第1137話

 夜の砂漠という、普通であれば寒さに身を震わせてもおかしくはない時間と場所。

 その上をレイ達は歩いていた。

 先頭を進むのは、暗殺者の臭いを追っているセト。

 その横にレイ、後ろにザルースト、ナルサスの順番で続く。


「……で、どの辺まで移動をすると思う?」


 砂の上を歩きながらザルーストが尋ねるが、それに対するレイの返答は小さく首を横に振るというものだった。


「向こうのアジトがどこにあるのかも分からないんだから、それを予想するのは難しいだろ。それより……暗殺の対象であろうダリドラとオウギュストはゴーシュの中にいるのに、何でアジトをゴーシュの外に作ったんだと思う?」

「まぁ、普通ならゴーシュの中にアジトを作った方が手っ取り早いよな。オウギュストさん達が何か動きを見せた時も、即座に対応出来るし」


 ザルーストが言う通り、何か行動を起こすのであれば標的のオウギュストやダリドラが住んでいるゴーシュの側にアジトを作るのが普通だろう。

 だが、今回は街の外に……それも一応であっても踏み固められて道となっているところから離れた場所にアジトがあるのだ。

 どう考えてもおかしかった。


(考えられる可能性があるとすれば……ゴーシュの中にアジトがあると、便利な反面見つかりやすいからか?)


 歩く度に少しずつ足が埋まる砂の感触を不快に感じながらも、レイは考える。


(けど、一時的なアジトで見つかりやすいというのを気にする必要があるか? それこそ、見つかりそうになったらさっさとそこから違う場所にアジトを移せばいいだけだ。街の外にアジトを構えるのは、どう考えてもデメリットの方が大きい)


 街の外にアジトがあるということは、何かをする際には必ず街の中に入る必要がある。

 そうなると、その度に正門で警備兵に手続きをして貰わなければならない以上、目立つのは確実だった。

 皮膚を張り替えて別人に変装することの出来る暗殺者にしてみれば、それ程大変なことでないのかもしれない。

 だが、何事にも絶対というものはなく、何かあればその辺りの秘密が知られてしまうということも考えられるのだ。


(そんな真似をしてまで、街の外にアジトを作る理由……うん? そこまで不自由、な?)


 砂漠を歩きながら考えていたレイだったが、ふと自分の考えで引っ掛かるところがあり、足を止めた。

 そうなれば当然レイの横を進んでいたセトも足を止め、後ろを歩いていたナルサスとザルーストの二人も同様に足を止める。


「急に立ち止まって、どうしたんだ?」


 少しだけ不機嫌そうなザルーストの言葉。

 極寒の空気の中、周囲の明かりは星明かりと月明かりのみという悪条件で歩いているのだから、不機嫌になるのも当然だろう。

 だが、レイは後ろから聞こえてきたザルーストの声を無視して、自分の考えのどこに引っ掛かったのかを考える。

 自分の言葉を無視されたザルーストが、再び口を開こうとするが、ナルサスがそれを止める。

 レイという冒険者の実力を知っている分だけ、ここで何を考えているのか興味深かったのだろう。

 同時に、そんなレイの様子にナルサスにも何か感じるものがあったのも事実だ。

 そして動きを止めて一分程が経ち……やがてレイが口を開く。


「なぁ、おかしくないか? オウギュストやダリドラを暗殺するにしても、何だって街の外なんて危険な場所にアジトを作る必要がある?」

「それは……だから、さっきも言ったように、隠密性を重視してのものだろう? 現にレイが倒したという暗殺者は、顔の皮膚を張り替えて別人に変装出来ると聞いている。その辺りの秘密を守る為なのでは?」

「だろうな。幾ら外見は誰か他の奴に変装出来ても、仕草や言動なんかは真似出来ないから、迂闊に顔見知りに会ってしまえばそこから自分の正体が知られることになる可能性も高い」


 ナルサスの意見に、ザルーストが同意する。

 だが、レイはその意見に納得しつつも首を横に振る。


「俺もその可能性は考えた。けど、ゴーシュはこれだけ大きな街だ。それも暗殺をする為に隠れるのなら、それこそ幾らでも隠れる場所がある」

「けど、万が一、もしかしたら……ってのがあるだろ? その辺を考えて、念には念を入れてってことだろ?」


 ザルーストの言葉に、ナルサスも同意見だと無言で頷く。

 そんな二人を前に、レイはこんな夜の砂漠であるにもかかわらず、誰にも聞こえないように口を開く。


「これから俺が言うのは、とても信じられないような荒唐無稽な話に聞こえるかもしれない。だが、もし本当に俺の予想通りだったら、色々な意味で不味い事態になってるかもしれない。それを承知の上で聞いて欲しい」


