第1207話
目を閉じてベッドで横になっているヴィヘラ。
その光景は、ここ最近レイも毎日のように見ているのだが、とても意識不明になっているようには見えない。
こうして見る限りでは、ただ眠っているだけ……そういう風にしか見えないのだ。
だが、そんなヴィヘラは目を覚ますことがない。
どんなにレイがポーションの類を使おうが、回復魔法を使える者に頑張って貰おうが、全く目を覚ます様子はなかった。
「ヴィヘラ……」
レイの隣にいたエレーナが、ヴィヘラの名前を呼ぶ。
それでも全く目を覚ます様子がない。
「眠ってるようにしか見えないだろ? ……けど、ヴィヘラが目を覚ますことはない」
「……そう、か」
エレーナも、ヴィヘラが意識を取り戻さないというのは知っていた。
だが……こうして自分の目で見れば、改めてそんなヴィヘラの様子を納得せざるを得ない。
「全く。こんな時に眠ってばかりいるというのは、正直どうかと思うぞ?」
少し悲しげに……それでいて挑発するように告げるエレーナだったが、意識を失っているヴィヘラはそれが聞こえているのかどうかも分からなかった。
眠っているだけであれば、時折瞼が小さく動いたり、寝言を言ったり、寝返りを打って身体を動かしたりするのは珍しい話ではない。
だが、今のヴィヘラはそんな行動を取るようなことはなく、微動だにしない。
「本当に、目を覚ますことはないのだな」
そっとヴィヘラの顔を撫でながら、エレーナは呟く。
「ああ。今は何とかヴィヘラの意識を取り戻す方法を探しているところだ。俺だけじゃなくて、マリーナもな」
ギルドマスターのマリーナは、その地位とダークエルフという長く生きてきたおかげで持っている深い知恵、そしてこれまで培ってきた人脈を使い、どうにかヴィヘラの意識を取り戻させる方法を探している。
こうしてヴィヘラを心配しているエレーナだけではなく、マリーナにとってもヴィヘラは大事な相手だ。
それこそ、共にレイを愛する女として、そして共にレイと結ばれる相手として。
「私も色々と家の伝手を使って調べてみたが……」
ヴィヘラの頬を撫でていた手をそっと離しながらエレーナが呟くが、その態度を見れば決して良い結果がある訳ではないというのは明白だった。
「すまない」
「別にエレーナが謝る必要はないだろ? こっちだって色々と探しているのに、ヴィヘラの意識を取り戻す方法を見つけられないんだから」
申し訳なさそうにするエレーナに言葉を返しながら、レイは窓の外へと視線を向ける。
そこにあるのは、まだ昼前の景色。
アンブリスを倒した……正確には倒しきれずにヴィヘラの体内に逃げ込んだ時に比べると、既に秋となり随分と気温が下がってきている。
だが、それでも現在は夕暮れの小麦亭の中にいるので、寒さの類は感じない。
それだけに、宿の外と中では全く別の世界のようにも思えた。
それでも……秋晴れの青い空を見る限り、まだ今は夏なのではないかと、ヴィヘラが意識を失ってからそれ程経っていないのではないかと、そんな風にも思ってしまう。
(いや、そう考えるのは俺の弱さか。……随分と心が参ってきてるのかもしれないな)
自分が何者かに攻撃をされているのであれば、どうとでも反撃は可能だ。
しかし、攻撃されているのが自分ではない以上、今のレイがヴィヘラの為にしてやれるようなことは殆ど存在しない。
「これが眠っているだけなら、ぐっすりと気持ちいい眠りについているんだと、そう思うんだけどな」
「ふふっ、そうだな。だが、ヴィヘラも女だ。自分の寝顔をこうして他人に……レイに見られるというのは、あまり好まないと思うがな」
レイの言葉に、エレーナが冗談めかしたような口調でそう告げてくる。
女が寝顔を見せるのを好まないというのは、レイも知っていた。
だが、それはあくまでも知っているだけであり、実際に何故そう思うのかというのはよく理解出来ていない。
それだけに、エレーナの言葉を聞いてもそうなのか……と思うだけだ。
そうして、レイとエレーナ、ヴィヘラの三人だけの時間が流れる。
特に何かを喋ったりしない、沈黙の時間。
秋の風が時折窓を揺らす音が微かに部屋の中に響く、そんなゆっくりとした時間。
そんな静かな時間を三人はすごしていたが……やがて、不意にレイは視線を扉の方へと向ける。
