第1168話

「リザードマンか。……ヴィヘラは戦ったことがあるか?」


 ギルドに併設されている酒場で、レイはヴィヘラと共にリザードマンの討伐依頼について話し合う。

 当然のようにこれからリザードマンの群れを討伐しに行くのだから、酒の類はない。

 それでも普通なら十分に食事と表現してもいいような料理がテーブルの上に並んでいた。

 皿の上に大盛りになっている串焼きや、パン、スープ、煮込み料理……少し前に夕暮れの小麦亭で食事をしてきたとは思えない程の料理の量。

 もっとも、レイにとってはこのくらいおやつに等しいし、ヴィヘラも冒険者として普通の女よりも遙かに多く食べる。

 ……それでいて全く太らず、それどころか腰の辺りは驚く程に細いのは、普段からどれだけ身体を動かしているかということの証明なのだろう。

 もっとも、身体を動かすという意味ではレイも負けていない。

 特にここ最近は二槍流を自在に使いこなす為の訓練を続けており、今日も宿の裏庭で訓練をしていたのだから。

 訓練そのものはそれ程珍しい訳ではない。

 毎日ではないが、それでも殆どの日に訓練をしているのだから。

 だが、二槍流の訓練となると、まだ全く使いこなせていないだけに普通の訓練よりも注意深く行わなければならず、結果としてより多くの体力を消耗する。

 そうなれば自然と朝食の量も増え……こうして、おやつ代わりに酒場で料理の山を前にしても平気な顔をしていた。

 また、食べきれない場合でも、レイの場合はミスティリングがある。

 そう考えれば、幾ら注文しても残すという心配は有り得なかった。


「そう、ね。エグジルにいた時に、ダンジョンで何度か戦ったことはあるわ。ただ、その時の相手は普通のリザードマンでしかなかったわよ? ゴブリンの群れの件を考えれば、恐らくリザードマンリーダーはいるでしょうけど……そっちはまだね」

「そうか」

「レイは?」

「俺も普通のリザードマンとなら戦ったことがあるけど、それだけだな。……いや、サンドリザードマンとも戦ったことがあるか」


 リザードマンと言われて真っ先にレイの脳裏を過ぎったのは、エレーナやアーラと共に向かった継承の祭壇があったダンジョン。

 ギルムからそう離れていない位置にあるそのダンジョンは、未だに誰も攻略を成し遂げてはいない。


(銀獅子か。あのモンスターを倒せる奴がそう簡単にいるとも思えないけどな)


 明らかにダンジョンの中で他とは比べものにならない強さを持ったモンスター。

 正直、何故あのような場所にいるのかというのは、レイにとっても理解出来ない存在だった。

 だが、すぐにレイは首を横に振る。

 今はそれよりもリザードマンの群れのことだと。


「リザードマンはゴブリンとは比べものにならない程に強い。個体ごとに一定以上の強さを持ち、その上でコボルト以上にお互いの連携を取ってくる。そこにリザードマンリーダーという指揮官がいるんだから、厄介だろうな」

「そうね。弱い相手でも上手く連携を取ることが出来れば実力以上の相手を倒すことも出来るし、幾ら個の力が強くても指揮官が無能なら自分達よりも弱い相手に負けるわ」

「その典型的な例が、人間か」

「ええ。個の力としては突出しているレイにはあまり実感出来ないかもしれないけど。……ともあれ、リザードマンはモンスターではあるけど、人間に近い練度で連携を取ってくるから、気をつけないといけないわね」


 そう言いながらも、ヴィヘラの口元に浮かんでいるのは艶然とした笑みだ。

 瞳は戦いの予兆に濡れ、淫靡な雰囲気を周囲に放つ。

 ……ゴブリンを含む幾つものモンスターの群れが姿を現しているということで、どこか苛立っている者が多い酒場だったが、そんな者達でも思わずヴィヘラの姿に目を奪われる。

 口説こうとしたのか、絡もうとしたのかは分からないが、何人かが立ち上がろうとし……すぐにヴィヘラと一緒にいるのがレイなのだと気が付くと、残念そうに再び座る。

 そんな周囲の様子に全く興味を示さず、レイはヴィヘラとの打ち合わせをしながら食事を進めていく。


「言うまでもないと思うけど、リザードマンリーダーとの戦闘には俺も混ざるぞ」

「……でしょうね」


 レイの言葉に、少しだけ残念そうにヴィヘラが呟く。

 魔獣術の強化をする為には、多少なりとも戦闘に参加しなければならないと聞かされている為だ。

 出来ればヴィヘラは自分だけでリザードマンリーダーと戦いたかったのだが、魔獣術について話を聞かせて貰った以上、それに協力して欲しいと言われれば断れる筈もない。


(これも惚れた弱みかしら?)