 そう告げるレイの口調は、とてもではないが冗談を言っている口調ではなかった。

 そんなレイの顔を見ては、二人の冒険者としても黙って話を聞くしかない。

 ゴーシュでの活動という点においては、ザルーストとナルサスの方がレイよりも先輩だ。

 だが、純粋に冒険者のランクとして……またはこれまでの実績を考えれば、ザルーストとナルサスはレイの足下にも及ばない。

 それだけに、レイの口から出る言葉を聞いた方がいいと……聞かなければならないと思ってしまったのだろう。

 黙って聞く気になった二人を前に、レイは口を開く。

 自分の中にある違和感を含めて思いついた内容を。

 ……この状況で、もしレイが人に聞かされればとてもではないが信じられないだろう話を。


「俺達が今行こうとしているアジト。それが街の外にあるのは、セトの様子を見る限りほぼ確実だと言ってもいい。じゃあ、何でそんな場所にある? さっき話したような理由か? ……俺は違うと思う」


 そう告げたレイの言葉に何を感じたのか、ザルーストとナルサスの二人は唾を飲み込む。

 そんな二人に向かって、レイは説明を続ける。


「本当の意味で見つからないように……それだけの為にその場所が用意されていたとしたら? それこそ、今まで前提としていた標的を殺す為の一時的なアジトという訳ではなく……本拠地だとしたら?」

『まさか』


 レイの言葉に、二人の言葉は重なる。

 心の底からレイの話を信じられないと、その表情が表していた。

 即座に二人から自分の意見を否定されても、レイはそれに反発せず……それどころかその気持ちを納得してしまう。

 ゴーシュという街のすぐ側に、暗殺者の本拠地があるというのはとてもではないが信じられないことだろうと。

 今まで全くその存在を知らなかったのだから、と。


「いや、けど……ゴーシュはソルレイン国でも大きな街だから、これまでにも暗殺者が活動したと思しき事件は色々と聞いてるし、見ている。けど、あんな風に顔の皮膚を剥いでるような奴が出て来たことはなかったぞ?」


 ザルーストが殆ど反射的にそう告げる。

 事実、それは間違っていることではない。

 ゴーシュで生まれ育ち、冒険者となってからもそれなりに長い期間が経っており、ベテランと呼ばれても不思議ではない。

 そんなザルーストだが、顔の皮膚を剥いでいるような暗殺者という、一度聞いたら絶対に忘れられないような存在がいれば、忘れようもない。

 ナルサスはザルースト程に長い間ゴーシュで活動している訳ではないが、ゴーシュの中でも最大の影響力を持っているエレーマ商会に雇われ、その会頭のダリドラの護衛を務めてきた身だ。

 だが、こちらもザルーストと同様に顔の皮膚を剥ぐような暗殺者という存在について聞いたことはなかった。


「ああ、俺もその辺は考えた。実際、ダリドラがその話をした時も心の底から驚いていたようだったからな。けど……だ」


 一旦言葉を止めたレイは、静かに周囲を見回す。

 まるで、そこに自分達の話を盗み聞きしている暗殺者がいるとでも言いたげに。

 ……勿論そんな行為をしつつも、レイは自分の相棒であるセトのことを絶対的に信用している。

 ダリドラを襲撃した際に矢を射った者達の姿を確認出来なかったというのは聞いているが、セトであれば何らかの手段で姿を消している相手がいたとしても見つけることは出来ると信じていた。

 故に、これはポーズのようなもの。

 それ程自分が暗殺者の本拠地と思われる場所があると警戒しているという。


「もし暗殺者達がこの付近に本拠地を持ってるとして……自分達の足下で騒ぎを起こすと思うか? しかも、普通の暗殺者じゃない。自分の顔の皮膚を剥ぐような暗殺者だぞ? そんな特異な暗殺者が、自分達の身元を知られる危険を犯すとは思わないけどな」


