経っただろう。
じっと見ているレイ達にとっては、数秒にも数分にも……下手をしたら数時間にも感じられただけの時間。
やがてヴィヘラの身体に降り注いでいた光の雨が止まる。
空中に浮かんでいた銀獅子の心臓は、最初に光の雨を降り出させた時に比べると大分縮まってはいるが、それでもまだかなりの大きさを持っていた。
そんな心臓を見て、エルクとミンは微かに息を吐く。
この様子を見る限り、ロドスの意識を取り戻せるかもしれないと。
自らの中にいる異物。
その異物との戦いが始まってから、どれくらいの時間が経ったのかヴィヘラには分からなかった。
外では二ヶ月以上の時間が経っているのだが、ヴィヘラにはそんなことは分からない。
完全に時間の感覚がなくなっている為だ。
そんな時間の感覚が麻痺している中、ヴィヘラは自分の中にいる異物と戦い続けている。
アンブリス。そう呼ばれる存在であるというのは分かっていたが、そんな相手であっても次々に相手へと攻撃を続けていく。
もっとも、攻撃といっても現実世界で行われているように直接殴ったり蹴ったり、ましてやスキルを使用したりといった意味での攻撃ではない。
ここが自分の中であると認識し、相手を拒絶する。そんな戦い。
いや、拒絶というよりも排除というのが正しいか。
延々とそのような戦いを行っているのだが、時間の感覚もないせいか、ヴィヘラに疲れ……精神的な意味での疲れは全く存在していない。
それどころか、時間が経つに従って次第にアンブリスを圧倒することすら出来るようになっていた。
だが……圧倒は出来るのだが、アンブリスの核とも呼べるべき存在に対しては全く手出しが出来ない。
正確には手出しは出来るのだが、ヴィヘラの攻撃が全く通じていないと表現するのが正しいか。
アンブリスもそれを理解しているのか、自分の殻に篭もって鉄壁の防御態勢を取り、ヴィヘラの隙を突くかのようにして攻撃を仕掛けてくるようになっていた。
戦況という一点で見れば、圧倒的に有利なのはヴィヘラだ。
だが、それでも勝ちきれない……そんな千日手に近い状況となっている。
(参ったわね。いつまでもこんな状況でいると、多分レイには心配を掛けさせていると思うんだけど)
口にした言葉であっても、今の状況ではそれが実際に言葉となって響くことはない。
ここは、そんな奇妙な空間なのだ。
既にそれには慣れたヴィヘラだったが、正直なところ視線の先にいるアンブリスの核をどうにかする手段が思いつかなかった。
その核以外のもの……例えばその核から伸びて、自分を侵食しようとしてくる触手のような存在であれば、排除するという強い思念を放てばあっさりと消滅させることが出来る。
しかしそれでどうにか出来るのは、あくまでも核から伸びてくるアンブリスの一部分のみだ。
核の方はどうにもならない。
アンブリスの一部を消滅させている以上、このまま時間を掛ければいずれアンブリスを倒せるのではないかと思ったこともあった。
だが、もしアンブリスが本当に自分の身に危険を感じた場合、それこそ触手を出してくるようなことすらしなくなるのではないかと思いもある。
自分の核にいる限りはヴィヘラの攻撃は効果がない。
つまり、そこに最低限自分の命は確保してあるのだ。
それはヴィヘラにとっては非常に厄介なことであり、迂闊に核から出て来ている触手を消滅させられない理由でもあった。
(本当にどうしたらいいのかしらね。厄介極まりないし。……アンブリスに対して私の攻撃が通用しないということは、純粋に私の攻撃力不足? けど、この世界での攻撃力というのは、別に生身の身体がどうこうというのは関係ないみたいだし)
どうしようもない。
それがヴィヘラの出した結論だった。
勿論それでも何とかしようとして色々と考え、試しはしたのだが……それも結局はどうにもならない。
結果として、この世界の九割以上は既にヴィヘラのものとなっているのに、そこで足踏みをしている状態だった。
(レイが何とかしてくれると思うんだけど……結構前だっけ? それともついさっき? くらいに身体に力が入るような感覚が何度かあったし)
その感覚というのは、実はレイが世界樹のポーションをヴィヘラに口移しで飲ませたことであったり、回復魔法の使い手がヴィヘラに回復魔法を使ったりしたものであったのだが……当の本人はそれには全く気が付いていない。
身体に力が入るような感覚があっても、この空間では役に立たない。
……いや、それでもレイが外から自分をどうにかしようと行動してくれているというのが分かるという意味では役に立ったのだが。
(じゃなくて、とにかくなんとかしないと。このままだといつまで経ってもレイに会えないじゃない)
そう思った瞬間……不意に、本当に不意にヴィヘラは自分の意識が力を増していくのを感じていた。
それこそ、今までの自分は何だったのかと。そう言いたくなるくらいの力の増加。
例えるのであれば、つい先程までの自分がゴブリンであったとすれば、現在の自分はサイクロプスといったところか。
(いえ、自分をゴブリンに例えるのはちょっと嫌だけど)
自分で自分の考えを否定しつつ、ともあれどのような理由でかは分からないが、自分の身体に力が漲ってきたことにヴィヘラは笑みを浮かべる。
何より、誰がこのような行為をしたのかというのを、ヴィヘラは十分に理解していたからだ。
(間違いなく、レイでしょうね。もしかしたらマリーナ辺りも協力しているかもしれないけど。それとも……そう言えば、ビューネはもう戻ってきているのかしら?)
