第1182話
マリーナからアンブリスについて聞いた翌日、レイとセト、ヴィヘラの二人と一匹は予定通りに空を飛びながらその姿を探していた。
黒い霧状の存在だということしか分かっていない以上、すぐに見つけられるとは思っていなかったが、当然のようにその姿を見つけることは出来ていない。
セトの鋭い五感……特に聴覚、嗅覚、視覚といったものを最大限活用しているのだが、それでもアンブリスの姿を見つけることは出来ない。
(霧で出来ている身体らしいから移動するのに音がするとは思えないし、同じく霧で出来ている以上は臭いがあるとも思えない。だとすれば、一番役に立つのは視覚か。折角レベルアップした嗅覚が使えないのは痛いな)
ただ、霧であっても何らかの臭いがないとは限らないので、もしかしたら……という思いがレイにはある。
「グルゥ!」
そんなレイの思いを感じた訳ではないだろうが、不意にセトが喉を鳴らす。
何だ? とセトの視線を追ったレイは、コボルトとゴブリンの群れが仲良く並んで移動している光景を目にする。
「厄介だな。やっぱり違うモンスターの群れ同士でも協力するようになってるのか。この辺の情報も出来れば欲しかったんだけどな」
マリーナから聞いた話では、ベスティア帝国の百鬼の谷で三百年前に起こった騒動で、種族の違うモンスター同士が協力していたという情報はなかった。
それが、実際にそんな事実はなかったからなのか、それとも当時そのようなことがあっても記録に残っていなかったのか。
だが、レイはすぐに首を横に振って後者の意見を否定する。
三百年というのは、人間にとっては遙かに長い時間だろう。
だが、エルフを始めとする長命の種族にとっては、少し前といった感覚だった。
であれば、百鬼の谷の件でも何らかの情報が残っている、もしくは直接それを覚えている者がいてもおかしくはない。
(エルフが当時百鬼の谷にいなかった……という可能性はあるかもしれない、か? 別にベスティア帝国はエルフとか獣人を排斥している訳じゃないけど)
例えば、レイがベスティア帝国で開催された闘技大会へと参加する為にベスティア帝国へと行った時は、獣人の姿を多く見ているし、エルフも同様だ。
そもそも、闘技大会の本戦でレイはランクA冒険者で異名持ちのエルフの冒険者と戦っているのだから。
エルフや獣人が排斥されるような国であれば、そんなことにはならなかっただろう。
だが、この辺はレイの視野の狭さがあった。
国の中でも、首都近辺であればエルフや獣人を差別していなくても、田舎では差別されているということはそれなりにある。
ベスティア帝国の国土は広く、場所によって習慣は様々だ。
周辺の小国を次々に侵略し、併呑してきたという国の成り立ちから考えれば、地方によって風習が違うのは当然だろう。
「レイ、どうするの?」
セトの前足にぶら下がっているヴィヘラが、そう尋ねてくる。
それに対するレイの返答は、酷く短く、それでいて簡潔だった。
「燃やす」
幸い周辺に冒険者や商人、旅人のような、ゴブリンとコボルト以外のモンスターの姿はない。
そのモンスターの群れが歩いている場所も、周辺は草原となっている場所であり、燃えやすい木々は殆どない。
そう判断したレイは、ミスティリングの中からデスサイズを取り出し、呪文を唱える。
『炎よ、我が魔力を力の源泉として、全てを燃やし尽くす矢となり雨の如く、嵐の如く、絶えず途切れず降り注げ』
その呪文は、以前にレイが使ったものを更に強化したもの。
本来であれば生み出される炎の矢は五十本程なのだが、現在レイの周囲に浮かんでいる炎の矢は五百本近い。
セトやレイ、ヴィヘラの周囲に無数に浮かんだ炎の矢は、レイが魔法を発動させることによりその灼熱の牙を露わにする。
『降り注ぐ炎矢!』
その言葉と共にデスサイズが振り下ろされ、レイの指示に従って炎の矢は真っ直ぐに地上へと降り注ぐ。
高度百mといういつもの高さを飛んでいただけに、地上を進むゴブリンとコボルトは上空のレイ達の姿に一切気が付いていなかった。
また、夏の太陽が空にあったこともあり、炎の矢の明るさを見逃したというのも大きい。
これで魔力を感じ取れる能力を持つ個体でもいれば話は別だったのだろうが、生憎とここにいるのは通常のゴブリンとコボルトのみだ。
