第1135話

「どうだ、セト。臭いを追えるか?」


 レイの言葉に、ダリドラの店にあった研究室から運び出された暗殺者の死体の臭いを嗅いでいたセトは、少し迷いながらも喉を鳴らす。

 その鳴き声が大丈夫というセトの意志を伝えたと知るのは、レイだけだ。

 既に夕日も沈み掛けて薄暗くなってきており、そんな状況で死体を簡単な板に乗せてダリドラの店の中庭に用意してある。

 傍から見れば、とてもではないがまともな集団には見えないだろう。

 それもグリフォンが死体の臭いを嗅いでいるのだから、尚更だった。

 だが……そんな不気味な状況であっても、やらなければならないことであるというのは全員が理解している。

 だからこそ、セトが死体の臭いを嗅いでいる時に、誰もがそれに対して何も言わなかったのだから。


「で、どうなんですか? セトは臭いを追えると?」


 一同を代表して訪ねてきたオウギュストに、レイは頷く。

 そんなレイの行為を見て、皆が安堵の息を吐く。

 ここまでしておきながら、実は臭いを追えませんでしたとなれば……それはもうどうしようもないのだから当然だろう。

 もし今の状況で臭いを追って駄目ならば、それは明日の朝に試しても絶対に成功しないということなのだから。


「それで、リューブランドの方には?」


 レイが呟きながら視線を向けると、ダリドラはすぐに頷きを返す。


「既に手紙の方は出してあります。大至急読んで欲しいという伝言も伝えてありますので、何かあったとしても警備隊がこちらの邪魔をすることはないでしょうね」


 神経質そうな顔付きのダリドラだったが、今は満足そうに笑みを浮かべている。

 それだけ今回の手配は完璧だったということなのだろう。


「分かった。……じゃあ、セト。頼む」

「グルルルルゥ!」


 レイの頼みに、任せて欲しいと鳴き声を上げたセト。

 そのままダリドラの店を出ようとすると……そこには、一人の冒険者の姿があった。

 それは、レイも見覚えがある人物。

 ダリドラの護衛の中で最も腕が立ち、護衛の纏め役をやっている人物。


「ナルサス、もういいのですか?」

「はい、ポーションのおかげで傷の方は大丈夫です。……まぁ、暫く料理を食べてもまともに味わえないでしょうが」


 苦笑と共に呟くナルサスに、少し離れた場所にいたオウギュストが苦笑を浮かべる。

 昼の襲撃で自分も同じようにポーションを飲み、暫くの間は味覚が破壊されているからこそ感じることが出来る同情心。


「すいません、ダリドラ様。本来なら護衛として雇われている以上、レイが襲撃に向かっている間は私が護衛をする必要があるのでしょうが……」

「いいんですよ。元々私もナルサスにはレイと共に襲撃に参加して貰う予定でした。……それにナルサスがいなくても、私の護衛は皆腕利きばかりです。そうでしょう?」


 ダリドラの視線が向けられた先にいた護衛達は、皆が自信に満ちた笑みを浮かべて頷きを返す。


「……ありがとうございます。では、今回の襲撃に参加するのは、私とレイだけでしょうか?」

「いや、俺もだ」


 そんな声を発したのは、オウギュストの護衛として雇われているザルーストだ。

 レイは半ば予想していたが、ナルサスは意外そうな表情を隠しもせずに視線を向ける。


「お前が? ……オウギュストさんの護衛はどうする?」

「そっちについてはもう話がついている。ダリドラ……さんとその護衛達には、これからオウギュストさんの屋敷に向かって貰う。あそこはゴーシュでも端にあるから、見知らぬ奴が来れば分かりやすいしな」

「敵は自由に変装出来るんだろう? なら、そんなのは役に立たないと思うんだが……」

「その辺は俺も考えた。だが、この件については既にこの二人から許可を貰っている」


 ザルーストの視線が向けられているのは、当然のことながらオウギュストとダリドラの二人。

 そちらを一瞥し、ザルーストは長剣を手にして進み出る。

 槍と長剣の両方を使いこなすザルーストだが、今回は襲撃……敵のアジトへの襲撃ということで、長剣を選んだのだろう。

 これ以上は何を言っても絶対に退かないといった視線をしているザルースト。

 人混みに紛れた相手ではあっても、オウギュストに致命傷を与えられたというのはザルーストにとって決して許せることではなかった。

 偶然……本当に偶然レイが致命傷すら癒やせるポーションを持っていたので助かったが、もしレイがいなければ間違いなくオウギュストは死んでいただろう。

 致命的といえるだけの、ザルーストのミス。

 オウギュストの父親に……そしてオウギュスト自身にも深い恩のあるザルーストにとっては、まさに致命的なと表現出来る程の痛恨のミスだった。

 そのミスを払拭すべく、ザルーストは今回暗殺者への襲撃に参加をしようとしているのだ。

 そうしなければ、自分を許せないとでもいうように。


(これ以上言っても……無駄か)


