第1147話

 レイは百面の者の村へと移動する際に砂上船を使って人や馬車、駱駝といった者達を運んだ。

 ダリドラの部下のリーダー格のネーナは、いきなり目の前に現れた砂上船に驚き、そして砂上船がダリドラの物だったことにも驚き、砂上船にあっさりと全員を乗せたことにも驚き、砂上船の移動速度にも驚いた。

 砂上船は、砂漠を移動する上では最上の移動手段と言ってもいい。

 勿論レイの相棒であるセトのように、数分で百面の者の村からゴーシュまで移動出来る存在もいる。

 だが、あくまでそれは特別な代物であり、一般的ではない。

 そもそも、セトは砂上船と違って荷物を多く運ぶことが出来ない。……もっとも、レイの場合はミスティリングという手段があるのだが。

 それに対して砂上船での移動は、多くの荷物や人、動物を一斉に運ぶことが可能になっている。

 それでもこれまで砂上船が荷物運びに利用されていなかったのは、やはり砂上船が非常に高価だからというのがあるのだろう。


「まさか、これ程早く到着するとは思いませんでした。素晴らしいですわ。出来れば砂上船がもっと手軽に購入出来れば、砂漠での移動や商売についても上手くいくのでしょうけど……」


 百面の者の村に到着して砂上船から降りたところで、ネーナが砂上船を使ってくれたことに対する感謝の言葉を述べた後にレイへとそう告げてきた。


「そうだな。もう少し機能を削って、最低限の機能だけを残すようにすればもう少し安くなるかもしれないけど、難しいだろうな」


 砂上船というのは、乗り物であると同時に持っているだけで裕福さを現すステータスのようなものでもある。

 そのステータスをわざわざ廉価版とでも呼ぶべきものにして、自分が持っている砂上船の価値を下げるような真似をするかと言えば……答えは否だろう。

 ソルレイン国の中には砂上船を持っている――あるいは、いた――者はダリドラ以外にも何人もいる。

 だが、そのような者達が自分の持っている砂上船の価値を貶めるような真似をするかどうか。

 言外にそう告げるレイの言葉に、ネーナはそうですよね、と小さく溜息を吐く。

 悲しそうな様子は、折角の大きな商売の種を逃がしたことによるものか。

 ともあれ、ネーナが悲しそうにしていると、どこか呆れたような言葉が周囲に響く。


「相変わらず、猫の被り方だけは上手いな」


 声がした方にレイが視線を向けると、そこにいたのはナルサス。

 呆れたような声と同様に、どこか呆れた表情を浮かべてネーナへと視線を向けていた。


(二人共ダリドラの部下なんだし、お互いに面識があって当然か)


