第1210話

 銀獅子……それは、レイが初めてエレーナに会った時に向かったダンジョンに住んでいたモンスターだ。

 ダンジョンの核を守っているそのモンスターは、ランクSモンスターとして名高い存在であり、エレーナ達とダンジョンに潜った当時はダンジョンの攻略が目的ではなく、継承の祭壇にてエレーナに継承の儀式をさせるのが目的だったので手は出さなかった。

 それでもランクSモンスターという凶悪な存在がダンジョンの核を守っているとして、驚いた経験がレイにはある。

 もっとも、全てのダンジョンにランクSモンスターのような強力なモンスターがいるとも限らないのだが。

 ……いや、寧ろそれだけ強力なモンスターがダンジョンにいるという方が非常に希だろう。


『銀獅子? ふむ、なるほど。そう言えばあのダンジョンには銀獅子がおったな』


 グリムもレイと初めて遭遇したダンジョンはしっかりと調べていたのだろう。

 銀獅子という言葉からレイが予想したモンスターのことを思い出しながら、感心したように告げる。

 その感心は、レイが銀獅子という存在について忘れていなかったからか……はたまた、レイが自分と初めて会った場所のことを忘れていなかったからか。

 ともあれ、レイの口から出た銀獅子という言葉はグリムを喜ばせるのに十分だった。


「銀獅子か。そう言えばそのような存在もいたな」


 こちらも、レイと一緒にダンジョンに潜ったエレーナが、少しだけ苦々しげな表情で呟く。

 継承の祭壇を求めて潜ったダンジョンには、エレーナにとって色々と辛い思い出が多い。

 自分の部下が操られて殺され、操った者もまた自分の部下だった。

 今は二人共が既に死んでいるとはいえ、エレーナの中にある傷は完全に癒やされた訳ではない。

 普段はそこまで気にはしていないが、それでもふとした時に思い出すことはある。


「銀獅子、ね。報告では聞いていたけど……厄介な相手よ」


 マリーナも小さく呟く。

 ギルムのギルドマスターとして、当然マリーナは継承の祭壇があったダンジョンのことは理解している。

 そのダンジョンの近くには、ギルドの支部……というには少し大袈裟だが、出張所のようなものが存在しており、そこからダンジョンについての情報はギルムへと流されていた。

 ダンジョンそのものはそこまで広くないダンジョンなので、最下層に到達した者は決して少なくはない。

 だが……それでも銀獅子を相手にしようとする者は殆どいないし、数少ない挑戦者もあっさりと銀獅子に殺されてしまっている。


「ああ。銀獅子だ。ランクSモンスターの心臓が必要だというのなら、銀獅子の心臓があれば十分じゃないか? 勿論、倒すのはかなり苦労するだろうけど」

『ふむ。レイの言う通り、銀獅子の心臓があればその女の意識を取り戻す為の大きな力となるのは間違いないじゃろう』


 レイの言葉にグリムがそう太鼓判を押す。

 そんなグリムの様子を見て、ギルドマスターのマリーナは美しい顔に憂いを浮かべた。

 銀獅子というモンスターがどれだけ強いのか。それを理解している為だ。

 だが、他のランクSモンスターがどこにいるのかと言われれば答えることは出来ないし、そもそもランクSモンスターは普通であればどうにも出来ない存在だからこそ、ランクSモンスターなのだ。

 銀獅子以外のランクSモンスターがいても、それを倒せるかどうかと言われれば、首を傾げざるを得ない。

 だが、ランクSモンスター以外の方法となると、それこそグリムが最初に口にした世界樹の件しかない。

 今年の春にあれだけの騒動があったのだ。

 当然今の世界樹は無理を出来ない状態にある。

 傍から見ればレイの魔力もあって全快しているように見えるが、本当に全てが完全に回復しているのかどうかというのは、マリーナにも理解出来ない。

 また、世界樹はグリムと同様に永い時を生きる。

 いや、純粋に生きる時間を考えれば、グリムよりも永いだろう。

 そんな世界樹にとって今年の春というのは、人間の感覚で考えれば数時間前……下手をすれば数秒前ということも有り得る。

 それ程の短期間で世界樹に負担を掛けるのは、マリーナの立場としては許容出来なかった。

 これが自分だけの問題であれば全く問題ないのだが、世界樹ともなれば集落に住んでいるダークエルフ全てに関わってくる。

 他の集落の世界樹は……と一瞬考えはしたのだが、エルフ、ダークエルフに関わらず基本的に人間を嫌っている者が多い。

 だとすれば、もし世界樹に力を貸して貰うにしても、その集落の者に認めて貰う必要があり、その上で自分と同じく世界樹の巫女とも呼ぶべき存在に協力を仰がなければならない。

 それにどれだけの時間が掛かるか分からず……そうなると、やはり居場所が分かっているランクSモンスターの銀獅子を倒した方が確実だった。


(ヴィヘラの意識を取り戻すには、そこまでする必要があるの……ね?)


