第1181話

 レイとヴィヘラは、マリーナから魔力異常がモンスターになっているという話を聞いた後、夕暮れの小麦亭に戻ってきていた。

 そしてレイの部屋で、二人は向かい合う。

 もっとも、男の部屋に二人きりでいるといっても、別に何か艶っぽい話をしている訳ではない。

 いや、ヴィヘラはそれでも良かったし、寧ろ望むところではあったのだが……今レイの部屋で行われているのは、明日以降の行動についての話し合いだった。


「魔力異常がモンスターになる、か。ヴィヘラはダンジョンに潜ってたんだろ? そういう話を聞いたことはないのか?」


 ソファに座って尋ねるレイに、向かいに座っているヴィヘラは首を横に振る。


「いえ、残念ながらそんなモンスターは見たことがないわね。アンブリスという名前もマリーナに聞かされて初めて知ったし。正直、凄く稀少な例だと思うわよ」

「だろうな。そもそもミレアーナ王国に情報が残ってなくて、ベスティア帝国に……それも三百年近くも前に一度だけ起こったことらしいし」

「ええ。……それも、結局その時はアンブリスを倒すことは出来なかったんでしょう? 時間が経って、最終的には消えてしまったとか。……だとすれば、最悪の場合でも時間を掛ければこっちも消えるのかしら」


 そう。二人はマリーナから、結局百鬼の谷に出現したという魔力異常がモンスターになった存在、アンブリスを倒すことが出来なかったという話を聞いている。

 それでも最終的には、いつの間にかアンブリスが消えていたので事態は収束した。だが……


「そうなると、アンブリスが消えるまでリーダー種が増え続けることになるぞ」


 レイの言葉に、ヴィヘラは小さく溜息を吐く。

 アンブリスが消えるまで、百鬼の谷周辺では多くの亜人種型のリーダー種が生み出された。

 恐らくアンブリスがモンスターをリーダー種にすることは、魔力異常という自分の身体をモンスターへと与えているからだというのがマリーナの予想だった。

 実際に百鬼の谷でも時間が経つに連れてアンブリスの身体は次第に小さくなっていったということなのだから、あながち間違いでもないのだろう。


(まぁ、純粋に時間が経つにつれて身体を構成している魔力異常が薄れていったって可能性もあるけど……より最悪の事態を考えておいた方がいいだろ)


 物事を深刻に考えるのは、レイもあまり好みではない。

 だが、そうせざるを得ない理由もある。

 何故なら、アンブリスは普通のモンスターと大きく違う点があった。

 その一点だけで、今までの常識が通じないというのは明らかだ。


「魔石のないモンスター……か」


 そう。普通モンスターというのは、種族は違えど必ず魔石は持っている。

 だが、アンブリスに限っては、魔石を持っていなかったと伝わっていた。

 そもそも、外見は黒い煙といった存在であり、そこに自分の意志があるのかも分からない。

 当時、初めてアンブリスの姿を見た冒険者が必死に魔石を探したのだが、霧のような気体型の身体にはどこにも魔石はなかったらしい。

 それもあって結局アンブリスを倒すことが出来ず、延々と出てくるリーダー種を倒し続け……それが数ヶ月続いたところで、不意にアンブリスは姿を消したという。

 魔石の件もあって、もしかしたらアンブリスはモンスターではなく何らかの現象なのではないかという意見もあったのだが、現在確認されているのはベスティア帝国で見つかったその一匹だけであり、詳しい生態は全くの不明だった。


「生まれ故郷だし、百鬼の谷のことも知っていたけど……そんな話は聞いたことがなかったわね」


 レイの言葉に、ヴィヘラがしみじみと呟く。

 三百年近くも前の出来事で、しかも今まででアンブリスを確認出来たのは、その一度のみ。

 そんな稀少なケースであれば、ヴィヘラが少し勉強をした程度で分からなかったのは当然なのだろう。

 それでもしっかり調べれば分かるくらいに情報が残っていたのは、ギルドとしての仕事だったからか。

 そして実際、今こうして役に立っているのだから、知識を残すということは凄い……とレイには思える。


「ともあれ、だ。今回の件は三百年前の百鬼の谷に近いけど、アンブリスで確定したという訳じゃない。もしかしたら、もっと別の原因があるかもしれない。その辺を考えると、探すにしても注意した方がいいだろうな」

