第1220話
ダンジョンへとやってきた翌日、レイ達一行は当然のように馬車でダンジョンへと向かっていた。
……本来であれば、ダンジョンへと向かうのに馬車は必要ない。
だが、ヴィヘラとロドスという意識不明の二人を運ぶ必要がある以上、馬車はあった方がよかった。
勿論無理をすれば二人程度は背負って運べるのだが、楽に移動出来るのであれば、わざわざそれを使わない理由もないだろう。
それでも一応は遠慮したのか、使用している馬車はエレーナの物だけで、エルクの馬車は宿に置いたままだ。
ギルムを旅立った時はエルクも馬車を用意したが、宿からダンジョンまで向かうにはエレーナの馬車だけで十分だと判断したのだろう。
だが、当然その馬車は非常に目立つ。
不必要な程の華美な飾り付けはされていないが、それでも馬車を牽いている馬は見るからに名馬と呼ばれるに相応しい馬だし、馬車の方も見る者が見れば一目で非常に高価なマジックアイテムだと理解出来るだろう。
「こうなると、この時間で良かったってことなんでしょうね」
窓の外を見ながら呟いたのは、アーラ。
普段は御者をやっているアーラが何故馬車の中にいるのかと言えば、単純に御者をやっているのが宿の人間だからだ。
これだけ高価な馬車である以上、当然ながらダンジョン前に置きっぱなしにはしたくない。
それ以前に、ダンジョンの前に馬車が置いてあれば邪魔でしかないだろう。
だからこそ、レイ達がダンジョンに入った後は馬車を宿まで運んで貰う必要があった。
その為に派遣されたのが、現在御者をやっている男だった。
この辺りのサービスが充実しているのは、やはり高級宿だからというのが大きいのだろう。
「そうでしょうね。早い人は、それこそ朝早くからダンジョンに潜っている筈だし」
マリーナも、窓から周囲を眺めながら呟く。
その言葉通り、やる気があってダンジョンに潜ろうとする者は、それこそ朝早く……この季節だと、まだ空が完全に明るくなる前からダンジョンに潜る者も少なくない。
そこまでいかなくても、本気で稼ごうとしている者は午前七時……遅くても八時前にはダンジョンに入っているだろう。
そう考えると、午前九時くらいにダンジョンに向かっているレイ達は明らかにやる気がないと見られても仕方がなかった。
(まぁ、今朝からダンジョンに潜った中で、一番最初に最下層に到着するのは私達なんでしょうけど)
グリムの転移魔法による極端なショートカットという手段がある以上、自分達よりも先に最下層に到着する者がいるとは、マリーナには思えない。
もっとも、ダンジョンの中で泊まるというのは普通に有り得ることなので、昨日よりも前にダンジョンに潜った者達が最下層に到着していないとも限らないのだが。
だが、最下層には今回のマリーナ達が倒す予定の銀獅子以外には存在せず、金を稼ぐという意味では最下層まで到達する必要はない。
そんな風に考えている間にも馬車は道を進み、やがてダンジョンの前へと到着した。
馬車が停まると、エルクがロドスを、アーラがヴィヘラを抱き上げて馬車から降りる。
周囲にまだ何人かいた冒険者達が興味深そうな視線を向けてくるが、馬車の御者席に座っているのがレイ達の泊まっている宿の従業員で、いざという時の為に護衛もいるとなれば、妙な考えを起こすような者はいないだろう。
馬車に護衛? と最初に聞かされた時はレイ達も一瞬疑問に思ったが、馬車と馬の価値を考えれば当然のことだと思い直す。
「では、私共はこの辺で失礼させて貰います。無事のお帰りをお待ちしています」
丁寧に一礼し、馬車は去っていく。
何故意識不明の人物を二人もダンジョンの中へ連れていくのかと、そんな疑問を抱いてもいるのだろうが……無理に客の事情に首を突っ込まないのは、高級宿の従業員としての教育からだろう。
もっとも、レイ達はそんな不思議そうな視線を向けられても特に気にはしないままだったが。
「レイさ……セトちゃん!」
そんなレイ達を待っていたのは、ヨハンナとその仲間達。
レイに呼び掛けようとしたものの、レイの隣でイエロと戯れていたセトの姿を見つけると、すぐにそちらへと意識を向ける。
レイも目を見張る速度で一気に接近すると、そのままセトを愛で始めた。
嬉しそうに喉を鳴らすセト。
セトの頭の上のイエロも、ついでと言わんばかりに撫でられ、気持ちよさそうな鳴き声を上げていた。