とてもではないが、そんな能力を持った個体の姿はない。
結果として、ゴブリンとコボルトは上空から降り注ぐ無数の炎の矢に防御すら出来ずに奇襲を受けることになった。
炎の矢に貫かれ、次々に身体が燃えていくゴブリンとコボルト。
それでも運のいい個体は味方を盾にしたり、偶然炎の矢が降ってこなかったりと、生き残っている個体もいた。
だが……そんな運の良さは、次の瞬間には絶望へと変わる。
『炎よ、汝の力は我が力。我が意志のままに魔力を燃やして敵を焼け。汝の特性は延焼、業火。我が魔力を呼び水としてより火力を増せ』
呪文を唱えると共に、レイの周囲には火球が生み出された。
その数、十。
一つ一つが強力な熱気を放っており、下手をすれば触れずに近づくだけでも燃やしつくされるのではないかと思われる程の熱を持つ火球。
『十の火球』
その十の火球が、魔法の発動と共に駄目押しの如く地上へと降り注ぐ。
炎の矢により何とか生き残っていたゴブリンやコボルトも、上空から降ってきた火球により瞬時に全身を炎に包まれ、生きながら燃やされていく。
また、地面に着弾した火球は当然のように爆発し、周囲に爆炎を撒き散らす。
炎の矢によりダメージを受けたが、それでも命を失わずに怪我で済んでいたゴブリンやコボルトも、その爆炎により燃やされていった。
数分……いや、実際には一分程度の攻撃だったが、それだけでゴブリンとコボルトの群れ、百匹を超えるモンスターの群れはあっさりと消滅してしまう。
それを行ったのは、空を飛んでいたセトに跨がっているレイ。
地上に降りることすらなく、まさに片手間と呼ぶのが相応しい程に容易くモンスターの群れを焼滅させたのだ。
攻撃されたゴブリンやコボルトにとっては、何が起きたのかが全く理解出来ない出来事だったのは間違いない。
「素材とかはいいの?」
「ゴブリンリーダーもコボルトリーダーも、両方とも魔石はもう手に入れてるしな。後は売る用に魔石や討伐証明部位を入手するかだけど……手間の割りに儲からないし。それにあの様子だと魔石とかも焼かれてるだろ」
地上に残っているのは、焼け焦げて炭と化したゴブリンとコボルトの死体。
運がいいのか、まだ生き残っている個体も数匹程度は存在するだろうが、それも遠くない内に命を落とすのは間違いなかった。
(いや、身体の大半を焼かれて、それでも生き残ってしまったんだから、運がいいとは言えないか?)
ポーションや回復魔法のような手段があれば話は別だが、ゴブリンやコボルトがそのような物を持っている筈がない。
つまり、現在生き残っているゴブリンやコボルトは、死ぬ寸前まで苦しみ抜くということだ。
また、それ以前に今の光景を遠くから見た冒険者がやってくるかもしれないし、もしくはモンスターや獣が餌として瀕死のゴブリンやコボルトに襲い掛かる可能性もある。
そう考えれば、とてもではないが運がいいとは言えないだろう。
「ま、とにかく俺達が今日やるのは、モンスターの群れを倒すことじゃなくてアンブリスを探すことだ」
そう言いながらも、当然レイは未知のモンスターがいた場合は、その魔石を得るという行動をとることは間違いなかった。
逆に言えば、既に倒しているモンスターの魔石は特に欲しいと思っていないということでもある。
「そうね。……捕まえるかどうかは別として」
昨日レイが言っていたことを思い出したのだろう。ヴィヘラは小さく呟く。
今回の件で被害を受けた者は、多くはないがそれでも間違いなく存在している。
そのような者達にとっては、群れを大量に作る原因となったアンブリスという存在は決して許せるものではない。
もしレイが本当にそのような真似をした場合、周囲の者達に責められる可能性が高い。
ヴィヘラとしては、そのような光景はあまり見たくなかった。
(それに、レイが何かをされたままなんてことはないだろうし。何かされたら、必ず反撃をするから)
最悪、ギルムにいられなくなる可能性もある。
そう考えれば、アンブリスの捕獲というのはレイに諦めて欲しいというのが正直な気持ちだ。
「……それにしてもいないな。本当に黒い霧だったら、空を飛んでれば結構分かりそうなものだけど」
「そう? でも、空を飛んでいるのであればまだしも、林とか森の中にいたら……それどころか、草原に紛れたりしていれば、すぐに見つけるのは難しいんじゃないかしら」