 そこまで考えた時、ふとマリーナの脳裏を知り合いの顔が過ぎる。

 理由は違えど、ヴィヘラと同じく意識を取り戻さずにいる人物。

 その人物の両親は、何とかその状況から回復させようとして忙しく動き回っているのだ。

 ランクA冒険者にして、雷神の斧の異名を持つエルク。同時に異名と同じパーティ雷神の斧を率いる者でもある。

 妻のミンと共に、現在はベスティア帝国の内乱で意識不明になったロドスの意識を取り戻す術を探している筈だった。

 であれば、ここは協力出来るのではないか。

 ランクSモンスターに挑むのだから、エルクとミンという高ランク冒険者がいるに越したことはない。


(レイ、セト、エレーナ、アーラ、私、エルク、ミン……ああ、イエロもいたわね。だとすれば、六人と二匹。ランクSモンスターを相手にするには十分すぎる戦力なのは間違いないわ。……まぁ、色々と難点がない訳じゃないけど)


 後方からの援護を出来る人数がそれ程多くない……正確にはレイやエレーナ、セトといった風に両方が出来るが、どちらかと言えば前衛で戦った方が戦力になるという者の方が多かった。

 純粋な後衛と呼べるのは、精霊魔法と弓を使うマリーナと純粋な魔法使いのミンのみだろう。

 もっとも、一つのパーティに二人も魔法使いがいるという時点で、普通の冒険者達にとっては後衛不足だと騒いでいるのは贅沢だと心の底から叫ぶだろう。

 精霊魔法使いや魔法使いというのは元々非常に数が少ない。

 普通後衛と言えば弓を使う弓術士を表しているのだ。

 ただし、それはあくまでも普通のパーティの場合であり、ランクSモンスターに挑むというのであればとてもではないが戦力が充実しているとは言えない状況なのも事実だ。


(出来れば……)


 マリーナは視線を対のオーブへと向ける。

 そこに映し出されたグリムは、永き時を生きるアンデッドモンスターだ。

 もし戦力になってくれるのであれば、非常にありがたい人物の筈だった。


『うん? どうかしたのかね?』


 じっと自分に視線を向けられているのに気が付いたグリムが尋ねると、マリーナは少し迷いながらも口を開く。


「もし銀獅子に挑む場合……グリム様のお力は貸して貰えるのでしょうか?」

『残念じゃが、そのつもりはない。今は暇じゃが、儂も普段は色々と忙しいからな』


 その忙しいというのが、何を示しての忙しいなのかということが多少気になるマリーナだったが、もしここで迂闊に尋ねて村や街を死霊で溢れさせる実験を行う……などと聞かされては、堪らなかった。

 もっとも、グリムはアンデッドとしては他に類を見ない程に強い自我を残しており、意識も生前と殆ど変わらない。

 非人道的な行為というものは、余程のことがなければ行わないのだが。

 予想された返事ではあったが、それでもマリーナは残念そうな表情を浮かべる。

 そんなマリーナの様子に何か感じるところがあったのか、対のオーブの向こう側でグリムが口を開く。


『ふむ、そうじゃな。戦闘の手助けは行わぬが……あのダンジョンの入り口近くから最下層まで転移させるようなことはしてもよいな』


 転移と聞かされたレイは、以前ダンジョンから戻る時に一気にダンジョンの入り口付近まで転移させて貰ったことを思い出す。


「あれはいいな。かなり助かる」


 以前ダンジョンに潜った時には、多くのモンスターと戦い続けてようやく最下層に到着した。

 それこそ、ダンジョンの中で夜を越すことすらしたのだ。

 ダンジョンの中に森があり、巨大な茸が大量に生えている場所があり、アンデッドが多く強烈な悪臭がある場所……といった風に、ダンジョンの規模そのものは小さいのだが、難易度は決して低いものではない。