「あー……うん。こうなるとは思ってたけどな」
昨日はヨハンナとセトを会わせなかったのだから、今日こうして会った時には昨日の分も嬉しさが爆発するというのは理解出来ていた。
そんなヨハンナの姿に、仲間の冒険者達は少し恥ずかしそうにしながらレイへと頭を下げる。
「すいません、レイさん。……その、昨日からミレイヌに自慢してやるーって、そう言ってたので」
「あの二人、何だってこんなに仲が悪いんだろうな。いや、寧ろこの場合はいいのか?」
類は友を呼ぶ、もしくは同族嫌悪。そのどちらも合っているようで、もしくは合っていないような、そんな感覚。
どちらもセトを好きだという感情があり、しかもその想いの強さも他の追随を許さない。
そうである以上、お互いに仲良く出来るのではないか……そんな考えを抱いたこともあるレイだったが、今はもうそのような甘い考えは捨てていた。
類は友を呼ぶより、同族嫌悪の方が色濃く出ているのを、これまでに何度も見てきたからだ。
「ま、セトが可愛いのは事実ですから、あんな風になってしまってもおかしくないんですけどね」
ヨハンナの仲間が、しみじみと告げる。
ヨハンナにしろその仲間達にしろ、セトが可愛いだけの存在ではないというのは知っている。
ベスティア帝国の内乱でレイの率いる遊撃隊に配属された時に行われた訓練で、本気のセトと向き合ったのだから。
勿論セトが本気で攻撃を仕掛ければ、普通の相手なら何も出来ないままに死んでしまうので実際には手を出したりはしない。
だが、本気のセトと向かい合うというだけでも、並大抵の者に出来ることではなかった。
その後、レイとセトが内乱で成し遂げてきたことを考えれば、その思いは強くなることはあっても弱くなることはないだろう。
そのような経験を超えても尚、レイの前にいる男はセトを可愛いと思えるのは……やはり慣れというのもあるのか。
もっとも、そのような性格の者でなければ、わざわざレイを慕ってギルムまでやって来たりはしないのだろう。
「ほら、ヨハンナ! あまりセトにばかり構ってないで、そろそろ行くぞ!」
レイと話していたのとは別のヨハンナの仲間が、そう叫ぶ。
その声で我に返ったのだろう。セトとイエロを思う存分撫でていたヨハンナは慌てたように立ち上がり、改めてレイ達へと向かって頭を下げる。
「おはようございます。すいません、ちょっと禁断症状が……」
「いや、禁断症状って何だよ」
ヨハンナに対して思わずそう告げるレイだったが、どのような禁断症状なのかは言わなくても見れば分かる。
「まぁ、レイも。その辺でいいでしょう? 今日は一緒にダンジョンに潜るんだから、仲良くいきましょう」
宥めるようなマリーナの言葉に、小さく溜息を吐いたレイはダンジョンの方へと視線を向ける。
既に午前九時をすぎている為か、人の姿は疎らにしかない。
朝方の最も忙しい時間はすぎた後なのだろう。
「そうだな。今なら並ばなくてもいいだろうし。全員準備はいいよな?」
尋ねるレイに、皆が当然だと頷きを返す。
これから銀獅子に挑む以上、その準備が万端なのは間違いなかった。
「なら、行くか」
レイの言葉に頷き、一行はダンジョンへと向かって歩き出す。
そこでギルドカードを確認しているギルド職員がレイ達の姿を見て驚きの表情を浮かべる。
当然だろう。ダンジョンの中の戦いで意識を失った者達を連れて出てくるという光景はそれなりに見るが、意識を失った者を連れてダンジョンに入っていくというのは普通なら有り得ないからだ。
意識を失った者をダンジョンに連れていくというのは、それこそ殺人にすら発展しかねない。
「おいおいおいおい、ちょっと待った。あんたら、何のつもりだ? その意識を失っている二人はなんなんだよ?」
慌てたように告げる男。
以前にレイ達がダンジョンに潜った時にギルドカードを確認していた者とは違う人物だった。
まだ二十代半ば程の若い男だけに、予想外の展開に少し戸惑ったように告げる。
「はい、これ。この件はギルドの方でも承知しているから、問題はないわ」
混乱している男に、マリーナが書類を渡す。
笑みを浮かべたマリーナに鼻の下を伸ばしながら、それでもギルド職員らしくしっかりと書類を受け取り、急いで目を通す。
そこにはマリーナの正体についても書かれていたのか、男は慌てたように背筋を伸ばして口を開く。