 覚悟を決めた目をしているザルーストを見て、レイは内心はこれ以上の説得が無駄であることを悟る。


(けど、オウギュストとキャシーを守る為に向こうの屋敷に行くのはいいけど……その場合、ダリドラの家族はどうなるんだ?)


 レイはダリドラが親と共に住んでいるのか……そして結婚しているのか、もしくは恋人と同棲しているのか。更には子供がいるのかどうかも知らない。

 だがそれでも、ダリドラはこのゴーシュでは一番の商人だ。

 そのような人物が一人で暮らしている筈はないだろうと思うレイだったが、ダリドラは特に何を言うでもない。

 そしてダリドラが何も言わない以上、レイもそれに対して尋ねるようなことはしなかった。


「じゃ、この三人とセトで行くってことで。……残りはオウギュストの屋敷で護衛を固めるってことでいいんだな?」


 確認するように告げるレイの言葉に、その場にいる全員が頷く。

 ダリドラの護衛の中には、レイと一緒に襲撃側に回りたがっている者もいたが、ザルーストはともかくレイやナルサスと行動を共にするのは実力的に厳しいと思っているのだろう。

 多少の未練は見せたが、結局それ以上は何も言わなかった。

 こうして、レイとセト、ザルースト、ナルサスは夜の街へと向かい、オウギュストはダリドラやその護衛と共に街外れへと向かう。

 見事なまでに呉越同舟と呼べるような光景だった。






 夜の街とは言っても、まだ日が暮れたばかり。

 当然街中には人が多く、そうなればここ数日で一気に有名になったセト、オウギュストと親しい冒険者のザルースト、ダリドラの護衛を纏めているナルサスというのは人目を引く。

 オウギュストとダリドラが対立しているというのは、ゴーシュでは常識だ。

 なのに、その二人の護衛を務めている者がセトと共に出歩いているのだから、目立って当然だろう。

 三人と一匹の中で、もっとも目立っていないのは意外なことにレイだった。

 ドラゴンローブのフードを被っている為、特徴的なその女顔が隠れているというのが大きい。

 それでもセトの側にいるのだから、一定以上目立ってしまうのは仕方がなかったが。


「それで、セト。臭いの方は追えているのか?」

「グルルルルゥ」


 レイの言葉に、セトが元気よく鳴き声を上げる。だが……セトの後をついていったレイ達が辿り着いたのは、香辛料をたっぷりと付けて焼いている串焼きの屋台だった。


「……なぁ、レイ。幾ら何でも、ここが奴等のアジトってことはないと思うんだが……」


 一応、といった風に告げてくるザルースト。

 ナルサスもそんなザルーストの言葉に同意するように頷いていた。

 この場合、可哀相だったのは屋台の店主だろう。

 いきなり目の前にグリフォンが現れたかと思えば、喉を鳴らしているのだから。

 セトに慣れているレイにとっては、食べたいな、美味しそうだな、といった意味の鳴き声だというのは理解出来ているのだが、セトという存在を殆ど知らない屋台の店主にとっては自分を威嚇しているように聞こえる。

