第1230話
目を開けて、最初にヴィヘラの視界に入ってきたのは骸骨。
それも死体となった骸骨ではなく、見ただけで強力なモンスターだと理解出来る存在だった。
「なっ!?」
自分を助けたのはレイだとばかり思っていたヴィヘラは、咄嗟にその場から跳ね起き、距離を置こうとして……
「ヴィヘラ!」
不意に聞こえてきたその声に、動きを止める。
何故かと言われれば、その声に聞き覚えがあったからだ。
戦いにしか興味がなかった自分に、女ということを思い出させてくれた相手。
そんな男の声を、忘れる筈がなかった。
「レイ、一体これはどうなってる……の?」
鋭く視線の先にいる骸骨を警戒しながらレイへと尋ねようとしたヴィヘラだったが、そのアンデッドモンスターが自分を全く気にしている様子がないのを見て取ると、さすがに不審に思って尋ねる。
現在そのアンデッドは何か作業をしているらしく、先程自分が眠っていた場所のすぐ近くの空中に何かが浮いており、そこから光の雨とでも呼ぶべきものが降り注いでいた。
そして光の雨が降り注いでいるのは、こちらもまたヴィヘラにとって見覚えのある人物。
「……えっと、誰だっけ?」
見覚えはあるのだが、不幸なことにロドスはヴィヘラの記憶には全く残っていなかったらしい。
首を傾げて呟くヴィヘラに、ロドスの想いを知っている者は哀れみを覚える。
「ロドスだよ、ロドス」
「ああ。雷神の斧の」
それだけで済まされる辺り、ロドスがヴィヘラの中でどのような位置にいるのかというのは考えるまでもないだろう。
ともあれ……と、ヴィヘラは光の雨が降り注いでいるロドスから視線を逸らし、改めて周囲を見回す。
するとそこには、レイ以外にもヴィヘラにとって見覚えのある人物の姿が大勢あった。
エレーナ、マリーナ、アーラ、エルク、ミン、ヨハンナ……それ以外にもヨハンナの仲間達。
また、人ではないがセトやイエロといった者達の姿も見える。
「それで、何が一体どうなってこうなったのか教えて貰える?」
ヴィヘラの中では、アンブリスとの戦いが行われたところで記憶が断絶している。
気が付けばこの状況だったのだから、疑問に思っても不思議はない。
だが……そう言って視線を向けられたレイは、言葉に詰まる。
ヴィヘラの意識が戻ったのは嬉しいのだが……言葉に詰まったのは、それだけが理由ではない。
「ヴィヘラ、瞳の色が……?」
呟くレイの言葉に、エレーナ達も改めてヴィヘラに視線を向けるとすぐに納得の表情を浮かべる。
レイやエレーナ、マリーナ……といったようにヴィヘラとそれなり以上に親しかった者達も、以前に自分が見た瞳の色と違うということに気が付く。
「え? 瞳の色?」
だが、当然のようにヴィヘラは自分自身の瞳の色が変わっているということには気が付かない。
それでも、何故瞳の色が変わっているのかと言われれば、何となく理解は出来た。
「アンブリス、でしょうね」
「……アンブリス?」
ヴィヘラの言葉に尋ね返したのは、マリーナ。
「アンブリスをどうにかする為に、銀獅子の心臓を使ったんでしょう? なら、影響しているのなら銀獅子の心臓だと思うんだけど。実際、瞳の色も銀色なんだし」
「銀獅子?」
次に首を傾げたのは、当然のようにヴィヘラだった。
だが銀獅子という名前は以前レイから聞いたことがあり、慌てて周囲を見回すと、視線の先には巨大な……とても獅子とは表現出来ないだろう大きさの死体がある。
毛の色は銀色であり、それが銀獅子と呼ばれているモンスターなのだというのは、ヴィヘラにも容易に想像出来た。
「じゃあ、ここはギルムの近くにあるというダンジョン?」
「正解。感謝してよ? ヴィヘラを助ける為に、ランクSモンスターを倒したんだから」
「……そう、みたいね」
ランクSモンスターを倒した。
そう言われてヴィヘラが最初に感じたのは、何故自分がその現場にいなかったのだろうということだった。
元々が戦闘を好むヴィヘラだ。ランクSモンスターというのは、羨ましい以外のなにものでもない。
そんなヴィヘラの考えが理解出来たのか、エレーナは少し呆れたように呟く。
「銀獅子との戦いは色々な意味で厳しいものだったんだぞ? それこそ、レイですら怪我を負う程にな。取りあえず感謝の言葉でも言ったらどうだ?」
