第1219話

 ヨハンナ達が臨時にレイ達へと雇われることが決まると、後はマリーナが戻ってくるまでやることもなく、それぞれ食事を開始する。

 注文された料理を食べ、話に花を咲かせ、酒を――レイ以外は、だが――飲む。

 当然そうなれば、少し前まで周囲に漂っていた緊張感の類もなくなる。

 それどころか、皆が笑いながらそれぞれに話をして盛り上がる。

 特に人気だったのは、当然ながらエレーナ……ではなく、エルクだった。

 ヨハンナの仲間の男達にはエレーナと話してみたいと思っている者も当然ながらいた。

 だが、ヴィヘラに勝るとも劣らぬ美貌を持つエレーナにそう簡単に話し掛けることが出来る筈もない。

 美貌以外にも、やはりベスティア帝国出身ともなれば姫将軍の異名というのは色々と怯むところがあるのだろう。

 ……それでいながら、こちらもレイやエレーナと同じような異名持ちのエルクに対しては、普通に話すことが出来ている。

 男同士だから、というのも大きいのだろうが。


「それでワーウルフが集団で襲い掛かって来たのを、ミンが魔法を使って一掃してな」


 エルクも、ロドスの治療の目処が立ったということもあり、機嫌良く言葉を続ける。

 そんなエルクの気楽な様子に、他の者達は一喜一憂しながら楽しそうにしていた。


「随分と盛り上がっているみたいね」


 そんな一行に声を掛けてきたのは、いつの間にかギルドマスターとの会話を終えて酒場にやってきていたマリーナ。

 自分が事務的な話をしていたのに……と、どこか羨ましそうに呟く。


「お、マリーナ。戻ってきたのか。話はもういいのか?」


 肉がたっぷり入っているシチューを食べながら尋ねるレイに、マリーナは小さく笑みを浮かべて頷く。


「ええ。今回の件についての話は付けてきたわ。ここ最近のダンジョンの報告についてもしっかりと聞かせて貰ったし。……私が予想していたより、随分といい具合ね。予想外の幸運だったわ」

「……うん? 何がだ?」


 意味ありげなマリーナの言葉に、レイは少し不思議そうな表情を浮かべる。

 だが、そんなレイに対し、マリーナは女の艶を感じさせる微笑を浮かべるだけで何も言わずにレイの隣の椅子へと座る。

 右側にエレーナ、左側にマリーナ。……両手に華という言葉がこれ以上似合う光景も、そうそうないだろう。


「ちょっとね」


 何かを誤魔化すように告げるマリーナ。

 だが、レイはそれをギルドの機密に関係があるのだろうと判断し、それ以上の追及は行わない。

 そんなマリーナとは裏腹に、レイの隣で野菜とハムのサンドイッチを食べていたエレーナが、少し不思議そうに口を開く。


「何か企んでいないか?」

「そうね、どうやったらレイを虜に出来るのか、というのはいつも考えているわよ?」


 女ですら魅了するかのような笑みを浮かべるマリーナ。

 そんなマリーナの笑みに、エルクと話をしていたヨハンナの仲間達……そして酒場でレイ達の様子を窺っていた他の男達……それどころか、女達ですらも目を奪われる。

 銀獅子についての話をしている時とは違い、今はヨハンナの仲間達も周囲を拒絶するような雰囲気は出していない。

 だからこそ、こうしてマリーナに視線を向ける余裕があったのだろうが。


「あら? どうしたのかしら?」


 面白そうな笑みを浮かべながら尋ねるマリーナに、周囲の者達は皆が揃って酔いとは違う意味で頬を赤くし、視線を逸らす。

 普通であればエレーナやマリーナのような美人がいれば絡んでくるような者がいても不思議ではないのだが……酒場やギルドの中にいる者達で、レイ達に絡んでくるような者は誰もいない。

 レイ、エレーナ、マリーナ、エルク……この全員を知らないというような者はさすがに存在しない為だ。

 全員が別々の席で食事をしていれば、もしかしたら相手の顔を知らない者が一人や二人絡んできたりもしたかもしれない。

 だが、有名所がこれだけ揃っていれば、必ず誰かの顔は知っているのだろう。

 当然ながら、最も多く顔を知られているのはエルクなのだが。


「ダンジョンで獲れた肉なのか? この料理は美味いな」

「あ、そうです。ダンジョンには森の階層もあって、そこに出てくるウォーターモンキーってモンスターの肉です」


 エルクとヨハンナの仲間の会話が漏れ聞こえたレイは、隣のエレーナと視線を交わす。

 お互いに口元に浮かんでいるのは苦笑だ。

 以前このダンジョンに潜った時、大量のウォーターモンキーに襲われたことを思い出したのだろう。


「あの時は苦労したよな」

「ああ。レイのおかげで何とかなったが……だが、ギルドでウォーターモンキーの肉料理が出されているということは、あの集団を相手に戦っている冒険者がいるということだな」

