第1136話

 セトが見ているのは明らかにゴーシュの正門であり、つまりそれはレイ達が向かおうとしているのが街の外であるということを表していた。


「グルゥ?」


 どうしたの? と小首を傾げるセトだったが、レイはそんなセトを撫でながら同行者へと視線を向ける。


「どう思う? 本当に暗殺者のアジトが街の外にあると思うか?」


 尋ねられた二人のうち、ザルーストは首を傾げ、ナルサスは首を横に振る。

 そして、最初に口を開いたのはナルサス。


「ゴーシュの外をアジトにしているというのであれば、モンスターに襲撃をされる。それは確実だろう。そんな場所にアジトを構えるとは思えない。それが、例え一時的なものであったとしても」


 その説明は、普通に考えれば十分に理解出来るものだった。

 いや、それどころか間違いなく正しい意見だと皆が認めるだろう。


「けど、セトだぞ? ランクAモンスターのグリフォン。そんなモンスターが、何の意味もなく街の外に行こうとすると思うか?」

「……そのランクAモンスターのグリフォンが、敵のアジトを探している時に何故か屋台で買い食いを始めたんだけどな」

「ぐっ、そ、それは……」


 そう言われてしまえば、ザルーストも言い返すことは出来ない。

 代わりに言い返したのはレイだった。


「分からなくなったんなら、セトは最初からそう態度で示す。けどこうして街の外に行きたがっているということは、間違いなく暗殺者のアジトは街の外にあると思ってもいい」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトはその通りと鳴き声を上げる。

 その鳴き声を聞いても……いや、聞いたからこそか、ナルサスはセトへ疑わしそうな視線を向けていた。

 そんな三人と一匹の様子は、明らかに怪しい。

 周囲は既に暗くなっており、正門は閉まっている。

 当然そうなれば正門付近に人の姿はなく……


「そこの三人、何をしている?」


 怪しまれた警備兵に、声を掛けられるのは当然だった。

 だが、レイ達は特に焦った様子も見せずに声を掛けてきた警備兵と相対する。


「冒険者のナルサスだ。領主様の方から俺達に便宜を図るように連絡が入っている筈だと思うが?」


 前に出て警備兵と言葉を交わしたのはナルサス。

 ダリドラの護衛を纏めている者としてそれなりに顔が知られており、ダリドラが領主のリューブランドに手紙を出したというのもナルサスが出た理由だろう。

 そして当然のように、警備兵の方にはリューブランドから命令が下っていた。


「失礼しました。ダリドラ様、オウギュスト様には便宜を図るように言われています。何か御用でしょうか?」


 内心では面白くないものを感じながらも、一介の警備兵が領主からの命令に逆らう訳にもいかない。

 そんな兵士の気持ちは理解していたナルサスだったが、もし本当に暗殺者のアジトが街の外にあるのであれば、それをどうにかしなければいけないのは事実だった。

 一旦オウギュストの屋敷に行って、セトが嗅ぎ取った臭いが街の外へと向かっているという話をした方がいいのかもしれないとも思ったのだが、今は一刻の時間が惜しいのも事実だ。

 この中で最も素早く移動出来るのは、間違いなくセト。そして次がレイであり、自分、ザルーストの順番だろうというのがナルサスの予想だった。

 だが臭いを嗅ぎ分けることが出来るセトをオウギュストの屋敷に向かわせる訳にはいかず、同時にセトと意思疎通を出来るレイを外す訳にもいかない。

 ナルサス自身もかなり無理をしてここにいる以上、今更戻る訳にはいかない。ザルーストもそれは同様だろう。

 ナルサスとザルーストは、共に護衛対象を襲撃者相手に守り切れず、傷つけてしまったという後悔がある。

 そうである以上、ここで戻るのは絶対に出来ないというのは分かりきっていた。


(で、あれば……)