 そう言いつつ、恐らくゴーシュで何の活動もしていないということはないだろうという予想もする。

 ただし、その場合は周到な準備をして自分達の正体が絶対に知られないようにして、という風にするのだろうが、と。


「……なるほど。自分達の特異性を理解しているからこそ、ゴーシュでの活動は控えるか。そう言われれば納得出来なくもないが……どう思う?」


 レイの説明に、ある程度納得する要素を見出したのだろう。ナルサスは頷きながら、未だに納得しがたい様子のザルーストへと尋ねる。

 そんなナルサスの問いに、ザルーストは唸るしか出来ない。

 レイの説明にはある程度の筋が通っていると納得せざるを得ないのは分かっている。

 だが……それでもゴーシュで生まれ育った者として、近くに暗殺者の本拠地があるというのは認めたくはない出来事だった。


「可能性としては有り得る……としか言えないな。向こうにとっては幸いなことに、そして俺達にとっては不幸なことに、ゴーシュを治める領主様は優れた能力を持っているとは、とても言えない人だ」

「うん? 待った。……今のリューブランドがそういう人物なのは分かるが、前の領主はどうなんだ? 父親とか祖父とか……」


 そう告げるレイの言葉に、ザルーストがとった行動はそっと視線を逸らすだけ。

 その行為を見れば、レイも大体の言いたいことは分かってしまった。


「つまり、代々そういう人物なのか」

「……ああ。幸いと言うべきか、大体領主様の一族は優れている訳でもないが、逆に劣っている訳でもない。俺が知ってる限りだと、領主が専横をしてゴーシュの住民から搾取した……って話は聞かないな」

「それは俺もダリドラ様から聞いている。ただ、それは別に特別優れているという訳ではなく……このゴーシュでそんな真似をすれば、すぐに街そのものが滅びてしまいかねないのが原因だと聞いているが」


 なるほど、とレイは二人の言葉に納得の表情を浮かべる。

 この街はソルレイン国の中では大きい街だが、砂漠の中にあるということで決して裕福な訳ではない。

 だとすれば、ここで略奪や搾取のような真似をすればすぐに物資が足りなくなり、滅びてしまうというのは理解出来た。


「その辺も考えて、恐らく今の領主様の一族がこのゴーシュの領主になっているんだろうな」

「で、搾取の類はしなかったけど、代わりに近くで暗殺者集団の本拠地を構えていても気が付くことはなかった、と」

「それは……まだ本当にそうだと決まった訳ではないだろ?」


 レイの言葉に、ザルーストがそう言葉を返す。

 だが、ザルースト自身もここまでレイが言ってきた内容を考えれば、決して近くに暗殺者集団がいる可能性がないというのは言い切れない。


「その辺は、セトがこれから進む方向に何があるのかではっきりするだろ。……セト、頼めるか?」

「グルゥ!」


 今まで黙ってレイの話を聞きながら周囲を警戒していたセトだったが、レイの言葉に喉を鳴らすと、レイ達を引き連れるようにして砂漠の中を進む。

 臭いを辿ってセトが、そのセトの横をレイが、そしてザルーストとナルサスは先程レイが口にした言葉を考え、周囲の様子を警戒しながら。

 既にゴーシュを出てから一時間近くが経つ。

 途中で話していた時間を考えても、決して短い時間ではない。


(まぁ、幾らゴーシュの近くに本拠地を作るにしても、本当にゴーシュの近く……ゴーシュの真横とかに作る訳にはいかないよな)


 ふと、ゴーシュの横に暗殺者達のアジトがあったら……と考えたレイだったが、必ずしも警備兵の能力が高い訳でもないゴーシュの場合、それを見逃していてもおかしくはない。


(その辺りも見越してこの付近に本拠地を作ったんだろうが……リューブランドとその一族が、完全に侮られているな)


 それでも自分達の正体を少しでも隠す為、ゴーシュでの活動が少なかったというのはリューブランドにとっては運が良かったのだろうと、レイは考える。

 ……もっとも、それはあくまでもレイの考えであり、予想でしかないのだが。

 ともあれ、そんな風に一行が夜の砂漠を移動していると……


「グルルルルゥ!」


 不意に、セトが鋭く喉を鳴らす。


「見つけたか!?」


 一瞬そう思ったレイだったが、セトの見ている方にあるのは特に建物らしい何かがある訳でもなく……夜の砂漠が一面に広がっているだけだった。

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