第1221話
戒めの種を使った後でレイがミスティリングから取りだしたのは、対のオーブだった。
魔法を使われたというのに、全く自分達に変化がないことに首を傾げているヨハンナ達の前で、対のオーブへと魔力を流す。
すると、すぐにその対のオーブにはグリムの姿が……骸骨が映し出された。
『ふむ、レイか。随分と早かったようじゃの』
「そうか? 他の冒険者はもう殆どダンジョンに潜ってるんだけど」
そう言いつつも、グリムにとっての時間感覚から考えれば、特におかしなことではないのだろうというのは理解出来た。
そうしてグリムと話ながら、妙に後ろが静かだと視線を向けると、そこではヨハンナ達が固まった状態となっている。
(何だ?)
そんなヨハンナ達の様子に疑問を抱くレイだったが、今は特にその辺を気にする必要はないだろうと判断し、改めて対のオーブに映し出されているグリムへと向かって口を開く。
「取りあえず、最下層まで向かいたいから、転移の用意をしてくれないか?」
『分かった。すぐに行く』
「……行く?」
グリムの言葉にそう呟いた瞬間、唐突に後ろに強大な気配が姿を現す。
「っ!?」
息を呑みながら振り向いたレイが見たのは、骸骨がローブを着て杖を持ち、王冠を被っている……リッチ、いやリッチロードと呼ぶべきグリムの姿だった。
『ふぉふぉふぉ。対のオーブはともかく、こうして直接人間達の前に出るのはいつ以来だったか』
嬉しそうに笑うグリムだったが、その存在感が周囲にもたらした影響は大きい。
平然としているように見えるのは、以前にグリムと会ったレイとエレーナだけだ。
同じような意味ではアーラもいるのだが、こちらは自分とグリムの力……いや、存在感の差に、言葉を発するどころか身動きすら出来なくなっていた。
ランクA冒険者だけあって、エルクは背中の雷神の斧へと手を伸ばし、ミンは杖を向ける。
マリーナもまた弓に矢を番え、いつでも放てるようにしていた。
だが……そんな風にグリムに対して戦闘態勢を取っている者達も、実際に戦闘になれば勝ち目が殆どないだろうというのは理解出来た。
それでも……それでも、ここで死ぬ訳にはいかないと自分自身を鼓舞するかのように気合いを入れ……
「そこまでだ」
周囲にレイの声が響き、一触即発――あくまでもエルク達にとってはだが――の空気が消える。
「お前達、忘れたのか? グリムは俺達を助ける為に来てくれたんだぞ。なのに、なんで敵対的な姿勢を取るんだよ」
レイの言葉でようやく現在の状況を思い出したのか、グリムを相手に構えていた武器が下ろされる。
それでもグリムを見る目に恐怖心や猜疑心のようなものが浮かんでいるのは、グリムという存在の規格外さを思えば仕方のないことなのだろう。
レイは普通に接しているが、そもそもアンデッドというのは基本的に人とは相容れない存在だ。
特にグリムのような強力なアンデッドともなれば、下手をすればその存在感だけで心の弱い相手の意識を奪ったとしてもおかしくはなかった。
自分達の目の前にいるのは、ヴィヘラやロドスの意識を取り戻してくれる相手。
そう理解していても、本能に突き動かされるように身構えてしまうのは止めようがない。
そのような状況であっても、何とかレイの言葉に頷きを返すとエルク達は武器から手を離す。
レイの言葉を聞いたヨハンナ達も、何とか固まっている状態から動けるようになっていた。
エルクにしろ、ミンにしろ、ヨハンナやその仲間達にしろ……話だけは聞いていたが、こうして直接グリムをその目にすれば想像以上の存在に動きを止めざるを得ない。
だが、それでもレイがそう言うのであれば……と。
その思いだけで何とか身構え、敵対姿勢を取るのを止める。
レイに対する信頼感がなければ、もしかしたら恐怖心からグリムに襲い掛かっていた者もいたかもしれない。
もしそうなっていれば、どうなったか。
レイのことを可愛がっているグリムだけに、もしかしたら襲い掛かった者達が死ぬようなことはなかったかもしれない。
だが、逆に殺され、死んだ後ですら弄ばれていたかもしれないのだ。
そう考えれば、やはりレイのようにグリムと気軽に接するという真似が出来る筈もない。
(そう考えると、レイ隊長があのグリムというモンスターと気軽に接してられるのは……やっぱりセトちゃんと普段から接しているからなのかしら?)