「……それは助かるのですが、そのダンジョンに向かう時に私達以外の者がいても転移で送ってくれますか?」

「俺達以外? 誰か連れて行こうとしてるのか?」


 今回の件の関係者だけで銀獅子に挑もうと考えていたレイにとって、マリーナの口から出たのは予想外の言葉だった。

 そんなレイに対し、マリーナは頷いてから口を開く。


「忘れた? 私達以外にも意識を取り戻せない人を何とか起こそうとしている人達がいるのを」


 その言葉に、レイは一瞬誰のことを言われているのか分からなかった。

 今はヴィヘラの意識を取り戻すことを最優先しており、だからこそそれ以外の必要ない要素は考えるだけの余裕はなかったのだ。

 もっとも、意識がないという意味ではロドスもヴィヘラも一緒だ。

 そう考えればエルクやミンにその辺りの情報がないのかどうかを聞きに行ってもよかったのだが、お互いが意識を失った時の状況が違いすぎたこともあって、すっかり忘れ去っていたのだろう。


「そうか、エルク達」

「ええ。エルクもミンも腕利きの冒険者よ。であれば、銀獅子なんてランクSモンスターと戦うには、十分役に立ってくれると思わない?」


 マリーナの言葉は事実だった。

 エルクがどれ程の技量を持っているのかというのは、一度命を狙われたことがあるレイもよく知っている。


「待て」


 エルク達の力を借りる。

 その提案にレイが頷こうとした時エレーナがそれに待ったを掛けた。


「エルク達の力を借りる。ランクSモンスターを相手にするには、頼もしい戦力となるだろう。だが、銀獅子の心臓を使って意識を取り戻すという方法を取る場合、ヴィヘラとロドスの二人とも可能なのか?」

「それは……」


 エレーナの言葉に、レイとマリーナは顔を見合わせる。

 一年近くもの間、一人息子の意識を取り戻す為に頑張ってきたエルクとミン。

 そんな二人に、銀獅子の心臓を使えば意識を取り戻せるかもしれないと言い、力を借りて銀獅子を倒すも……それで意識を取り戻すことが出来たのはヴィヘラだけ。

 ロドスは相変わらず昏睡状態のまま……となれば、エルクとミンが暴発してもおかしくはなかった。

 そうなれば当然エルクやミンと戦うことになってしまうだろう。

 そして暴発している二人を相手に……あるいはミンの冷静さを考えればエルクだけかもしれないが、そんな無駄な戦いは誰も望んでいなかった。

 ましてや、エルクは異名持ちの高ランク冒険者としては性格がいい。

 そのような貴重な冒険者を失うことになるというのは、ギルムにとって損失以外のなにものでもないだろう。


「その辺は……どうなんだ? 銀獅子の心臓を使った場合、一人しか意識を取り戻せないとか、そういう制約はあったりするのか?」


 レイの質問に、対のオーブに映し出されているグリムは首を傾げる。


『どうじゃろう。その辺は銀獅子次第としか言えんな。ランクSモンスターの心臓を使って意識を取り戻す場合、その心臓を持っているモンスターがどれだけの魔力を持っているかによる』

「つまり、魔力が弱いモンスターなら、下手をすればヴィヘラも意識を取り戻さない可能性があるのか?」

『それは心配いらぬと思うぞ。仮にもランクSじゃ、その程度の魔力を持っているのは間違いない』


 仮にもという言い方を考えると、グリムにとって銀獅子というのは強敵という訳ではないのだろう。

 自分の実力に多少なりとも自信のあるレイだったが、それでもグリムの力がどれ程のものなのかと考えれば、そこまでの道のりは遠い。

 だが、今はそれどころではないと気分を切り替えて口を開く。


「じゃあ、どうする? エルクの協力は是非欲しいけど、それで最終的にエルク達と戦いになるというのは困るし」

「そう、ね。……グリム様から見て、その銀獅子の心臓を使えば二人分は意識を取り戻せるようになると思いますか?」

『ふむ……先程言ったが、確実にとは言えんよ。じゃが、恐らくは大丈夫じゃろうとは思う』


 恐らくは大丈夫。

 何とも不安な言葉だったが、それでも何の保証がないよりもいい。


「なら、エルクに話を通してみましょう。ただし、あくまでもヴィヘラを優先するというのを前提として」

「それしかない、か」


 マリーナの言葉にエレーナが同意し、レイもまた頷く。


『ふむ、どうやら決まったようじゃな。では、ダンジョンに来たらまた儂を呼ぶといい』


 そう告げ、対のオーブの通信を終わろうとするグリムだったが、レイがそれに待ったを掛ける。


「ちょっと待ってくれ。一応聞いておきたいんだけど、意識を取り戻すのに必要なのは心臓なんだよな? その心臓に魔石はなくてもいいんだよな?」

『そうじゃな。レイにとっては嬉しい話じゃろう。それと心臓を取り出してから時間が経つごとにその効果は減っていく。もし二人に使用するというのであれば、倒したその場で儂に任せるのが最良じゃろうな』


 その言葉と共に対のオーブからグリムの姿は消えるのだった。

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