第1150話

 お別れパーティをやった翌日……レイの姿は、ゴーシュの正門前にあった。

 正門には、オウギュストやキャシーの姿がある。

 本当はオウギュストはギュンターもここに連れてきたかったのだが、残念ながらギュンターはオウギュストの屋敷の門番だ。

 他にも人がいれば話は別だったが、今の門番はギュンター一人だけ。

 その為、正式な別れはレイがオウギュストの屋敷を出る時に既に済ませてある。

 ……もっとも、ギュンターは特に何か気の利いた言葉を言うのではなく、また来いよと短く言葉を掛けただけなのだが。

 その代わり……という訳ではないが、正門前にはレイが予想していなかった人物の姿があった。


「帰るって、随分と急な話だな。あの村の件とか、色々と相談したかったんだが」


 レイに向かってそう告げるのは、ザルースト。

 本来なら百面の者の村にいる筈だったザルーストが、何故ここにいるのかと言えば……純粋に偶然でしかない。

 元々ザルーストはナルサスやレイと共に、オウギュストやダリドラの命を狙っている暗殺者達を倒す為に行動していたのだ。

 結果として、百面の者の本拠地の村を確保した為に向こうの村を守るという意味もあって残っていた。

 だが、レイが砂上船で連れていった者の中には冒険者の姿もある程度おり、何の準備もしていないザルーストがそのまま村に泊まり込む必要はなくなる。

 勿論何の準備もしていなくても、ザルーストやナルサスも腕利きの冒険者だ。

 野営……どころか、家があり、少し前まで人が暮らしていただけに物資もある。

 そんな場所だけに、暮らすのは難しい話ではない。

 それこそ、そのまま住み着くことも可能だっただろう。

 だが……住めるからといって、本当にそこに住む訳にはいかない。

 そもそも、幾らその村で暮らすことが出来るとしても、自分が使い慣れた物を使いたいと思うのは当然だろう。

 ましてや、誰の物かも分からない着替えを使うというのは、どうしようもない時であればまだしも、ゴーシュに戻れば自分の着替えがあるのなら遠慮したかった。

 そんな訳で、調査隊の一部が一旦得られた情報をゴーシュにもたらす為に馬車で移動するのに、ザルーストも便乗してきたのだ。

 当然ただ同乗する訳ではなく、短い時間ではあっても砂漠を移動するのだから、モンスターや砂賊が来た時の護衛という意味もある。

 そうして戻ってきて、ゴーシュの中に入ろうとする手続きをしようとした時……丁度正門からレイとセト、そしてオウギュストやキャシーが姿を現したのだ。

 当然レイが今日ゴーシュを発つと聞いたザルーストは驚き、こうして半ばレイを責める……とまではいかないが、それでも不満を口にしていた。


「ま、元々俺がゴーシュに来たのは成り行きというか、何か理由があった訳じゃないしな」


 正確には、黄昏の槍の件でしつこい商人達から離れるという理由はあったのだが、レイはそれを言うつもりはなかった。

 あくまでも自分がゴーシュにやってきたのは、成り行きというか、特に理由がなくてのこと……ということにしておきたいのだろう。


「なら、もう少しいてもいいんじゃないか? 正直なところ、レイには幾つも借りが出来たんだから、それを返すまではいて欲しいんだが」

「こっちにも、色々と用事があるんだよ。いつまでもこうしてゴーシュにいる訳にもいかないし。それに……」

「それに?」

「……出来ればこの時期はギルムにいたいんだよな」


 夏に砂漠にいる……ドラゴンローブを着ているおかげで、全く暑さを感じなくても、言葉のイメージだけで色々と酷い印象なのは事実だった。

 そんなレイの言葉に多少呆れたのか、ザルーストは小さく溜息を吐く。

 ゴーシュで生まれ育ったザルースト……それにオウギュストやキャシーにとって、砂漠というのは常に変わらずにいるものだ。

 勿論完全に何もないという訳ではない。ギルム程に明確な四季がある訳ではないが、一年を通して考えればそれなりに気温や景色といったものが多少ではあるが変わったりもする。


「それに……」

「それに?」


 再度言葉を途中で止めたレイにザルーストがそう告げてくるが、レイは何でもないと首を横に振る。


(魔石がそれなりに手に入ったのは、こっちとしても嬉しかった。まぁ、他にもまだ砂漠特有のモンスターはいるんだろうが……その辺は、それこそまたゴーシュに来た時にでも倒せばいいし)