 少し不満に思いつつ……同時にそれ以上の喜びを感じ、笑みを浮かべる。


「そんなに怒るなって。別にリザードマンリーダーが一匹とは限らないだろ? 昨日のゴブリンみたいに、幾つもの群れがいる可能性は十分にある」

「あら、別に怒ってなんかいないわよ?」


 自分の浮かべた笑みが、怒りを抑えた余りに浮かんだ笑みだと見られたと理解し、再び笑みを浮かべたヴィヘラはレイへと告げる。

 だが、今の笑みは間違いなく怒りを抑えての笑みだった。

 その笑みを向けられたレイは、そっと視線を逸らす。

 すると、偶然なのだろう。レイやヴィヘラの方を見ている冒険者達と視線が合う。

 ……そう、顔見知りの冒険者達と。


「ヨハンナ? セルジオ?」

「あ、あははは。お久しぶりです、レイさん」


 そうレイに手を振ってくるのは、ヨハンナだ。

 共にベスティア帝国で起きた内乱で、レイが率いた遊撃隊として活動したメンバーのうちの二人。

 同じ境遇の者達とギルムで大きな屋敷を借りて共同生活をしていた筈だった。


(冒険者なんだから、こうしてギルドに来ていても不思議じゃないけど)


 そんな風に考えていると、ヨハンナが立ち上がろうとしてセルジオに止められていた。


「どこに行くんですか? ここに私だけを残していくというのは、少し薄情だと思いますが」

「離して、はーなーしーてーよー! レイさんがいるってことは、セトちゃんがいるってことでしょ!? あの馬鹿商人達のせいで、暫くセトちゃんと遊んでないんだから! 少しくらいゆっくりとさせてよ! ゴブリンの相手はもう真っ平なんだから!」


 心の底からの叫びがヨハンナの口から吐き出される。


(そう言えばヨハンナはミレイヌと同じくセトを可愛がっていたよな。……ミレイヌ? あれ? そう言えばいつもならセトが帰ってきたって聞けばすぐに姿を現すのに)


 そんなミレイヌの姿がないのに疑問を抱くレイ。

 すると、まるでタイミングを計ったようにギルドへと入って来た者達がいた。

 そして周囲を見回し、酒場にレイの姿を見つけると真っ直ぐそちらに近づいてく。


「こんにちは、レイさん。戻ってきていると聞いてはいましたが、どうやら本当だったようですね」


 そう言ってきたのは、ランクCパーティ灼熱の風の外付け良心と呼ばれているスルニン。

 スルニンの隣には、同じく灼熱の風の弓術士、エクリルの姿もあった。

 そして、本来ならこの二人を率いる筈のミレイヌの姿はここにない。

 どこにいるのかというのは、すぐに想像が出来た。

 ……いや、ミレイヌの性格を理解している者であれば、誰もが容易に想像出来ただろう。


「あーっ! 出し抜かれた!」


 叫ぶヨハンナ。

 同じくセトの愛好家として、何故ここにミレイヌがいないのかを理解したのだろう。

 レイがここにいるということは、それはつまりセトはギルドの表にいるということ。

 勿論セトを厩舎に置いたままレイがギルドにやってくることもあるので、確実にセトがいるとは限らないが……それでも、灼熱の風のメンバー二人がここにいて、レイがここにいる。