 そんな屋台の店主の様子に気が付いたのだろう。レイは慌てて銀貨を一枚取り出すと、店主へと渡す。


「これで串焼きを買えるだけくれ」

「……へ? あ、分かりました。少し待って下さい」


 数秒前までは怯えていたとは思えないように、男は素早く串焼きへと手を伸ばす。

 この辺、商人らしいといえるのだろう。

 そうして両手に持てないほどの串焼きを受け取ると、セトへと渡し、自分も食べつつザルーストやナルサスへも渡す。

 これから暗殺者のアジトに襲撃を仕掛けるという思いでいた二人だったが、戦いの前の景気づけだと言われれば食べない訳にもいかない。

 若干不承不承ではあったが、全員で串焼きを平らげていく。

 当然のように串焼きを一番食べたのはセトであり、その場にいた店主も少し驚いていた。


「なぁ、レイ。これで本当に目的の場所に行けるのか?」


 少しだけ疑わしそうに尋ねてきたザルーストに、レイは首を横に振る。


「どうだろうな。その辺は完全にセトに任せるしかないから、こっちに聞かれてもちょっと困る」

「いや、セトについてレイに聞かないで誰に聞けと?」


 呆れたように呟くザルーストに、無言を守っているナルサスも同意するように頷く。

 これから戦いだと意気込んでいたところだったので、余計にそう思う気持ちが強いのだろう。

 そんな二人に押されるように、レイは串焼きを食べ終えて満足そうにしているセトへと話しかける。


「なぁ、セト。そろそろ行動を開始しないか? このままだと、無駄に時間が掛かってしまうだろ?」

「グルゥ……」


 少しだけ申し訳なさそうに鳴き声を上げるセト。

 そんなセトの様子は、傍から見ていても同情を抱くようなものだった。


「ほら、落ち着けって。これから真面目にやれば大丈夫だから。……じゃ、騒がせたな」


 屋台の店主に短くそう告げ、レイは再びセトを連れて歩き出す。

 そんなレイとセトの後ろを、ザルーストとナルサスは少しだけこのままセトについていってもいいのかと疑問に思いながらも、進んでいく。

 一行の中で最もセトに対して疑問を抱いているのはナルサスで、ザルーストはナルサス程に強い疑問は抱いていない。

 これは、ザルーストがセトの力を直接その目で見ていることが大きいだろう。


「本当にこのままいけるのか? ……何だかあまり信用出来ないんだが」


 それでもザルーストの口からそのような言葉が出たのは、セトへと不審そうな視線を向けているナルサスの存在があるからだろう。

 ナルサスに先んじてそう尋ね、その不審や不満を多少なりとも和らげよう。そんな思いで出されたザルーストの言葉に、レイは首を横に振る。


「前にも言ったと思うけど、臭いを辿れるかどうかは臭いが残ってるかどうかが問題になる。……まぁ、その臭いに導かれるようにあの屋台に到着してしまったんだが」

「それを聞いて、どう安心しろって? とてもじゃないが信用は出来ないぞ」

「そう言ってもな。他に手段がない以上、セトに頼るしかないだろ? まぁ、地道に聞き込みとかして向こうのアジトを探すという方法もあるけど……それが難しいのは、皆が理解しているだろうし」


 そう言われれば、それが事実だけにザルーストも口を噤むしか出来ない。

 実際、セトの嗅覚しか手掛かりがない以上、どうしてもセトに頼るしかないというのは事実なのだから。


「分かったよ。……けど、頼むぜ? こうしている今もオウギュストさんが暗殺者に狙われているかもしれないんだから」

「ダリドラ様の身にも危険が迫っている以上、こちらとしてもあまり楽観的に構えて貰いたくはないな」


 オウギュストとダリドラの心配をしているのだろう。ザルーストとナルサスの二人が、レイを急かすように告げる。


(言いたいことは分かるんだけど、そこで俺を責められてもな。……まぁ、セトのことなんだから俺が責められてもおかしくはないのか)


 周囲の様子を確認しながら、暗殺者の臭いを嗅いでいるセトを撫でるレイ。

 セトも撫でられて気持ちよかったのか、嬉しそうにしながら周囲の様子を確認する。

 セトが持つスキルの一つ、嗅覚上昇を使っているのだろう。やがてセトは不意に一方向へと視線を向けて喉を鳴らす。


「見つけたのか?」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトが返事をし、それを聞いたザルーストとナルサスも目を輝かせる。

 口では色々と言っていたのだが、まさか本当にセトが臭いを辿れるとは心のどこかで信じ切れてはいなかったのだろう。

 異名持ち冒険者でありながら、普段はそんな雰囲気を微塵も感じさせないレイの弊害に近い。

 だが……セトが案内するように進んでいった方へと進むうち、やがてザルーストもナルサスも……そしてレイですら疑問に思う。


「なぁ、おい。このままだと……」

「多分、そうだろうな」


 ザルーストとナルサスが言葉を交わし、レイもセトの進む方向に疑問を持ち……


「グルゥ!」


 セトが喉を鳴らしたのは、ゴーシュの正門前だった。

 つまりそれは、暗殺者達のアジトがあるのはゴーシュの外ということになる。

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