第1148話

 帰るか。そう決めたレイの行動は早かった。

 もっとも、無条件にこのまま帰るという訳にはいかない。

 そもそもここまでゴーシュで起きた事態に関わっておきながら、それを無視してギルムに帰る……などという真似をしたら、間違いなくマリーナに怒られることになるだろう。

 レイとしてもそんなことになるのは面白くなかったので、きちんとオウギュストには断っていくことになる。


(ゴーシュで起きていた各種事件……百面の者の件に関しても、既に解決している。ティラの木についてどうするかという問題はあるけど、この件に限って言えば俺が関わることはもう殆どないしな)


 ティラの木についての危険性は、百面の者の件もあって十分にオウギュストもダリドラも理解している。

 そうである以上、ゴーシュをどのようにして守っていくのかというのは、レイがどうこうする問題ではなかった。

 そんな風に考えながらも、レイはザルーストとナルサスに断ってからセトの背に乗って空を飛び、やがて少し前に砂上船で出発したばかりのゴーシュへと戻ってくる。

 砂上船で出発した時は、朝も早い時間。

 だが、百面の者の村に到着し、そこでいらない夫婦漫才を見て、その後村の中を適当に歩き回っていた。

 百面の者の村からゴーシュまでは数分程度で到着するが、それでもゴーシュへと戻ってきた時には既に早朝とは言えない時間になっているのは当然だろう。


「……レイ?」


 だからこそ、ゴーシュの出入りを担当している警備兵は、唐突に現れたレイの姿に驚きの表情を隠せない。

 数時間前に出て行ったレイが、何故もう? と。

 だが、引き継ぎの時に前日の夜に起きた出来事については知っていたし、その時とは違って今は昼だ。

 そうである以上、中に入るのを妨げるようなことは全く気にする必要がなかった。

 ギルドカードを見て従魔の首飾りを渡し、手続きそのものはすぐに終了する。

 そうしてゴーシュの中に入ったレイがまずやったのは、適当な店で色々とこの街特有の料理や食材を購入することだった。

 結果として、この日ゴーシュの中でも特定の店では一日で数日……下手をすれば在庫その物が全て購入され、数ヶ月分の売り上げを記録する店が出ることになる。

 もっとも、レイもいつもこうして大量に買い付けをする訳ではない。

 ゴーシュは砂漠というだけあって、ギルムでは売っていないようなこの地方独自の食材や調味料が多い為だ。

 特に砂漠という強烈な昼の暑さと夜の寒さ、そしてオアシスという三つの要素が揃った結果、香辛料の類はかなりの種類が売られていた。

 一般的な香辛料はギルムでも入手出来るが、ゴーシュで売っているような香辛料は非常に稀少であり、ギルムまでやって来ることはあまりない。

 もしギルムまで届いたとしても、ゴーシュで購入する値段と比べると十数倍……下手をすれば数十倍にすらなってしまう。

 金銭的には余裕のあるレイだったが、それでも無駄な出費をしたいとは思わない。

 その為、こうしてゴーシュ特有の品を買い漁っていた。

 これだけであれば、他の街や都市、国にいった冒険者も時々やっていることではあったが、レイが他の者達と違うのは、やはりその購入する量と品だろう。

 ミスティリングがあるレイは、普通の冒険者……どころか、商人と比べても購入する量は多い。

 香辛料の類も年単位で時間が経てば悪くなって使えなくなってしまう物も出てくるし、使えたとしても風味や味が落ちる物が殆どだ。