動揺している為だろう。レイのことを隊長と呼んでいるのにも気が付かないまま、ヨハンナは内心で呟く。
そんなヨハンナ達が見ている前で、レイとグリムは旧知の間柄のように仲良く話していた。
実際、グリムにとってレイという存在は色々な意味で特別な存在だった。
曲がりなりにも周囲から天才と呼ばれた自分が憧れ、どれだけ研鑽しても決して届かなかった、天才の中の天才が集まった集団、ゼパイル一門。
そのゼパイル一門を率いていたゼパイルが、自らの後継者として選んだ存在なのだから。
感情の揺らぎというものを殆ど感じなくなったグリムだったが、それでもレイに対しては感情が揺らいでしまう。
そして感情の揺らぎの中にあるのは、他のアンデッドが生者に対して抱くようなマイナスの感情ではなく、プラスの感情だ。
グリム本人は認めたくはないかもしれないが、一種孫をみるような祖父の目に似ているのかもしれない。
そうでもなければ、グリムが人間にこうも簡単に力を貸す筈がなかった。
『ふむ、お主達が……なるほど』
レイとエレーナ、マリーナといった、以前に対のオーブ越しに顔を会わせた者以外に視線を向けて呟くグリムに、思わずといった様子で再びエルク達が緊張を浮かべる。
そこにいる。それだけでも圧倒的な気配を発していたのに、視線を――眼球がないので、正確には頭蓋骨をだが――向けられた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
まるで氷を直接背骨の中に入れられたような、そんな致命的ともいえる感覚。
エルクは、自分でもそこまで頭がいいとは思っていない。
特に妻であるミンと比べれば、それこそ大人と子供と言える程に頭の出来は違うだろう。
だが……だからこそ、本能的な直感に関してはミンよりも遙かに上だった
実際、今まで雷神の斧というパーティで活動してきた中、ミンが問題がないと考えた事例でもエルクの直感が危険だと判断し……結果として危機を脱したことも少なくない。
そんなエルクの直感が、目の前にいるグリムを絶対に敵に回しては駄目だと、そう告げているのだ。
どのような手段を使っても、勝つことは出来ないと。
「落ち着け」
混乱しそうになったエルクの意識を取り戻したのは、レイの声。
不思議な程に耳の中へと入ってきたその声は、エルクの心に落ち着きを取り戻させる。
「ふぅ……」
そうして大きく息を吐けば、グリムに対しての態度も一変する。
そう、このグリムは自分にとっては敵ではない。
それどころか、ロドスの意識を取り戻してくれる恩人とでも言うべき相手なのだから。
グリムから視線を逸らし、ロドスを背中に乗せているセトへと視線を向ける。
セトの頭の上ではイエロがグリムから発せられる存在感に必死に隠れようとしていたが、そんなイエロの姿を見て、更にエルクの混乱は収まる。
そして……何より大きいのは、やはりセトの背の上に乗せられているロドスだろう。
意識不明になったロドスを救うべく、ずっと行動してきた。
その苦労が今日報われるかもしれないのだ。
だとすれば、今の自分がみっともない真似を見せるということは絶対に出来なかった。
「……すまない。今日は世話になる」
エルクがグリムに頭を下げる。
そんなエルクに合わせるように、ミンもまた頭を下げていた。
二人の様子を見ていたグリムが、自分に頭を下げたエルク達を見て少しだけ驚くような態度を見せる。
『お主らがもう一人の意識を取り戻したいと言っておる者の両親か』
「そうだ。セトの背中にいるのが、俺の息子だ。……頼む、何とか意識を取り戻してくれ」
『それは構わんよ。銀獅子の心臓があれば、それは恐らく可能じゃろう。じゃが……言うまでもなく、優先されるのはレイの知り合いの女の方じゃ』
念を押すかのように告げるグリムだったが、エルクもやがて頷きを返す。
「その辺はレイに聞いて分かっている。であれば、こちらとしても最善を尽くすのみだ。ただ……もし今回の銀獅子でロドスの意識を取り戻すのが無理だった場合、他のランクSモンスターの心臓を手に入れられたら協力して欲しい」
エルクの言葉に、グリムは骨だけの顔で少し考えた後、頷きを返す。
『よかろう。今回はレイの頼みじゃが、お主がこれからランクSモンスターの心臓を手に入れることが出来れば、今回と同じく手を貸すことを約束しよう』
「本当か! ありがとう、助かる!」
もし今回が駄目でも、何とかなる為の糸は繋がった。
そんな思いでエルクが嬉しげに叫ぶ。
満面の笑みを浮かべているエルクの顔を、ヨハンナ達はただ呆然と見守っていた。
グリムがレイの知り合いであり、自分達に対して攻撃を仕掛けてくるような存在ではないことは理解出来ている。
だがそれでも、グリムのような強力な……それこそ見ただけで自分達の死がそのまま具現化していると考えてもいいような存在を前に、ヨハンナ達にはエルクのようには割り切れない。
気紛れにでもグリムが自分達を害そうと思えば、それこそすぐにでも自分達の命は絶たれるのだから。
そう考え……ふと、ヨハンナは気が付く。
(私達を圧倒する力という意味では、このグリムというアンデッドも、レイさんも変わらない?)