 ゴーシュに住むという考えは一切存在しないレイだったが、時々遊びに来るのを躊躇うつもりはなかった。

 特にゴーシュ特有の香辛料や食材といった代物は、他の街で買うと随分と高くなるのだから。


(産地直送……いや、この場合は産地に自分で直接買いに来てるんだから、違うか)


 レイの脳裏に、日本にいたときのことが思い出される。

 冬の名物でもある、ハタハタ。スーパーで購入すると高いのだが、漁師から直接買えば半額以下になることも珍しくはなかった。


(まぁ、ハタハタの寿司を漬けるのは大変だったけど)


 両親の手伝いとしてハタハタの寿司を漬ける手伝いをするのは、レイに取っては毎年恒例の行事だ。

 もっとも、寿司は寿司でも握り寿司ではなく飯寿司の類であり、それで漬けられた寿司は冷凍庫で保存されて一年中食べられることになるのだが。

 勿論レイも、ハタハタの寿司は好んで食べていた。


(……うん? 何でハタハタのことを考えてるんだ?)


 何故か自分の思考がゴーシュとは全く関係のない方へと進んでいたのに気が付き、小さく頭を振り……思い出したことが原因なのだろう。レイは唐突にハタハタを食べたくなる。

 だが、そもそもこの世界にハタハタが存在するのかどうかも分からない。

 また、いたとしてもハタハタは深海魚であり、レイとセトが獲ろうと思ってそう簡単に捕れる魚ではなかった。


(いや、セトは熊を持ち上げながら空を飛ぶことも出来る。だとすれば、網を使えばもしかしたら……?)