 納得していたレイだったが、そんな納得は何するものぞとでも言いたげに落ち込んでいた筈のネーナは勢いよく顔を上げるとナルサスを睨み付ける。


「あらあら、ナルサスさん。ゴーシュにいないと思ったら、こんな場所にいたんですね。てっきり、首になってしまったのかと」

「ほう。俺がここにいるというのは知らなかったのか。ダリドラ様がお前にはその件を知らせる必要がないと考えたんだろうな」


 お互いに言葉を交わしているが、その間に流れる空気は冷たい。

 ネーナは笑みを浮かべつつも、全く目が笑っていない。

 ナルサスの方は目の前の女と会話をするのも不愉快だと態度で示す。

 それでいながらお互いが退く気は一切ないらしく、レイは二人の間に火花を見たようにすら感じていた。


「あー……そろそろいいか? いつまでもここでこうしている訳にはいかないだろ? 他の面子も困ってるみたいだし」


 まだ全員が砂上船から降りている訳ではないのに、いきなりのこのやり取りだ。

 当然他の面子は砂上船から降りるに降りられずにおり、戸惑っている者もいる。

 ……もっとも、戸惑っているのはオウギュストが送り込んできた人材だけであり、ダリドラが送り込んできた人材は、またかとでも言いたげな態度を示していたのだが。

 それでも今は少しでも早く村の中を調査したいのに、ここで無駄に時間を掛けるというのは迷惑以外のなにものでもない。

 ネーナもナルサスも自分達の上位者である為に口には出さなかったが、出来れば早く下ろして欲しいというのが正直な思いだろう。


「あら、ごめんなさい。すぐにどきますわね。……全く、どこかの誰かさんのおかげで無駄な時間を取ってしまいましたわ」

「ほう、そのどこかの誰かさんというのは一体誰のことだ? 詳しく聞かせて欲しいものだな」

「お分かりになりませんの? 全く、これだから……」

「俺としては、どこぞの女狐がレイにいらないちょっかいを出して、余計な騒ぎになったりされたら困るんだけどな」

「……あら、女狐ですか。ですがご安心下さい。そのような者がいても私が追い払って差し上げますわ」

「いやいや、それは無理だろう。何と言っても……」


 再び始まったそのやり取りに、レイは呆れたように口を開く。


「いい加減にしてくれ。取りあえず早いところ村の調査と……死体の処理をしないと、色々と酷いことになるのは分かっているだろう?」


 そんなレイの言葉に、ネーナもナルサスも我を取り戻したのだろう。少しだけ恥ずかしそうに咳払いをする。


「ん、コホン。……それで、レイ。これで全員か? いや、砂上船でやって来たんだから、これ以外の人数がいるとは思えないが」


 話を誤魔化すように告げてくるナルサスの言葉に、レイは頷きを返す。


「ああ、これで全員だ。それで俺がいない間に何か異常は……いや、聞くまでもないか」


 もし何か異常があるのであれば、こんな馬鹿話をしているような余裕はないのだから。

 そして案の定、ナルサスはレイの言葉に頷きを返す。


「問題はない。ザルーストは今ちょっとオアシスの方を見に行っているが、すぐ戻ってくるだろう」

「そうか。……なら、そろそろ村の調査と後片付けを始めた方がいいな」


 その言葉に従い、その場にいた者達は全員が砂上船から降りて村の中へと入っていく。

 特に護衛として派遣された冒険者達は、出来るだけ早くこの村の様子を知っておかなければ、モンスターが襲ってきた時に対処出来ないので他の者達よりも急ぎ足だ。

 事実、今回の村の調査で一番忙しくなるのは明らかに冒険者の者達だろう。

 護衛に調査、また村にある死体の片付けもする必要がある。

 そんな冒険者の後を追うように駱駝の牽く馬車も下りていき、砂上船は瞬く間に人の姿がなくなった。

 唯一、甲板の上で強くなってきた太陽の日射しも特に気にした様子がなく、セトが寝転がっていたが。

 当然この寝転がっているというのは、本当の意味で寝ているのではない。

 いつものように、モンスターの襲撃がないのかどうかを探索している為だ。


「セト、もういいぞ! こっちに降りてきてくれ!」

「グルゥ!」


 だからこそレイが呼び掛けると、セトは甲板の上から起き上がって砂上船から降りてくる。


「グルルルルゥ」


 喉を鳴らして甘えてくるセトに、レイは笑みを浮かべながら撫でてやる。

 そんなレイの姿を、何故かネーナが羨ましそうに見つめていた。


「さて、じゃあ俺は村の中を一通り見てくる。その後は……まぁ、その時になったら考えるとするよ」

「あら、そうですか? 出来ればレイさんのお話を聞きたかったのですが」


 ネーナが誘うような視線をレイに向けてくるが、そんなネーナの横ではナルサスがどこか胡散臭そうな視線をネーナへと向けている。

 そんな二人のやり取りに、レイは軽く首を横に振る。


「お前が今やるべきなのは、村の調査をすることだろ。ここで俺の話を聞いていても、村の調査は終わらないしな」

「そうだな。全くレイの言う通りだ」

「……ちょっと、あんたはどっちの味方よ」


 レイと良好な関係を築くように言われているネーナが、ナルサスに向かって不満そうに告げる。

