第1149話

 ギルムに戻ると決めてから、レイの行動は早かった。

 もっとも、キャシーがお別れパーティを開いてくれると言っているので、今日すぐに帰るという訳にはいかない。

 今レイがやるのは、明日帰る為の準備だ。


「……まぁ、準備って言っても特に何もないんだけど」


 元々この屋敷に泊まっていたのは、半月にも満たない。

 そうである以上、整理する荷物がある訳もなかった。

 レイが定宿にしている夕暮れの小麦亭でもそうだが、レイの場合はミスティリングという非常に便利なマジックアイテムがある。

 だからこそ、普通ならその辺に散らかしておく荷物や道具の類もレイが借りているこの部屋にはどこにも置かれていない。


「さて、夜までどう時間を潰すか。……もう少し村にいても良かったのか?」


 悩むレイだったが、その村の様子を見て唐突にギルムに帰ろうと判断したのだから、今から行くのも何かが違うような気がする。


「あの村を覆っていたアーティファクトには、少し興味あったんだけどな。壊れてしまったらしいけど、残骸でも持って帰れば誰かさんが色々と喜んで研究してくれるかもしれないし」


 元々自分がゴーシュに来ることになったのは、その誰かさんが作った黄昏の槍が原因だった……と考えたレイは、どうせやることもないんだしと、二槍流の訓練をすることにしたのだった。






「はぁっ!」


 そんな叫びと共に、左手で持った黄昏の槍が空中を貫く。

 両手で放つ突きに比べれば威力は弱いが、それはあくまでもレイが両手で放つ突きと比べればの話だ。

 普通の……それこそゴーシュにいる冒険者の放つ突きと比べれば、遜色ない……いや、それ以上の鋭さを持った突きだった。

 右手のデスサイズを突きと一緒に繰り出すことはまだ出来ないが、それでも練習を続けていけば何とかなるという手応えはある。

 そんな満足感と共に空を見上げると、そこにあるのは茜色の空。

 まさに夕焼けと呼ぶに相応しい光景だった。


「……え? あれ?」


 混乱したように周囲を見回すと、少し離れた場所ではセトが地面に寝転がっている。

 二槍流の訓練をするということで、これまでのように厩舎で寝転がっていたセトを自由にして、それで訓練をしたのだが……


「夕方、だと?」


 思わず呟く。

 当然だろう。元々レイがギルムに帰る決心をし、オウギュストの屋敷に戻ってきたのは、懐中時計を出していないので正確な時間は分からないが、それでも午前十時前後。

 それからオウギュスト達と話し、自分の部屋に戻ってきてからやることもないと二槍流の練習を始めたのは、オウギュストの屋敷に戻ってきてからそれ程時間が経っていない頃だ。

 そして……と、レイがミスティリングから懐中時計を出して見てみると、針が示している時間は既に午後六時近い。

 レイは昼食を食べた覚えがないし、当然ながら何らかの休憩をした覚えもない。

 完全に二槍流の訓練に集中しすぎて、時間が経つのを忘れていたのだろう。

 そして数時間が経っていたのを思い出せば、当然のように腹が空腹だと自己主張し、喉が水を求める。

 夜にはお別れパーティがあるのだから、今から何かを食べるのは止めておいた方がいいと判断するも、喉の渇きを我慢することは出来なかった。

 レイの身体はゼパイル一門の魔法技術の結晶とも言える代物だが、生き物である以上水分の補給は必須だろう。


(いや、実は水を飲まなくてもやっていけたりするのか?)


 一瞬そんな風に思うも、喉の渇きを我慢してまでそれを確認するつもりはない。

 それに、どのみち夜のお別れパーティになれば何か飲むのだから。

 ミスティリングから取り出した流水の短剣に魔力を流し、そこから出てくる水を直接口で受け止めて飲み干していく。

 ……もしこの光景を見た者がいれば、レイが短剣を飲み込んで自殺しようとしているように見えるだろう。

 もっとも、ここはオウギュストの屋敷の中でも厩舎の近くであり、元々この屋敷に住んでいるのがオウギュストとキャシーの二人だけということもあり、誰かがやって来ることは滅多にない。

 そう。滅多にないのであって、絶対に誰もこない訳でなかった。


「きゃーっ! レイ、何をしてるの!?」


 ましてや、それがそろそろパーティを始めるとレイを呼びに来たキャシーであれば、短剣の切っ先を口の中に入れようとしているのを見た時にどんな反応をするのか分かりきっている。