「……それもそうね。ありがとう、皆。私の為に手を打ってくれて」
そう告げるヴィヘラだったが、やはりどこか羨ましいと思えるような気持ちを隠すことは出来ない。
「ヴィヘラがいれば、銀獅子と戦う時にもっと有利に戦えたでしょうけどね」
ヴィヘラの性癖を理解しているマリーナが、少しだけ呆れたように呟く。
「そうだな。実際銀獅子の体毛には驚く程苦戦した。正直なところ、ヴィヘラがいてくれればと何度思ったことか」
レイがマリーナに同意するように呟くと、エレーナ達も頷く。
衝撃を直接体内に与えるというヴィヘラの浸魔掌は、体毛によって高い物理防御と魔法防御を持つ銀獅子にとっては最悪の相性と呼べるだろう。
だが同時に、銀獅子の前足や尾の一撃はヴィヘラにとっても致命的な一撃となるのは間違いない。
お互いがお互いを天敵と呼べる。そう思ったレイだったが、銀獅子との戦いを思い出すとヴィヘラの浸魔掌を使ってもそう簡単にダメージを与えることが出来るとは思えなかった。
(ヴィヘラの攻撃でダメージは与えられるだろうけど、防御の面で圧倒的に不利だろうな)
そんな風に考えているレイ達から少し離れている場所では、エレーナとマリーナが現在どんな状況になっているのかをヴィヘラに説明している。
同様に魔法陣の中で横になっているロドスには、銀獅子の心臓から生み出される光の雨が降り注ぎ続けていた。
未だに身体に鈍い痛みがある中、余り動きたくないレイはイエロと共に自分の近くまでやって来ていたセトを軽く撫でる。
「グルルゥ」
「心配するなって。そこまで重症って訳じゃないから。顔の傷もポーションで治ったし、それ以外の傷もそう遠くないうちに治るだろ」
言い聞かせるように告げるのだが、それを聞いたセトは本当? と小首を傾げる。
セトにとって、銀獅子との戦闘終了後に見た血だらけの姿は、とてもではないが落ち着いて見られるものではなかった。
それこそ、出来れば絶対に見たくないと思える程に。
「俺の心配よりも、セトの方はどうなんだよ? 最後に銀獅子の尻尾の攻撃を連続して受けてただろ? ……いや、聞くまでもないか」
セトの身体を撫でれば、そこに傷痕がないのはすぐに理解出来た。
それどころか、毛についていた血すら残っていない。
誰が拭き取ったのかというのは、考えるまでもなく明らかだった。
この場にいる中で、セト中毒ともいえる人物は一人しか存在しないのだから。
現に、この部屋へと入ってきた時も真っ先にセトの下へと向かっているのをレイは見ている。
そうしてロドスの意識が戻るのをセトと戯れながら待っていると、やがて事情を説明し終えたのだろう。エレーナ、ヴィヘラ、マリーナの三人と、少し遅れてアーラがレイへと近づいてきた。
「事情は聞いたわ。……まさかレイにアンデッドの知り合いがいるとは思わなかったけど。まぁ、でもレイの性格を考えれば不思議でもなんでもないんでしょうね」
笑みを浮かべながら尋ねてくるヴィヘラに、レイは苦笑を返す。
自分が色々と特殊だというのは、レイも理解している為だ。
「それより、ヴィヘラの方は身体に異変がないのか? その、瞳の色が変わってるようだけど」
「そうらしいわね。……ただ、それ以外は特に何もないのよ。特に身体の異変のようなものもないし」
軽く身体を動かしてみせるヴィヘラだったが、その言葉通り特に不具合は存在していない。
「それどころか、寧ろ身体の調子はいいわよ? これは……やっぱりアンブリスの影響かしら。それとも銀獅子?」
「アンブリス?」
ヴィヘラの言葉に、レイが首を傾げる。
何故ここでその名前が出てくるのか分からなかったからだ。
勿論今回ヴィヘラが意識を取り戻さなかった理由にアンブリスがあるというのは知っているし、何よりレイはアンブリスがヴィヘラの身体の中に入っていくのをその目で見ている。
だが、今のヴィヘラの言葉を考えると、まるでアンブリスのお陰で身体の調子がいいと、そう言っているようにも感じられた。
それはレイだけではなく、エレーナやマリーナを含めた他の者達も同様だったのだろう。
自分に向けられている問い掛けるような視線に、ヴィヘラは小さく笑みを浮かべてから口を開く。