 だが、ミスティリングの中に入っている限り、時間の流れは存在しない。

 つまり、いつ香辛料を使ってもそれは新鮮な状態で使用出来るのだ。

 そしてミスティリングの特性は、レイが購入する中に料理が入っているのにも関係してくる。

 ゴーシュ特有の料理の数々をいつでも出来たてで食べることが出来るのだから、アイテムボックスを持っていない者にとっては羨ましいことこの上ないのだろう。


「ま、毎度あり!」


 店主が息を切らせてレイに感謝の言葉を述べる。

 ゴーシュで作られた香辛料をたっぷりと使った串焼き。

 それを店にある分、全て購入した為だ。

 次から次に焼いていった串焼きを出来た端からミスティリングに収納していく光景は、一種異様と表現してもよかった。

 本来なら今日一日を掛けて焼く分の串焼きを短時間で焼いたこともあって、店主の息は切れている。

 正直なところ、レイとしてはそこまで頑張らなくても焼けるだけでいいと言ったのだが……店主にとって、それは一種の挑戦のようにも聞こえたのだろう。

 張り切って全てを焼き上げ、結果として今の息も切れ切れな店主の姿があった。


「じゃ、ありがとな。この串焼きは大切に食べさせて貰うよ」


 少し多目に代金を支払うと、レイはセトと共に串焼きを一本ずつ食べながら進んでいく。

 そうしながら、色々と買ってはミスティリングの中に収納しというのを繰り返し、ようやく満足したところでレイはギルドに話を通してオウギュストの屋敷へと向かう。

 ゴーシュの外れにある屋敷は、昨夜や今朝来た時とは違って護衛の姿が全くない。

 門番にはギュンターが一人いるだけだ。


「おう? どうしたんだ? 帰ってくるには随分と早いけど。もしかして何か問題があって戻ってきたのか?」


 少しだけ心配そうな表情で尋ねてくるギュンターに、レイは首を横に振る。


「いや、別に何もない。向こうの村を調べる連中はきちんと向こうに送ってきたよ。今頃は色々と村を調べてると思う」

「……じゃあ、何でレイはここにいるんだ?」

「ちょっと用事があって。それに、セトがいれば村からゴーシュまでは片道数分くらいの距離だから、俺達にとってはそんなに大変なことじゃないしな」


 レイの言葉に、ギュンターは改めてセトへと視線を向ける。

 セトという存在を最初から受け入れる度量があったギュンターだったが、それでもセトの能力まできちんと理解している訳ではなかった。

 昨夜と今朝にこの屋敷までやって来たのは見ているが、それでも間には数時間程の時間差があった。

 その時間差の大半が移動時間に使われていたと思いきや……実際には、移動時間は数分程度と言われれば、ギュンターも驚かざるを得ない。

 目を見開いてセトを見ているギュンターを眺めつつ、レイも気になっていることを尋ねる。


「そっちこそ、どうしたんだ? 今朝に比べるとギュンター以外の護衛がいないけど」

「あー……まぁ、あの冒険者はダリドラが雇った連中だったしな。それに、元凶の暗殺者達は潰したんだろ? なら、これ以上無駄な護衛を雇う必要はないって言って、依頼は終えた」

「随分と判断が早いな。一応残党が残ってる可能性は捨てきれないんだし、もう暫くは厳重な護衛体制のままかと思ったけど」

「ま、元々ダリドラは腕利きの護衛がいるしな。このゴーシュで……それも一山幾ら辺りで雇った冒険者なんか、いてもいなくても同じ……いや、いれば寧ろ余計に金が掛かって邪魔になるだけなんだろ」