誰かがこの部屋のある方に近づいてくる気配を察知した為だ。
勿論この部屋の近くにも他に部屋はある。
もしかしたら、そこに用事のある相手が近づいてきたのかもしれない。
そう思ったのだが、近づいてくる気配が自分のよく知っているものだと気が付くと、少しだけ疑問を浮かべる。
この部屋に来てもおかしくはない人物なのだが、それでも日中のこの時間にこの部屋に来るというのは珍しかった為だ。
そんなレイの横では、こちらもエレーナが視線を扉の方へと向けていた。
レイより数秒だが遅れて気配を感じ取ったのだろう。
そして二人の視線が扉に向けられている中、やがて気配の持ち主は部屋の前で足を止めると扉をノックする。
部屋の中に響く軽い音。
「入ってもいいぞ、マリーナ」
レイがその気配の主の名を口にする。
エレーナも部屋の外にいるのはマリーナだと理解していたのだろう。特に驚いた様子もなく扉の方へと視線を向けていた。
そして扉が開くと、そこにいたのはレイが口にした通りマリーナの姿だった。
青いパーティドレスを着ているのはいつものことだが、その顔には少しだけ疲れの色が見える。
だが、それも当然だった。
アンブリスの件で散々情報を集め、それが終われば次は何とかヴィヘラの意識を取り戻す方法がないかと動き回っているのだ。
幾ら冒険者として活動していたマリーナでも、体力には限界というものがあった。
それでも休まないのは、それだけマリーナがヴィヘラが意識を取り戻すことを強く望んでいるからだろう。
そして少しの時間を見つけては、こうしてヴィヘラの様子を見に夕暮れの小麦亭へと顔を出していた。
休め、と。何度もレイは注意したのだが、本人は大丈夫だと言い張ってなかなか休まない。
その疲れた顔に笑みを浮かべ、マリーナは口を開く。
「エレーナが来ていると聞いてはいたけど、やっぱりここにいたのね。……久しぶり」
「うむ、久しぶりだ。……マリーナも元気そうで何よりと言いたいところだが、少し疲れているようだな」
「ふふっ、大丈夫よ。こうしてヴィヘラの顔を見て、レイと一緒にいれば疲れくらい何とでもなるわ。……それに、今日はエレーナもいるしね」
本心から言っているというのは分かるのだが、それでもレイの目から見てもマリーナは疲れているように見える。
だが、言っても仕方がないというのは分かっているので、せめて少しでも疲れを癒やせるようにと、ミスティリングの中から幾つかの果実を取り出す。
春、夏、秋……本来であれば、別々の季節の果実を同時に食べ比べるなどという真似は出来ない。
ドライフルーツにしてあれば話は別だが、干された果実はどうしても生のものに比べると味や……特に食感が違う。
アイテムボックスを使ってこそ出来る贅沢だった。
「美味しいわね。……特にこっちの果実は凄く瑞々しいわ。それでいて甘さもそこまで過剰じゃないし」
「こっちの果実も美味い。滑らかな舌触りで、口の中で濃厚な甘みを楽しませてくれる」
マリーナとエレーナが自分の出した果実を喜んで食べているのを見て、レイは少しだけ安堵する。
これでマリーナの疲れが少しでも癒やされれば……と。
そうして果実を食べながら少しだけ安心した様子のマリーナが、柔らかい表情でベッドのヴィヘラへと視線を向ける。
「全く、ヴィヘラもそろそろ目を覚ましてくれてもいいと思うんだけどね」
「そうだな。……何か手掛かりのようなものはないのか?」
果実を口に運びながら尋ねるエレーナに、マリーナは首を横に振る。
「駄目ね。色々と調べてみたけど……意識を失ったままの人をどうにかするというのは幾つか見つかったけど、今回の件に当て嵌まるかどうかは……ねぇ?」
「ああ」
少し離れた場所で、果実ではなく串焼きを食べていたレイが頷きを返す。
この二ヶ月の間、マリーナが見つけ出した手段を試してみたことが何度かある。
だが、その全ては効果がなかった。
「何とかもっと詳しい人に聞ければいいんだけどね」
「……ダークエルフの集落は?」
「そっちには手紙を出したわ。ただ、戻ってくるまではもう少し掛かるでしょうね」
ダークエルフの集落には、いの一番に手紙を送っている。