 残るのは、視線の先にいる警備兵が一人。

 ここが正門である以上、警備兵が一人だけということはない。

 必ず他にも何人かいる筈であり、そうであれば一人に伝言を頼んで問題はなかった。


「済まないが、幾つか頼みたいことがある。聞いて貰えないか?」


 領主からの命令が下っている以上、警備兵が否と言えることはなかった。


「分かりました。自分に出来ることであれば受けましょう」

「助かる。まず第一に、俺達をゴーシュの外に出して欲しい」

「正気ですか!?」


 ナルサスの言葉に、警備兵は反射的に叫ぶ。

 その叫び声に正門近くにある詰め所から何人かの警備兵が顔を覗かせるのが篝火の炎に照らされて見えていたが、ナルサスは問題ないと頷きを返す。


「大丈夫だ。知っての通り俺は腕に自信があるし、レイは異名持ちの冒険者でグリフォンを従魔にしている。ザルーストもこのゴーシュでは名の知れた冒険者だ」

「しかしっ! それでも夜に街の外に出るなんて、自殺行為……とまでは言いませんが、危険です!」


 警備兵の言葉は、心の底からナルサス達を心配している……のではなく、自分達の判断でナルサスを外に出してしまい、その結果として死んでしまうと、自分がダリドラに睨まれてしまうかもしれないという思いからきたものだった。