 ギュンターの口から出た言葉に、レイは納得の表情を浮かべる。

 オウギュストは護衛として雇っているザルーストを派遣して手近な護衛は存在しないが、ダリドラがオウギュストの心配をする必要はないのだと。

 元々ダリドラとオウギュストが手を組んでいたのは、半ば呉越同舟的な感じだった。

 その懸念が解消された以上、いつまでもオウギュストとダリドラが協力をする必要がないのは明らかだろう。


「で、結局護衛はギュンターだけに戻った訳か」

「……ま、オウギュストには金銭的な余裕があまりないしな。それでも今回の件で幾らか裕福になるとは思うけど」

「だろうな」


 ダリドラと協力してではあっても、長年この国で伝説的な存在と思われていた百面の者の大半を倒し、本拠地を潰したのだ。

 それに大きな役割を果たしたのがレイで、オウギュストの客分的な扱いになっている。

 また、ザルーストは紛れもなくオウギュストが雇っている冒険者だ。

 それらのことを考えれば、百面の者に関しての手柄はダリドラよりもオウギュストの方が上になる。

 もっとも、オウギュストの方が手柄が上であっても、百面の者の村を使えるようにするにはダリドラの持つ資産が絶対に必要なのだが。

 そして世の中では……特に商人の中では、金を持っている者が強いのは自明の理だった。


「で、結局レイは何しに戻ってきたんだ? その様子を見ると、昨日みたいに何か急ぎの用件があるって訳でもないんだろ?」

「あー、どうだろうな。急ぎの用件って訳じゃないのは事実だが、それでもオウギュストとキャシーに伝えておきたいことがあってな」

「……伝えておきたいこと?」


 どことなく歯切れの悪いレイの言葉に、ギュンターは微かに眉を顰める。

 もしかしたら、この時、既にギュンターはレイが何を告げに来たのかを察していたのかもしれない。


「ああ。中に入ってもいいか? オウギュストもいるんだろ? それとも店の方に行ってるのか?」

「いや、中にいるよ。……まぁ、お前なら問題ないだろ。ただ、出来ればあの二人を悲しませないで欲しいところだけど」


 そう告げるギュンターに、レイは小さく肩を竦める。

 今から言いにいくことは、間違いなくオウギュストやキャシーを悲しませることになるのだろうから。


(いや、オウギュストはそこまで悲しまないかもしれないな。けど、キャシーは間違いなく悲しむ。というか、納得してくれないような気がする)


 オウギュストとの間に子供が出来ず、その代わり……という訳でもないだろうが、自分を子供のように扱ってくれたキャシーだ。

 当然のようにレイがギルムに帰ると口にすれば、それをあっさりと認める筈もない。

 それでもレイはこのままいつまでもゴーシュにいる訳にはいかなかった。


(黄昏の槍の件も、それなりに日数が経っているし)


 恐らくあの厄介な商人達は既に自分に関わっているような暇はないだろうというのが、レイの予想だった。

 敷地内に入ったレイは、いつものように厩舎へと向かうセトと別れて屋敷の中へと入っていく。

 その屋敷の中でも、昨日と違って人の気配が一切ない。

 元々この屋敷に住んでいるのはオウギュストとキャシーの二人だけである以上、それは当然のことでもあった。

 だが、それでもどこか寂しさを感じてしまうのは、昨日それだけ多くの者がこの屋敷の中にいたからこそだろう。

 居間として使っている部屋へと向かうと、そこではオウギュストとキャシーの二人が、ミルクティーに似た飲み物を飲みながら言葉を交わしており、ゆったりとした時間を過ごしている。


「オウギュスト、今は忙しく動かなくてもいいのか? ダリドラは早速動いてるんだろ?」

「ああ、そちらは大丈夫ですよ。もう指示をしてきましたから。何かあったら、こっちに報告が来る筈です」


 レイの方を見て、笑みと共にオウギュストが告げる。


「実は、キャシーが離してくれないんですよ。まぁ、私もキャシーと一緒にいられるのなら大歓迎ですが」

「やだ、もう。オウギュストったら」


 うわぁ……というのが、レイの正直な気持ちだった。

 昨日から色々と忙しくてすっかり忘れていたが、そう言えばこの二人が揃うとこうだった……と思ってしまう。


(うん? もしかして、ダリドラの前でもこんな感じだったのか? 護衛と一緒にこれに一晩耐えたとか……だとすれば、尊敬に値するけど)


 ダリドラが知ったら、恐らく全く嬉しくないだろう方法で好感度が上がったのだが、レイはそれを気にせず口を開く。


「実は、その……」


 いざキャシーを目の前にすると、何となく言いづらくなる。

 そう思って口籠もるレイだったが、そんなレイの様子を見て、何かを感じ取ったのだろう。

 キャシーは小さく目を見開くと、やがて息を吸ってから口を開く。


「……ギルムに、帰るんでしょう?」

「っ!?」


 まだ、何も言ってはいない。

 だというのに、何故自分がギルムに帰ろうとしているのを理解出来たのか。

 そんな驚愕の表情を浮かべるレイに、キャシーは満面の笑みを浮かべる。


「少しの間だけど、一緒に暮らしてきたんだもの。このくらい、分からない訳がないでしょ?」


 そういうものなのか? そんな疑問を抱くレイだったが、実際にこうして言い当てられているのだから、それは間違いのない事実なのだろう。


「……うん」

「いつ?」

「分からないけど、早ければ明日かな」

「……そう。じゃあ、今日は盛大にお別れパーティをしないとね」


 それだけを告げると、キャシーは笑みを浮かべる。

 てっきり泣かれるのではないかと思っていただけに、レイは驚いたままで数分会話する。

 その後、準備をするということで居間をでたのだが……扉を閉めてから少し歩くと、人より遙かに性能のいい聴覚を持っているレイは、居間から聞こえてくる泣き声を聞き取るのだった。

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