「失礼しました。どうぞお通り下さい」
「うわぁ……」
そんなギルド職員の態度を見て、思わずといった風に呟いたのは一体誰だったのか。
あからさまに態度を変える様子は、見ている者に様々な感情を抱かせる。
もっとも、マリーナの立場を考えればその反応は普通と言ってもいいのだが。
「ありがと。じゃ、行きましょうか」
マリーナに従い、そのままダンジョンの中へと入っていく。
そんなレイ達の後ろでは、ギルド職員が一時的に入り口の前に立つ。
マリーナ達が入ってから少しの間、他の冒険者をダンジョンの中に入れないようにと先程の書類に書かれていた為だ。
レイ達が最も混む朝方の時間ではなく、少しずらしてこの時間にやってきたのはこの件も理由なのだろう。
……グリムという存在と、他の冒険者を会わせる訳にはいかないからこその対応だったが、その書類を作った方も渡された方も、正確な理由は知らされていない。
ギルドマスターのマリーナが、自分の権限を使って作ったからだ。
職権乱用と言われても仕方のない行為ではあるが、グリムの存在はそれ程に秘匿されて然るべきものだった。
ダンジョンの階段を下りていき、やがて扉を開く。
既に朝の忙しい時間がすぎており、他の冒険者達が何人もここを通ったからだろう。モンスターの類は全く存在しなかった。
「少し歩くぞ。入り口近くだと、もしかしたら中から外に出ようとする奴が来るかもしれない」
レイの言葉にヨハンナ達以外が真面目な顔で頷く。
ヨハンナ達は、グリムの存在こそ教えられているものの、どうやって最下層に行くかまではまだ何も聞いていない。
だからこそレイの言葉に首を傾げるが、それでも何も言わないのは、やはりレイに対する強い信頼からだろう。
……尚、地下一階に来るまでは人の手で運んできたヴィヘラとロドスだったが、今はセトの背の上に乗せられている。
この階層で出てくるモンスターであれば問題はないが、それでも万が一のことを考えての行為だろう。
もしここでモンスターが襲ってくれば、恐らく……いや、確実にエルクはすぐに飛び出し、敵を殲滅するだろう。
それはエルクだけではない。
ヴィヘラに余計な危害を加えられないように、レイやエレーナ、マリーナといった面子もまた、同様だった。
「ヴィヘラ様、羨ましいわね。セトちゃんの背中に乗れるなんて」
周囲を警戒しながら前を歩いているレイ達の後を追いつつ、ヨハンナが小さく呟く。
「いや、羨ましいか? ヴィヘラ様、意識がないんだぞ? それだと、セトに乗せられていても全く分からないと思うんだけどな」
「だよな。……寧ろ俺は、ヴィヘラ様を背中に乗せているセトの方が羨ましい」
「え? お前、そんな趣味なの? 女に踏みつけられたり、押し潰されたりしたいような?」
セトを羨ましいと言った男の言葉に、周囲の何人かが距離を取る。
そんな仲間に、男は慌てて弁解の言葉を口にしようとするが……
「おい、あまり騒ぐな。ここはまだダンジョンに入ったばかりだが、ダンジョンなのは間違いないんだからな」
エルクに注意され、ヨハンナ達は黙り込む。
そして数分程進み、やがて十分にダンジョンの入り口から離れたと判断すると、レイは周囲を見回す。
誰の姿もないが、それでも念の為にだ。
これから行われるだろうことは、絶対に他の者に見られてはならないのだから。
そして念入りに周囲の気配を探った後、レイは改めてヨハンナ達へと視線を向け、口を開く。
「これからのことは決して誰にも喋らないように、魔法を使わせて貰う。それでもいいか?」
「魔法、ですか?」
「ああ。誰かに喋った場合、体内で俺の炎がその命を奪うという魔法だ。……ただし、その魔法を身に宿している間は、炎に強い耐性を得るという恩恵もある」
グリムの存在は既に昨日明かしているが、恐らく自分を裏切ったりはしないだろうという思いがある。
だが、それでも万が一を考えれば、やはり保険を掛けておくのは必須だった。
そんな思いで尋ねたレイの言葉に、ヨハンナ達は躊躇いもなく頷く。
それだけ、レイに対する強い信頼を抱いているということなのだろう。
ヨハンナ達の、信頼が篭もった笑みを受け……レイはミスティリングからデスサイズを取り出すと、戒めの種の呪文を唱えるのだった。
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