 その条件から正解を導き出すのは、難しい話ではない。

 そう、今頃ミレイヌはセトと思う存分戯れている筈だった。


「セトちゃんに会うの、会いたいのーっ!」

「ほら、落ち着きなさい。それよりも、今はやるべきことがあるでしょう」

「ないわよ! セトちゃんと遊ぶことが全てに勝るんだから!」


 セルジオの言葉に、ヨハンナが叫ぶ。

 そんな二人の様子に、スルニンとエクリルの二人は苦笑を浮かべる。

 自分達のパーティリーダーと全く同じ反応であり、同時にいつもミレイヌとやり合っているヨハンナにしては珍しい失態だと思った為だ。


「それより、これはどのような集まりなのですか?」


 スルニンの言葉に、レイは首を傾げる。

 別に何か理由があってヨハンナやセルジオと話していた訳ではない。

 食事を……いや、リザードマンの群れの討伐依頼について相談している時に偶然二人を見つけたレイが声を掛けたというのが正しいところだった。

 レイがスルニンと話している横では、セルジオがヴィヘラに向かって目礼をしていた。

 ……もっとも、セルジオの手はギルドから出て表に行こうとしているヨハンナを捕まえていたのだが。

 セルジオにとって、ベスティア帝国を出奔してギルムに居を構えたとしても、ヴィヘラは敬うべき皇族だ。

 ヴィヘラ本人はその辺を全く気にしていないのだが、セルジオにそれを言っても無意味なのは知っているので、ヴィヘラもそれ以上は口には出さない。


「俺とヴィヘラが、リザードマンの群れの討伐依頼を受けてな。その打ち合わせの最中に、その二人を見つけただけだ」

「ほう……リザードマンの群れですか。そう言えば騎士団の一部が動いて、リザードマンの群れを見つけたという話を聞きましたが、それですか?」

「耳が早いな」


 スルニンの口から出て来た言葉に、レイは少しだけ驚く。

 だが、そんなレイの様子を見て、スルニンは首を横に振る。


「そんなに驚くことでもありませんよ。こう見えて、それなりに冒険者として長い時間を生きているんです。色々と伝手はあるんですよ」

「そうなんですよね。どこからともなく色んな情報を聞いてきてくれるから、こっちとしてはいつも助かってます」


 エクリルの褒め言葉は、スルニンを少しだけ照れさせる。

 パーティメンバーらしい気安いやり取りをみながら、レイは最後の串焼きの肉を口へと運ぶ。

 そうして最終的には多目にあった料理の全てを平らげると、そろそろ行くかとヴィヘラへと視線を向ける。

 そんなレイの視線にヴィヘラも頷き、二人は揃って立ち上がる。


「じゃあ、俺達はそろそろ行くから。リザードマンの群れを早いところどうにかする必要もあるし」

「分かりました。……このような心配はいらないのでしょうが、お気を付けて」


 レイがリザードマンに遅れを取るとは思っていないスルニンだったが、それでもやはり心配ではあるのだろう。レイとヴィヘラの二人に向かって短く告げる。

 そんなスルニンに、レイは軽く手を振り、ヴィヘラは笑みを向けて返事とする。

 セルジオとヨハンナの二人も、それぞれ武運を祈るといった声を掛けて、それに軽く返事をして、二人はギルドを出て行く。

 ……もっとも、ヨハンナは少しでもセトに会いたいからと、セルジオの手を何とか引き離そうとしていたのだが。


「ほら、ヨハンナ。諦めましょう。またレイさんが戻ってきてから会えばいいでしょう?」

「いーやーだー! セトちゃんに会うの、会うったら会うのー!」


 とてもではないが大人の女とは思えない様子を見せるヨハンナ。

 そんなヨハンナをセルジオは何とか落ち着かせようとし、スルニンやエクリルもそれに協力をする。

 それでも酒場には、ヨハンナの嘆きの声が響くのだった。






 ギルドの外に出たレイとヴィヘラの目の前には、予想通りの光景が広がっていた。


「セトちゃん、はいこれ。干し肉なんだけど美味しいわよ。あ、でもきちんとした料理の方がいいのかしら?」

「グルルルゥ」


 ミレイヌが差し出す干し肉を、セトは嬉しそうに喉を鳴らしながら食べる。

 普通よりも少し高い干し肉だけに、セトは美味しいと喉を鳴らす。

 そんなセトの様子に、ミレイヌは笑みを浮かべるのを止められない。

 幸せそうに、セトの身体を撫でる。


「……相変わらずだな」


 そんなミレイヌに呆れたような声が投げ掛けられた。


「あら、レイ。随分と早かったわね。もう少しゆっくりしてきても良かったのに」


 振り返らず、セトを撫でたままでミレイヌは言葉を返す。

 何だかんだと、ミレイヌとレイは色々と付き合いが長い。

 また、セトを愛でる趣味を持つミレイヌだけに、付き合いが長いだけではなく、深い付き合いでもある。


「残念だけど、リザードマンの群れの討伐依頼を受けてな」

「ふーん。……じゃあ、しょうがないか。またね、セトちゃん」


 ミレイヌも若手の中では腕利きの冒険者として知られており、それだけに現在のギルムの状況を理解していた。

 だからこそ、もっとセトを愛でたいのだが、それを我慢してセトから離れる。


「じゃ、気をつけてね」

「ああ」


 短い言葉を交わし、ミレイヌはギルドへと入っていくのだった。

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