「んがっ!? んぐぐぐ……」


 突然掛けられた声に驚き、一瞬口の中にあった水を噴き出しそうになるも、何とか我慢してその水を飲み込む。


「はぁ、はぁ、はぁ……死ぬかと思った」

「……あら?」


 口から離した短剣の切っ先から水が流れているのを見て、ようやくキャシーもそれが流水の短剣だということに気が付いたのだろう。

 口を押さえて、やってしまった自分の行為に苦笑を浮かべるしか出来ない。


「その、レイ。大丈夫だった? もしかして私、大変なところで声を掛けたんじゃないかしら」


 恐る恐るといった様子で声を掛けてくるキャシーに、レイは大丈夫だと軽く手を振る。

 事実、もし短剣の切っ先で口の中を切ってもそんなに深い傷ではないのは明らかだった為だ。


「問題ない。ちょっと喉が渇いて水を飲んでただけだから」

「そう? それならよかったけど……」


 レイの言葉に安堵したのも束の間、次の瞬間にはキャシーはどこか責めるような視線でレイを見る。

 ……責めるような、ではなく、完全に責める視線だったが。

 キャシーは以前流水の短剣から出された水を飲んだことがある。

 その時の、天上の甘露とでも呼ぶべき、水とは思えない程の味を忘れることは出来ない。

 それだけに、流水の短剣の水を今のように乱雑に飲んでいるというのは、キャシーにとっては許容出来ることではなかった。

 もっとも、それはあくまでもキャシーの認識だ。

 レイにとって、流水の短剣から出てくる水は幾らでも生み出せるものだ。

 それだけに、その辺の水道から出る水……と、日本にいた時の感覚で使っている。


「まぁ、そのマジックアイテムはレイの物なんだし、無理は言わないわ。それで、そろそろパーティの用意が出来たから、来てくれる?」

「あ、うんわかった」


 キャシーも、レイに流水の短剣のことで何かを言っても無駄になるだけだと判断したのか、小さく溜息を吐くだけで済ませた。

 ……どちらかと言えば、このままここで時間を使えば料理が冷えてしまうというのもあったかもしれないが。

 また、レイとは明日でお別れなのだから、ここで無駄に言い争いたくないというのもある。


「グルゥ……」


 そんなレイに、セトが少しだけ寂しそうに喉を鳴らす。

 これからパーティに行くレイが羨ましく、そんな楽しい時間に一人自分だけがここに取り残されるのは寂しい。

 セトからは言葉にせずとも、そんな雰囲気が放たれていた。


「何を寂しそうにしているの? 今回のパーティはレイとセトちゃんのお別れパーティなんだから、当然セトちゃんも参加するのよ?」

「グルルゥ!?」


 本当!? と、セトが嬉しそうに鳴き声を上げる。

 そんなセトを見て、キャシーは笑みを浮かべて頷く。


「ええ、勿論よ。セトちゃんも我が家の立派なお客さんでしょう? レイと一緒に来たんだから、セトちゃんだけを仲間外れになんかしないわよ。じゃ、行きましょうか」


 笑みを浮かべて告げるキャシーに、セトは嬉しそうに歩き出す。

 ……そしてレイは、そんなセトに気遣ってくれたキャシーに感謝の気持ちを抱く。


「グルルゥ!」


 少し進んだセトが、動かないレイを見て喉を鳴らす。

 どうしたの? 早く行こうよと告げているその姿は、楽しい出来事に喜んでいる子供のようにすら思えた。

 ……もっとも、セトが生まれてからの年齢を考えれば、それも無理はないのかもしれないが。

 そんなセトの様子に、キャシーは笑みを浮かべて一緒に屋敷の中へと戻っていく。

 レイもまたそんなキャシーの後を追い、屋敷の中へと向かう。

 いつものように居間へ向かうのかと思っていたレイだったが、キャシーが向かったのは食堂だった。

 勿論これだけの大きさの屋敷なのだから、中には食堂もある。

 ただ、この屋敷で暮らしているのはキャシーとオウギュストの二人のみなので、わざわざ食堂を使わずに居間を使っていたのだが。


「あれ? 居間じゃなくてそっち?」

「ええ。居間だとセトちゃんはちょっと狭いでしょう?」

「……まぁ、それは……」


 セトの大きさを考えれば、居間に入ることは可能だろう。

 だが、居間そのものはそれほど広い訳ではない。

 そうである以上、折角お別れパーティをやるというのに、十分に楽しむことは出来なくなってしまう。

 それを避ける為、体長二mを超えるセトがいても十分に楽しめるように食堂に用意したのだろう。