「そうね。高ランク冒険者限定ではあっても、ここまで色々と違うと……」


 ソファに座りながら、レイとヴィヘラはそれぞれ油断しないように決意を露わにする。

 アンブリスについての説明をマリーナから聞いた後、当然のようにレイとヴィヘラは今回の件の解決……恐らくアンブリスが理由と思われる件の解決を依頼された。

 もっとも、それはレイとヴィヘラに対する指名依頼という訳ではなく、高ランク冒険者のみが受けることの出来る依頼としてだ。

 ……正確にはヴィヘラの冒険者ランクはまだBではなく、高ランク冒険者とは言えないのだが……ヴィヘラの場合は実力的には十分ランクB相当はあるということで、マリーナに許可をされた形だった。

 勿論全ての高ランク冒険者にアンブリスの捜索と討伐を依頼する訳ではない。

 そんな真似をすれば、当然ながらモンスターの群れに対する対処が後手に回ってしまうからだ。

 普通の冒険者であれば、どうしても数の差を活かした群れに対処するのは難しい。

 だが、それが高ランク冒険者となれば一人で群れに対処するのは簡単……とまではいかないが、それでも不可能ではない。

 つまり、以前のように幾つもの群れがギルムを目掛けて襲ってきても、それに対処するのは難しくはなかった。

 それでもあくまでも個人であったり、少人数であれば、数の多さを活かしてギルムに浸透するような真似をされた場合、手を出すのが難しくなるのだが。

 とにかく、明日以降はアンブリスの捜索がレイとヴィヘラの役目となる。

 セトという機動力を持つレイとセトだけに、この手の捜索依頼は広範囲をカバーすることが出来る。

 そういう意味では、レイとセトが今回のアンブリス捜索の最大戦力と言ってもよかった。

 尚、当然のようにヴィヘラはレイとセトに同行するつもりになっている。

 レイも特に断る理由はないので、それを受け入れていた。

 ヴィヘラをセトが前足にぶらさげても、速度はそれ程落ちないというのがヴィヘラの同行を認めた理由だった。


「にしても、魔石がないモンスターか。……やる気が起きないな」

「ふふっ、レイならそうかもしれないわね。……まぁ、私もそれは同じだけど」


 レイは魔獣術に使用出来る魔石を入手出来ない為にやる気が起きず、ヴィヘラは霧のようなモンスターのアンブリスには、攻撃する手段がないということがやる気の起きない理由だった。

 物理攻撃のみならず、魔力異常により生み出されたことが関係しているのか高い魔法防御力を持ち、並大抵の攻撃魔法は通用しない。

 色々な意味で厄介なモンスターだった。

 そしてアンブリスが出来るのは、亜人種のモンスターへと接触し、リーダー種に進化させることだけ。

 厄介としか言いようのない存在であり、霧のような存在で魔石もない以上、討伐証明部位を得ることも出来ない。

 ……もっとも、確認されたのが三百年前の一例だけであり、その時も結局倒すことは出来なかったのだから、どの部位が討伐証明部位なのかというのも決まってないのだが。


「こうして考えると、アンブリスってのは聞いた通りモンスターというか災害や自然現象に近いのかもしれないな」

「自分の意志……があるかどうかは分からないけど、とにかく動き回っているのに?」

「別に動き回る災害や自然現象なんて珍しくないだろ。竜巻だって普通に動き回るんだし」


 自分の代名詞の炎の竜巻……火災旋風は地面を動き回る。

 最初に火災旋風を使用した時は、殆ど動くことがなかった。

 だが、今レイが使っている火災旋風は、大まかにではあるが自由に動かせるようになってる。

 そう考えれば、自然現象が動き回るのはそうおかしな話ではない。

 もっとも、このエルジィンという世界では魔力という存在がある以上、どうしても地球の自然現象とは違うものがある。


「どちらにしろ、俺達がやるべきことは変わらないんだ。出来るのは、アンブリスを探すことだけ。……見つけて、それを倒すことが出来るのかどうかは、別だけどな」

「そうね。……セトがいる分、私達に掛かる期待は大きいでしょうけど、大丈夫?」

「どうだろうな。セトの能力を考えれば、見つけることが出来てもおかしくはないと思うんだが。……アンブリスに臭いがあればな」


 セトの嗅覚上昇のスキルは、この短期間でレベルが三も上がっている。

 アンブリスに一度でもいいので接近することが出来れば、嗅覚上昇の効果でいつでもアンブリスを見つけることが出来る筈だった。


(もっとも、最初にアンブリスを見つけるのが難しいんだけどな)