 だが、ナルサスから見てもネーナがレイを相手にどうこう出来るとは思っていなかったので、小さく肩を竦めるだけだ。

 自分の美貌に一定の自信があるネーナとしては、そんなナルサスの態度が気に入らない。

 ……もっとも、ナルサスもレイがネーナの色仕掛けに引っ掛かるとは思っていないので、無駄な事はしない方がいいと態度で示しているのだが。

 そんな二人のやり取りは、傍から見れば痴話喧嘩にしか見えない。

 本人達は全く自覚していないようだったが。


「じゃあ、悪いけど俺は先に行ってるぞ。お前達はここで思う存分痴話喧嘩をしててくれ」

「ちょっ、レイさん!? 誰が誰と痴話喧嘩ですか!?」


 心外だと言いたげに叫ぶネーナだったが、そんなネーナに対してナルサスが口にした言葉は、更に火に油を注ぐかの如くだった。


「全くだ。何だって俺がこんな女狐なんかと」

「……ちょっと、誰が女狐で、なんか、なのよ。少し詳しく話をしないといけないわね」

「うん? いいのか? レイの前なのに化けの皮が剥がれてるぞ?」


 そんな言い争いをしている二人に、これ以上は付き合っていられないと、レイは砂上船をミスティリングに収納するとセトと共に村の中へと向かう。

 近くにあった砂上船がミスティリングに収納されたにも関わらず、そんなのは全く関係ないと背後でまだ騒いでいる声が聞こえてくるが、レイとしてはもうこれ以上付き合っていられるかというのが、正直な気持ちだった。


「グルゥ?」


 いいの? とセトが喉を鳴らしながら尋ねてくるが、レイはそっとセトを撫でて誤魔化す。

 セトも背後から聞こえてくる声が気にならないこともなかったが、それよりはレイに撫でられる心地良さを堪能する方が優先だった。

 そんな風に歩いていると、やがて最初に見えてきたのは当然ながら何人かの人間が家から死体を運び出しているところだった。

 砂漠に住むということは、当然普通の村や街に住んでいるよりも死は身近に存在する。

 特に砂漠に出てしまえば、普通の村や街で外に出るよりも大きな危険を伴う。

 そうである以上、死体の処理に慣れている者がいてもおかしくはない。

 だが……それでも、男達の死体に対する扱いはぞんざいとしかいいようのないものだった。

 それは、やはり死体が暗殺者のものだからか。

 レイにもそんな男達の行動は理解出来る。

 第一、ダリドラの研究所は百面の者に襲われ、生き残りが一人もいなかったのだ。

 同じダリドラの部下として、死体を運んでいる者の中に研究者と知り合いだった者がいてもおかしくはない。

 そして自分の知り合い、友人……もしくは家族、恋人といった存在を殺された者達にとって、この村で死んでいるのは仇の一味ということになる。

 そう考えれば、死体の扱いがぞんざいになるのも仕方がないのかもしれないが……レイはその死体の扱いに、少しだけ不愉快なものを感じた。


「おい、死体をあんまり適当に扱うな。敬意を持って接しろとまでは言わないが、ゴミのようには扱うな」


 だからだろう。レイの口から、思わずそんな言葉が出てしまったのは。


「あぁっ!? ……レ、レイさんでしたか。すいません。これから気をつけます」


 最初は苛立たしげに叫ぼうとした男だったが、声を掛けてきたのがレイだと気が付いたのだろう。すぐに頭を下げ、乱暴に持っていた死体を丁寧に持ち直す。

 それを見てから、レイはセトと共にまた別の場所に行く。

 向かった先は、この村の生命線とも言えるオアシス。

 ゴーシュにあるオアシスと比べると大分小さいが、それでもこの村の住人を生きていかせるには十分だったのだろう。

 そんな風に周囲を見ていたレイは、オアシスを調べている者が何人かいるのに気が付く。

 それぞれにレイが見たこともないような道具を持っており、調べている者達はそれぞれ自分の考えを述べ合っていた。

 そんな者達の様子に、つい先程見たあまり面白くない光景がどこか頭の中から消えていく感じがする。

 少しだけだが気分の晴れたレイは、オアシスを調べている者の中で一番近くにいた人物へと近づいていく。


「どうだ? 何か分かったか?」


 まさか、いきなり自分がレイから声を掛けられるとは思ってもいなかったのだろう。

 声を掛けられた男は少し驚き、慌ててレイの方へと向けて頭を下げてくる。


「あ、レイさん。その……ええ。取りあえずこの水を飲んでも大丈夫だというのははっきりとしました。ただ、ゴーシュのように魚を育てるのは、多分無理でしょうね」

「……だろうな」


 ゴーシュの巨大な……それこそ湖と呼びたくなるような大きさのオアシスに比べると、今目の前にあるのは明らかに小さい。

 それを考えれば、魚を育てられないだろうというのは当然の予想だった。

 それから数分男と話すと、レイはまたセトと共に周囲を歩き回る。

 砂漠の太陽は、今日もまた強烈な日光を地上へと降り注がせている。


(そろそろ、ギルムに帰るかな)


 そんな様子を見て、何となくレイはそう思うのだった

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