 そんな風に考えているレイに、ザルーストがどこか呆れたように溜息を吐く。


「レイ、考えごともいいけど、俺と話している途中で急にそっちに没頭されると困るんだが」

「ん? ああ、悪い。ちょっと魚を食べたくなってな」

「……魚、か」


 ゴーシュではオアシスから獲れた魚を売ってはいるが、当然その数はそれ程多くはなく、非常に稀少で……それ故に高価だ。

 ザルースト程の冒険者で、ようやくちょっと無理をすれば食べられるといった程度には。


「そもそも、砂漠で新鮮な魚を食べられること自体、色々と凄いことなんだけどな」

「それは理解してる」


 そこから何故か数分程、レイとザルースト……そして料理が趣味のキャシーや、美味い料理を食べるのが好きなオウギュストの四人で、魚料理に関して話が弾む。


「ほう、ギルムにはそのような魚料理が。……キャシー、作れますか?」

「どうかしら。けど、オウギュストが食べたいのなら、絶対に作ってみせるわ」

「オウギュストさんは料理上手な奥さんがいて羨ましいですね」


 そんな三人とのやり取りを聞いていると、退屈したセトがレイに頭を擦りつけてくる。


「グルゥ……」


 まだ掛かるの? と小首を傾げるセトの様子に、レイは悪かったと頭を撫でる。


「悪いな。もう少し話していたかったけど、セトが限界らしい。俺はそろそろ行くよ」


 そう告げるレイの言葉に、一番悲しそうにしたのは当然ながらキャシーだった。

 そしてオウギュストも残念そうな表情を浮かべている。

 勿論ザルーストも残念がってはいるのだが、冒険者である以上、出会いと別れというのは避けられないものだ。

 それを理解しているザルーストだったが、それでも借りのあるレイがゴーシュからいなくなるというのは残念なのは間違いない。


「レイ、また……また、遊びにきてね。私やオウギュストは、いつでも歓迎するから」


 涙を堪えたキャシーが、レイの頭を撫でる。

 ドラゴンローブのフードを被ったままなので、その上からだったが、それでもレイは自分を撫でるキャシーの手の温もりを感じたように思える。


「ああ、また来るよ。キャシーの料理は凄く美味かったし」


 笑みと共にそう言ったレイに、キャシーも嬉しそうに笑みを浮かべて頷きを返す。


「レイさん、何かあったら私を頼って下さい。可能な限り力になりますから。……もっとも、私の力ではレイさんの役に立てることがどれ程あるのか、疑問ですが」

「まぁ、オウギュストさんの力に頼る為にはゴーシュにまでこないといけないし」


 オウギュストとザルーストの、どこか軽口の混ざっている言葉にレイは頷く。


「ああ。もし何かあったら、頼らせて貰うよ。……じゃあ、また」


 二人にも短く声を掛け、レイはセトの背に跨がる。


「じゃあ、セト。行くか」

「グルルルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは嬉しさと共に高く鳴く。

 ……その声を聞いたゴーシュの近くにいたモンスターは、圧倒的強者の存在を悟り、素早く離れていったのだが、それはレイやセトの知るところではないだろう。

 セトは数歩の助走の後、翼を羽ばたかせながら空へと昇っていく。

 それを見送るオウギュスト、キャシー、ザルーストの三人は、雲一つない空にセトの姿が次第に小さくなっていくのを見送っていた。

 オウギュストは頼りになる冒険者が去って行ったのを惜しみ、キャシーは息子同然に思っていた相手がいなくなったことに我慢していた涙が零れ落ち、ザルーストは年下ながら比べるのも馬鹿らしくなるくらいに自分よりも優秀なレイが去ったのを残念に思う。

 三人共がそれぞれにレイの存在を惜しんでいたのだが、レイという一個人ではなく異名持ちのランクB冒険者がいなくなったという意味では、ザルーストが一番悲しんでいたのかもしれない。

 ゴーシュでは腕利きとして知られているザルーストだが、それはあくまでもゴーシュでのことでしかない。

 ミレアーナ王国やベスティア帝国でも異名轟くレイから、もっと冒険者として教わりたいことがあるというのが正直なところだ。

 ……もっとも、レイは戦闘力特化の冒険者だ。

 一般的な意味での冒険者という意味では、決して優秀という訳ではない。

 いや、勿論普通の冒険者に比べれば色々と技量は上だが、それでもランクB冒険者として見れば標準か……もしくは、それよりも少し下程度だろう。

 レイの場合は、その平均程度の冒険者としての技量を、身体能力や桁外れの魔力、グリフォンのセトという存在、マジックアイテムの数々でゴリ押ししているに等しい。

 それが出来るのは、ゴリ押し出来るだけの力があるからこそというのも、間違ってはいないのだが。


「……うん?」


 レイと模擬戦をやりたかったと後悔していたザルーストは、開いている正門から急いでこちらに向かって近づいてくる数人の人影に気が付く。

 それが誰なのかを理解したザルーストは、微かに眉を顰める。

 何故なら、その人物はダリドラとその護衛達だった為だ。

 百面の者に狙われ、その村の件に関して協力してきたオウギュストとダリドラだったが、その理由の一つにはレイの存在があった。

 ダリドラがオウギュストを排除しようとした場合、否応なくダリドラとその護衛達はレイとぶつかることになる。

 そしてレイとぶつかり合えば勝ち目はないと理解しているからこそ、ダリドラはオウギュストとの融和姿勢をとった。

 だが……そのレイがいなくなってしまった今の状況を考えると、その態度を維持するのかどうかは微妙なところだと言ってもいいだろう。


「おや、少し急いで来たのですが……どうやら、間に合わなかったようですね。もうレイさんは出発した後でしたか」

「……随分と耳が早いですね」


 どこからレイがゴーシュを出ていくという情報を仕入れたのかと、オウギュストは警戒心を露わにしながら尋ね返す。

 ザルーストと同じく、レイがいなくなった今であれば自分と手を組む必要はない。

 いや、百面の者の利権も考えれば、オウギュストという存在は百害あって一利なしの存在だ。

 幾ら何でも、こんな人の目のあるところで何か仕掛けてくるとは思えないが……それでもダリドラのこれまでの行為を考えれば、もしかするかもしれない。

 内心でそんな風に緊張していたオウギュストだったが、そんなオウギュストの心を読んだかのように、ダリドラは笑みを浮かべて口を開く。


「安心して下さい。今更オウギュストさんに手を出すような真似はしませんよ。もしそんなことがレイさんに知られてしまえば……」


 その言葉を最後まで言わずとも、ダリドラが辿る未来はその場にいる全ての者に理解出来た。

 勿論、本当にまたレイがこのゴーシュに戻ってくるのかどうかというのは分からない。

 だが……もしオウギュストを始末してしまった場合、いつレイが来るのかと、四六時中怯えながら過ごさなければならない。

 ただでさえ神経質な性格をしているダリドラが、そんな日々に耐えられる筈がない。

 その結果として……ダリドラは、渋々ながらもオウギュストと組むことにしたのだった。

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