「正直、私はもうあのモンスターとは戦いたくありません」


 レイが当時をしみじみと思い出し、エレーナがウォーターモンキーの肉を獲ってくる冒険者に感心し、アーラは当時を思い出してうんざりとした表情を浮かべる。

 以前ダンジョンに潜った時は色々と辛い出来事もあったが、同時に決してそれだけではなかったということなのだろう。……ウォーターモンキーがそれに当て嵌まるかどうかは別だが。

 無数のと表現してもいいようなウォーターモンキーに襲撃され、追い立てられ……最終的には何とかなったものの、あまり面白い思い出ではない。

 それでもエレーナと出会う理由になった依頼だと考えれば、決して悪いものではなかった。

 ……もっとも、その依頼の最後には大きなケチがついたのだが。


「けど、レイはウォーターモンキーの肉を持っていかなかったか? それなら、ここまで驚くことはないと思うのだが」


 レイのミスティリングに視線を向け、エレーナが尋ねる。

 そんなエレーナの視線に何を言いたいのか理解し、レイは頷きを返す。


「ああ、まだ入ってるぞ。ただ……以前ちょっと食べてみたけど、そこまで美味いって程じゃなかったな。……とてもこの煮込みのようにはならなかった」


 しっかりと煮込まれているにも関わらず、適度な噛み応えが食感を楽しませる。

 それでいて暫く噛んでいると、しっかりと肉の味を楽しめながらも口の中で解けていく。

 まさに、肉! といった充足感を感じるその煮込み料理は、酒場で酒のつまみとして食べるのではなく、この料理だけを味わってもおかしくない程だ。


「あ、レイさんもやっぱりそう思います? 実は私達もダンジョンでウォーターモンキーを倒した時に、色々と試してみたんですけど……どうしてもこんなに美味しくはならないんですよね」


 レイの言葉を聞いていたヨハンナが、不満そうに呟く。

 ただ、その不満には料理以外にもセトに会いにいけないことの不満が混ざっていた。

 話が終わって宴会が始まろうとした時、ヨハンナはギルドから出て行こうとしたのだ。

 当然その目的地は、レイ達が泊まっている宿……の厩舎。

 だが、明日には会えるからとレイに止められてしまった。

 ヨハンナは、明日会うのであっても今日も会いたいのだ。

 そんなヨハンナの態度には全く気が付いた様子もなく、レイは料理に手を伸ばしながら口を開く。


「これは、純粋に料理人の腕だろうな」

「……そうでしょうね。けど、ギルムとかみたいに大きな街ならともかく、こんな場所になんでそんなに腕の立つ料理人が?」


 首を傾げるヨハンナの言葉に答えたのは、アーラと話をしていたマリーナだった。

 ギルドマスターだからこそ、何故ここに腕のいい料理人がいるのか分かったのか、それとも単純に他の誰かから聞いたのか。

 ともあれ、マリーナは不思議そうにしているヨハンナに向かって口を開く。


「ここがダンジョンだからよ」

「ダンジョンだから?」

「ええ。ダンジョンだからこそ、色々な素材……いえ、この場合は食材と言うべきかしら。それらが容易に入手可能なの。料理の修行をする人にとってみれば、ここは絶好の修行の場なのよ」

「……なるほど」


 言われてみれば、納得出来ることだった。

 ダンジョンから獲れる稀少な素材を使って料理を出来るというのは、ダンジョンがある場所で仕事をしている料理人の特権とも言えるだろう。


「でも、ここで腕を磨いても、ダンジョンで獲れる素材……食材は他の場所だと獲れないだろうし、あまり役に立たないんじゃ?」


 ヨハンナの仲間の一人がマリーナへと尋ねる。

 ……真面目に尋ねながらも、その男は大きく開いたマリーナの胸元へと何度も視線を向けていた。

 そんな視線を受けながらも、マリーナは笑みを浮かべて口を開く。


「そうかもしれないわね。けど、幾つもの料理を作ることが出来るというのは、料理人にとって貴重な技能よ。他の場所に行っても役に立たないかもしれないけど、もしかしたら役に立つかもしれない」