「グルルゥ?」


 自分が原因でキャシーに手間を掛けさせたというのに気が付かないセトが、小首を傾げてどうしたの? とレイとキャシーに円らな瞳を向けてくる。

 そんなセトの様子に、レイがキャシーに謝ろうとし……相手が求めているのは謝罪の言葉ではないと、キャシーの顔をみて咄嗟に別の言葉を口にした。


「ありがとう」

「ふふっ、いいのよ。色々なお料理を用意したから、二人には存分に味わって貰わないと」


 自然とセトを一匹ではなく一人と数えているのに、レイに対して気を使ったからか……それとも自然とセトのことを家族であると認識しているからか。

 ともあれ、廊下を歩きながらレイはセトの頭を撫で、笑みを浮かべる。

 そんなレイの様子に、キャシーも笑みを浮かべ……そうして食堂へと到着した。

 まだ扉を開ける前から、レイと……そしてレイ以上に嗅覚の鋭いセトは、食堂の中から漂ってくる食欲を掻き立てるような匂いを嗅ぎ取ってしまう。

 特に昼食を食べずに二槍流の練習をしていたレイは、余計に腹を空かせていた。

 軽く汗を拭いただけで、汗臭さの類がないのは、料理の匂いを邪魔しないという意味では幸運だったと言えるのだろう。


「ようこそ、パーティ会場へ!」


 その言葉と共に扉が開かれると、一瞬前と比べてもより強力な食欲を掻き立てる匂いが漂ってくる。

 ゴーシュらしく、香辛料を多めに使った料理の数々。

 とてもではないが、今日パーティをやるといって、それからメニューを考えて作った料理とは思えない程に豪華な料理だった。

 普段の生活は質素であっても、料理には金を惜しまない。

 キャシーの料理の腕を考えれば、間違いなくそれらの料理は絶品と呼ぶべき料理の筈だった。


「やぁ、来ましたね」

「こんなパーティを開いといてなんだが、本当にもう帰るのか? もう少しいてもいいと思うんだが」


 部屋の中で待っていたのは、オウギュストとギュンター。

 本来ならギュンターはこんなパーティに付き合いたくはなかったのだが、オウギュストにどうしても参加して欲しいと頼まれては、断れる筈もなかった。

 オウギュストとしては、出来ればザルーストも呼びたかったのだが、本人が百面の者の村にいるのだからどうしようもない。

 いや、セトがその気になれば、それこそ空を飛んで数分で連れてくることが出来るのだが。

 ザルーストが仕事を投げ出すような真似はしないだろうというのを、オウギュストは長年の付き合いでしっかりと理解していた。

 ダリドラやその護衛達であれば、恐らく呼べば来るだろう。

 だが、ダリドラと手を組んだのは、あくまでも百面の者に対する一時的なことだ。

 この件が片付けば、当然ダリドラは再びオウギュストに対する干渉を強めてくるだろう。

 そんな相手と一緒では、当然のようにパーティを楽しむことは出来ない。

 レイが去るということは、もう二度と会えないかもしれないのだ。

 勿論本気で会おうと思えば、ギルムまで行くことで会うことは出来るだろう。

 だが、そのような真似が簡単に出来る筈もない。

 セトであればゴーシュまでやってくるのは難しい話ではないが、レイという人間の実力を考えれば、それもまた難しい。


(だからこそ、キャシーも泣きたいのを我慢して、笑って別れようとしてるのでしょうが)


 小さく溜息を吐き、すぐに考えを改める。

 テーブルの上に乗っているコップを、レイへと手渡す。

 酒が苦手だというのは聞いているので、コップの中に入っているのはお茶だが。

 セトには飲み物の代わりにスープを用意し、オウギュスト、キャシー、ギュンターの三人はアルコールを手に取る。

 そして、その場にいる者を代表して口を開いたのは、当然のようにこの屋敷の主のオウギュスト。

 少しだけ……ほんの少しだけ寂しそうにしながらも、コップを手に口を開く。


「では、レイとセトの新たなる旅立ちと、このパーティに参加している全員の繁栄を願って……乾杯!」

『乾杯!』


 その言葉と共に全員がコップを持ち上げて、軽くぶつける。

 ……お茶を飲むと、早速料理へと手を伸ばすレイ。

 セトも負けじと料理を味わう。

 その間に、短いながらもお互いの思い出話を口にし……こうして、レイのゴーシュ最後の夜は楽しく、それでいてどこかもの悲しくすぎていくのだった。

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