第1167話
その報告を聞き、ダスカーは深く溜息を吐く。
窓へと視線を向ければ、そこには柔らかな光を発する月が浮かび、雲一つない夜空がある。
今、ダスカーの中にある面倒事とは全く正反対の、綺麗な夜空。
そんな夜空に視線を向けていたダスカーは再度溜息を吐き、視線を執務机の前にいる部下へと向ける。
「ゴブリンやコボルトはともかく、オークやリザードマンといった者達は厄介だな」
「はい。幸いにも群れを作っているのは人型のモンスターばかりなので、まだ何とか対処は可能かと」
「……だろうな」
モンスターというのは、当然ながら人型以外にも獣型やアンデッド、無機物……といった風に、様々な種類がいる。
だが、今回の騒動で群れを作っているのは全てが人型……亜人型とでも呼ぶべきモンスターばかりだった。
そのおかげで何とか対処出来ているのだから、もしそれ以外のモンスターも群れを作っているようなことになっていれば、手が回らなかった可能性がある。
「まぁ、うちの騎士団と冒険者が協力すればどうにかなるだろう。……それより、原因は? 一時的に対処が可能だとしても、それが延々と続くようなら体力が持たないぞ?」
当然の事を口にするダスカーだったが、ふとそんな常識が当て嵌まらない一人と一匹の姿が脳裏を過ぎる。
今日起きたゴブリンの群れとの戦いでも、大きな功績を挙げた人物。
「レイ、か。いずれ奴にはきちんと礼をしなければならないな」
「そうですね。彼のような腕利きの冒険者がギルムからいなくなるというのは、色々な意味で大きな損失です」
ダスカーの言葉に、部下もしみじみと呟く。
レイがギルムに現れてから行ってきたことを考えれば、問題行動と呼べるものも多いが、それ以上に利益が大きい。
レイ個人の純粋な戦闘力に、セトという従魔の持つ能力。
それ以外にもレイがもたらしたという新しい料理うどんは、ギルムの名物になっている。
また、セトもギルムの象徴――マスコット的な意味でだが――になっており、レイとセトがギルムに来てからは喧嘩のような軽犯罪が減ったというデータもある。
(セトの愛らしさに癒やされて苛々が減って、その結果喧嘩の類が減ったと言うのは……最初に聞かされた時には、ちょっと信じられなかったんだがな)
ダスカーは最初その話を信じていなかったのだが、現実に数字になって現れているのを見せられれば否定は出来なかった。
また、レイとセトのもたらした恩恵としては、商店の……特に食べ物の類を扱っている店の売り上げが伸びているという話も聞いている。
ギルムの領主としては、商売が活発になるということに文句はない。
それ以外にも、セトの厩舎に落ちている羽や毛といったものが錬金術の素材として非常に有用であり、ギルム全体の錬金術も以前よりも向上しているという話を聞いている。
他にも大小様々な利益をレイとセトから得ているのだから、そんな相手を粗雑にするようなことは絶対に出来ないというのは当然ダスカーも理解していた。
(ましてや、ヴィヘラ皇女……いや、元皇女、それにギルドマスターのマリーナまでもがレイに好意的だ。……姫将軍のエレーナ殿といい、美女を惹き付ける星の下にでも生まれてるか? まぁ、全員随分と個性的だが)
特にダスカーにとってマリーナまでもがレイに好意を持っているというのは、色々と複雑な気分だった。
自分にとっては忘れてしまいたいが、マリーナは初恋の相手だ。……それどころか、子供の時にはプロポーズすらしている。
勿論今はマリーナに対してそんな想いは抱いていないが、それでも思うところはあった。
その時のことを思い出せば、ベッドの上で頭を抱えて喚きたくなるような、そんな思い。
「ダスカー様?」
物思いに耽っていたダスカーは、部下の声で我に返る。
今は自分の忘れたい思い出や、レイの下に集まっている個性的な面々のことを考えている場合ではなかったと。