ヴィヘラの口から出たのは、紛れもない事実だった。
霧状の相手である以上、どのような形にもなれるだろうというのは予想出来る。
それこそ、地面に生えている草を縫うような形で移動していれば、セトにも見つけることは難しい。
幾ら目がよくても、そもそも見ることが出来なければ意味はないのだから。
「魔力を発してればな……」
レイがしみじみと呟く。
アンブリスというのは、魔力異常によって生み出される存在だ。
そうである以上、当初は魔力を感知する能力を持った者がいれば、すぐにでも発見出来るのではないかと思っていたのだ。
だが、レイの思いつきで口に出されたその意見はヴィヘラによってあっさりと却下される。
百鬼の谷で三百年前に起きた時も、当然アンブリスがどのようにして生まれたのかを解明した者達は魔力異常から生み出された存在なのだから、魔力を感じる能力を持つ者であればすぐに見つけることが出来る……と考えた。
元々その手の能力を持っている者は少ないのだが、それでも上位種を次々に生み出すというアンブリスの性質を考えれば放っておくことは出来ず、魔力を感じる能力を持つ者が多く集められた。
だが……その者達をどう使っても、結局アンブリスを見つけることは出来なかったのだ。
魔力異常から生み出されたが故の、高い隠密能力。
それがある故に、アンブリスを見つけるのは困難を極める。
直接目で確認するしかなく、だがその身体は霧で出来ている。
だとすれば、それを見つけるのは非常に難しい。
「さて、本当にどうしたものだろうな」
「グルルゥ」
レイの言葉に同意するようにセトが喉を鳴らすが、どちらかと言えばアンブリスを見つけるのを面倒臭がっているのはレイよりもセトだろう。
この探索の主役は、あくまでも鋭い五感と翼を持っているセトなのだから。
「あ、レイ。あそこを見て」
そう告げたヴィヘラの言葉に地上に視線を向けると、見覚えのある……ありすぎる三人組がいた。
高度百mの位置を飛んでいる以上、向こうからはセトの姿を見つけることは出来なかった筈なのだが……何故かその三人の中の一人は、不意に何かを感じたかのように周囲を見回し始める。
そして十秒程周囲を見回していたその人物は、不意に上空へと視線を向けると、その高さから豆粒程にしか見えない筈のセトをしっかりと見つけ、大きく手を振る。
「……どうするの?」
「行くしかないだろ。それに、情報も欲しいしな。……それにしても、よくヴィヘラもこの距離からミレイヌ達を判別出来たな」
そう、地上でレイ達に……より正確にはセトへと手を振っているのは、ランクCパーティ灼熱の風を率いるミレイヌだった。
「魔力を使って視覚を強化してるのよ。最近練習をしているスキルなんだけど」
「魔力を使って強化するなら、身体強化とかの方がいいんじゃないか?」
ヴィヘラは格闘で戦うのだから、どうせなら視覚よりも身体強化の方がいいのではないか。そう告げるレイだったが、ヴィヘラは首を横に振り……自分がセトの前足にぶら下がっているのを思い出し、口を開く。
「視覚強化だけでも結構手こずっているのよ。身体強化なんてまだまだね。まずは五感から順番に強化していけるように練習中よ」
レイが二槍流の訓練を積み、同時にセトやデスサイズは魔石を取り込むことで強化されていく。
戦闘を好むヴィヘラは、自分の愛する男に置いていかれたくはなかった。
その為に浸魔掌のようなスキルを編み出したし、今はそこよりも更に先へと進むべく自ら研鑽をしている。
もっとも、レイに置いていかれない為という理由は口に出すことはない。
女の意地として……出来ればレイには、自分のいいところだけを見て欲しかった為だ。
そして案の定、レイはヴィヘラの言葉に特に疑問を持たずに納得する。
「なるほど。じゃあ、取りあえず……地上に降りるか。このままミレイヌを無視すれば、今度会った時に色々と面倒なことになりかねないし」
「でしょうね」
ミレイヌがセトに対してどれだけの想いを抱いているのかは、ヴィヘラも知っている。
そんなミレイヌの性格を思えば、レイの言葉に笑みと共に同意するしかなかった。
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