ヨハンナ程度の技量では、レイとグリムのどちらが強いのかというのは分からない。
しかし、そうであったとしても分かっていることが一つだけあった。
即ち、もしレイにしろグリムにしろ、本気になれば自分の命などあっという間に消えてしまうということ。
つまり、レイに対して恐怖をしていないのだから、グリムに対しても恐怖しなくてもいいのではないかと。
レイとグリムでは生きている人物とアンデッドモンスターという大きな違いがあるのだが、今のヨハンナはその辺りを考えるような余裕は存在しなかった。
いや、寧ろ考えないようにしているというのが正しいか。
ともあれ、ヨハンナの中ではある程度の整理が出来たのだろう。やがて小さく息を吸ってから口を開く。
「あのっ、グリムさん! ……ヴィヘラ様のこと、よろしくお願いします!」
深々と一礼するヨハンナ。
グリムはエルクからヨハンナへと視線を移し、こちらもまた興味深そうな雰囲気を発する。
自分がどのような存在なのかというのは、当然グリムも分かっている。
そして自分が無意識のうちに発散している、存在感に関しても。
それを受けながら、それでも尚自分に関して感謝の言葉を述べるとは、と。
勿論エルクのような、人間の中の強者であれば自分と話をするような真似も出来るだろう。
現に、つい先程そうしていたのだから。
だが……今グリムの視線の先にいるヨハンナは、とてもではないが強者とは言えない。
いや、勿論人間という括りの中で見れば、強者に分けられるのかもしれないが、グリムの視線で見ればとてもではないが強者とは言えない程度の強さしか持っていない。
そんな相手が自分に臆することなく頭を下げてきたのだから、興味を持つなという方が無理だった。
『レイからの頼みでもあるし、素材さえあれば儂もきちんと仕事はしよう。だが、それはあくまでも銀獅子の心臓があれば、じゃ。それがなければ、儂が力を貸すようなことはないぞ?』
「はい。レイさん達ならきっと何とかしてくれると思います! ……私は戦闘には参加出来ませんけど」
ヨハンナ達の仕事は、あくまでもレイ達が銀獅子と戦っている時にヴィヘラとロドスの面倒を見ることだ。
そうである以上、今の状況で自分達に何が出来るとも思えない。
ロドスはともかく、尊敬するヴィヘラの為に何も出来ない自分に悔しさを覚えていた。
『案ずるな、若者よ。お主達はまだ若い。それこそ儂から見れば、まだ生まれたばかりにすぎん。そうである以上、まだまだこれからじゃよ』
アンデッドに慰められ、微妙な表情を浮かべるヨハンナ。
ヨハンナの仲間達も、同じように微妙な表情を浮かべていた。
そんな様子を見ていたレイだったが、やがて口を開く。
「グリム、そろそろ最下層まで……頼む」
『良かろう。では……行くぞ』
そう呟いた瞬間、何の違和感もないままに……気が付けば、レイ達の姿はダンジョンの最下層にあった。
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