 霧のような存在だというのも、あくまでも百鬼の谷での目撃証言からのものであり、今回のアンブリスも霧状の存在だと決まった訳ではない。

 いや、それ以前に今回の件もアンブリスという存在が原因なのかというのもはっきりと分かっていないのだ。

 あくまでも亜人型のモンスターにリーダー種を作るという現象からアンブリスの仕業だとマリーナは考えていたが、しっかりとその姿を確認した訳ではない。


(まぁ、亜人型のモンスターをリーダー種に進化させるなんて特徴を持つ存在が、そう他にいるとも思えないけど。そう考えれば、やっぱり一番怪しいのはアンブリスなんだよな)


 元々前例が非常に少ない以上、どんな相手なのかを考えるのは殆ど意味がない。

 何かあっても即座に対応出来るようにしておくのが、最善の手段だった。


「取りあえず、明日からだな。何をするにしても、こうして後手に回っているのは面白くないし」

「そうね。……どうせなら、亜人型のモンスターだけじゃなくて、もっと強力なモンスターを進化させてくれればよかったのに。そうすれば、もう少し楽しかったんだけど。もしくは、亜人型ではあってもサイクロプスとか」


 ワーウルフとサイクロプスの戦いを思い出したのか、少しだけ残念そうにヴィヘラが呟く。

 サイクロプスも亜人型のモンスターだけあって、リーダー種は存在する。

 だが、個としての強さが他のモンスター……ゴブリン等に比べると圧倒的に強い為か、上位種というのは非常に珍しい。

 そのおかげと言うべきか、サイクロプスにリーダー種が出なかったのは、ヴィヘラにとっては不運だったかもしれないが、それ以外の者にとっては幸運だったと言えるだろう。


「心配するな……って言うのは変だけど、アンブリスが本当にいるのならサイクロプスの上位種も姿を現すのは時間の問題だろうな。マリーナとしては、出て欲しくないんだろうけど」


 ギルドマスターという立場にあるマリーナにとって、サイクロプスの上位種が本当に出てくれば頭の痛い問題だろう。

 ギルムにいる冒険者は腕利きの者が多いが、サイクロプスに勝てないという者も決して少なくはない。

 そうである以上、出来ればマリーナとしてはサイクロプスリーダーなどというモンスターは現れないで欲しかった。

 もっとも、ヴィヘラは強敵との戦いを望むという点から、レイは魔石を魔獣術に使うという点から、出来ればサイクロプスリーダーが出て欲しいとは願っていた。


「ま、その辺は私達がどうこう言っても始まらないものね。願わくば、私達でアンブリスを見つけることが出来ればいいんだけど」

「その可能性は高いだろうな。空を飛べるセトがいるのは大きい。他の奴の何倍……何十倍もの範囲を捜索出来るし。……ただ、もし本当に今回の件がアンブリスの仕業だったら、霧状のそれをどうやって見つけるかが問題になるけど」


 霧というのは、濃ければ視認しやすい。だが、それは逆に言えば薄ければ視認しにくいのだ。

 そう考えると、アンブリスというのは非常に隠密性の高いモンスターと言えるだろう。

 魔石を持っていないアンブリスが、モンスターなのかどうかはレイにとっても疑問なのだが。


「触れたモンスターをリーダー種にするのなら、上手い具合に捕まえれば、こっちとしては助かるんだけどな」

「……また、無茶を言うわね」


 唐突に出て来たレイの言葉に、ヴィヘラの口からは呆れの声が出る。

 実際、レイが言っているのはそれ程に無茶なことだった。

 そして当然のように、レイもそれが無茶なことだというのは理解している。

 それでも、亜人型限定とはいえ、モンスターを上位種に進化させることが出来るというのは、魔石を集める必要があるレイにとっては大きな利益だ。


(それに、今はリーダー種だけだけど……もしかして、ジェネラルやメイジ、それどころかキングやクイーンにも……)


 レイはアンブリスを何とか捕らえられないかと、本気で検討するのだった。

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