 それが分かっているからこそ、ナルサスは自信に満ちた笑みを浮かべて口を開く。


「問題はない。今回の件で何が起こったとしても、警備兵には関係のない出来事だというのはダリドラ様も分かっている」


 まぁ、襲撃をするアジトが街の外にあるとは思いも寄らなかっただろうが。そんな内心を隠しながら告げるナルサスに、警備兵の態度は若干ではあるが和らぐ。

 もっとも、警備兵の視線はナルサスに向けられていたのではなく、セトに向けられたものだ。

 グリフォンという存在がいるのだから、何かあってもどうとでもなるだろうと。

 こうして近くで見ても、警備兵はセトの持つ迫力を感じ取ることが出来た。

 力を正確に理解出来る訳ではないが、それでもグリフォンというだけで圧倒的な何かを感じさせるのは事実だ。


「……分かりました」

「そして、頼みたいことの二つ目」


 ナルサスの口から二つ目という言葉が出た瞬間、警備兵の顔が微かに引き攣る。

 当然だろう。一つ目の頼みが、本来なら既に閉まっている正門を開けて街の外に出られるようにするというものだ。

 そんな頼みを受けてからの二つ目の頼みと言われれば……どうしたって、警戒してしまうのは当然だった。

 だが、ナルサスはそんな警備兵の気持ちを見透かすかのように笑みを浮かべて口を開く。


「心配するな。こちらは特に無茶という話ではない。オウギュストさんの屋敷がどこにあるのかは知っているか?」

「え? はぁ、まぁ」


 オウギュストとダリドラの対立を知っている警備兵は、もしかしてオウギュストの屋敷に何かするのを手伝えと言われるのかと思う。

 しかしこの場にはオウギュストの護衛をしているザルーストの姿もあるし、オウギュストに協力をしていると言われているレイの姿もある。

 そんな状況でオウギュストの屋敷に何かするのか? という疑問が警備兵の中に浮かび上がった。

 警備兵の視線を追い、何を考えているのかを理解したナルサスは、笑みを浮かべて言葉を続ける。


「オウギュストさんの屋敷にダリドラ様がいる。その二人に、俺達は街の外に向かったと伝えて欲しい。目的地は街の外にある、と」

「……は?」


 心の底から理解出来ないといった様子の警備兵だったが、ナルサスはそれ以上言うつもりはなかった。

 それは別に秘密を守ろうという思いだけではなく、純粋に警備兵の身の安全を考えてのことでもある。

 警備兵が狙われるとは思わないが、万が一という可能性はあるのだから。


「まぁ、そのくらいなら構いませんけど」

「そうか、じゃあ頼む」


 短くそう告げると、ナルサスはレイとザルースト、セトの方へと視線を向けると正門へと向かう。

 警備兵は正門を開ける為、急いで詰め所へと向かって仲間に事情を説明する。

 この時間に正門を開けるというのは、警備兵達にとって自殺行為にしか思えない。

 だが、領主から直々にダリドラの護衛の要請に従うようにと通達が来ている為、逆らうことは出来なかった。

 一人がオウギュストの屋敷へと向かい、残る人数で正門を開ける。

 もっとも、正門を開けると言っても全開にする訳ではない。

 万が一モンスターが攻めてくる可能性を考えれば、とてもではないがそんな真似は出来なかった。

 である以上、正門を開けるといっても最小限……それこそ一行の中で一番横幅のあるセトが通れる程度の、本当にギリギリの位置だ。


「その、いつ頃戻ってくるんでしょう?」


 そう尋ねたのは、再度夜に正門を開けるという真似を出来ればしたくない警備兵の一人。

 出来れば明日の朝以降にして欲しい。

 そんな思いが浮かんでいるのだが、無情にもナルサスはその希望を否定する。


「分からない。明日の朝になるかもしれないし、もしかしたら数時間もしないうちに戻ってくるかもしれない。残念ながら、今回の件はこっちで決められる訳じゃない」


 まさかアジトのある場所が街の外にあるとは思っていなかったので、ナルサスもいつ戻ってくるとは言えない。

 アジトのある場所が街の近くにあればすぐに帰ってこられるかもしれないが……と思いつつ、まさか街のすぐ側に暗殺者達がアジトを用意してあるとも思えない。


(これが街中にアジトを用意してあるのなら、すぐにでも終わると言えるんだがな)


 明らかに今回の件は予想の範囲外と言うべきものであり、正直なところ本心ではセトが間違っているのではないか? とすら、ナルサスは考えていた。

 だが、そんな考えはすぐに否定される。

 レイとセトがどれだけの実力を持っているのか。それを疑うというようなことは出来なかったのだ。

 ……もっとも、レイは傍から見ると間の抜けたことをすることも多く、その辺はレイを知らないが故に完全な高ランク冒険者だと思い込んでいたのだが。


「そう、ですか。……分かりました。お気を付けて」


 そう告げたものの、警備兵の顔にあるのは、出来れば次の警備兵と交代してから帰ってきてくれという思いだ。

 警備兵の考えは理解しているものの、自分達が無茶を言っているという自覚のあるナルサスはそれ以上突っ込んだりはしない。

 警備兵の言葉に短く頷き、開いた門から街の外へと出て行く。

 瞬間、夜の砂漠らしい冷たい風が吹き、ナルサスとザルーストは寒さに不愉快そうな表情を浮かべる。

 そんな中、セトはグリフォンとしてこの程度の寒さは全く関係なく、レイはドラゴンローブのおかげで寒さを感じずに済んでいた。

 それに気が付いたのか、ナルサスとザルーストはレイに対して一瞬だけ羨ましそうな視線を向ける。

 背後でゴーシュの正門が閉じる音を聞きつつ、レイは空を見上げる。

 ソルレイン国に……そして砂漠のオアシスを中心にして栄えているゴーシュへとやって来てから、それなりに日数は経った。

 だが……それでも、砂漠の空を見上げれば目を奪われる程の星々の光が浮かんでおり、その光景に目を奪われる。


(凄い、よな。この景色だけは日本だと見られなかっただろうな。……いや、もしかして日本では見られなくても、砂漠とかでなら見られるのか?)


 ふとそんなことを考えていると、近くでどこか呆れの交じった溜息が聞こえてきた。

 そちらに視線を向けると、当然のようにザルーストが呆れの表情を、ナルサスはレイの気持ちが分かるといった表情を浮かべている。

 ザルーストはゴーシュで生まれ育ったので、この景色はいつものことと何も感じない。

 他の場所から来た者達にとって目を奪われるような景色であっても、生まれた時から身近にあったザルーストにとっては、何故普段の光景を見てそこまでレイが感動しているのかが全く分からなかった。

 それに比べると、ソルレイン国が出身ではないナルサスはダリドラに引き抜かれてゴーシュに来た時に砂漠の空に映える無数の星という光景に目を奪われた経験がある。

 ……もっとも既に何年もゴーシュで暮らしている以上、否応なく景色には慣れてしまったが。

 それでも同じような経験がある分、ナルサスはレイの考えを理解出来た。

 だが、いつまでもレイをその感動に浸らせておく訳にいかないというのも事実だ。

 自分達は別に夜空の星を眺める為にゴーシュの外に出て来たのではなく、ダリドラやオウギュストを狙う暗殺者のアジトを襲撃するためにここにいるのだから。


「レイ、星空に見とれているところを悪いけど、そろそろ行動を開始しよう。夜の砂漠でじっとしているというのは、モンスターに襲ってくれと言ってくれるようなものだ」

「ん? ああ、そうだな。悪い」

「いいさ。俺もゴーシュに来た時は目を奪われたし」


 そんな風に会話をしているレイとナルサスに、ザルーストは心底理解出来ないと言いたげに溜息を吐くのだった。

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