だが、ダークエルフの集落はすぐ近くにあるわけではない以上、すぐに返事を受け取るのは難しいだろう。
レイがセトで行くか? とマリーナに尋ねたのだが、色々と難しい理由があると言って断られた。
その難しい理由というのが何なのかは分からなかったが、レイも出来ればヴィヘラの側を離れるのは避けたかったので、助かったのは事実なのだが。
「私の方でも何か手伝えることがあればいいのだが……」
残念そうに呟くエレーナ。
今の立場で色々と出来ることは試しているのだが、それも殆ど役に立たない。
「誰か、もっと長く生きてる人に聞ければいいんでしょうけどね」
「例えばダークエルフとかか?」
食べ終わった串焼きの串をミスティリングの中へと収納しながら尋ねるレイに、マリーナは頷く。
「ええ。でも、私の知り合いのエルフやダークエルフにはアンブリスについて知ってる人がいるかどうか。単純に長生きしていたってだけだと意味がないのよね。実際にアンブリスと接触したことがないと……」
憂鬱そうにマリーナは溜息を吐く。
長生きしており、同時にアンブリスという存在を知っている者。
前者はダークエルフである以上難しくはないのだろうが、後者は今回のアンブリスが確認されている限り二度目、三百年ぶりということもあって、非常に難しいだろう。
「そうなると、ダークエルフ以上に長生きを……」
「待て」
ふと、思いつくことがあり、レイの口が開く。
そこから出て来た声は、今の……どちらかというと愚痴を言い合うような場で出るような声ではない。
真剣な……そう、心の底から真剣に考えている、そんな声。
何かを考えている様子のレイに、エレーナとマリーナの二人も声を出すことは出来ない。
それ程に、今のレイは真剣な様子だったのだ。
そのまま多少の時間が経過する。
沈黙を保っていた為に、正確にどのくらいの時間が経ったのは分からない。
十数秒なのか、数十秒なのか、数分なのか……もしくは、十数分なのか。
そんな、有り得ない様子を見せたのは、やはりレイの様子がそれだけ異常だった為か。
二人が見ている前で何かを考えながら時折呟くその様子は、普段のレイを知っているだけに少し違和感があった。
だが、それがヴィヘラを助ける為の行為なのだとすれば、エレーナもマリーナもそんなレイには口を出せない。
そして……やがてレイは小さく溜息を吐く。
そんなレイの仕草で、もう話し掛けてもいいと判断したのだろう。
マリーナがレイへと向かって口を開く。
「レイ?」
「ああ、悪い。もしかしたら……本当にもしかしたらだけど、ヴィヘラの意識を取り戻す手掛かりを何とか出来るかもしれない」
「本当か!?」
いきなり出て来たレイの言葉に、エレーナが驚きの声を上げる。
ギルドマスターのマリーナや、姫将軍の異名を持つエレーナであっても見つけることが出来なかった、ヴィヘラの意識を取り戻す為の手掛かり。
それをレイが持っていること自体は、それ程おかしな話ではない。
異名持ちの高ランク冒険者のレイなのだから、自分達が知らない何かがあってもおかしくはないのだから。
だが、それでも疑問は残る。
ヴィヘラが倒れてから二ヶ月近く……その間、レイは必死にヴィヘラの意識を取り戻す方法を探していたのだ。
もし何か意識を取り戻す手掛かりのようなものがあるのなら、もっと前にそれを言っていてもおかしくはなかった。
「ああ。ただ、今も言ったけど確実にとは言えない。多分何かを知ってると思うけど……」
口籠もるレイに、エレーナとマリーナの疑問は更に強まる。
「とにかく、今は何の手掛かりもないんだから、少しでも可能性があるのならやってちょうだい」
マリーナの言葉に、レイは頷く。
そうして、小さく深呼吸をしてから目の前にいる二人に確認するように口を開く。
「これからすることは、正直なところ色々と問題がある行為かもしれない。けど、少なくても俺には現状でヴィヘラの意識を取り戻す為に手掛かりとなるとこれしかないと思う」
それでもいいか? と視線を向けてくるレイに、エレーナとマリーナの二人は頷く。
「グリム……という相手に頼ろうと思う」
真面目な表情で、レイはそう告げたのだった。
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