ヴィヘラの脳裏を、様々な人達の姿が過ぎる。
そうして考えている間にも、時間が経つに連れて自分の力が増していくのがヴィヘラには分かった。
また……ヴィヘラの能力が増しているのは当然ヴィヘラの中にいるアンブリスにも理解は出来ているのか、戸惑ったようにアンブリスの核は揺れる。
今まではヴィヘラがどうやっても自分の核にダメージを与えることが出来なかったが、今は違う。
見るからに巨大な力を宿すようになったヴィヘラは、今の核であれば間違いなく破壊出来るだろうと。そう思ったからからだ。
もっとも、思ったといってもアンブリスには人間のような明確な思考能力がある訳ではない。
殆ど本能に従って行動をしているので、そう感じ取ったというのが正しいのかもしれない。
だが……だからこそ、目の前の相手に恐怖した。
レイによって消滅させられそうになり、その恐怖から生存本能を刺激され、自分が生き延びる道としてヴィヘラの中に入り、その身体を乗っ取るという選択をしたアンブリスだったが、今のアンブリスは再びその生存本能が刺激されている。
このままであれば死ぬ。
それは分かっているのだが、既にヴィヘラの身体に入ってしまった以上、自分の意志で出ることは出来ない。
このままでは自分は消滅するのに、それを避ける方法は存在しない。
アンブリスにとって最大の誤算は、ヴィヘラの精神的な強さだったのだろう。
ヴィヘラの身体を乗っ取るどころか、今の自分はヴィヘラの精神世界のほんの一部に核としてなんとか生き残っているにすぎない。
死ぬ、生きる、死ぬ、生きる、死ぬ、生きる。
思考という能力がないアンブリスだったが、それ故にシンプルに自分がこのままでは死んでしまい、生き残ることは出来ないということを悟っていた。
戦えば負けるのはこれまでの経験で理解しており、逃げるにもヴィヘラの精神世界から逃げ出すことは出来ない。攻撃を防ぐにも、少し前までであればまだしも、今のヴィヘラの攻撃力を自分の防御力で防げる筈もない。
まさしく、これ以上ない程に絶体絶命と呼べる状態。それが今のアンブリスの状態だった。
どうにか対抗しようにも、その方法がないのだ。
アンブリスに出来るのは、自分の核に閉じ籠もって防御を固めるくらいしかない。
……この場合、下手にアンブリスの自我が発達していなかったのが幸いだったのだろう。
もし下手に自我が発達していた場合、自分が消滅する恐怖に耐えきれなかっただろうから。
それでも騒がないまま、生存本能に目覚めたアンブリスは何とか自分が生き延びる方法がないかと考える。
元々が自然現象であった為か、ヴィヘラと交渉をするといったような方法は全く思いつかない。
アンブリスが迷っている間に、ヴィヘラは行動を開始する。
アンブリスの核目掛けて、浸食し始めたのだ。
少し前までは、どう頑張ってもアンブリスの核は浸食されることはなかった。
だが、今の力が増したヴィヘラであれば、アンブリスの核であっても浸食することは可能となっている。
勿論一気に核の全てが浸食されるということはないのだが、それでも少しずつ……それでいて確実にアンブリスの核はヴィヘラという存在に浸食されていく。
死ぬ。負ける。消滅する。
アンブリスの本能は明確に言葉には出来ないが、本能的に自分が消えることの忌避感に満たされていく。
消える、消える、消える。
自分の消滅が絶対に避けられない事態なのだと、そう悟った時……アンブリスの中に絶望と共に一つの思いが生まれた。
このまま自分が消えるのだけは許容出来ない。
であれば、どのような手段であっても……自分という存在が認識できなくてもいいので、自分の存在を残したいと。
アンブリスの中で考えが変わっている間にも、ヴィヘラによる核への浸食は続いている。
少し前までは絶対不可侵だった核も、既に四割程がヴィヘラによって浸食されていた。
このままでは自分はそう遠くない内に浸食され、消滅してしまう。
その前に、行動に出る必要があった。
本能しか存在しないアンブリスだけに、自分が生きている痕跡を少しでもいいから残したいと判断すると、躊躇いというものは存在せず、行動に移すのは早かった。
一瞬前まで核による防御をしていたとは思えない程、あっけなくヴィヘラを迎え入れる。
そして見る間に侵食されていく自分という存在を、そのままヴィヘラに吸収されるように広げていく。
(うん?)
アンブリスの抵抗が唐突に止んだことに疑問を抱いたヴィヘラだったが、こうして精神的に繋がっているからこそだろう。ヴィヘラにはアンブリスという存在が抱いている思いを理解出来た。
このまま消滅するのであれば、ヴィヘラに自分を吸収させて少しでもその痕跡を残そうと。
何故自分がアンブリスを拒絶しないでそれを受け入れたのか、ヴィヘラ自身もそれはよく理解出来なかった。
短くも長い間という奇妙な時間を共にすごしたからなのか、それともレイの隣にいる為にはもっと力を必要としたからか。
ただ分かっているのは、アンブリスをこのまま受け入れる……正確には吸収すれば、自分の力は間違いなく上がるということだった。
そして自分の力が上がれば、より強い敵ともっと充実した戦いを行えるということでもある。
様々な理由があり……結果として、ヴィヘラはアンブリスを受け入れ、吸収し、自らの養分とすることに決める。
アンブリスを吸収し終えると、やがて周囲に光が満ちていき、久しぶりにヴィヘラは己の肉体の瞼を開けるという行為を行うのだった。
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