「それで、何故亜人型のモンスターばかりが急激に上位種を生み出し、それぞれが群れを作りだしたのか。その理由については?」
「残念ながら。現在は学者達にその辺を調べて貰っていますし、ギルドマスターのマリーナ様にも問い合わせをしています」
「……そうか」
つい数秒前に思い浮かべていたダークエルフの名前が出てきたことに、一瞬だがダスカーは息を呑む。
それでもすぐにその驚き……もしくは動揺を押し隠すことが出来たのは、このギルムの領主としての能力なのだろう。
元々このギルムは辺境にある通り、幾らでも驚くことがある。
多少驚いた程度で動揺を表に出すのでは、ギルムで領主をやっていくのは非常に難しい。
「とにかく、現状であれば何とでも対処は出来る。だが、ギルムに向かってきたゴブリン以外にもゴブリンの群れはいるし、モンスターとしてゴブリンよりも能力の高い種類のモンスターも群れをなしている。その辺を考えると、あまりゆっくりはしていられないな」
今はギルムに向かってきていないが、他のモンスターの群れまでもが纏まってギルムに向かってきたりすれば、負けはしないでもギルムの被害も大きなものとなる。
(もっとも、今日ここまで大きな騒ぎになったのは、日中に突然襲ってきたからだ。最初からそういうモンスターの群れがいると理解出来ていれば、高ランク冒険者を用意出来る)
そう考えているからこそ、ダスカーもそこまで深刻には考えていなかった。
勿論、だからといって今の状況を甘く見ている訳ではない。
だからこそ、現状をどうにか出来ないのかを各方面に問い合わせているのだから。
「はい。今夜も騎士団や警備兵をいつでも出撃出来るようにしています」
部下の言葉に頷き、ダスカーは現状が少しでも良くなるように検討を始めるのだった。
翌朝、レイはいつものように食堂で朝食を済ませると、ヴィヘラとセトと共にギルドへと向かっていた。
だが、街中の雰囲気は明確なまでにいつもと違っていた。
街中のいたるところでそれぞれに集まり、話をしている者の姿が多い。
「たった一日で、随分と変わったわね」
「……まぁ、ゴブリンはともかく、他のモンスターも群れを作ってるって話だしな。そう考えれば不安に思っても仕方がないだろ」
「グルゥ……」
周囲の様子を眺めていたセトが、心配そうに喉を鳴らす。
自分の身の危険を考えての心配ではなく、いつも自分に構ってくれる相手を……そして餌をくれている相手を心配しているのだ。
元々人懐っこい性格をしているだけに、仲のいい相手が不安がってはいないだろうかと、そんな風に思ってしまうのは当然だろう。
(普通のモンスターなら、多分こんな風にはならないわよね。……魔獣術とかいうので生み出されたから、レイの性格を多少引き継いでいるとか? でも、レイは別にセトみたいに人懐っこくはないし)
ふと、セトの様子を見ていたヴィヘラは昨日レイから聞かされた説明を思い出しながら内心で呟く。
魔獣術で生み出されたモンスターが、その魔力の持ち主の性格を引き継ぐ……とは限らないが、それでも多少なりとも影響は受けているのではないか、と。
(レイがここまで人懐っこければ、それはそれで問題が多いでしょうけど)
元々レイの顔立ちは女顔と言ってもいいくらいに整っている。
それでもレイが不特定多数にそこまで好意を抱かれていないのは、やはりレイ自身の性格の問題だろう。
相手が貴族であっても、断ることに対してはきちんと断る。
それどころか、手を出すことすら珍しいことではない。
そんなレイに、深く恋することが出来る者はそれ程多くはない。
ヴィヘラにとっては、それは悲しむべきことではなく、恋敵が少ないという意味で非常にありがたいことだった。
もっとも、エレーナを始めとして他の恋敵も決して容易い相手ではないのだが。
(料理とか裁縫みたいに、もう少し女らしいことを習っておけば良かったかしら?)