「私の中で、アンブリスと戦い続けていたのは事実よ。実際、アンブリスを追い詰めはしていたんだけど、そこからはどうしようもなかったの。自分の核の中に閉じ籠もっていて、倒すには攻撃力が足りなかったというところかしら」
勿論精神世界の中だから、実際の意味での攻撃力じゃないんだけど、と告げるヴィヘラ。
実際に体験したことがないからだろう。エレーナやマリーナはヴィヘラの話を聞いても要領を得ないように頷くだけだ。
それに対し、レイは日本にいた時に漫画や小説といったものを好んで読んでいただけに、何となくではあるがヴィヘラの言いたいことが想像出来る。
「正直なところ、私がアンブリスによって意識不明になってから二ヶ月近くも経っているというのは、全く実感がないわね。精神世界の中では時間の感覚が酷くあやふやだったし。それこそ、私が意識を失ってからまだ一日しか経っていないと言われれば納得してしまうくらいに」
不思議そうに呟くヴィヘラだったが、それにはやはり自分の身体が一切衰えていないというのも関係しているのだろう。
普通であれば、二ヶ月も意識を失っている状況であれば身体の筋肉は落ちる。
少なくても、意識を取り戻してすぐにこうして自由に歩き回り……それどころか銀獅子との戦いに自分が参加出来なかったのが残念だったなどとは、とてもではないが言えないだろう。
いや、口で言うことだけであれば出来るかもしれないが、実際にすぐにでも銀獅子と戦えるだけの身体の調子を保つことはまず不可能だ。
だが、それを可能にしたのが意識を失っていたヴィヘラの状態だった。
アンブリスの魔力が働いているのだろうと、そう判断出来るヴィヘラの様子。
「っと、話が逸れてたわね。ともあれ、私は精神世界でアンブリスと戦っていたけど、最後の防御を突破出来ないでいたのよ。けど、急に力が湧き出てきて……その結果、アンブリスも自分がこのままだと消滅すると判断したんでしょうね」
小さく肩を竦めるヴィヘラの口元には、笑みが浮かぶ。
ヴィヘラらしい、好戦的な笑み。
それでいながら、どこか以前とは受ける印象が違う。
「自分の消滅が確定的になったアンブリスが選んだのが、自分が生きていた証を少しでも残すために私に吸収されることだった。私を吸収しようとしたアンブリスが、私に吸収されたというのもちょっと愉快な話よね」
「……つまり、ヴィヘラはアンブリスの魔力を吸収したと? 大丈夫か? アンブリスってのは、魔力異常から生み出された存在なんだろ? 普通に考えれば、身体に悪いようにしか思えないんだけど」
心配そうな視線を向けるレイに、ヴィヘラは問題ないと頷きを返す。
「それは心配いらないわ。今も言ったけど、アンブリスは自分という存在の証を残したかったのよ。そんな状況でその証を得た私に何かすると思う? ……まぁ、急激に湧き上がってきた力があってこそ可能になったことなんだけど」
銀獅子の心臓を使わなければ、ヴィヘラはアンブリスの核をどうにかすることは出来なかった。
つまり、今のヴィヘラはアンブリスの力だけではなく、銀獅子の力すらも受け継いでいるに等しい。
もっとも、エンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナとは、また別の継承と呼べるのかもしれないが。
そもそもの話、銀獅子の魔石はレイのミスティリングの中にあり、ヴィヘラが受け継いだのは銀獅子の心臓……その新鮮な生き血と魔力だった。
「その割りには、変わったのは瞳の色だけなんだな」
「そうなのよね。もっと分かりやすい変化があると思ってたんだけど。それこそ、羽根が生えるとか、角や牙が生えるとか、額に第三の目が生み出されるとか」
「……お前は一体、何になるつもりだ」
ヴィヘラの言葉にレイがそう呟いたのは、当然のことだろう。
「何に? そうね、何なのかしら。ただまぁ、これでレイと共に生きることが出来ようになったというのは確実でしょうね」
ヴィヘラがそう告げて嬉しそうに笑みを浮かべるのと、ロドスに降り注いでいた光の雨が消え……その目が開いたのは、殆ど同時だった。
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