「そんなものなんです……か?」


 冒険者として暮らしている男には、マリーナの言葉はあまり理解出来なかったらしい。

 首を傾げる男に、マリーナは笑みを浮かべてそういうものだと頷きを返す。

 男には理解出来なかったが、料理人というのはそういうものなのだと言われれば、納得せざるを得ないのも事実だった。

 そうして、暫く皆で食べたり飲んだりといった時間をすごし……やがて料理もなくなってきたところで、レイが口を開く。


「じゃあ、ここで騒ぎすぎて明日に影響しても何だし、この辺でそろそろ解散にするか。……ヨハンナ、明日の午前九時の鐘が鳴った頃にダンジョンの前に来い」

「え? その、随分とゆっくりですね。銀獅子のいる最下層まで行くには、それなりに時間が掛かりますよ? ……って、レイさんにはこれは言うまでもないことでしたね」


 以前最下層まで行った経験のあるレイだ。

 そこまで到着するのに、どれだけの時間が掛かるのかは十分に知っている筈だった。

 だが、では何故……と、ヨハンナは混乱する。


「ま、その辺は明日にでも話すよ」


 グリムと知り合いだというのは話したが、そのグリムがどのような能力を持っているのかは今この場で話さない方がいいだろうと判断したレイが言葉を濁す。

 グリムのことを切り出した時は、周囲でヨハンナの仲間達が周囲を見張っていたが、今は皆が飲んで食べて、秘密の話を出来る現状ではなかった。

 とにかく、この酒場でヨハンナ達に出会ったことにより、いい意味で気分転換出来たのは事実だった。


「明日……ヴィヘラの意識が戻ったら、盛大に騒ぐとするか」

「あ、それはいいですね。ヴィヘラ様もきっと喜びますよ。えっと、それで当然その時はセトちゃんも一緒……ですよね?」

「そうだな」


 今日ギルドにやってくる時はいなかったからだろう。ヨハンナの懇願するような視線に、レイは当然と頷く。

 皆で騒ぐのだから、当然その時はセトもいるのは当然だろうと。


(ただ、そうなるとどこかの店を貸し切るとかしなきゃいけないか。それも相当大きな店を)


 最低でもセトが店の中に入ることが出来る店が必要なのだが、それを見つけられるかどうかというのは、疑問だった。

 これが春や夏……もしくは秋になったばかりであれば、外で宴会をやってもいいのだが、今はもう外はかなり寒い。

 日中ならまだ多少は暖かいのだが、夕方くらいには外で宴会をやるなどという真似はまず不可能だ。

 いや、レイはドラゴンローブがあるので、それこそ冬に外で宴会をやっても問題はないし、セトもそれは同様だ。

 だが、それ以外の多くの者達は下手に外で宴会をやろうものなら、最悪の場合凍死してしまうだろう。

 もっとも、宴会に参加するのは殆どが冒険者である以上、凍死というのは心配しすぎかもしれないが。


「あ、じゃあいいお店を探しておきますよ。こう見えて、ここに来てからそれなりに時間が経ってますしね」

「そうか、じゃあ頼む」


 レイも以前ここのダンジョンに潜る為にやってきたことがあったが、その時はここにある店を見て回るような余裕は殆どなかった。

 純粋にダンジョンに潜りに来て、そこで継承の儀式を終えてすぐに帰ったのだから。

 ……裏切りが起きず、何ごともなく継承の儀式が終わっていれば、地上に戻ってきてからどこかの店で祝杯を上げたり、土産を買ったりといった余裕もあったかもしれないが。

 また、ここは以前にレイが来た時よりも圧倒的に発展している。

 それこそ、全く違う場所ではないのかとレイが思ってしまうくらいには。


「ええ。任せて下さい。セトちゃんが喜ぶような……そして久しぶりに目を覚ましたヴィヘラ様が驚くような宴を計画してみせます」

「……そうだな、そうしてやってくれ」


 ヴィヘラよりもセトの名前が前に出てくる辺り、ヨハンナがヨハンナである理由なのだろう。


「そうね。ヴィヘラを驚かせる為にも……明日は絶対に失敗は出来ないわよ?」


 レイとヨハンナの会話を聞いていたマリーナが、笑みを……いつものように艶があるのは同じだが、その艶の中に決意を込めて呟く言葉に、レイとヨハンナは……そしてマリーナの声が聞こえていた者達は頷きを返すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る