ヴィヘラも自分の顔立ちが整っているのは理解していたし、男好きのする肢体を持っているということも理解していた。
だからこそ、いつか自分が愛する相手が出来てもその心を射止めるのも難しくないだろうと思っていたのだが……まさかそこに、自分に勝るとも劣らぬ美貌や肢体を持っている者達が現れるとは、思ってもいなかった。
エレーナから、既にレイと結ばれるのは複数の女であるべきだということを聞いてはいるが、それでもやはり一番になりたいと思うのは、女としての本能なのだろう。
「ヴィヘラ? どうしたんだ?」
考えながら歩いていると、不意に隣を歩いていたレイの声で我に返る。
「いえ、何でもないわ。ちょっと考え事をしてただけ」
「強力なモンスターの群れが出ないか、とかか?」
「あら、私が考え事をしていれば、それは戦いのことになってしまうの? それこそ、美味しい食べ物とか、綺麗な服とか、そういうので悩んでいるとは考えないのかしら」
「……まぁ、ヴィヘラだし」
レイの口から出た言葉は、いつものヴィヘラであれば納得しただろう。
だが、今のヴィヘラはこれまでとは違い、ちょうど数秒前まで女らしさについて悩んでいたのだ。
それだけに、今こうしてレイの口から自分が女らしくないと言われれば、面白い筈もない。
「ええ、そうね。残念だけど私は女らしくないわよ。ごめんなさいね」
「ヴィヘラ?」
いつもであれば笑って受け流したような言葉に、過敏に反応したヴィヘラ。
レイが呼び掛けても言葉を返さず、その場にレイを残して歩き出す。
……それでも向かう先がギルドであるという辺り、やはりヴィヘラらしいと言えるのだろう。
「グルルゥ?」
怒らせたの? と心配そうな様子を見せるセトに、レイは少し困った様子で頭を掻く。
「何で怒ったんだろうな? ……全く、女心と秋の空とはよく言ったもんだよ」
言葉通りに空を見上げるが、そこにあるのは巨大な入道雲で、とてもではないが秋の空とは呼べない。
どこからどう見ても、夏の空だった。
そのまま数秒空を見上げていたレイだったが、ふと視線を感じてそちらを見ると、ヴィヘラが動きを止めてレイの方をじっと見ている。
「何してるのよ。ギルドに行くんでしょう? なら、ここで空を見上げてないで、さっさと行きましょ」
「……ああ」
やっぱり女心と秋の空というのは自分には理解出来ない。
そんな風に思いながら、レイはセトと共にヴィヘラを追いかけるのだった。
「昨日に比べると、やっぱり結構静かだな」
「そうね。まぁ、ゴブリンの群れがいると分かれば、どうとでも対処のしようがあるんでしょうね」
周囲を見回しながら呟くレイに、ヴィヘラが同意するように頷く。
ギルドまでを歩いた時間で多少は機嫌が戻ったのか、今のヴィヘラは小さく笑みすら浮かべていた。
もっとも、レイは機嫌が直った最大の理由は、やはり強力なモンスターの群れを想像しているからではないかと、そう思っていたのだが。
戦闘を好むヴィヘラだけに、普通なら強力なモンスターとは戦いたくないという思いとは真逆の思いを抱いているのだろうと。
(まぁ、強力なモンスターは大抵稀少な素材が取れるし、そう考えれば決して強力なモンスターと出会いたくないという奴だけじゃないんだろうけど)
寧ろ、自分の力に自信のある冒険者にとっては、強力なモンスターというのは金貨や銀貨……白金貨、本当に稀少なモンスターの素材であれば、光金貨すらもたらしてくれる。
もっとも、それはあくまでもそのモンスターに勝てる実力があればという前提での話だが。
「あ、レイさん。ヴィヘラさんも。丁度いいところに来てくれました。今回の群れの件で指名依頼が入ってますけど、どうしますか?」
レイとヴィヘラの姿を見つけたレノラが、そう声を掛けてくる。
普段であれば元気一杯といった様子のレノラだったが、昨日からの激務で疲れが顔に出ていた。
それは少し離れた場所で他の冒険者とやり取りをしているケニーも同様であり、いつもであればレイがいればすぐにでも気が付くのに、今はまだレイの存在に気が付いた様子がない。
(昨日からの件で、それだけ疲れてるんだろうな)
一瞬ケニーを見たレイだったが、すぐに視線をレノラに戻す。
「それで、指名依頼はどこから、どんなのが?」
「騎士団からです。実はリザードマンの群れがギルムから少し離れた場所にいるので、その調査と……可能であれば、殲滅して欲しいと」
リザードマンと聞き、レイとヴィヘラは揃って反応する。
ヴィヘラの場合は強力なモンスターとの戦いを望めそうだというものであり、レイの場合はリザードマンリーダーの魔石を入手出来そうだと、そんな理由から。
「どうする?」
「決まってるでしょ?」
その短いやり取りでお互いの意志を確認し……レイとヴィヘラは、その依頼を引き受けることにする。
完全に機嫌の直ったヴィヘラに、レイが色々と思うところがあったのだが……それはまた別の話だろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます